久しぶりのブログアップです。
入院中、最初の4日目までは微熱があり日中はずっと点滴でしたが、その後は点滴もなくなり飲み薬のみとなり、体調的にも通常とほぼ変わらない状況でした。
当初は1週間程度で退院だったようですが、想定外の数値が現れ状況観察ということで、更に1週間延長ということになった次第です。
留守中は、ブログにお見舞いのコメントを頂き有難うございました。
ご心配や励ましのお言葉には、本当に力づけられました。
ここに改めてお礼申し上げます。
入院といえば中学の時の虫垂炎以来、なのであらゆることが初の体験ということで興味深々の部分も少なからずありました。
しかしそれも最初のうちだけで、前述の通り体調的には通常通りといっても良いような状態だったので、日中はベッドで寝ているということは殆どなく、かなり退屈そのものと言って良い毎日でした。
そして問題だったのは点滴でした。
ただでさえ普通の採血の時でさえこれまでその都度看護師さんを手こずらせてきた血管の細さ。
手首や肘の動きを考慮すると点滴の針を刺す位置が限定されてしまうわけで、一度で入らず二度三度やり直し。
そして血管の細さに合わせて針も細くするので血液が詰まってしまったり。
血液が逆流してしまった様子を写真に撮ったりしましたが、あまりに生々しい?のでここに写真は直接掲載しません。
どうしてもご覧になりたい方は、
それなりの覚悟でここをクリックしてください
この2週間で、採血やら点滴やら何やらの注射針攻撃の回数は20回以上を数えました。
でもこればかりは何度やられてもとうとう慣れることはありませんでした。
二つ目の問題は、美味しくない病院食でした。
基本的に入院患者には生活習慣病予防という観点から、低塩低カロリー(要は超うす味)のメニューを...ということでした。
ということもあって、とにかくゆっくり良く味わって食べることを心がけました。
そして退屈な時間をどう過ごしたか...です。
まずは、衆院選挙直後ということで新聞テレビはその関連報道一色でした。
売店で購入した週刊誌を初め、政権交代に纏わる裏話を含め色々な報道を見聞きすることができ、いっぱしの情報通になったような気がしましたよ。
それにしてもその度に、民主党への期待感とは裏腹に自民党が凋落ぶりは目を覆うばかり。
とはいっても民主党にも課題は山積。
十分に気を引き締め、一つ一つ地道にマニュフェストを実行していくことが肝心でしょう。
もしかして連立政権の落とし穴は民主党自身ではなく国民新党や社民党かも分かりません。
そして読書。
以前、Reiさんが御自身のブログで紹介されていた、藤沢周平の絶筆となった作品「漆の実のみのる国」。
江戸時代中期、借金に塗れ貧窮が続いた米沢藩において、治憲(後の鷹山)が藩主となり大倹約や漆の植え付け奨励を初めとする改革、七家騒動、天明の飢饉などを絡めて藩財政を再建していく経緯を書いています。
物語は治憲が隠居し40才を越えたと思われるあたりまでであり、改革が始まって二十有余年を経てもまだ実を結ぶまでにはいたってはいないが、微かな期待が感じられるところで終わっています。
作者はこの物語をどこまで書きたかったのかは分かりません。
もしかしたら米沢藩と治憲の苦悩ぶりをドキュメントとして書きたかっただけなのかも、とも思われました。
経済・財政に苦しむ今の日本に共通する問題もいくつか。
それぞれに照合比較することにはあまり意味がないと思いながらも為政者などもついつい思い浮かべつつ読了。
お絵描き。
病室の窓から見える丹沢山系を描いてみました。
<奥さん評>
これ、雪山?
鉄塔と送電線がスキーのリフトに見える...ですって!
そして俳句。
これも概ね、空振りやボテボテのゴロばかりでしたが、恥ずかしげもなくここにご披露申し上げます。
●窓越しに古き社や秋陰り
●境内にすっくとひとつ曼珠沙華
●天高し見る毎に山貌変へて
以上、楓山人
ということで創作活動は見事にズッコケました。
そして究極の退屈しのぎ...
