佛暦2561年 5月14日
一昨日から昨日の朝にかけてこちらもそれなりの雨が降っていましたが、意外と川が増水している気配もなく、そのかわりかなりの濃霧が立ち込めていた今朝の川っぺりです。
(・ω・)ノみんなおはよ。
無常。無智。無我。という言葉があります。
このうち無常と無智については割と実感を伴った理解が初めからあったワケなのですけれど、無我についてはなかなか……長~い間、どうしても実感を得ることが出来ませんでした。
それはなんとなれば、やはり。
「いや、そうは言ってもやっぱり俺は今ここで考えているし、感情も感じている。それはやっぱり……俺思う、故に俺あり。だよな……」
という思考が回転し、ブッダの教えに反して「我有り」と肯定してしまう自分がいました。
しかしここ最近になってようやく「我無し」という実感が徐々に伴って参りました。
それは日々の瞑想をはじめてある程度の集中状態に至る前に現れる、お馴染みの雑念、妄想を必死こいて手放している最中の気づきでした。
「あれ? ……これって、この妄想って、勝手に湧いてきてるよな。俺の意図や意志とは全然関係ない、よな……んむむむ」
などと、ようやくながら無我のしっぽの先っぽに、やっとこさ指先が引っかかったような気がした今朝の川っぺりはこれまでに御座います。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
230 拝
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