5月5日に再々度小田原城の総構を
講師小田原城郭研究会の山本篤志さんの案内で
巡ることになりました。
小田原駅西口の早雲像ですが、
5月3日の小田原北條5代祭りに兜と陣羽織をつけるそうです。
この銅像小田原市民一人あたり500円の寄付でできたということです。
城下張出です。
東西に50m、南北に45mぼど北に張り出す構造をもち、
敵兵に対して横矢掛と呼ばれる側面攻撃が掛けられます。
「北條五大記」が殿主と呼ぶ櫓台とも考えら
小田原城総構の北端の最前線基地と考えられます。(小田原城総構散策Mapより)
総構を巡っていると小田原城の天守が見えました。
山ノ神堀切
総構の北側に位置する谷津丘陵が最も狭くなった場所、
南北方向に尾根を断ち切るように掘られた堀切。
幅約30m、高さは約50m、西側の尾根との標高差約5m。
稲荷森
かつて一面孟宗竹に覆われていたため、
最も良好に堀が残された場所になりました。
堀の深さは約10mを測ります。
城内に向かっての湾入地形に合わせて
総構の堀が作られている様子が観察できます。
小峯御鐘ノ台大堀切東堀
ここは以前にもきたことがあります。
しゃがんで視線を下げて向こうを見ます。
段差があるように見えます。
今回の発見です。
総構の堀は山中城にあるような障子堀になっていたということです。
これがこのツアーでの最大の発見です。
今まで見てきた城下張出や山ノ神、稲荷森の堀も
障子堀ではないかということです。
この写真は東堀の出口付近にある
小田原の蒲鉾会社の社長のお宅だそうですが、
石垣の土台の上に住宅が建っています。
この高さと堀の深さを比べるのに山本講師は
ここに着目したということです。
稲荷森の美しさ。
堀が障子堀になっていたということ。
これが今回のツアーでの新たな発見でした。
秀吉はこの総構をみて、京都に御土居を作ったといいます。
小田原攻めに参加した各地の大名もそれぞれの土地に総構を築いたようです。