本当のところ‥
私達は死んだら一体どうなってしまうのでしょうか?。
正直なところこの手の話は普段の生活では、気楽に話せる話題ではありません。
まず私達のほとんどは、普段自分も死ぬなどということは考えてもいません。せいぜい他者の死に顔をたまに見るのみです。それなのに死を忌まわしいことと決めつけて忌み嫌っています。ちょっと考えればおかしなことだと分かりそうなモノなのですけどね。
基本的にこのブログは私個人の日記であるので、少し自分の考えをまとめる為にもここらでハッキリと自分の考えを綴ってみたいと思います。
死んだら一体どうなるか?という問いをもう少し具体的に考えると、肉体が停止した死後も今と同じような心や意識は継続するのか?。もしくは無に帰するのか?。~という事を子供の頃から(漠然とですが)考えていました。
本当のところは死んでみるまで分かりません。
個人的には死後も心は継続するという予感(妄想)は確かにあります。(笑)
そして、本当の事は死ねば嫌でも分かると思っています。
それでも実際のところ、死後も心、意識は継続するのか否か?。
する!。
しない!。
どちらを主張するにせよ、今は生きている(死んでいない)私達には、本来何も断言することは出来ません。
ちょくちょく断言する方々もいらっしゃいますが、どちらを断言するにせよ、断言する方々に対して等しく聞きたい事があります。
それは‥「私は見たんだ~!とか科学的に有り得ない!…等の都合のいい自己申告以外で、何か客観的な証拠は出せますか?」この一点で御座います。
特にトンデモ科学、宗教、オカルト、スピリチュアル方面では言った者勝ち、やった者勝ちの屁理屈が大手を振ってまかり通っています。
良心的なものは本当に僅かしかありません。
それはそれで大問題ですが、今の私には直接関わり合いのない事ですので実質的な問題ではありません。
私の問題の焦点は、人間は死んだらどうなるのか?この一点でござる。
実際に死後どうなるのかが分からない以上、死んだ後の事を勝手に妄想しまくることにも些か飽きました。
そして考えても分かる筈もない事をいつまでもグダグダ考えることは得策ではありません。
少し角度を変えて考えます。
今の私が想定出来る死後の可能性は3つです。
a:死後、心は継続する。
b:死後、心は消滅する。
c:死後、全く想像を超えた状況が待っている。
うん、こう整理してみると更に問題が絞れて来ましたね。
bやcならば私には何も問題はありません。
強いて言うなら、普段から腹をくくり、いつその時が来ても慌てないように、静かにその時を待つだけで後は時間と共に全てが片付きます。
しかしaだとすると‥死後も今の自分の心を起点にした意識が継続するのならば、これはちょっと大問題です。
世間話では「墓までお金は持っていけないからね~」などとよく言いますが、それは確かにその通りな事実です。
これはとりもなおさず、死んだら今自分が大切に(執着)しているモノは何一つ持って行けないという意味ですね。
しかし死後、物質を全て置き去りにしても尚、心、意識は継続するとなるのならば…これはマズいです。
その前に、そもそも心とは何か?。
心、生命、魂、霊、などなど意味合いが重なる言葉が沢山あります。
ちょっとづつ違う意味合いをごちゃ混ぜにしては都合が悪いので、私にとって心とは何かを定義してみます。
心とは、人格や性格といった自分の行動の傾向を決定付ける意志ということにします。
‥で、話を戻すと…死して尚、自分のだらしない性格やお粗末な人格が継続するとなると、これはかなり困った事になります。
本当に素晴らしい人格者の方々以外は、皆さんマジで地獄行き!待ったなし!‥という可能性がとても高く有り得てしまいますからね。
ぶっちゃけ、自分がろくでもない人間だという自覚は…(最早どうしようも無い程に傲慢になってしまった人達を除いて)ほとんどの人達は大なり小なり心のどこかで感じていると思います。
この世のあらゆる問題の源は結局のところ私達一人一人の人格、性格、心の問題です。
私達の本当の人格はお金では買えません。
もちろん権力でも動かせません。
ましてや神も仏もご先祖様も、もちろん悪魔でさえも関係ありません。
だらしなく情けなく欲にまみれた自分の本当の人格を少しでも高めるには…自分の心を綺麗なものにするには、現実問題として自分以外の誰にも決して手を付けられないことです。
(^^)…という訳で死後も意識は継続するかどうかは、やっぱり今は分からない事なので保留にするしかありませんが、それぞれの可能性を有り得る事と仮定し考慮してみて、結構スッキリしました。
とりあえず自分の心を少しでも良く出来るように、出来ることからコツコツとでござるな。
それでは今朝の妄想はここまでに御座います。
よい一日を~♪
