平成湘南日記...一語一絵

あせらずゆっくりのんびりと
花とニャンコとクッキング
時々俳句とデジ散歩
自称カメラ小僧の気まぐれ風まかせ日記

サムライブルーはよくやった

2010-06-30 20:23:55 | 海外関係
日本対パラグァイのベスト8を賭けた一戦。
本当に惜しいとしか言いようのない試合でした。
組織的な守備は世界レベルだと言われている日本、やっぱりサッカーは守備だけじゃ勝てないということです。
ベスト16に入ったといっても世界のトップレベルとの差は確かに歴然。

しかし、前回W杯では1次リーグで良いところなく敗退し消えかけていた日本サッカーの希望の灯を絶やさずに残した、と言うことだと思います。
日本の選手達は下を向くことなく、胸を張って帰ってくればいいと思います。
夢を有難う、サムライ・ブルー!

と言ってる私、実は試合開始前に迂闊にも眠ってしまいました。
気が付いた時にはもう3時を回っていたという、何とも情けない話。
もしかして負けた原因はこれでしょうか...懺悔!!

見たくもないでしょうが、PK戦の動画を見つけましたので、掲載します。

2010 ワールドカップ 日本vsパラグアイ

MM

2010-06-29 19:52:16 | 海外関係
米ハリウッド史に残る大女優、マリリン・モンローのエックス線写真3枚がラスベガスで競売にかけられ、総額4万5000ドル(約400万円)で落札された。

写真はモンローが1954年11月、病院で診察を受けた際に撮影されたもので、これは野球選手のジョー・ディマジオと離婚した2週間後とのこと。




特に説明は必要なし...ということで。

ドイツ雑学

2010-01-10 18:57:00 | 海外関係
まだドイツのことを?
と言われてしまいそうですが、旅行中に得たドイツに関する色々なことを、ちょっとだけ。

【ドイツの信号機・アンペルマン】
アンペルマンとは、現在ドイツで使われている信号機の人のマークで、小さな男の子がモチーフとなっています。

<信号機>
元々これは、旧東ドイツの信号機で使われていたもので、西ドイツとの統合に伴って、西ドイツで使われていた大人のマークを使った信号機が使われる予定だったそうです。
しかし、かわいらしいデザインに親しんでいた東ドイツ各市民が「アンペルマンを救え」という運動を起こした結果、ドイツほぼ全土で アンペルマンのマークが使われるようになったというわけです。
このアンペルマンのマークは、ステッカーやマグカップにも使われており、ドイツ各地のお土産として喜ばれています。
で、我が家で買ってきたのはこれ。

<アンペルマン・カップ>
私の愛用となっています。

【ドイツの郵便】
日本で郵便ポストや郵便車といえば“赤”というイメージですが、ドイツでは黄色です。

<郵便ポスト>

<郵便集配車>

ドイツは1995年、政府が管轄していたドイツ連邦郵便を株式会社として民営化しました。
日本の郵政民営化の際、ドイツポストが郵政民営化の成功例として紹介されるケースがしばしばあったように記憶しています。

なぜ黄色がドイツの郵便のシンボルカラーか?
16世紀ころ神聖ローマ帝国の役人が郵便事業を思いつき、配達員に目立つ黄色の服を着せ黄色の馬車で配達させたことから。
鮮やかな馬車は宣伝効果も満点だったとか。

そして、ポストや配達車にはシンボルマークである楽器のホルンが描かれています。
では、なぜホルンがシンボルマークになったか?
配達員が、郵便が到来したことを知らせるため、楽器のホルンを吹きながらやってきたということから。
このホルンがシンボルマークである郵便局はドイツ以外にもヨーロッパではよく見られる様です。

【ドイツのごみ収集車】

<バンベルグ市内のごみ収集車>
ごみ収集車を見かけたのは、バンベルグ市内だけでしたがこの世界遺産となっている早朝の市内をこの車でごみを集めて回っていました。
る旧市街の建物とこのオレンジ色が殆ど違和感無く感じられたのはなぜでしょう...

【ドイツの都市の紋章】
次に旅行で回った都市の紋章を紹介します。

<バンベルグ><フランクフルト><フュッセン>

<ハイデルベルグ><ミュンヘン><ニュルンベルグ>

<ローテンブルグ><ヴュルツブルグ>

ヨーロッパ都市紋章の慣習は、12世紀ころイングランドなどの貴族に端を発し、ほぼ1世紀ほどかかって北西ヨーロッパに伝播して行ったそうです。
紋章は13世紀頃、騎士個人を識別する「しるし」から世襲のそれとなり特に王侯貴族の象徴へと制度化されていったということです。
ドイツといえば当時、神聖ローマ帝国の時代だったでしょうか。
やはりその象徴となる鷲、城、騎士などがモチーフになっています。

で、フュッセンのが、人間の足3本???
なんじゃこりゃと思って調べたところ、フュッセンはゲルマン語で「足」を意味する「fot」が源であると、やはりいい加減なものではなかった、と言う訳でした。


丁度と言いますか、Reiさんが名古屋市の市章をブログで紹介なさっていました。
テーマがちょっと被ってしまい済みません。
しかし、やはり市の紋章はそれなりに歴史的背景などを踏まえたアイデンティティーが籠められているのですね。

ドイツ・クリスマス市の旅<11>フランクフルト編

2009-12-21 22:42:04 | 海外関係
回数を重ねた“ドイツ・クリスマス市の旅”
「もう飽きたよ、いい加減に終われよ!」という声が聞こえてきます。
すみません、これが最後です。

フランクフルト(正確にはフランクフルト・アム・マイン )
単に フランクフルト (Frankfurt) と呼ばれることが多いですが、ドイツには、旧・東ドイツの側、ポーランドとの国境近くにもう一つの「フランクフルト」、フランクフルト・アン・デア・オーダー(直訳:オーデル川沿いのフランクフルトFrankfurt an der Oder)があるので、区別するため「アム・マイン(マイン川沿の)」を付して呼びます。

フランクフルト・クリスマス市が開かれている旧市街のレーマーベルク(レーマー広場)に、午後3時半ころ到着。
この後、5時まで自由行動。





<クリスマス市>

【動画/フランクフルト・クリスマス市でのムチャクチャ元気なおばさん二人とコンサート】



<レーマー・旧市庁舎>
階段状の屋根がユニークで美しい。
象徴的な建物です。



<木組みの家>
レーマーの向かい側にある木組みの家、旧市街の美観地区として戦後復元されました。
下の写真の左側の家、上に行くに従って床面積が広くなっています。
このような家、地震が殆どない国ならではのこと。
地震国の日本では考えられません。


<ニコライ教会>
街の中では第二次大戦での爆撃を免れた数少ない貴重な建物のひとつです。
プロテスタント系の教会となっているため、豪華な装飾のない落ち着いた内装ということでしたが、時間がなく中には入れませんでした。

<パウルス教会>
第2次世界大戦の後再建されてからは、宗教上の目的では使われなくなり、ドイツの民主主義の発祥地としての役割を担っています。現在は政治や文化などの授賞式などが行われています。
ここも同じく中には入れませんでした。

