今の日本を始め世界中のマスメディアでは、イスラームを攻撃する人たちの作った、「イスラーム=テロリズム」 という図式が大宣伝されており、残念ながら、人々の頭の中にしっかりそれがインプットされています。
どうしても人は、テレビや新聞に書いてあることがすべて正しい、と思い込みがちなので、それを否定しても、誰も信じてくれません。
しかし、日本に入る海外のニュースや世界中のニュースは、ユダヤ系の通信社(ロイター通信など)から情報を得ているため、日本に、イスラームに関する正しい情報は伝わる事がないのです。
その一例として、シリアで留学していたときの私の友達のタイ人の女の子は、現在タイの植民地となっているパタニというタイ南部の出身ですが、お兄さんが、金曜礼拝にモスクに行っただけで半年間投獄され、金曜礼拝にモスクに行ったムスリムたちは、皆同じように牢屋に投獄されていました。
その年、パ゜タニでは、何千人という数のムスリムがモスクで虐殺され、現在でも、ムスリムであり、男性である、というだけで、道端で、警察に理由もなく発砲され、ムスリムたちが次々に殺されています。
彼女が、一時帰国から戻ってきて言っていたのは、「私の村では本当に、皆殺されて、男性がいなくなってしまった。残っているのは女性と子供だけ。台所で料理をしていても、外ではパン!というピストルの音がいつもして、今度は近所の誰が殺されたのかな、と思いながら料理していた。」
イスラームを攻撃する人たちに不利な、こういうムスリムたちの悲惨な状況は、まったく日本や世界の国際ニュースでは報道されません。
それに加えて、イスラームを知るもう一つ手段である、イスラームに関する本を読む、というのも、注意が必要です。
残念ながら、ムスリムでない方が書かれたイスラームに関する本、というのは、どんなに書いたご本人がイスラームに好意的な立場であっても、元にしている資料が、すでに悪意ある人たちによって書かれた間違った西洋からの資料であるため、どうしてもイスラームに関するとんでもない誤解が、著書の中の様々な箇所にちりばめられてしまっています。
それを、イスラームのことを知らない人が読んでしまうと、知らない内にイスラームに対して嫌悪感や違和感が芽生えてしまいます。
自分でイスラームに関する本を読むときに、または、人に紹介するときに、注意しなければならないのは、著者がムスリムであるかどうか、という点です。
私は、まだ入信する前にこれをあるムスリマから聞いたときには、「ムスリムが書いた本だけを読むなんて、偏った見方しかできなくなるのは嫌だ」と思って、無視したのですが、今になって、彼女が言う事が正しかった事を改めて実感しています。
なぜならば、私達の周りにあふれるイスラームに関する情報、書籍、というのが、ほとんどすべて、西洋の悪意ある手垢で汚れたものばかりだという事実があるからです。
本当に残念なことですが、私たちが安心して読めるようなイスラームの真実を伝える本は、特に日本語では、ごくわずかです。
例えば、普通に考えて、「日本の習慣について」という本を、外国人が書いたら、日本人が読むと「それは違う!」という間違いがあるのと同じで、イスラームに関する本を、ムスリムでない人が書いても、ムスリムから見れば、「それは違う!」という内容になるのは当然です。
「習慣」については、もしかしたら日本に長年住んでいれば外国人でもある程度正しいものを書くことができるかもしれませんが、「イスラーム」というのは、「習慣」とは違うので、ムスリムと一緒に暮らしてればイスラームのことがわかる、というものではありません。
大きな間違いは、「イスラーム」という教えと、「現在のムスリムの行動」というものを一緒だと考えてしまうことです。例えば、ムスリムの中には、お祈りもせずお酒も飲んだりする人もいれば、お祈りや断食をしていても、人をだましたりする人がいたり、いろんな人がいますが、それをそのまま「イスラーム」だと思ってしまうのは、大きな間違いです。
イスラームというのは、もともと、人間をお創りになったアッラーが、人間がこの世とあの世で、一番幸せになるためにはどうしたらいいか、という方法を教えてくださった、この世を生きるための説明書、マニュアルです。その説明書は、二つの要素から成り立っています。
① クルアーン
② ハディース(預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)の言行録)
ですから、私たちは何かわからないことがあったときに、これはイスラームではどうなのか?と考えるとき、この2つに戻らなければ答えは出ません。
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