ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

気仙沼鹿折~南町辺り2012年2月(一部2011年12月)の記録

2017-05-09 16:50:27 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

気仙沼の鹿折地区は、気仙沼湾の一番奥の所だ。

かつては、水産加工の工場も並んでいたが、津波に破壊された後に火災が発生し、焼失した物も多い。

2011年12月、所々に船が乗りあがったままになっている。

この辺りは、空き地になっている所が多い。



南町界隈の商店街も、津波で2階まで浸水した跡がある。

  

流された家や、階下が破壊された家が多い。

男山酒造の建物は、階下が潰れて上部が地面に着いて残っている。 


震災直後は、道も破壊された建物の破片で埋め尽くされたが、数ヶ月で道は片付き、秋ごろには仮設の商店街が出来ている。


震災から1年が過ぎたが、昨年暮ころから、ようやく損壊して残っている建物の解体に入っている。

 

片付け、解体して更地にするのに1年以上かかる。

そこから新たな町割をし、やっと本格的な再建に動き出す。


仲町と魚市場前:震災前(2010-07)と震災後(2011-12)

2017-05-09 16:44:45 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

※2010年7月24日の記録より

 

好天気で、強い日差しに町中が鮮明に見える。

 気仙沼の魚市場前は、海も空も真っ青だ。


市場の隣の「リアスシャークミュージアム」に入ると

の種類は様々だし、獰猛な鮫は僅かで、本当はおとなしい鮫がほとんどなのだと知った。

鮫にも色々いるのに、敬遠していて御免よと、おとなしい鮫に声を掛けてきたのだった。


魚市場前をゆるゆる歩く。

市場の傍に、斉民さんという、船で使う道具や部品をたくさん置いている店がある。

店頭のガラス越しに見える、舵隣が綺麗だ。


珈琲店を左手に通りを進み、十字路を左に曲がって南気仙沼駅の方へ歩く。

仲町に入ると、こざっぱりとした店で、喫茶か軽食屋さんだろうかと思う店が目に入った。

 

良く見ると、お弁当屋さんだった。看板の大きな手書き文字が、なかなか感じが良い。

「新メニュー、鶏ソースかつ丼」と、店頭に貼り紙があったので、今度食べてみようと思いながら、眺めて通り過ぎる。


左の路地へと入る。

昔ながらといった風情の、趣のある店が点在していた。

                       
 

「もち 源兵衛屋」という看板の下に、こじんまりとした店が見える。 日陰で涼しげな店に、白い暖簾が清々しい。 


さらに進むと、辻にあたり、ここを右へ行くと「ろばた館」の看板が目に入る。  

気仙沼ホルモンは有名だが、ここも焼き鳥やホルモン焼きを出す居酒屋だ。 

店の前に、赤提灯とガラス玉の浮きやランプが吊るされ、狸の置物に花の生垣と、

なんとも和やかで楽しげな雰囲気なのがいい。


その向こうはまた辻で、角に涼しげにすだれが揺れる店があった。すだれの間から、野菜が覗く。

八百屋かと思ったら、店頭の字に「漬物処 麻布屋」とある。漬物と野菜を売るお店らしい。

すだれが、まるで涼しい風を運ぶようで、ゆったりとして心地よい。


すだれに張られた品書きの配置も美しく、洒落ている。こんな品書きを見ると、これは美味そうだと思うし、値をみると安いではないか。地場のものだから、新鮮で安いらしい。いい店だ。


麻布屋から、まっすぐ市場の方へと戻る。

しばらく行くと、仲町大通の辻に出る。 辻のまさに角に、「でまえれすとらん」と書かれた店があった。

店頭に大きく「フカヒレ」の文字も見える。

「ふかひれラーメン」が自慢の品なのだそうだ。

何で「でまえれすとらん」なのかと思ったら、この店は出張料理もしているらしいのだ。


さて、一巡りしてシャークミュージアムに戻ってきた。

    

趣のある建物が多いし、フォークリフトが行ったり来たりして港らしい光景もあり、ゆるゆる歩いて見て回るのが楽しかった。


気仙沼は、落ち着いた町並みと快活な人々がいる、いい町だ。



※震災後の仲町と魚市場前(2011年12月29日の記録より)


市場は、地元の方たちの奮闘で片付いたが、リアスシャークミュージアムの前にはまだ船が乗りあがったままだ。


                 

市場近くで、船具を売っていた斎民さんのお店も、そこから仲町にかけて一帯の店や住宅が、たくさん失われた。

                