<大聖堂>
ここには入りました。
13~15世紀に建てられたゴシック建築の大聖堂です。
1363年より戴冠式が行われるようになったことから、「カイザードーム(皇帝の大聖堂)」とも呼ばれています。
堂内にはファン・ダイクの「キリストの磔刑」や宝物が展示された博物館も併設されています。
他の教会の中に入れなかったのは、ここで時間をいっぱい使ってしまったせいです。


<祭壇>


<パイプオルガン>

さて、もう4時過ぎてしまったし、機内食にありつけるのがこのあと4時間も先になってしまうので、とりあえず目にとまったレストランに飛び込みました。
すると、見たことのある日本人熟年カップルがいるとおもったら、やっぱりツアーメンバーの方でした。
カウンターに座って早速ビールと、野菜が付いたメニューをオーダー。


<レストランのお姉さん>
注文したものがくるまで、店のお姉さんにカメラを向けると、ニッコリ笑顔で「パパラッチ!?」
私「ヤー、パパラッチ!」
お姉さん(大きな声で笑いながら)「ア~ッハ~!、●■△※パパラッチ#&~%!」
ドイツ語なので、当然何を言っているのか全く分からず。
私(身ぶり手ぶりを交え)「ナイン、ナイン...パパラッチ!」

なんてなやり取りをしているうちに、注文したものがやってきました。
割と早かったね。

<夕食>
今夜の最初の夕食です。

ところで、ドイツに限ったことではないかも分かりませんが、レストランなどで注文したものがなかなか来なくても、「遅いよ、どうなってるの」などとクレームをつけてはいけない、日本と違ってあわてて持って来ることは絶対にないそうです。
「なんなんだ?、アイツは!」ということで、逆に持ってこなくなることが十分ある...ゆっくり待つのが肝心、です。


<コースター>
持ってきた電子辞書で「Wieviel ist eine Figur?(お勘定はいくらですか)」をお姉さんに見せると、コースターに12.6ユーロと書いてくれました。
ちょっと多いかなと思いましたが、15ユーロを払って店をでました。


集合時間はあっという間にやってきて、すぐフランクフルト空港へ。
ということで、これで“ドイツ・クリスマス市の旅”を終わることにします。
ここまで、毎回お読み頂いた方も、毎回でない方も、誠に有難うございました。
要らないと言われるかも分かりませんが後日談みたいなものを、気が向いたらそのうちに...でわでわ。

ドイツ・クリスマス市の旅<10>ヴュルツブルク編

2009-12-20 21:52:34 | 海外関係
ロマンティック街道の北の起点、ヴュルツブルクに到着。
この街は、マイン川を挟んで教会が多く古い歴史のある街です。
フランケン・ワインの集積地としても知られています。
また、かのシーボルトはこの街で1796年に生まれました。
1582年創立のヴュルツブルク大学にはレントゲンをはじめ5人のノーベル賞受賞者を輩出しているという学業の街ということです。
ここヴュルツブルクには世界遺産“レジデンツ”があるのですが、コースに入っていないため、そして自由時間で行ってこれそうもなかったので断念しました。


<路面電車>
この街にも電車が走っていました。
なかなかユニークなラッピング(?)




<クリスマス・マーケット>
野菜を売る出店がいくつも軒を並べていました。
クリスマス・マーケットで野菜を売るというのは珍しいのか、よくあることなのか...


<マリエンカペレ>
この場所には以前はユダヤ教会がありましたが、1349年のユダヤ人虐殺の際に消失。
そのあと後期ゴシック形式のホール式教会として建て直されました。
外壁には聖人の石像たちが数多く並んでいます。


入り口のレリーフ「聖母マリアの戴冠式」と左右にリーメンシュナイダー作の「アダムとイブ」のコピー。


<祭壇>
マリエンカペレは窓が大きく中はとても明るい。
中央祭壇の後方のステンドグラスがとても見事。


<ノイミュンスター教会>
大きなドーム屋根と赤い砂岩のファサードがとても印象的。

ファサード(façade)とは、建築物の正面(デザイン)のことで、フランス語に由来し英語のfaceと同根。


<祭壇>
内部は白をベースとした装飾が素晴らしい。

「ノイミュンスター教会」の隣に有名な「ドーム」があるのですが、残念ながら時間がなくて立ち寄ることができませんでした。


<道化師?>
街の路地裏のそちこちに、このような道化姿の男がじっと立っています。
最初、知らずに通り過ぎようとすると、急にパントマイムみたいな動きを始め、人を驚かします。
足元には空き缶のようなものがあり、そこにいくらかコインを...
写真だけ撮ってコインを入れずに立ち去ってはいけないのだそうです。


<アルテマイン橋から見るマリエンベルク要塞・左は聖キリアン像>
モザイク顔の怪し気な人物二人は無視してください。

以下、店に並べられていた野菜。
日本のと比べてみてください。

太さも長さもてんでバラバラなネギ。


人の頭より二回り以上も大きいカボチャ。


これはゴボウでしょうね、ドイツにもあるとは思いませんでした。


大根です。
真っ白でムッチリというイメージはありませんね。


玉ねぎですが、縦に長い。


柿ですが、KAKIと書いてありました。

クリスマス・マーケットの野菜は、日本のと種類がそれほど違いはありませんでした。
日本特有のものかと思っていたらそうではなかったというものも。
但し、多少品種の違いがあるのでしょう、大きさ形状に大分異なります。
そして日本のように包装されていなくて、好きなだけ買うことができるというのが無駄がなくてよい。
これはスーパーでも同じでした。
値段については比較データがありませんが、感覚的にドイツの方が少し高いような気がしましたが、どうでしょうか。



ところで、東京の物価は世界一高いと言われていますが、果たしてそうでしょうか。
確かに東京の中心部は地価はべら棒に高いし家やマンションなどは、きっと世界でダントツかも。
しかし、住宅事情を除けば、最近は東京よりむしろヨーロッパの方が高く、特に税金などの関係で北欧の物価の方が、ということになっているようです。
比較するに適切かどうかは分かりませんが、例えば海外旅行で必需品となる水(ミネラルウォータ)の場合、日本では100円~120円ですが、ドイツでは1.5ユーロ~2.0ユーロでした。
1ユーロ=140円として、...まあ計算するまでもありません。
水は、一般より大分安い1ユーロで買えるビリーバスに常備してあるものを買いました。

ついでに円相場の話。
私が旅行へ行く前、いくらかの円をユーロに換えて行きましたが、その時のレートは1ユーロ=135円でした。
それが12/19現在で129円までになっています。(ユーロを円に換えると126円)
しかしそれはあくまで外為相場、そして日本の金融機関での話であって、海外で換金すると大体レートは悪くなっています。
今回はドイツで換金することはありませんでしたが、現地では1ユーロ=140円、悪くすると150円だったみたいです。
これは銀行でもホテルでも。
そして、大体どこの国でもレートは現地の方が良くありません。
ですから、海外へ行くときは出来れば日本で換金していくことをお勧めします。

