8月9日、長崎原爆忌。
1945(昭和20)年8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発。
約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷。
原爆犠牲者慰霊平和祈念式では原爆投下の時刻とされる午前11時2分から1分間黙祷が捧げられる。
私の義理の兄が長崎原爆の被爆者として認定され、被爆者手帳を持っています。
日頃ほとんど症状はないようですが、実際のところよくは分かりません。
しかし、普段豪放磊落といっていい義兄が、ある時ここでは書ききれないような切実な思いを語って聞かせてくれたことを、私は忘れることが出来ません。
広島原爆忌にも思うのですが、日本はなぜ核保有国に対してそして核廃絶に関して世界唯一の被爆国として断固たる意見を述べられないのだろうか。
日本は本来「唯一の被爆国」という強力な平和の切り札を持った国である。
その切り札を今日本は重荷と感じているのか、いつの間にかテーブルの下に隠してしまっている。
それどころか、
アメリカのオバマ大統領がプラハ演説以来進めている核政策の変更に米国政府内に反対の声があるという。
その理由は、日本の外務省、防衛省など安保外交政策を担当する官僚が、「米政府は核政策を転換しないように」と訴えているからだという。
こんなこと、決してあってはならないことではないだろうか!!
何と情けないことだろう!!
外務省の、防衛省の担当官僚とは、いったい誰なのか。
新聞やマスコミはなぜこのことを大きく報道しないのだろうか。
非核三原則を提唱しノーベル平和賞を受賞した元総理大臣が、実は佐世保港に原子力潜水艦の寄港を米国に要請していた。
広島、長崎の原爆を是認して更迭された大臣がいた。
三度目の核攻撃を受けないためにも日本は核武装すべきだと公言してはばからない者が増えてきた。
唯一の核使用国の米国が「核なき世界を」と説き、唯一の被爆国が「日本も核保有を」と叫ぶ...この不可思議さ、そして愚劣さ。
このままだときっと日本は世界のどの国からも相手にされなくなってしまうに違いない...きっと。
被爆生存者がだんだんいなくなるなか、風化を何とか防ごうと努力している人がいる。
私同様“戦争を知らない世代”ではあるが安保闘争を見聞きしベトナム戦争反対闘争を経験してきた多くの中高年がいる。
誰かが何とかしないといけない。
このブログの記事がとりあえず今の私にできること...でしょうか。
**************************************************************
家のすぐ前の畑の栗の木に、沢山の毬栗坊主。
庭のプランターに10個ほどのパプリカ。
1945(昭和20)年8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発。
約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷。
原爆犠牲者慰霊平和祈念式では原爆投下の時刻とされる午前11時2分から1分間黙祷が捧げられる。
私の義理の兄が長崎原爆の被爆者として認定され、被爆者手帳を持っています。
日頃ほとんど症状はないようですが、実際のところよくは分かりません。
しかし、普段豪放磊落といっていい義兄が、ある時ここでは書ききれないような切実な思いを語って聞かせてくれたことを、私は忘れることが出来ません。
広島原爆忌にも思うのですが、日本はなぜ核保有国に対してそして核廃絶に関して世界唯一の被爆国として断固たる意見を述べられないのだろうか。
日本は本来「唯一の被爆国」という強力な平和の切り札を持った国である。
その切り札を今日本は重荷と感じているのか、いつの間にかテーブルの下に隠してしまっている。
それどころか、
アメリカのオバマ大統領がプラハ演説以来進めている核政策の変更に米国政府内に反対の声があるという。
その理由は、日本の外務省、防衛省など安保外交政策を担当する官僚が、「米政府は核政策を転換しないように」と訴えているからだという。
こんなこと、決してあってはならないことではないだろうか!!
何と情けないことだろう!!
外務省の、防衛省の担当官僚とは、いったい誰なのか。
新聞やマスコミはなぜこのことを大きく報道しないのだろうか。
非核三原則を提唱しノーベル平和賞を受賞した元総理大臣が、実は佐世保港に原子力潜水艦の寄港を米国に要請していた。
広島、長崎の原爆を是認して更迭された大臣がいた。
三度目の核攻撃を受けないためにも日本は核武装すべきだと公言してはばからない者が増えてきた。
唯一の核使用国の米国が「核なき世界を」と説き、唯一の被爆国が「日本も核保有を」と叫ぶ...この不可思議さ、そして愚劣さ。
このままだときっと日本は世界のどの国からも相手にされなくなってしまうに違いない...きっと。
被爆生存者がだんだんいなくなるなか、風化を何とか防ごうと努力している人がいる。
私同様“戦争を知らない世代”ではあるが安保闘争を見聞きしベトナム戦争反対闘争を経験してきた多くの中高年がいる。
誰かが何とかしないといけない。
このブログの記事がとりあえず今の私にできること...でしょうか。
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家のすぐ前の畑の栗の木に、沢山の毬栗坊主。
庭のプランターに10個ほどのパプリカ。
考えさせられます。
若い頃には、あまり深く考えなかったことですが
この齢になり、深く思う様になりました。
あまり知識がない私ですが、fusan様の、文章に
私も同感です。
「米政府は核政策を転換しないように」
怒りを覚えますが、その怒りを持って行く場所がないです ね...。
この春初めて広島原爆ドーム見学、記念館の展示物には衝撃を受けました。
知識として知ってはいても目の当たりにすると
強烈な印象でした。
修学旅行生も多く来ていました。
若者にこそ見て、知って欲しいです。
今は、国民の一人一人の意見を述べる機会が少なくなっているのが事実です。
小さな声が徐々に沢山集まって大きな声になっていくことが大事なのではないかとは思いますが。
しかし、あがらうことの出来ない目に見えない大きな力が日本を支配しているのだとも思います。
私もネットでこのことを知った時には信じられませんでした。
あと二十年もしたら、被爆者は殆どいなくなってしまいます。
歴史を伝えて行く術はあるのでしょうか。
単なる歴史的事実としてしか残らないのではと危惧しています。
身近な所です、
小学校の修学旅行、勤務先の仲間とドライブ、
結婚して、札幌から里帰りしたとき、
母と甥と、主人と上の娘とその頃佐世保に住んでいた
姉の家族と・・・
年代とともに感じる事は様々です。
家庭を持ってからの方が、
ずっと強く、平和を望みました。
核兵器の根絶を願いました。
全ての人が、愛する人の平和と幸せを願うなら、
この様な物を戦争に使わない筈です。
でもそれを別物と考える人がいる限り、
終結は、何時でしょう?
兵器と言うものは手に入れると使わずにいられなくなるものだそうです。
核兵器も例外ではないように思います。
核を抑止するのは核を所持することによってではなく、広島・長崎を世界にアピールすることによってでなくてはいけません。