21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

ヒラリー・クリントン勝利確定

2008年03月11日 22時15分59秒 | Weblog
じゃないかって思ってる。なぜなら「オバマ氏を副大統領候補に指名する」と発表したから。

今のところ、予備選はオバマ氏が勝っているが、これでどうなるか?

このまま混戦が党大会まで続けば、民主党幹部が大統領候補を最終決定することになりそうだが、そこではヒラリーさんの方が人気がある。問題は、一般市民にはオバマさんの方が人気があると言うことで、党幹部もそれを気にしていただろうが、どうせ副大統領候補として民意を反映してくれるとなれば、遠慮はいらない。ヒラリー・クリントンさんを支持できる。

それにやっぱり、オバマさんは若くて「次がある」って言うのが弱み。今までは若さ=新鮮さ=斬新さだったけどね。熱狂的な支持者の少しでもが、オバマさんに副大統領として4年なり8年なり実績を積んでから大統領になってほしい、と考え始めれば、支持が弱まる可能性もある。

大統領候補が最終決定される党大会まで、まだ4カ月あります。

良い教育???

2008年03月11日 21時58分41秒 | Weblog
 良い教育・人材育成に必要なのは、優秀な教育者と熱意のある学習者である。

立派な教室とか、最新のコンピューター設備とか、教科書とかノートとかペンとかはどうでもよい。学習指導要領もどうでもよいし、義務教育かどうか学校制度も関係ない。

青空教室でも立派な人間は育つし、今の情報技術の開発者は、学校で習ったわけじゃない。彼らは無から創造力で、すべてを作り上げたのだ。

簡単な例としては、優秀な教育者って言うのは「最近の子供はやる気がなく困る」とか言わない人で、熱意のある学習者とは「先生の説明じゃ聞いていても全く分からない」と弱気を言わない人だ。


フィンランドの教育の質が高いのは、教師の質が高いからだ。10年前まで続いた長期の不況の中で、安定的な職を求める優秀な人材は教師になった。民間で働けるところが無かったからだ。今でも、大学院卒者だけを教師として認めていて、給料の水準も高いが、ここ数年の好景気でフィンランドでの優秀な人材は民間に流れて行っているのではないかと思う。30年後のフィンランドの教育水準までが世界最高とは言えない。

日本の教師は質が低い。一度教師になってしまえば、潰しがきかない分、途中で嫌になっても退職・転職が難しく、ズルズルと続けるヤツもいる。そのため、欠員が出にくく、一度民間に就職した優秀な人材を中途採用するようなこともない。そのため、教育現場の風通しが非常に悪い。って言うか、教育に関心のある一般市民が少なすぎる。選挙権を持っていれば、教育現場にもっと発言権を持っていいはずなのに。教育に関心のある親は、子弟を私立に入れ、公立学校が見放されている。見放され焦ってしまった公立校が受験予備校化しようとしている。学力では差がつかなくても、生活力で、私立公立の差がつこうとしている。21世紀の世界で生き抜いていくためには、「日本でどの大学を卒業したか」は関係ない。あくまで本人の生活力がすべてだ。生き残れないヤツはいらない。
 教育を良くしていくためには、優秀な教師が大量に必要だ。給料を大幅に上げ、契約期間を1年毎に分け、再契約・契約破棄を通して、入れ替えがよく起こるようにするべきだろう。

 東京大学はもっと危機感を持つべきだ。世界ランキングでは既に北京大学・精華大学に抜かれている。文部科学省からの補助金額の大きさのおかげで、理系の分野は新しい研究所を次々作れるために、優位性を保っていられているが、それもいつまでもつことやら。中華人民共和国のGDPは日本よりはるかに小さいにもかかわらず、既に中国の大学に順位が抜かれている。。。。。金で差を埋められないほどに、在籍している研究者・学生の質が低い。と言うことだろうか。何とかしなければならない。

 がしかし、ここで日本国内高等教育機関最大と言われる東京大学のネーム・バリューが、使える人材が集まる妨害をしている。東大の入試には(努力は見られるが)多様性が足りない。試験問題を解くことが得意な生徒だけが集まる「一芸入試」になっている。日本国内だけで争っているなら、それで問題がないのだが、世界が相手だと困る。受験者の方もその「一芸」を伸ばすことにばかり気が取られている。最近、ゆとり教育ってやつで面白くなるかなと思ったけど、そうもいかなくなった。。。もっとバカ(良い意味で)が集まるような入試をして、学生の多様性と保たないと。。。。危機感を持っていられるかな?


 カオス・混沌が想像・創造の父である。

全ての発明・発見は、混乱を整理したいと思った人類の頭から生まれている。

このことを知っている人は、一様な社会に留まってはいない。

偽善の話

2008年03月11日 21時13分51秒 | Weblog
 純粋な人助けでも、自然を破壊してしまうこともあれば、社会を壊してしまうこともあります。

 電力を供給し生活の質を上げることを目的に建設されたダムの多くは、本当に必要だったのですか?
 貧困地区に無料で食糧を配布することで、地元産の食料品が売れなくなり、農家が働く意欲を無くしてしまえば、来年、その地域はもっとひどい飢餓に見舞われることになります。
 逆に、自然保護を目的としたダム建設反対運動は地元の人々に何をもたらしたのですか?彼らを電気のない生活に閉じ込め、洪水の危険と隣り合って生きることを強要したことにはなりませんか?
 また逆に、私達の手元には食料が余っているのに、現地の市場原理が歪められることだけを理由に、貧困・飢餓を見過ごしても良いのですか?

 貧困から抜け出すためには、教育が必要です。しかし、先進国の教育制度は、後進国でも利用できるほど「完璧」なモノですか? 日本の学校制度では、数え切れないほどの登校拒否児童が出ています。先進国(米・英・日・仏・独・加・豪・・・)での10代の若者の死因の第一位は自殺です。地域に合った、経済の発展状態にあった教育制度があるのではないですか? その意味では、経済の発展を助けてきた現教育制度は、先進国では機能していなくても、発展途上国では機能するのかもしれない。
 児童虐待は犯罪です。しかし、児童労働は「絶対悪」ですか? 丁稚奉公から初めて、巨大企業の経営者まで成り上がった偉人の例はいくらでもあります。現・世界一の大金持ち・ウォーレン・バフェットは牛乳・新聞配達から始めたそうです。人権は保護されなければならない。それでも、児童に働く権利があっても良い。教室で学べない、実務が教えてくれる事は多くある。


 人助けは良いことです。でも、もし何か間違いが起こった場合、責任を取れますか? 一度建設されてしまったダムを取り壊すのは、大変です。。。かといって、何もしない事は良くない。人のために何ができるのか、それに弊害はないのか、弊害をどうすれば最小化できるのか、もしそれでも問題が起こった場合どうするのか?

   常に考え続けていかなければならない。

超・交渉術

2008年03月11日 20時52分15秒 | Weblog
 80年代に出版されていた本の題名をパクッてきました。
内容は:
交渉を「勝ち負け」で考えてはいけません。交渉には「勝勝」の関係か「負負」の関係しかありません。

社会は協調関係で成り立っています。そのため、協力しあえれば「勝ち」で、対立してしまえば「負け」です。

交渉の場で考えなければいけないのは、短期的にその場での利益を最大化させようとしないこと。人間関係は、その場限りでは終わりではありません。ずっと続きます。長期的な視点に立ち、その場での交渉が成り立たなかったとしても、次に続く関係を保っていく必要があるのです。

助け合い、助け合い。