ドイツ・クリスマス市の旅<9>バンベルグ市街編

2009-12-19 19:44:22 | 海外関係
ビリーおじさんは朝の挨拶もこの朝が最後。
「グ~~~テン・モ~~~ルルルルルルルゲ~~ン、ヨルレイヨルレイヨルレイホ~~ウホッウホッ」
巻き舌も、噎せながらのヨーデルも、毎日欠かさずに、ご苦労さんでした。
「Danke schoen」

さて、バンベルグ旧市街。
このツアー、二つ目の世界遺産です。
ドイツでも最も素晴らしく且つ無傷に保存された歴史的な市街地ということで1993年に世界遺産に登録されました。

第2次世界大戦の戦災を免れた1,000年以上の歴史をもつ街です。
中世の風情を残す旧市街には、13世紀はじめに建てられた大聖堂をはじめ、旧市庁舎、ドーム広場、司教の宮殿など歴史を感じさせる建物、史跡が並んでいます。




<市街>
このまま絵本にでもなりそうな、どこを切り取っても絵になる、そんな市街風景です。
ただもう、可愛いらしさ1000%。
そして、その街かどから、ひょいと現れたワンコ連れのお姉さん。
この国はどこにでもワンコ連れを見かけますが、日本みたいに綱をグイグイ引っ張ったり、はしゃぎまくるというのがいないように思いました。
ペットの躾けをキッチリしている、これは国柄といっていいのでしょうか。


<バンベルグ大聖堂>
この大聖堂は4つの尖塔をともなう後期ロマネスク様式の建造物。
1004年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世によって最初の造営がなされ、1012年に献堂されたといわれます。
1081年に火災によって一部が損壊したあと、バンベルクの聖オットーによって新たな大聖堂が建造され、1111年に献堂。
現存する後期ロマネスク様式の大聖堂は、その後の13世紀に完成。


<橋の上の市庁舎>
レグニッツ川に架かる橋の上に建てられた市庁舎。
街の象徴的な建物です。

<足の突き出た市庁舎壁>
「なんじゃ、こりゃ」川に向かった壁から足がニョキッと。
何というドイツ人のセンス。
人を「ギョッ」とさせるのが好きなんですね、きっと。


<聖マルティン教会>
マクシミリアン広場の近くにある聖マルティン教会。
「本来の」聖マルティン教会は、このマクシミリアン広場の所に立っていました。
しかし、この教会は1803年に取り壊され、残ったイエスズ会付属教会がこの「聖マルティン教会」の名前を引き継ぎました。


<小ベニス地区>
街を流れるレグニッツ川沿いにはドイツらしい美しい木組みの家が建ち並んでいました。
かつての漁師たちの家並みであったその風景は「小ベニス地区」と呼ばれています。


これまでもいくつかの市街、古城、教会などを観てきました。
若い女性そして、この間まで若かったという女性が主流の我らがツアー、
これらの歴史的な景観あるいはメルヘンな雰囲気を感じて様々な感想を聞きましたが、この日この街並みを巡る中で「来てよかった」という言葉を最も多く耳にしたように思いました。
街並みや教会ををバックした記念撮影、恐らくここが一番多かったのではないでしょうか。
「シャッター押してもらえますか」と私に頼んでこられた方が一番多かったのも、ここだったかも。



さて、ドイツは魔女発祥の地であり特にバンベルグや次に行くヴュルツブルクはその中心地のひとつと言われ、1600年代には大規模な魔女狩りが行われたと記録されています。
そんな忌まわしい過去ともしっかり向き合ってこその世界遺産なのかも分かりませんし、綺麗事だけではなくそのような歴史を知ることによってこそ、我々はその遺されたものに心を動かされるのではないかと思います。

ドイツ・クリスマス市の旅<8>ニュルンベルグ編

2009-12-18 12:17:06 | 海外関係
ニュルンベルグといえば、ワーグナーの歌劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」、歴史的には「ニュルンベルグ裁判」を思い出す人が多いでしょう。
大戦でこの街はその大部分を破壊されたにも関わらず昔通りの姿に復元されました。

さて、ドイツで一番...ということは世界一、と言ってもいいニュルンベルクのクリスマス・マーケット。
それは、旧市街フラウエン教会前の中央広場を中心に開催されます。

午後3時ころノイシュバンシュタイン城を出発したビリーバスは、3時間近くかけてニュルンベルグ到着。
一旦、ホテルに荷をおろし6時30分にロビー集合。
ここから20分ほど皆で旧市街へ向かい現地で解散し後は自由行動。
それぞれホテルに勝手に帰って来いという。
(う~む、海外旅行に慣れさせてやろうという添乗員さんの思いやり?)

<旧市街マップ>
ホテルのロビーで市街地図をもらうもののチンプンカンプン。
これじゃあ帰ってこれないよネエ~、と皆が騒ぎ出す。
添乗員さんは知らん顔。

何とか言いながら、歩き出す。
ところどころで帰りのための目印確認。

<路面電車>
ヨーロッパの他の国もだと思いますが、ドイツの主要な街には大体において路面電車が走っています。
ニュルンベルグも、そうでした。
外観も画一的ではなく、広告を貼り付けているラッピング電車(?)もあるようです。
日本は車化社会が進み過ぎて、路面電車は交通渋滞の元として駆逐され、走っている街が少なくなっています。
環境という意味で路面電車復活という選択肢はないのでしょうか。

旧市街区域に到着、この時すでに7時過ぎ。
最初に見えたのは

<デュラーの家>
ドイツ・ルネッサンスを代表する画家、アルブレヒト・デュラーの住んだ木組みの家。

少し歩くと中央広場に。

<美しの泉>
高さ17mの塔。
トレビの泉などのように噴水があるわけではない。

<金の輪>
美しの泉の塔の鉄柵に金の輪が付いています。
この輪を3回まわしながら願い事を唱えて誰にも言わなければ、願いが叶うと言われています。
奥さんも回していましたがどうもちゃんと3回まわしていなかったみたいです。
願い事...それは聞きませんでした、勿論。


<フラウエン教会(聖母教会)>
正面に仕掛け時計があり、皇帝カール4世と7人の選帝候をモチーフにした人形が1日1回、正午に動き出す。



<クリスマス市>
この街特有の紅白のテントを張った多くの出店が。

<ハンバーガーに似た...>
これが我ら二人の夕食。
思えばこの旅、反グルメツアーと言いたくなるほど食べ物には恵まれなかった...ビールとソーセージ以外は。

我々のスタートが遅かったのもありますが、ドイツ国民性からか、午後8時にはもう店じまいを始めるところもあり、9時には多くの店が閉じられてしまいました。

ドイツ国民は勤勉であるとの評判ですが、勤務時間に対してはキッチリとした考えを持っており、残業はまずやらない。
我らがバスドラーバーのビリーさんも、基本は朝7時台から午後6時ころまで。
毎夜、クリスマス市が終わる9時過ぎまでバスを動かしてはくれません。
前夜の、6時以降の移動は別バス手配によるものでした。
この夜の、一旦ホテルに荷物を置いて、というのもこの理由から。