230 拝
私達は死んだら一体どうなってしまうのでしょうか?。
正直なところこの手の話は普段の生活では、気楽に話せる話題ではありません。
まず私達のほとんどは、普段自分も死ぬなどということは考えてもいません。せいぜい他者の死に顔をたまに見るのみです。それなのに死を忌まわしいことと決めつけて忌み嫌っています。ちょっと考えればおかしなことだと分かりそうなモノなのですけどね。
基本的にこのブログは私個人の日記であるので、少し自分の考えをまとめる為にもここらでハッキリと自分の考えを綴ってみたいと思います。
死んだら一体どうなるか?という問いをもう少し具体的に考えると、肉体が停止した死後も今と同じような心や意識は継続するのか?。もしくは無に帰するのか?。~という事を子供の頃から(漠然とですが)考えていました。
本当のところは死んでみるまで分かりません。
個人的には死後も心は継続するという予感(妄想)は確かにあります。(笑)
そして、本当の事は死ねば嫌でも分かると思っています。
それでも実際のところ、死後も心、意識は継続するのか否か?。
する!。
しない!。
どちらを主張するにせよ、今は生きている(死んでいない)私達には、本来何も断言することは出来ません。
ちょくちょく断言する方々もいらっしゃいますが、どちらを断言するにせよ、断言する方々に対して等しく聞きたい事があります。
それは‥「私は見たんだ~!とか科学的に有り得ない!…等の都合のいい自己申告以外で、何か客観的な証拠は出せますか?」この一点で御座います。
特にトンデモ科学、宗教、オカルト、スピリチュアル方面では言った者勝ち、やった者勝ちの屁理屈が大手を振ってまかり通っています。
良心的なものは本当に僅かしかありません。
それはそれで大問題ですが、今の私には直接関わり合いのない事ですので実質的な問題ではありません。
私の問題の焦点は、人間は死んだらどうなるのか?この一点でござる。
実際に死後どうなるのかが分からない以上、死んだ後の事を勝手に妄想しまくることにも些か飽きました。
そして考えても分かる筈もない事をいつまでもグダグダ考えることは得策ではありません。
少し角度を変えて考えます。
今の私が想定出来る死後の可能性は3つです。
a:死後、心は継続する。
b:死後、心は消滅する。
c:死後、全く想像を超えた状況が待っている。
うん、こう整理してみると更に問題が絞れて来ましたね。
bやcならば私には何も問題はありません。
強いて言うなら、普段から腹をくくり、いつその時が来ても慌てないように、静かにその時を待つだけで後は時間と共に全てが片付きます。
しかしaだとすると‥死後も今の自分の心を起点にした意識が継続するのならば、これはちょっと大問題です。
世間話では「墓までお金は持っていけないからね~」などとよく言いますが、それは確かにその通りな事実です。
これはとりもなおさず、死んだら今自分が大切に(執着)しているモノは何一つ持って行けないという意味ですね。
しかし死後、物質を全て置き去りにしても尚、心、意識は継続するとなるのならば…これはマズいです。
その前に、そもそも心とは何か?。
心、生命、魂、霊、などなど意味合いが重なる言葉が沢山あります。
ちょっとづつ違う意味合いをごちゃ混ぜにしては都合が悪いので、私にとって心とは何かを定義してみます。
心とは、人格や性格といった自分の行動の傾向を決定付ける意志ということにします。
‥で、話を戻すと…死して尚、自分のだらしない性格やお粗末な人格が継続するとなると、これはかなり困った事になります。
本当に素晴らしい人格者の方々以外は、皆さんマジで地獄行き!待ったなし!‥という可能性がとても高く有り得てしまいますからね。
ぶっちゃけ、自分がろくでもない人間だという自覚は…(最早どうしようも無い程に傲慢になってしまった人達を除いて)ほとんどの人達は大なり小なり心のどこかで感じていると思います。
この世のあらゆる問題の源は結局のところ私達一人一人の人格、性格、心の問題です。
私達の本当の人格はお金では買えません。
もちろん権力でも動かせません。
ましてや神も仏もご先祖様も、もちろん悪魔でさえも関係ありません。
だらしなく情けなく欲にまみれた自分の本当の人格を少しでも高めるには…自分の心を綺麗なものにするには、現実問題として自分以外の誰にも決して手を付けられないことです。
(^^)…という訳で死後も意識は継続するかどうかは、やっぱり今は分からない事なので保留にするしかありませんが、それぞれの可能性を有り得る事と仮定し考慮してみて、結構スッキリしました。
とりあえず自分の心を少しでも良く出来るように、出来ることからコツコツとでござるな。
それでは今朝の妄想はここまでに御座います。
よい一日を~♪
230 拝