毎日何人もの看護師さんたちが入れ替わり立ち替わり。
(若くて可愛い子が何人もいました。そしてそれほどでもないけどとっても愉快な子も)
ナースステーションにいる15人の看護師さん全員の顔と名前が一致し、ローテーションもなんとなく解りかけて、仲良くなったところで退院となりました。
もう今は少し忘れかけています。
退院して感じたこと。
途中、2日間の帰宅を許可された時も感じましたが、家で普通に生活するのが何よりであると改めて認識しました。
“病得て知る健康の有難さ”ということです。
あっ、これも五七五ですね。
入院中、最初の4日目までは微熱があり日中はずっと点滴でしたが、その後は点滴もなくなり飲み薬のみとなり、体調的にも通常とほぼ変わらない状況でした。
当初は1週間程度で退院だったようですが、想定外の数値が現れ状況観察ということで、更に1週間延長ということになった次第です。
留守中は、ブログにお見舞いのコメントを頂き有難うございました。
ご心配や励ましのお言葉には、本当に力づけられました。
ここに改めてお礼申し上げます。
入院といえば中学の時の虫垂炎以来、なのであらゆることが初の体験ということで興味深々の部分も少なからずありました。
しかしそれも最初のうちだけで、前述の通り体調的には通常通りといっても良いような状態だったので、日中はベッドで寝ているということは殆どなく、かなり退屈そのものと言って良い毎日でした。
そして問題だったのは点滴でした。
ただでさえ普通の採血の時でさえこれまでその都度看護師さんを手こずらせてきた血管の細さ。
手首や肘の動きを考慮すると点滴の針を刺す位置が限定されてしまうわけで、一度で入らず二度三度やり直し。
そして血管の細さに合わせて針も細くするので血液が詰まってしまったり。
血液が逆流してしまった様子を写真に撮ったりしましたが、あまりに生々しい?のでここに写真は直接掲載しません。
どうしてもご覧になりたい方は、
それなりの覚悟でここをクリックしてください
この2週間で、採血やら点滴やら何やらの注射針攻撃の回数は20回以上を数えました。
でもこればかりは何度やられてもとうとう慣れることはありませんでした。
二つ目の問題は、美味しくない病院食でした。
基本的に入院患者には生活習慣病予防という観点から、低塩低カロリー(要は超うす味)のメニューを...ということでした。
ということもあって、とにかくゆっくり良く味わって食べることを心がけました。
そして退屈な時間をどう過ごしたか...です。
まずは、衆院選挙直後ということで新聞テレビはその関連報道一色でした。
売店で購入した週刊誌を初め、政権交代に纏わる裏話を含め色々な報道を見聞きすることができ、いっぱしの情報通になったような気がしましたよ。
それにしてもその度に、民主党への期待感とは裏腹に自民党が凋落ぶりは目を覆うばかり。
とはいっても民主党にも課題は山積。
十分に気を引き締め、一つ一つ地道にマニュフェストを実行していくことが肝心でしょう。
もしかして連立政権の落とし穴は民主党自身ではなく国民新党や社民党かも分かりません。
そして読書。
以前、Reiさんが御自身のブログで紹介されていた、藤沢周平の絶筆となった作品「漆の実のみのる国」。
江戸時代中期、借金に塗れ貧窮が続いた米沢藩において、治憲(後の鷹山)が藩主となり大倹約や漆の植え付け奨励を初めとする改革、七家騒動、天明の飢饉などを絡めて藩財政を再建していく経緯を書いています。
物語は治憲が隠居し40才を越えたと思われるあたりまでであり、改革が始まって二十有余年を経てもまだ実を結ぶまでにはいたってはいないが、微かな期待が感じられるところで終わっています。
作者はこの物語をどこまで書きたかったのかは分かりません。
もしかしたら米沢藩と治憲の苦悩ぶりをドキュメントとして書きたかっただけなのかも、とも思われました。
経済・財政に苦しむ今の日本に共通する問題もいくつか。
それぞれに照合比較することにはあまり意味がないと思いながらも為政者などもついつい思い浮かべつつ読了。
お絵描き。
病室の窓から見える丹沢山系を描いてみました。
<奥さん評>
これ、雪山?
鉄塔と送電線がスキーのリフトに見える...ですって!
そして俳句。
これも概ね、空振りやボテボテのゴロばかりでしたが、恥ずかしげもなくここにご披露申し上げます。
●窓越しに古き社や秋陰り
●境内にすっくとひとつ曼珠沙華
●天高し見る毎に山貌変へて
以上、楓山人
ということで創作活動は見事にズッコケました。
そして究極の退屈しのぎ...
毎日何人もの看護師さんたちが入れ替わり立ち替わり。
(若くて可愛い子が何人もいました。そしてそれほどでもないけどとっても愉快な子も)
ナースステーションにいる15人の看護師さん全員の顔と名前が一致し、ローテーションもなんとなく解りかけて、仲良くなったところで退院となりました。
もう今は少し忘れかけています。
退院して感じたこと。
途中、2日間の帰宅を許可された時も感じましたが、家で普通に生活するのが何よりであると改めて認識しました。
“病得て知る健康の有難さ”ということです。
あっ、これも五七五ですね。