ということで、最後の方はブラブラ見て回るというより、開いてる店を探しお土産の調達に集中、といった感じ。
そう、最早そろそろ帰りの支度も考えなければという頃なのです。

この旧市街区域には、他に聖ロレンツ教会、国立博物館、職人広場、市街一帯を見渡せるカイザーブルグなど、見どころいっぱいだったのですが、全部見て回れなくて、とても残念。

単独でホテルに帰るのが不安な場合、9時に「美しの泉」前に集合、ということになっていましたが、タクシーで帰ることにしました。

<ベンツタクシー>
初めて乗ったベンツ、ちょっといい気分。
料金はよく覚えていませんが、基本料金が2.4ユーロ?
ホテルまで5.2ユーロで、チップ込みで6ユーロを渡したかな。

ドイツのタクシーは大体がベンツだとか。
流しのタクシーは無い。
で、自動ドアではないので自分で開け閉めする、一人の時は助手席に乗る、だそうです。
これらは添乗員さんも教えてくれませんでした。

ドイツで最も多く見かけた車種は、アウディでしょうか。
で、ワーゲン、BMW、でオペル、の順?...。

翌日は早くも帰国、いうことでホテルに帰って途中で買ったビールを呑みながら荷物の纏めをして、早寝(と言っても、既に11時を回っていました)。

ドイツ・クリスマス市の旅<7>ノイシュバンシュタイン城編

2009-12-17 10:03:55 | 海外関係
ツアーの折り返しともいえるロマンティック街道の終点、ノイシュバンシュタイン城です。

ノイは「新しい」、シュヴァンは「白鳥」、シュタインは「石」の意味で、直訳すると「新白鳥石城」ということになります。
上から見ることはできませんでしたが、写真や絵ハガキなどで上から見た景観はまさに小さな森に白鳥が舞い降りたかのような白亜城です。

ノイシュヴァンシュタイン城がディズニーランド・シンデレラ城のモデルと言われることがあるようですが、それは間違いでフランスのユッセ城、と言うのが本当のようです。

この城は、ルートヴィヒ2世によって建設された城であり、近くには彼が幼少時代を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城があります。
彼が心酔していたワーグナーのオペラ「ローエングリン」や「タンホイザー」に登場する騎士の城を再現しようとして、国費を遣いすぎたことと、精神を病んだとされたことで幽閉されてしまい、未完成のこの城を出た翌日に謎の死を遂げてしまいます。
この夢の城で過ごせたのはわずか100日あまりとか。
現在この城がバイエルンでも最高の収入源となっているのも皮肉というべきでしょうか。
ノイシュヴァンシュタインの名は、この地にかつてあったシュヴァンシュタイン城に因んでおり、1890年になってから付けられた名。
建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていた。

城までは急ではないものの、結構な坂を約30分歩きます。


<観光馬車>
この坂を往路4ユーロ復路2ユーロで、2頭立ての観光馬車に乗れるのですが、客がいっぱいにならないと出発しない、ということで集合時間とのタイミングが合わずあきらめ。

途中、このお馬さんたちの落し物(馬○ン)が道の至る所にあり、それを踏まないで、そして滑ってころばないよう注意しながら、息を切らして登りました。
見るとお馬さんたちも登りでは汗をいっぱいかいて鼻息も荒く、ちょっと可哀そうにな気がしました。

ということで、城に行くためには歩くか馬車のどちらかしかないのだ、と思っていたら自動車が2、3台我々を追い抜いて行きました。
きっと、お偉いさんかお金持ち...?


もうすぐ登り切るというあたりで目指す城が見えてきました。

<見上げるノイシュバンシュタイン城>
見た目は中世の古城といった雰囲気ですが、上記のとおり19世紀末の建築。



<入城チケット>
入り口のゲートでこのチケットのバーコードの所を、スロットに差し込み素早く抜く...これがうまくできないとゲートが開かないようになっています。
すぐ前にイタリア人の団体さんがいて、彼らはこれが全然うまく出来ない。
なんとブキッチョな...。
お陰で我々の入場が遅くなってしまった。
勿論、我々は全員失敗なし。



ルードウィヒ2世とノイシュバンシュタイン城については、とてもここでは書ききれません。
詳しくは下記リンクを参照してください。

ルードウィヒ2世
ルードウィヒ2世wikipedia
ノイシュバンシュタイン城wikipedia

城内は撮影禁止でした。
城内についても詳しく掲載しているページを見つけましたので、興味のある方は参照下さい。
ノイシュバンシュタイン城

ショップがあったのでカードを数枚購入しました。

<カード/ノイシュバンシュタイン城の春夏秋冬>

城の窓から外を写す分にはお構いなし、ということで...

<城の窓から/ペラート峡谷にかかるマリエン橋>
この橋から城を見るのが最高らしいが、今修復中だとか。


<城の窓から/ホーエンシュバンガウ城>



<ホーエンシュバンガウ城/駐車場から>

見学を終了し、麓のレストランで昼食。

<ランチ/ポタージュスープと魚のメインディッシュ>
メインは、魚のムニエル・ホワイトソースかけに長粒米を炊いたものと野菜の付け合わせでしたが、この“ご飯”はツアーの皆さんにはパサパサで味がなく、ブーイングの嵐。
殆ど残したという人が多かったみたいです。
でも外国産米を炊いたものを日本の普通の“ご飯”と同じ基準で旨いの不味いのと言うこと自体間違ってますね。
この場合、ホワイトソースと混ぜて食べるのが大正解。
正しい食べ方をしてそれでも、というのなら仕方ありませんが、やっぱり郷に入っては郷に従うべき...でしょうね。

飲み物は別に注文ということになっていて、私と奥さんはトマトジュースを(2.5ユーロ)。
ランチは当然ツアー料金に含まれているのですが、別注文した飲み物については個別の支払いとなります。
ここで支払いの時、合わせてチップを渡すことになります。
あらかじめバスの中で添乗員さんからチップについて教授されていたので、皆さん復唱するようにユーロの小銭を、アレコレと...。

教授された内容とは
ドイツでは基本的にホテルでのいわゆる枕チップは不要、但し別にルームサービスを頼んだ時にはその分の料金の10%から15%。
レストランチップやタクシーチップも端数を切り上げるかまたは料金の10%から15%くらい。
で、我ら二人は3ユーロ×2=6ユーロ。



ところで、このノイシュバンシュタイン城は世界遺産ではありません。
何故、世界遺産になっていないかというと、
建設が19世紀と比較的新しい城であるということと、ルードウィヒ2世の趣味で、他の有名な城の様式を模倣したものであり、かつその実は趣味があまり良くないものと評価されているので、世界遺産になるには疑問視がする意見が多いのだということです。

