5月10日川中島古戦場跡(八幡原)と松代城(海津城)を訪ねました。
松代城の本丸天守台の手前に海津城の石碑があります。
松代城の歴史年表
松代城は
川中島の合戦のとき
武田信玄・香坂弾正虎綱によって
前線基地・策源地策源地
海津城という名称で
築城されたことが分かります。
川中島の合戦と言えばこの場面でしょう。
第4次合戦の時
謙信と信玄が直接対決しました。
謙信が信玄に襲いかかり、信玄が軍配で防いだという場面です。
謙信は三太刀したのですが、
信玄の軍配には7太刀の跡があったというのです。
また、こんな話があることもわかりました。
執念の石という石があります。
こんな話、現地を訪れなければわからないことでした。
もうひとつ、おまけ。
首塚です。
「敵に塩を送る」として有名な話です。
そのきっかけが、香坂弾正が
敵味方の区別無く6000名の戦死者を手厚く葬ったことによるわけです。
それに謙信が感激したのです。
「われ信玄と戦うのはそれは弓矢であり、魚塩にあらず」
死体が放置されているウクライナニュースを知るにつけ、
武士の心、魂のよさを感じるのはわたしだけでしょうか。
「敵に塩を送る」という言葉を聞くと
無償で送るように感じますが
そうではなくて、
有料で送る、
それも適正な価格で
提供するように
配慮をしていたということです。
乃至政彦「謙信越山」参照
さて、ここからは松代城に戻ります。
古い遺構といえば天守台の石垣です。
あとは、皆復元された物です。
南門・太鼓門前橋、桝形門(高麗門)、太鼓門(櫓門)、手前は丸馬出のようになっています。
高麗門をくぐると桝形(方形の空間)になります。普通高麗門に対して櫓門は90度になっていることが
多いのですが、松代城は同じ方角ですが、少し横にずれています。
食い違い虎口といいます。
太鼓門前橋・桝形門(高麗門)(前)太鼓門(櫓門)(後ろ)食い違い虎口になっています。
太鼓門(櫓門)
堀・太鼓門前橋・桝形門(高麗門)と太鼓門(櫓門)食い違い虎口・石垣
三日月掘跡と出丸
復元された埋門です。土塁をくりぬいた門であることがよくわかります。
土塁に石垣が組んであります。
木枠が埋め込まれています。
新御殿10万石の大名のプライベートな部屋です。
殿様気分に浸りました。