でまえれすとらんも無く、あっちこっちの多くが空き地になってしまい、今通っている場所が、どこだったのか分らなくなる。


そんな中で、さかな市場や仮設の商店街など、いくつかの店が再開している。

生き残った人々が、今日を生き、明日を生きていくのだ。


さめざめ:震災前(2010‐7)と震災後(2011‐12)の気仙沼

2017-05-09 16:38:59 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

※2010年07月26日の記録より


「さめざめ」といっても、ルーベンスの絵を見ながら、愛犬と共に少年が短い一生を終えた場面を見て、はらはらと涙を流して泣いているのではない。
地方によっては、「わにわに」であり、「ふかふか」にもなるだろう。

察するとおり、「鮫々」である。宮城の県北で、岩手との境にある「気仙沼」へと、所用で向かう夫にくっついて行ってきた。

以前に行った時は、霧のたちこめる中で、神々の上陸したという言い伝えの岩場もあり、別世界へと足を踏み入れたかの様な、幻想的な雰囲気だった。


今回は空と海は青く、木々の緑も町も、どこもかしこも輝いて鮮やかである。


               
ふと、丸干しイワシを思い浮かべ、自分が干物になってしまいそうだなと、潮風の吹く強い日差しに、帽子の下から汗が流れる暑さの中で、夏の海はやはり爽快であった。

影を濃くして、輪郭を鮮明にする強い日差しに、港に停泊する船の白さも際立っていて、海の表の揺れるのが銀色に輝いており、その様を眺めて気分も清々しくなる。

さて、夫が所用を済ませる間に、一人で南気仙沼駅前の「仲町」あたりをぶらぶらし、「リアスシャークミュージアムと海の市」まで来て館内を廻って歩いた。



丁度、そろそろ昼餉にしませんかと、声を掛けるようにお腹が鳴った頃、夫と合流。
海の市にも、色々と美味しいものがあり、以前に2階のレストランでメカジキステーキを食べたが、今度は、少し先の所にある「お魚市場」で食べたいものがあったので、足を伸ばした。

今回は、「お魚市場」内の食事処「鮮」での、揚げ物や焼き物にフカヒレと、鮫々の昼餉が我らの目当てである。

シャークナゲットと、

手ごろな値段で提供されるフカヒレラーメンや

シャークステーキを頂くのだ。


                      

日頃つましく暮らして、年に数回ご馳走を食べるという、庶民のささやかな楽しみを存分に味わう。

とはいえ、物凄く高価ではなく、この鮫々の昼餉は、定食や麺とナゲットを、合わせて2500円程で食べられるという嬉しい値段である。

弾力の有る、歯切れ良い食感のフカヒレはもちろんだが、下ごしらえで適度に水分を取った鮫の身も、しっとりとした食感で、鯵のような魚の旨みがあった。揚げ物も焼き物もとても美味しい。

シャークナゲットは、持ち帰りもできて気軽に食べられる品だ。ほんのり香る香辛料と揚げたての芳ばしさに、一つ食べればまた一つと手が伸びる。

毎年、何とか時間をやりくりして、お盆休みには故郷を訪ね、父母と一緒にあちこち出かけてみるのだが、今年は気仙沼に行こうと決めているのだった。

               


※現在のお魚いちば(2011年12月29日の記録より)


津波で、売り場の1階全てが浸水し、破損したという。その後、職員の方々が懸命に土砂を片付け、店の改装と修繕を行うなどし、2011年7月に再開している。

売り場の加工品は、以前より限られた物になるが、新鮮で見事な魚が並ぶ様からは、以前のように三陸の海の豊かさが伝わってくる。


店内の奥にあった食事処「鮮」は、「港町レストラン鮮」と名を改め、献立も新たにして再開。

以前は、海の市の店にもあったが、海の市もお魚いちばも、津波の影響で休止したため、一度メカジキの「メカステーキ」は見かけなくなった。しかし今、再開した「港町レストラン鮮」の献立にある。


かつてのシャークナゲットは見当たらない。

だが、フカヒレラーメンは今も大事な気仙沼の味として提供されている。

「鮮」では、フカヒレスープを使ったあんかけ丼や、新鮮な刺身の乗った丼の他、「気仙沼ちゃんぽん」や「港町ロコモコ」などの新たな品も作り出されている。 



折石・気仙沼の海と人と(2012-01-29 の手記)

2017-05-09 16:34:01 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

以前の工場は、南気仙沼駅の南側で、大川と気仙沼湾に挟まれた所にあった。

工場も会社も津波で破壊されたが、助かった家族や社員とともに、少し高台の方へ移動して仮事務所を設けた。その傍に、新たな工場を再建するという。「石渡商店」の新たな一歩だった。