【以上、ネット検索より引用し私なりに脚色した部分あり】

ドイツ・クリスマス市の旅/番外・小話編

2009-12-16 20:38:38 | 海外関係
旅行記は小休止。

添乗員さんは、ドイツ語ペラペラでドイツについての歴史・美術・時事問題など多くの経験知識を持っておられました。
勿論ドイツ以外にもしょっちゅう出かけられているようです。
我々を飽きさせないよう、世界のジョークを沢山しゃべってくれました。
時には過激なのも交えながら。

以下は、添乗員さんがしゃべったジョークの大部分です。
断っておきますが、これらはあくまでも添乗員さんがしゃべったものです。
何かクレームがあったとしても、私の責任ではありませんのでご了解を。
(それにしてもこれだけよく次から次とスゴイ添乗員さんネ...そしてしっかりメモっていたアナタもネ/奥さんのコメント)

<日本に対する親近感>
ヨーロッパでは、日本人が思っている以上に日本に対して親近感を持っている国が多い。
特にそうなのが、先の大戦で同盟国であったドイツとイタリア。
ドイツ人もイタリア人も日本人と見ると、「我々は昔からの仲間だ」という。
そして、ドイツ人は近くにイタリア人がいないのを確かめこう付け加える。
「この間は変な奴を仲間にいれてやったのでうまくいかなかったんだ。今度は、二人だけでやろうぜ」。

<それぞれの幸福感>
・イタリア人・・・愛人とパスタを食べながらサッカ-を見ているとき
・イギリス人・・・うまいブラックジョ-クが決まったとき
・ドイツ人・・・計画通りに事が運びビールを飲んでいる時
・スペイン人・・・うまいものを食べ昼寝をしているとき
・日本人・・・美味しい食事をさっさと終え再び働き始めたとき
・ロシア人(ソ連人)・・・部屋に踏み込んできた秘密警察が人違いに気づき帰っていったとき

<世界で一番幸せな男は? >
ア・メリカの家に住み、イギリスの給料をもらい、中国の食事をとり、日本人の妻を持つ男

<世界で一番不幸な男は?>
・日本の家に住み、中国の給料をもらい、イギリスの食事をとり、アメリカ人の妻を持つ男

<世界三大失敗料理>
第3位・・・ワサビ抜きのにぎり寿司
第2位・・・香辛料無しのカレー
第1位・・・イギリス料理

<○○したいのなら...>
学びたいのならロンドンへ行け
食べたいのならパリへ行け
着たいのならミラノへ行け
聴きたいのならウィーンへ行け
叫びたいのならワルシャワへ行け
死にたいのならモスクワへ行け

食べたいのなら上海へ行け
おしゃれしたいのなら香港へ行け
稼ぎたいのなら東京へ行け
叫びたいのならソウルへ行け
死にたいのなら平壌へ行け

愛を語るならフランス語
文学を語るなら英語
宗教を語るならドイツ語
農業を語るならロシア語

<最強の軍隊とは>
アメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官と兵

<最弱の軍隊>
中国人の将軍、日本人の参謀、ロシア人の将校、イタリア人の兵

実際は、もっとあったのですが、忘れてしまいました。
以上です。

ドイツ・クリスマス市の旅<6>ヴィースの巡礼教会編

2009-12-15 13:27:44 | 海外関係
三日目
ツアー最初の世界遺産「ヴィースの巡礼教会」
この日は移動距離も結構あるということで、朝の集合時間が7時15分と早め。
バスで約2時間、これまで山がない景色ばかりだったのが、遠くにアルプスの山々が見え始め、昨夜あたり降ったと思われる雪がそちこちに残っていました。

本当にこのようなところに世界遺産が、と思わせるような一見とても静かな、と言うより寂しい村です。

教会自体そう小さくはないとしても、そして外観の小奇麗さは感じても、特に「おぉ~っ」というほどでもない。

教会のすぐそばに農家があり、庭には鶏や犬が放し飼いにされています。
他に、レストランが一軒、お土産屋さんがある、といった程度。
このような世界遺産の周辺というは見たことがありません。

なのに、この扉を開けて中に入ると、...
あっと息を呑み、あとは言葉にならない。

ネット上で書かれている表現を借りれば、華麗なロココ様式の装飾の素晴らしさ、そして大理石の彫刻や天井のフレスコ画の壮麗さにはただただ驚くばかり...ということです。

<正面の祭壇>
中央祭壇下部にはヴィース教会巡礼の始まりの『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』が見える。
その上は、キリスト(子供)がマリアの膝に抱かれ、み顔をヨセフに向けている絵。
祭壇を囲む柱は、赤い柱が自ら犠牲になったキリストの血を、青は天の恵みを意味している。

<『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』祭壇の右から撮影>

<『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』祭壇の左から撮影>
左からの方がよりキリスト像の悲惨さが伝わってきます。
この写真はピントが合っていない(大失敗でした。撮り直しと思っても既に遅し)のでよく分かりませんが、左目からは涙が流れたような跡が微かに見えたような気がしました。
何んともいえない感覚が全身を包み込み、また絶句...

<パイプオルガン>
見た目に美しいばかりではなく音も格段に良さそうです。
ここでコンサートが時折行われるとか。

ここでは、というかドイツではと言ったらよいのか、教会内でもフラッシュを焚かない限り撮影は自由となっているようです。
内部の撮影が禁止となっていたのは次に訪れたノイシュバンシュタイン城だけでした。



<ヴィースの巡礼教会>
1730年にマグヌス・シュトラウプ神父とルカス・シュバイガー修道士が、シュタインガーデンのプレモントレ修道院において、『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を造りました。
しかし血と傷で覆われた『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』は、あまりにも悲惨なため信者の同情を呼び、間もなく使われなくなり、修道院付属食堂の主人エレミアス・レーレの屋根裏におき忘れ去られました。
何年後かに、農婦マリヤが自らの農場にこの『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を譲り受け、熱心に祈りを捧げていました。
数ヵ月後の夕拝中に、突然この『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』が涙を流し、続く日曜の早朝にもは涙を流しました。
この「ヴィースの奇跡」は瞬く間に広まり、それ以降多くの人がこの『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を巡礼するようになります。

最初は小さな礼拝堂が建てられますが、あまりにも巡礼者が多く、受け止められなくなり、1743年教会の建設計画がシュタインガーデン修道院長より、当時最も高名な建築家のドミニクス・ツィンマーマンに託され、1746年に基礎がおかれここに教会建築が始まります。
教会の内装には、ドミニクス・ツィンマーマンの実の兄、宮廷画家であるヨハン・バプティスト・ツィンマーマンを初め、バルタザー・アウグスト・アルブレヒト、アントン・シュトゥルム、エギディウス・フェァヘルスト、ヨハン・ゲオルグ・ベルクミュラー、ヨセフ・マーゲスらが携わります。
1754年9月1日、ヴィース教会の献堂式が執り行われ今日に至っています。

以上ネット上のあちこちから引用



今回は笑い系の話は無しです。

ドイツ・クリスマス市の旅<5>ミュンヘン・サプライズ編

2009-12-14 10:33:34 | 海外関係
二日目の夜、ミュンヘンでは、ちょっとしたサプライズがありました。
それは何かと言うと...最後の方で。

ミュンヘン(München)はドイツ南部の都市で、バイエルン州の州都で、ヨーロッパ有数の世界都市。
ミュンヘンという名は僧院(ドイツ語で僧を表す「メンヒ」が由来)という意味。
漢字表記は「民顕」。"
失業率はドイツ他都市と比べて低く、治安が良いといわれるドイツの中でもそれは1,2を争うほど。
各種インフラも整備されており、「世界で海外駐在員が最も住みやすい都市」で2006年は8位に選ばれています。

ミュンヘンの中心地マリエン広場には新市庁舎(新といっても建築後約100年が経過している)が、そこにはドイツ最大の仕掛け時計があるそうですが、今回は時間的にタイミングが合わず見ること叶わず。



新市庁舎からすぐ近くの、これは「聖ミヒャエル教会」でしょうか...


