東京都町田市の郊外小野路(おのじ)には里山風景が広がっています。
今、人びとがここで生活を営んでいる風景があります。
この近くに幕末に活躍した新撰組の近藤勇と土方歳三が
剣道の稽古をするために
小野路の小島家(現在は小島資料館)に通った道があります。
関屋の切通です。
調布(近藤)と日野(土方)から小野路に向かったのです。
目指す小島家(小島資料館)
小野路宿
小野路の歴史について、小野路宿里山交流館で資料をもらいました。
小野路の歴史
「小野路」の地名の由来については諸説あります。
『大日本地名辞典』によると、
平安時代の牧場地帯「小野牧」(現在の八王子から日野市・府中市・稲城市・多摩市・町田市北部)を含む地域)への入口、
『武蔵名勝図』によれば、
武蔵七等の一つ横山党の祖である小野氏との関係によるものと考えられ
『鶴川村史』では
「小野郷」(現在の府中市域内)への道筋とも言われています。
小野路は、長い歴史を通じて交通の要所で、江戸時代に東海道と甲州街道を結ぶ脇往還として、
また、江戸中期以降は埼玉方面から大山詣でに行き来する人びとで賑わ宿場になっていました。
江戸時代には近隣の三十五ヶ村をまとめる組合村の寄場として見張番屋が置かれ
明治時代には登記所や郵便局などの公共施設がができ、小野路は地域行政の中心的な役割もはたしました。
下の地図を見てください。
今日私たちが
目指すは小野路城です。
E小野神社前を出発し小島資料館の前を通りD中宿をへて
旧小野路宿から関屋の切通へ寄り道し、
冒頭の里山風景を目にしてから
目的の①山道に入ります。
山城に向かう雰囲気になってきます。
②から萩生田牧場の牛小屋をみます。
東京ビーフとして、伊豆諸島の最南端青ヶ島などで生まれた牛を飼育し
「東京産黒毛和牛」として出荷しているそうです。
なだらかに続く山道を行くと
④近くの小町井戸につきます。
ここで小野小町に出会うとは思いませんでした。
そして、
いよいよ小野路城です。
都内の古城址の中でも最も古い物の一つで承安年間(1171から1174年)
平安時代の築城であることがこの説明板から分かります。
郭になっている洞が立つ本丸
郭と思われる平らな空間、周囲は土塁でしょうか。
郭と空堀でしょうか。
今で城や城跡ではあまり目にすることがなかった
環境保護地域の看板と
人びとの営みを知らせる管理組合の案内板に興味を引かれます。
わたしもかって(平成3年から8年)町田市の教育委員会に勤務したことがあります。
この掲示板は町田らしさを改めて
わたしに思い出させてくれました。
当時、町田市教育委員会では、
東京都に先駆けて環境教育の副読本の作成しており
わたしもその編集にかかわっていました。
今、初めて小野路城跡に来て思うことは
(教育委員会勤務当時小野路城に来ていません)
東京で最古である古城址の
本丸
郭(くるわ)
空堀
土塁が
環境保全地域の中で
静かに眠っている
ということです。
今まで多くの城を訪れましたが、
そこでは感じたことのない
何かがあるのです。
町田の空気の匂いと言ってよいのかもしれません。
⑭道祖神をへて小野路宿に下山していきます。
万松寺から小野路城を振り返ります。
中央の山のてっぺんが小野路城本丸あたりです。
六地蔵です。7つありますが、
ゴールの小野神社に着きました。
小野神社の由緒書きにも驚かされました。
平安時代の小野篁、小野道風にここで出会うと思いませんでした。
追伸 草木塔って聞いたことがありますか。
草や木などの自然に対して感謝を表す供養塔だそうです。
これも町田らしい環境保全の表れでしょうか。