城郭検定での七尾城との出会い
2019.6.9 今から2年前のことです。
城郭検定準1級に水道橋にある日大法学部で取り組んでいました。
問1からマークシートで解答を続け、問97にさしかかりました。
「何だこれは!」
読み下しのない漢文が出てきました。
今まで過去問を解いてきましたが、
漢文がそのまま出てきたことはありません。
大学入試の国語以来です。
問題は、
上杉謙信がある城を攻略した時に
「霜滿軍營秋氣淸数行過雁月三更越山併得能洲景莫遮遠征遠征」
の漢詩を詠んだが、その城はどれか。
1 鳥越城 2 増山城 3 小松城 4七尾城
というものです。
これを見たときに
「やった」とおもいました。
何だかこれで試験に受かったような気がしてきたのです。
たまたま前日ベットの中で読んだ
伊東潤「城を攻め守る 城を守る」の中に
この詩が出てきたからです。
この詩の意味は同書によりますと
霜は軍営に満ち、
秋の気配が清々しい。
真夜中の月に雁が列をなして飛ぶ。
越後と越中だけでなく能登の景色も眺めることができた。
(三国を制したという意)
故郷の人々は、遠征のこの身を案じているだろうが、
そんなことはどうでもよい。
この漢詩は、江戸期の思想家・頼山陽が、このときの謙信の気持ちを代弁して書いたものと
されるが、謙信の天を衝くばかりの意気を見事に表している。
というのも当時、能登半島随一の大要害である七尾城を攻略するなど、神仏でもできないと
思われていたからである。伊東潤「城を攻める 城を守る」P141~142
そのときの謙信の気持ちと、試験を受けているわたしの気持ちが同化しているように
思えてならないからです。
もちろん、試験には合格しました。
試験場でいきなりこの漢文にであったのであれば、あせりを感じていたかもしれません。
謙信がみた能洲の景
実は、わたしは試験の以前、2016.11.1に七尾城を訪れ、謙信が見た能洲の景をみています。
もちろん、謙信もこの景色を見たと言うことで感動したのを覚えています。
しかし、伊東潤の本に出会った後であれば、感動もより深いものになったことでしょう。
再度、七尾城との出会い
また、七尾城には、1級の勉強の過程で次の過去問題に出会いました。
石川県の 七尾城には、九尺石とよばれる巨石が虎口に積まれているが、それはどの曲輪か。
1.遊佐屋敷曲輪
2.長盛屋敷曲輪
3.温井屋敷曲輪
4.調度丸曲輪
答えは 3.温井屋敷曲輪なのですが、九尺石を見た記憶がありません。
わたしが、七尾城を訪れた時点で九尺石のことがインプットされてなかったので
おそらく、スルーしたものと思われます。
この道標の九尺石の方には行かなかったのです。
次回、七尾城を訪れたときには
1 「城を攻め 城を守る」を踏まえ謙信の見た能洲の景により浸る。
2 9尺石を見る。
を楽しみたいと思います。
9尺石については、過去問が七尾城をみる新たな視点を提供してくれたと言えます。
ブログ執筆と検定試験の基本姿勢(スタンス)
最後に、このブログ執筆と検定試験の基本的姿勢(スタンス)について、述べて起きます。
平成4年秋、滋賀県立教育総合センターを指導主事会の研修で訪れました。
当時、滋賀県へ琵琶湖の水質汚染に取組み環境教育の先進地域でした。
環境教育推進の具体的なポイントとして、
県が所管するあらゆる試験(高校入試から管理職試験に至るまで)で環境教育に関す出題す
る出題するというものです。
わたしは、このことから、試験問題の中には、行政推進のためのメッセージが込められてい
ることを学びました。
以上のことから、城郭検定の問題には、お城の理解を深めるための視点やメッセージが込め
られていると受け止めます。
このような基本姿勢で、これからもお城について語っていきます。