ミュンヘンといえば、ご年配以上の日本人ならきっと知っていることがあります。
ひとつは、37年前のミュンヘンオリンピック。
この時、日本男子バレーの金メダルは強く印象に残っています。
黒い九月事件。
ミュンヘンオリンピック開催中に発生しイスラエルの選手11人が殺された殺人事件。
スティーヴン・スピルバーグ制作監督の『ミュンヘン』(Munich)は、この事件の真相を、事件に関わった人々のコメントや史実に基づいて、映画化した2005年12月公開のアメリカ映画(日本公開2006年2月)。

もうひとつは“ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー”...そう、ビールです。
この夜はビアハウスで夕食会でした。
・シュバルツビア・・・黒ビール
・メルツェンビア・・・濃褐色の普通のビール
・ヴァイツェンビア・・・南ドイツ全般で飲まれている、いわゆる白ビール(貴族のビールとも言われる)
普通のと白と黒をそれぞれ一つずつ注文し飲み比べ。
どれも、余計なものを加えていない、ほんとにピュアな味わいだと思いました。

ビールの他にメインの豚肉料理に付け合わせのジャガイモ、締めはクレープ。


ビール純粋令というのがあって、1516年にバイエルン公国にてヴィルヘルム4世が制定した法令で「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」と原料を定めたものです。
実はこれが現在でも生きており、ドイツ国内の醸造所の多くがビール純粋令に従って醸造しているとのこと。
理由は、ビール純粋令に従って醸造したビールは消費者から支持を受けブランドを守ることができるから。
今の日本の“第3のビール”とやらを彼らに飲ませたら何と言うでしょうね。



ドイツに限らず、ヨーロッパの街の中心には大抵広場があります。
その広場、昔からどんな意味合いを持っていたか?

①散策や休憩をしたり、知り合いと会話を交わす都市における憩いの場。
②市民集会の場。
③そして政治的・宗教的な儀式や行事が行われる場、権力者の権威を示す場。
特に、中世期には公開処刑が行われていた。

と、こういったヨーロッパ的な意味合いの象徴的な広場というのは日本ではあまり、というより殆ど見られないと言ってもよい。
常に厳重な警備下にある皇居前広場は、市民が自由に使える雰囲気では無い。




さて、サプライズのこと。
自由散策ということで市庁舎前の広場でクリスマス市をブラブラしていると、奥さんが急に私の腕を掴み「ねえねえ、あれ假屋崎省吾じゃない!?」
というから、私はそっちの方を向き「えっ、あっ、ほんとだ」
慌ててカメラを向けてシャッターを。

そしてバッグからノートとペンを取り出し、お連れの方(多分、彼のお母さん)とおしゃべりしながら出店をのぞいている彼の眼の前に突き出し「すみません、サインお願いしていいですか」
と彼は、楽しい時を邪魔をされた、というような顔を一瞬見せましたが文句は言わずサラサラと。
「今日、何日だっけ?」...で、“ミュンヘンにて2009.12.6”と付け加えてくれました。

【複製禁止です】

特に私、彼を贔屓にしているわけではありませんが、「浜名湖花博」やカレンダーなどで、大胆な彩色とフォルムの作品を目にする機会は、よくあります。
まあ何にしても“街かどで見かけた有名人”ということで、突然ミーハーになったということですね、ハイ。

ドイツ・クリスマス市の旅<4>ローテンブルグ旧市街編

2009-12-13 15:26:34 | 海外関係
二日目の午後
ビリーバスは我らを乗せてアウトバーンを一路ローテンブルグへ。

ローテンブルグは「ロマンティック街道」「古城街道」が交差する街。
“ロマンティック街道の宝石”とも言われています。

ローテンブルグ旧市街
13世紀に帝国自由都市となり商業で繁栄するも、17世紀の三十年戦争で痛手を受け衰退し歴史から忘れ去られてしまいますが、しかしそのお陰で中世の面影を多く残すことになりました。
全体が城壁に囲まれ、歩くだけなら2時間ほどのコンパクトで見どころのぎっしり詰まった美しい街です。
世界遺産にはなっていないものの、世界遺産ほどの価値は十分あり。




<左・市庁舎 右・からくり時計がある市参事会酒宴館>
市庁舎は16世紀の火災や第二次大戦の戦災に遭いましたが、現在は復興されています。

からくり時計に纏わる話。
昔、この国が敵に囲まれ、取り壊されそうになった。
敵の大将はビールが好きでこの国の市長にビール飲み競争を提案。
市長が勝てば、この国はこのまま残してあげよう。
負ければ、取り壊す。
結果市長の勝ち、このローテンブルグの街は残った。
仕掛け時計はその故事による、というもの。
この仕掛けは毎時、時報を告げるように窓から市長と大将が顔をのぞかせ、ジョッキーを傾ける。
市長が勝ち、大将が引っ込む...と、以上。


動画[ローテンブルグ・クリスマス市/市庁舎前でのプチ・コンサート by fusan]


昼食は昨夜に続いて、ソーセージパンとグリューワイン。

ソーセージがこれまた40cmはあろうかという長大なもの。
ボリュームだけはすごいのですが、野菜不足になりそうな寂しい食事が続いています。

ここでもカップをもらいました。
上から
“Reiterlesmarkt”
“Alt-Rothenburger Weihnacht”
“Rothenburg ob der Tauber 2009”
と書いてあるのですが、
何マーケットというのでしょうか? 辞書で引いても不明。
多分、クリスマスマーケットの意味なのでしょう。
次に、古ローテンブルグクリスマス。
更にローテンブルグ・オブ・タウバー2009。
“・・・ob der Tauber”はタウバー河畔の丘上のという意味。

