ふうちゃんのお城ブログ

お城巡りについての記録、城郭検定試験の体験談

第76回ふうちゃんのお城ブログ またまた江戸城!ちょっとオタクな江戸城巡り。

2023-10-23 20:13:13 | 城郭検定

大田区退職校長会歴史散歩部会より

「10月20日(金)に

江戸城めぐりを半日で実施したいから

計画作成と当日の案内をして欲しい」

という依頼がありました。

ところが、金曜日は江戸城東御苑は休日なのです。

大手門、平川門、本丸跡、天守台、百人番所、中之門、富士見櫓など

定番の見学場所に

行けないことを意味します。

わたしが行きたいと思って、まだ行っていないところ

それは、

道三濠跡です。

豊臣秀吉の命令で

徳川家康が天正18(1590)年江戸にやってきて、

初めて手掛けたのが道三壕の開削です。

物資を輸送するための水路を作ったのです。

和田蔵門の中には倉庫があったのです。

 

以下インターネットに載っている説明と地図です。

道三堀   天正18年(1590)に徳川家康の命により、

江戸城へ江戸城建設の物資・生活用品を運ぶ船入堀として、

江戸城の和田蔵門橋から平川(日本橋川)の河口の呉服橋門まで開削され、

江戸湊へ続く運河。

平川まで約1km余の長さで、

人工水路として江戸で初めて造られた堀である。

南岸に幕府の侍医、曲直瀬(2代目道三)の屋敷があったことから、

道三堀と呼ばれた。江戸城への輸送路として加養されたが、

明治43年(1909)に埋め立てられた。

道三堀 - Wikipedia

道三堀跡-丸の内から大手町のオフィス街に眠る運河-ひとりで東京歴史めぐり (taichi-tokyo.com)

上記の地図を参照して千代田区の区分図に道三掘を記入してみました。

前置きはこれくらいにして、東京駅丸の内中央口に集合して出発しましょう。

和田蔵濠にかかる和田門橋を渡ると

和田蔵門の石垣、桝形があります。

門の中には一の蔵があったようです。

この和田蔵掘りに道三濠の入口がありました。

そして、現在三井住友銀行東館のあるところに辰ノ口という荷揚げをする岸がありました。

今は下の写真のようなところです。

辰口跡というような案内板が欲しいです。

 

永代通りに沿って進みます。

周囲は高層ビルが立ち並んでいます。

そのビルとビルの間に

全く違った空間がありました。

みずほ銀行のOOTEMORI(大手町の森)です。

当時、道三濠が通っていたであろうあたりにです。

こんな雰囲気です。

なぜ、この森が作られたか以下の説明がありました。

「東京の中心に、もう一度、人が心地よく息づける環境を

そんな願いから生まれた「大手町の森」

めざしたのは、より自然の姿に近く,

この地に相応しい植物が織り成す

大手町本来の植生を調べ選ばれた木々草花を

別の地で3年間に及ぶ検証を経て育み、

大手町に移しました。

人工的に整備された広場や公園ではなく

自然の営みを再現したこの森

都志の生命を潤し、都市の未来を描きます。

千葉県の君津グリーンセンターで

大手の森の一部をあらかじめ実現。

3年かけて樹木を生育、土壌の適正などを検証、

改良を重ねた後

大手町に移植しました。」

 

このような目的で実現した大手町の森ではありますが、

家康が1590年に開削した道灌濠の跡を求め歩いているわたしにとって、

家康が目にしていた自然や環境を

想像するのに足る

資料を提供してくれているように

思えてくるのです。

今回のコースを歩いていて最も感動したのがこの森との出会いでした。

追伸10月24日

もし、わたしが大手町の森を企画するときにいたら、

ここが道三壕の跡地であること意識して

「家康から現在そして未来の森へ」としたと思いますが

いかがでしょう。

企画段階で家康が意識に入ってなかったのではおもわれます。

独断と偏見ですが、お許しください。

 

いよいよ今回のメインである道灌壕にかかる二つの橋の跡を訪ねます。

道灌橋跡です。

野村ビルと新大手町ビルの間のみちにあります。

ここに橋がかかっていたのでしょう。

 

次が銭瓶橋跡です。

本来の場所はビル工事のため訪れることはできません。

常盤橋公園のある道路の反対側の信号近くにあります。

道灌濠と外濠が一緒になった所、中央に銭瓶橋、奧に道三橋が見えます。

当時の風景が想像できます。

ここから、箱根駅伝のゴールである読売新聞本社まで、大手門方向に向かって歩きます。

 

読売新聞本社絆像

将門塚があります。

神田明神のご祭神になっている平将門の御首(るしるし)をお祭りしているところです。

神田明神のご祭神の一つになっている平将門。

関東でむかしから朝敵であるにもあるにもかかわらず人びとから信仰されてきました。

家康は神田明神に会津征伐において上杉景勝との合戦に臨んだときや関ヶ原の合戦に臨んだとき

戦勝祈願を命じた。家康は江戸の人が信仰している神様を受け入れ、

江戸の人びとの心を掴むように務めていたように感じる。

神田明神の神輿や山車などの祭礼行列が江戸城内を練り歩いていたそうです。

津田仙(津田塾大学創始者津田梅子の父親)が

明治8年になって初めて東京市内に街路樹を植えたという案内板。

ニセアカシア(ハリエンジュ)を植えたが、

今はこの街路樹は「エンジュ」。

内堀通りを挟んで大手門の反対側にあります。

大手門の櫓門の屋根が見えています。

大手門の高麗門と櫓門が道路の反対側に見えています。

これから東京駅丸の内中央口に戻って解散しました。

一寸マニアックな江戸城巡りでしたが参加者は

それなりに得るものがあったということでした。

所要時間2時間40分。