 

石渡さんは、ふかひれ食品加工の会社である。

先日、石渡商店さんが、工場再建のために地鎮祭を行ったという知らせを受けた。

 

 

昨年の暮、「気仙沼横丁」という仮設商店街に寄った時、石渡さんも商品を販売していたのだが、初めは気づかなかった。

理由は、「リアスの国から」という店名で、石渡さんのふかひれだけでなく、気仙沼の物産を扱う店の中にあったからだ。

仮説商店街のこうした取り組みは、「町のために」という思いが伝わってくる。



さて、気仙沼からの知らせを機に、以前行った場所をあれこれ思い出す。

その一つが、気仙沼市の東側にある、唐桑半島である。


唐桑半島の北東には、「巨釜(おおがま)」という岬がある。


そこに、「折石(おりいし)」という石柱があるのだ。

これは、明治29年の三陸大津波の時に、2メートルほど先端が折れたために、付けられた名だそうだ。


前回、この折石を見たのは2010年の4月のことだった。

この時、霧の中に浮かぶ岩と波が、墨絵のような白と黒の眺めで、晴れた日とはまた違う美しさだった。

力強さと、現実を離れた世界にも思える、不思議な空気が漂っていたのである。




明治の津波は、記録に残るところで20メートル以上あり、場所によっては40メートル程と言う話もある。



2011年の3・11の大津波は、同じように大変なものであった。

場所によっては、高さ40メートルを超えたのではないかとも言われ、堤防を破壊し、町を壊しながら浸水した規模は大きかった。



だが、「折石」は折れなかった。

津波の象徴として、その地に知れ渡っている石柱である。

傷つきながらも、踏ん張っている姿の一つだ。

この「折石」も、これからの海と人との関わりを、気仙沼の再生と復興を見守っているだろう。

            


気仙沼南町通り:震災前(2009-12)と震災後(2011-12-29 )

2017-05-09 16:20:42 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

津波に消えた町の思い出が、いくつかある。

町はまた、人々によって作られる、その道を進む中で、思い出も大事にしたい。

かつて、そこにあって輝いていたことの証だから。こうして書き残しておきたい。


        ① 2009年12月20日公表、編集・再掲載記事

日暮れて着いた、六つ時の気仙沼を少し巡ると、風情ある建物が点在する少し狭い通りに入った。

気仙沼市の南町だ 


 
  

 

木造の、古き美しい料理屋や


お茶屋があったり、


昭和初期に創業した洒落た洋食屋があったり、


懐かしさや心地よさが漂うような通りだと思った。

 

 

そこで、灯りのついている菓子店を見つけた。

「菓心 あめや」という、お菓子屋さんだ。

店先に貼られている、品書きにびっくりしながら店内に入った。

その品書きに、「ふかひれ」の文字があったのだ。

 

「ふかひれ最中」である。  

         
お店も最中も、品の良い落ち着いた風情だ。一体どんな最中だろうと、未知への興味と少しの不安を抱きつつ買った。

「これは、美味しいぞ」
最中がとても芳ばしく、餡は程よい甘さなのだ。大豆と白ゴマと寒天を練った餡の、柔らかく粘りのある食感に混じって、滑らかにとろける、ふかひれの食感がまた、とても良い。

この最中が気に入った。


ふかひれの良さと、土地の人々の努力が、まあるい形に込められているなぁと思うのだ。                    

 

まあるい最中が輝いている。割ってみると、その中にも白餡に混じって、

ふかひれの金糸が輝いているのであった。

 


 

       ② 震災後の南町通り (2011年12月29日記録)


       

所々、空き地になっている。残っている建物も、1階が空洞になってしまい、2階まで浸水した様子である。3階建ての、その3階の部屋にいた人ならば、助かっただろうか。

 

あの美しかった木造の店は、通りの東側の建物が緩衝となったか、道を挟んで西側にあったことで、建物が根こそぎ流されるのは免れたようである。しかし、中身がなくなっていた。

                 

洋食屋さんも、いつか寄ってみたいと思っていたのに、あの魅力的だった店頭の飾りも見られない。


あめやさんも、建物は残っていた。しかし、あの落ち着いた風情の店があった1階は、空洞になっている。

店の方々、みなどうしているだろう。無事であって欲しい。また再び、その味を取り戻して欲しい。

通りを歩き、そう願うばかりであった。



それでも、町は一歩を踏み出している。

南町に、仮設の商店街ができたのだ。

再開できる店が、ここで一歩を踏み出した。

ふるさとを取り戻すと、覚悟を決めて生きる人々の輝きを見た。