添乗員さんとタイアップしている日本人経営者がいる店で、ワインとソーセージを試飲、試食。
で、お土産はここのワインとソーセージで、十日後位に届きます。





ドイツ料理について
添乗員さんによると、ドイツは基本的に「肉とイモしかない」とのこと。
・イモとはジャガイモ
・肉は豚肉のこと

で、今日は“肉とイモ”明日は何かと言うと少し趣向を変えて“イモと肉”
ナンだ、逆に言っただけじゃないか...
実際はそんなことはありません...が、ドイツと言えばまずビールとソーセージをイメージします。
確かに肉というとドイツでは豚肉が主なのです。
その昔、オスマントルコがこの一帯を占領して略奪の限りを尽くした時、イスラム教の彼らは戒律によって豚だけは手を付けなかった。
なので、豚肉産業は打撃をうけなかった、と言われています。
でも、オスマントルコはドイツだけでなくヨーロッパのかなり広範囲を侵略したのに、という疑問が湧きますが...その辺はよく分かりません。

アウトバーンについて
アウトバーンは自動車専用道路という意味で、1920年ころにすでに計画があり、軍事戦略的にも重要性が高かったことから、かのヒトラーが建設を強力に推進しました。
高速走行に適したように設計され、勾配は原則的に4%以内に抑えられているそうです。
また軍用機の発着を想定したため舗装が他国の高規格道路に比べてかなり厚くなっています。(中央分離帯を撤去すると滑走路になる)
2005年より12トン以上のトラックが有料となったがそれ以外は基本的に無料。
但し、EU統合後、各国からの交通量の増加に加えて周辺の環境対策や道路の整備維持など、莫大な費用がかさんできており現在ドイツ政府は有料化の方向で検討しているとのこと。
速度制限はトラックが80km/hの規制がある以外250km/h制限ということで殆ど無制限に近い。
但し推奨速度が130km/hで、ちなみに我らがビリーバスは常に100km/hをキープしてましたヨ。

ドイツ・クリスマス市の旅<3>ハイデルベルグ編②

2009-12-12 22:45:20 | 海外関係
二日目
まずはホテルから間近のハイデルベルク城にバスで直行。
この日、朝から少し小雨模様。
今回のドイツの旅は最終日の午後に少し太陽が顔を見せた程度で、殆ど曇りか小雨の毎日でした。

ハイデルベルク城 (Heidelberger Schloss)
ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルク市に遺る城趾。
ドイツで最も有名な城趾の一つであり、ハイデルベルクの象徴的建造物となっています。
1689年にルイ14世の軍によって破壊され1693年に一部が修復されました。
この城趾はアルプスの北側で最も重要なルネサンス建築の遺構を含んでおり、ケーニヒスシュトゥールという山の北斜面、マイン渓谷の底から約80 mの高さに位置し、旧市街の風景を決定付けているようです。
******一部wikipediaより******

小高い丘を登ってハイデルベルグ城に到着。
何度かの戦争による破壊で廃墟となっています。
今も修復が続けられており、一部足場が組まれているところもあります。
まさに数々の歴史を重ねて来たといってよいこの城には、様々な逸話が残されています。


<旧市街を見下ろす/聖霊教会が見えます>
ボケ気味のこの写真、パッとしない天気の所為ではありません。
遠景なのにマクロモードで撮ってしまった私のミステイクでした。


<ディッカー塔>
分厚い壁を意味する名の塔。


<崩れかけた牢獄塔/ゼルテンレーア(滅多に空にならないという意味)>


<フリードリヒ館>
これがメインとなる館でしょう。


<騎士の足跡>
「この足跡は美男であった選帝侯フリードリッヒ4世が泥酔して館から飛び降り残したものである」と添乗員さん
「靴が足跡にピッタリ合うとその人は美男である...」と。
自分も騎士の足跡と合うかどうかを試してみました。
私を含めた男性4人がみな試してみて「ウム、ピッタリデスネ」
ところがこの後「実は選帝侯妃の浮気相手であった騎士が、密会を見つかりそうになり、選帝侯妃の寝室から飛び降りた跡である。なので、実は靴が足跡にピッタリ合うとその人は浮気者なのだ...」と添乗員さん。
男性はみな口をあんぐり、女性たちは失笑。

ところで、ツアー参加者35人のうち男性は私を含めてたった4人。
4対31...何という圧倒的比率!


<大樽棟内にある巨大な樽>
代々作りかえられ、現在のカール・テオドール樽は建造時 221,726リットルであったが、木材の乾燥により 219,000リットルほどの容積となっている。

左下に見えるのは、選帝侯カール・フィリップに樽の監視を命じられた、ペルケオの像
伝説によれば、選帝侯が大樽の酒を飲み干すことができるかどうか尋ねた時、「Perché no?」(イタリア語で「なぜ、できないの?」)と答えたことからペルケオ (Perkeo) と呼ばれるようになったとされる。
ペルケオはワインを子供の頃から飲み続け、1日15本のワインを飲んでいた。
彼が年老いて初めて病気になった時、医師はワインをやめて水を飲むように奨めた。
疑いながらもペルケオはこの助言に従ったところ、その翌日に亡くなった。

で、計算してみました。
221,726,000ミリリットルを760ミリリットルのボトルにして291,745本。
これを毎日一本ずつ空けると810年、ペルケオのように毎日15本ずつ飲み続けると54年。
...彼の肝機能は?血糖値は?...なんて聞いてもしょうがないか?
でも驚異的!


<アルテ・ブリュッケ(古い橋)>
ネッカー川にかかる、正式には“カール・テオドール橋”という町でも最も古い橋。


<橋の袂のサルの像>
このサルの持っているのは丸い鏡で「私の顔をみて可笑しいと思うか? それならまず、この鏡で自分の顔を写して見てはどうか」
と言っているのだとか。


<旧市街の街並み>


<マルクト広場から見上げるハイデルベルグ城>
昨夜のクリスマス・マーケットから見上げた幻想的な姿とはまた違った、威容を感じさせるたたずまい。







<ドライバーのビリーさん>

今回のツアー、毎日我々を運んでくれた運転手のおじさんです。
ドイツ人は一般的にユーモアに乏しいという世界評価のようですが
このビリーおじさんは朝の挨拶でデカイ声を張り上げて
「グ~~~テン・モ~~~ルルルルルルル(ここで巻き舌)ゲ~~ン、ヨルレイヨルレイヨルレイホ~~ウホッウホッ(ここで噎せる)」
と、巻き舌と妙なヨーデルでみなを笑わせて驚かせつつ楽しい気分にさせてくれました。
何と愉快なおじさんだろね、と...ところがこの朝の楽しい挨拶がワンパターンであることに気付かされたのは翌朝からのこと。
でもそれはそれでとっても愛嬌たっぷりで楽しさいっぱいのドイツ人でした。


ところで、この世で在りえないもの
アメリカ人の哲学者
フランス人の道徳家
イタリア人の法律家
イギリス人の名シェフ
そして、ドイツ人のコメディアン
...世界のジョーク集より。

ドイツ・クリスマス市の旅<2>ハイデルベルグ編①

2009-12-11 10:50:01 | 海外関係
一日目、13:30成田発。
日本とドイツの時差は8時間あります。
行きは12時間の飛行なので時差8時間を引いた4時間が相対的な経過時間です。
17:30フランクフルト着。

