80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

阪神淡路大震災の思い出

2017-01-17 12:20:12 | 最近の出来事
1995年午前5時46分、阪神淡路大震災が起きました。

私は、その頃はもう横浜に戻ってきていましたが夫は北京駐在で

家に居たのは、私一人でした。すでに目が覚めていたので、揺れ

出したはじめからはっきりと覚えています。横浜でも相当揺れま

したので、すぐ起きて、テレビをつけました。震源地は何処なの

か、被害を受けられている方を知りたいと言うことのほかに、

私には気になっているとても大事なことがありました。

それは私の考案した家具の耐震性でした。家事机を考案した時から、

私は地震が起きた時にどうしたら家具が倒れないですむかを考えて

いました。

其処には本当にいろいろの問題がありました。家々の天井までの高さが

本当にまちまちであることと、一見、きれいに仕上がっている天井の壁、

それが、びっくりするほど、いい加減に作られていたのです。

高額をとる建築会社でそれでした。

何箇所も天井高を計ると、ところどころ何センチか飛び出しているのです。

私達は当然天井の壁は平らににきれいに作られていると思い込んでいます

から、いくらみても綺麗で平らに出来ているように見えるのですが、それ

を計測してみると本当に綺麗に作られていないことが多いのです。また、

床もそうでした。

私は新築のおうちを建てられるときにご注文をいただいて家中の家具を作ら

せて頂くいことが多かったのですが、平らに作られているはずの床が本当は

平らではなく、床にゴルフボールを置くと自然に転がる傾斜がついている

お宅さえありました。

そうなると、家具の扉をきちんと平衡を保ったところで作っていても、現場

へ持っていくと、家具の金具が左右づれているようにしか見えないのです。

ひどい大工さんになると、柱の長さが、1800mの長さであるはずのところ

が反対側は1850mにもなっていましたっけ。

阪神淡路に起こった大震災だとを知ってから、私の家事机をご結婚前に知られて、

わざわざ、私の家迄おいでになって、すっかり気に入ってお嫁入り先の神戸に

お届けさせて頂いていた方があったので、其処へ電話を差し上げましたが、


何度も電話しても、お留守でした。あきらめかけた時に電話がつながりました。


あの日、ご主人様は出張で奥様は私のお届けした家具の前にお布団を敷いて寝て

おられたそうですが、地震の後、家を出て避難所に向かわれたのだとか、あわてて、

帰ってこられたご主人が家の中に入られると、どの部屋も家具が倒れ扉が開き、

中のものが散乱していたので、これはもう奥さんは駄目かと思われて奥様の寝て

おられたお部屋に入ったら、家具の扉は開かず、お部屋はきれいになっていたので

奥様は助かったのだなと安心して、避難所を探されたということで、あの家具のお蔭

で命拾いをしたととても喜んでくださったのです。


私は嬉しくてそのことをその頃作ってもらっていた家具会社の社長に電話したのですが、

社長は全く私が地震対策に行っていたことは何も知らないのに、其処へ電話して、

自分が考えたものが命を救ったと宣伝し、静岡の家具組合で、やり方を講演し、

静岡のテレビにも出たと言うのです。わたしの名前は言わなかったと言うことで、

全部自分がやっても折られないことを自分の手柄にしてしまったのでした。

其処から来たたくさんの注文があったそうですが、東京埼玉横浜の三軒の家の分だ

け置く場所の事など問題があったので、自分達の手に負えず、其処だけはと、わたし

に言ってきたそうなのです。

びっくりしました。私は従業員のSさんに質問しました。社長は何も知らないし、やって

もいないのに、なんて講演したのですかと聞いたところ、何だかゴムをつめたとか何とか

言っていましたと言う返事でした。

れはどう考えても大泥棒の話です。でも、そんなことで訴えている暇はありませんでした。

訴えれば、なんだかんだと時間をとられるのです。

それとは別に、その会社とは家事机を12本作ってお互いに売っていこう。売れるまで

その会社の倉庫で家事机を預かるから半分づつお金を出し合うと言うことで合意して

いたのですが、その会社ではお店がありますので、家事机は大分売れているようでした。

私の方は特注家具ですので、本当に他の関係者がびっくりするほど、絶えずご注文があり

ましたが、家事机は一軒のお宅にに大抵一本で、まれにはお机としても使っていただけ

ましたが、そう売れるものではなかったのですが、其れでも、わたしが気づいていたのは、

家事机の金具が私の方の注文が入るたびに見ると、毎回違ったいたことなのです。

金具は一個づつ択ぶものではないのです。何本か作る度にどんな金具が必要かということで、

まとめて発注するものです。だから、明らかにわたしには言わず作り続けていると思って

いましたが、私は忙しくて、何もいうことができなかったのです。しかも勝手にお裁縫箱の

中身を変えてしまっていたのです。

私はお裁縫箱の用途の引き出しは、中にしきりのない、大きなは鋏などを入れるためのもの

更に細かい針刺しとか指貫とか、様ざまな細かいものを入れてきちんと整理できるようにした、

区切りを取り外し可能にしてつけていました。

その引き出しを開けると、お裁縫に必要名小物が三段に入れられてあり、それを左右にスライド

させるだけで、何でも簡単に取れ、出したところへ入れれば、片付ける手間も要らないように

作っていたのが、そのわたしの工夫を勝手に変えて二段でしかもスライドするようには作られて

いませんでした。

取っ手も子供さんが転んでぶつかったとしても怪我の少ないようにと思って選んでいたのですが、

それも安っぽいものにかえられていました。


最後に、夫がそろそろ辞めてくれないかといったときには、私は6本残っている計算で

したので、家で使っているものも新しい物に変えようと思い、欲しいけれど買えないといって

おられた方々に二本差しあげたり、その残りを引き取りました。自分の責任以上払っていましたが、

ところが、配達に来たMさんはそんな事情も何も知らず、社長は自分が勝手に作った文までわたしに

払わせようとしたのです。自分の悪いことは何も言わなかったのでしょう。奥さんも何も知らされて

いないのに、残り全部を引きとらなかったひどい人だとこぼしたと言うので、運んできた何も知らない

Mさんが何も本当のことを知らないくせに、私のことをののしりました。ひどい人たちでした。

大うそつきの社長に今もって腹がたっています。



阪神淡路大震災、福島、隈本、何処の方々もお辛かったことでしょう。わたしもできるだけのことは


したいと思いましたし、寄付もいたしましたが、あの時には、私の家にこらえた方にお見舞金として

些少ながら一万円を包んだことがありましたが、どうも、詐欺ではなかったかと後で思えることが

ありました。

このごろは老人目当ての振込めさぎも多く、わたしなど、狙われすぎと思うくらいいろいろなことが

起こっています。お互いに気をつけましょうね。