80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

思い出になった戦争体験談?

2015-12-11 21:10:57 | 最近の出来事

小学校の6年生になると、2学期の終わりに、日中戦争や

太平洋戦争のことについて、学校の授業で教えられるそうで、

ここ何年かは近くの小学校で、12月8日を中心に戦争体験談を

させて頂いていたのですが、今年はまだ何処からもお話の依頼

がきていないのです。

昨年ある学校に伺った時、私が、そのために伺っていることを

ご存知なかった先生が、私の側に来られて、

“戦争体験談は年をとっているからといって、誰でも出来る

 ことじゃないんです。 今年が最後かもしれません“と、

 おっしゃりながら、私が、今までお話していた張本人だと気づかれて

 ”あら、失礼しました”と、お二人の先生が続けて仰ったのです。

 この学校は熱心でPTAの他にお父さんお母さんが、子供さん方

 の教育に必要なサポートをされているという学校で、お父さんお母さん方

 も本当に気使いがあり、先生方も子供さん方も本当にすばらしくいい学校

 でした。

 一番最初に伺った時には、ある坊ちゃんが、私の話が終わった時に、

 ご自分のノートの切れ端に名前を書いて私にくれたのです。

 “僕は、これからおばあちゃんが言ったように生きていくから見ててね”

 ・・・・と。

 私は今も毎日定期入れに其れを入れてもって歩いています。

 そして、子供さん達の行列が出来、私に自分のノートにサインしてと

 言われたのです。私のサインでいいのと言いながら、嬉しく、サインさせて

 もらいました。

 先生方は感想文を子供さん達に書かせて、其れを綺麗に束ねて、くださいました。

 最初の日にお話したクラスの生徒さんは翌日、わざわざ質問に来てくれました。

 次の年には4年生の担任に変わられた先生が、

 わざわざ私に会いに来てくれました。

 先生が、サプライズして下さった年もありました。

 最初の日にお話したクラスの先生が、三日目に話しに伺った後、態々会いに来て

 くださったので、私が、先生のクラスのお子さん達が待っておられるでしょうから、

 私は一人で行かれますから大丈夫ですとお断りしたのですが、いやいや大丈夫ですよと

、私のコートやら焼夷弾の模型やら荷物などを持ってくださって、優しくゆっくりと

 サポートして、控え室まで連れて行ってくださったのです。

 控え室のドアを開けると、先生のクラスの生徒さん達が、半円形に並んで、私が入って

 いくと、一斉に拍手してくれ、代表の女生徒二人が感謝の言葉と、感想文の一部を読んで

 くれて、綺麗にリボンで飾られた感想文をとじたものを手渡してくれ、全員で校歌と横浜

 市歌を唱ってくれ、みんなで記念写真を撮りました。本当に幸せなときをいただきました。
 
 昨年もある坊ちゃんが、私が背が低いので、私の手が届かない上の方に貼ってあったものを

、はずしたり、いろいろと手伝ってくれましたし、給食をご馳走になった時にも、後のものを

 かたづけに来てくれたりして感激しました。

 本当にお母さん方や先生だけでなく子どもさん方もみなさんとっても優しくて、

 あるクラスの先生が、荒武さんを昇降口までお送りしますから、二列に並んでねと仰ったら、

 わたしの隣りにいたある女のお子さんが急に“レッド カーペット!”と叫んだのです。

 するとその隣にいた男の子さんが、

“はい。はい。”と言って、大きなカーペットを敷く動作をして見せたのです。

 他のお子さんは周りに大勢いた1,2年生の交通整理をしてくれました。

 感激して、私も其れに乗り、“とても歩きよかったよ”と、言ってしまいましたっけ。
 
 校長先生や副校長先生も変わられ、この日のために一年間健康に留意し、準備し続けてきた

 私にとっては淋しい年になりそうです。