バスで約1時間ちょっとでハイデルベルグに着き、休む間もなくクリスマス市へ。

クリスマスマーケットとは?
クリスマス前の4週間はアドヴェント(待降節)と呼ばれます。
イベントのメインがクリスマスマーケット(Weihnachtsmarkt)で、各都市開かれ、街の中心となる広場にはツリー装飾品やクリスマスグッツ、ソーセージやグリューワインを売る沢山の出店が立ち並びます。
会場は美しいイルミネーションが眩く輝き、ロマンティックな雰囲気が満ち溢れます。
まさしく、中世のおとぎの世界に紛れ込んだような、心踊るような……それがクリスマスマーケットです。

ここハイデルベルグは古城と大学の街として知られており、学生の数はハイデルベルグの全人口の5分の1も占めているだけあって、マルクト広場を中心に開かれているクリスマスマーケットには、グリューワイン片手の学生さんと思しき若者たちが大騒ぎで盛り上がっています。
もちろん老若男女おしなべて……




なので、私たちもソーセージを挟んだパンとグリューワインを買って食べました。
今夜の夕食は用意されてないのでこれが我らの夕食です。
ツアーの皆さん、大体同じようなものだったみたいです。



さて、ドイツではどこのクリスマス市にも必ずあるグリューワイン(Glühwein)について。
赤ワインにオレンジピールやシナモン、クローブなどの香辛料、蜂蜜やシロップを加え火にかけ温めて作るホット・カクテルの一種。
クリスマス市特有の飲み物だそうで、これが終わるとパッタリ姿を消してしまうとか。
熱いので啜って飲むと最初慣れないうちは噎せてしまいますが、体が温まるのは確か。
カップを店に返すとカップ代が返ってきます。[0.50ユーロ(=50セント)]
そのままもらっても良いというので、もらっちゃいました。

<持ち帰ったカップ>
“楽しいクリスマス/ハイデルベルグ・クリスマスマーケット”と書いてあります。

街中が光のデコレーションで輝き、 小高い山の上に見えるハイデルベルぐ城が幻想的。





話は変わりますが、旅に付きもの且つ大変重要なことのひとつに、トイレがあります。
ドイツの公衆トイレは殆ど有料で大体0.50ユーロ。
ドライブインのトイレには駅の改札口のようなゲートがあって料金箱が設置されています。
料金箱にお金を入れるとチケットが出てきてゲートがフリーになり中に入れます。




このチケットでドライブインの売店で買い物ができます。
売店はちょうど日本のコンビニをイメージしてよいと思います。
ドイツではドライブインでも酒類を売っています。

ドイツ語でトイレはToiltte(トアレッテ)、トイレで通じます。
WC(=ヴェーツェー)という表示もあります。
・男性用=Hennren ヘーレン(H)
・女性用=Damen ダメン(D)

すなわち、男性は女性用にはダメ(ダメン)、女性は男性用には入れん(ヘーレン)...学生時代のドイツ語講師の講義より。


それから女性の方は読んでも読まなくてもいい話ですが...
男性用トイレは便器の位置が高くなっていて仕切りもありません。
日本人にはちょっと違和感があるかも。

※訂正12月12日
ユーロの記号が文字化けしたので修正しました。

ドイツ・クリスマス市の旅<その1>プチ・トラブル編

2009-12-10 16:01:00 | 海外関係
短期間日程の、とにかく“疲れた”の一言の旅でした。

往復とも乗り換えなしの直行便は良かったのですが、行き12時間の帰り11時間半のエコノミークラスシートに、移動もまたバスのシートに縛り付けられ、予想以上の、これぞ“緊縛疲労”
しかし、これだけの日程で6カ所のクリスマスマーケットその他を巡るというだけあて、その中身はかなりな充実感と言うか凝縮感はありました。
ツアーの皆さんの一致した感想は「疲れたねエ、でもどこもみんな良かったよねエ」
...でした。
ツアーメンバーは添乗員さんを含め36名、一人の落ちこぼれも無く無事日程を終えましたヨ。


これが今回の“強行スケジュール表”


フランクフルトを基点とし、主に南ドイツを、所謂「ロマンチック街道」「古城街道」がその大半。


題して「ドイツ・クリスマス市(マーケット)の旅」は、何回かに分けてレポートしようと思います。
無論、巡りまわった箇所を主としますが、あまり観光ガイドブックみたいになってもつまりませんから、エピソードのような事柄を交えていこうと思います。
まず1回目は、もう勘弁してよ~、というほど続いてしまった“プチ・トラブル”から始めましょうか。

トラブル<その1>
初日の朝、厚木から出ている成田行きのバスに乗るため厚木の姉の家まで車で行きましたがその車に、奥さんが初めて海外ということで買い換えた海外対応の携帯を置き忘れたので慌てて取りに戻り、空港行きのバスに危く乗り遅れたこと。
このバスに乗り遅れると、行きの集合時間に間に合いませんでした。

トラブル<その2>
行きの飛行機内で奥さんが降りる2時間ほど前から酔ってしまったこと。
ここ半月ほどいろいろ疲れもあったと思いますが、缶ビールを2本も飲んでしまったのが原因かも。
白勢さんとおっしゃるキャビンアテンダントさん、いろいろお世話頂きまして有難うございました。
・・・乗り物酔いの特効薬は、その乗物から降りることだ・・・
というのは全くの事実で、飛んでる最中は特効薬をと言う訳にはいきませんでしたが、着陸して手を繋いで(久しぶりのことでした)機を降りると間もなく、先ほどまでの“青菜に塩”状態はどこへやら...

トラブル<その3>
ホテルのルームキー・トラブルが初日、二日目と続きました。
カードを差し込んで抜くと緑が点灯しドアが解錠する今一般的なタイプのキーでした。
ホテルに付く前にツアコンのお兄さん(と言っても40台?)はルームキーに慣れない人を対象としたような冗談を交え注意をされていましたが、まさか自分のが二日も続けてとは...
いずれもフロントで「このキーは間違っているのではないか」(独逸語ではなく英語で)と言ってPCで磁気記録を書き換えてもらったり交換してもらったりして対応。


トラブル<その4>
ノイシュバンシュタイン城の入り口で奥さんが受け取ったハンディ・ガイドが日本語版ではなく中国語だったこと。
添乗員さんに言って取り変えてもらいました。
添乗員「○○さん(私たちのこと)、続きますね~、ちょっと珍しいですね~」
私「そうですね~、今夜はホテルのシャワーから熱湯か火が噴き出しますよ、きっと…」

日頃の心掛けが悪かった、とは言いたくありませんが、最後の最後に飛行機がハイジャックに合わなくて本当によかった、良かった。

この後は、もうちょっと楽しかったこと、笑えること(このトラブルも笑える???)をレポートします。

これらトラブルの大部分を受け持った奥さんは今、昼寝の真っ最中です。


PS
このツアーで特によくお話する機会があった横浜から来られたという親娘さん、お伺いしたところキャンセル待ちだったとか。
確かmisakoさんは土日含んだドイツ5日間をキャンセルされたと...。
もしかしたらこの親娘さんお二人連れがそれをキャッチされたのかも。
そうだとしたら、奇遇ですね。