頃は神無月にさかのぼる。
江戸詰めを命じられた藩士のごとく、屋移りをして間もなくのこと。
品川大井の仙台藩下屋敷を訪ねる。
(2017‐10‐31:旧仙台坂)
そこに残ったのは樅ノ木ではなく、タブノキであった。
屋敷沿いの通りゆえ、仙台坂や暗闇坂と呼ばれた坂は、なかなかの急坂である。
坂が緩やかになったあたりで、大きなタブノキが、往来する人々を今もなお見守っている。
(2017‐10‐31:仙台坂のタブノキ)
坂の上の池上通りと交わる辻に、木造りで瓦屋根の大きな平家が見える。
これぞ、味噌屋敷の謂れの名残なり。
藩士の暮らしを支えた味噌蔵が今に続く。
(2017‐10‐31:味噌醸造所)
仙台藩の下屋敷には、藩士のための味噌蔵が作られた。
屋敷内で味噌づくりをし、藩士の食としたが、後に余りを江戸市中に売り出したという。
仙台味噌は江戸っ子の評判となり、屋敷は味噌屋敷と呼ばれたそう。
(参考:東北大学附属図書館『江戸の食文化 仙台藩の名産品 仙台味噌』/品川区『品川の大名屋敷』/仙台市教育委員会『仙台旧城下町に所在する 民俗文化財調査報告書⑥ 2010年3月 仙台味噌』)
今も関東でジョウセン仙台味噌が出回っている。
さらに、「八木合名会社仙台味噌醸造所」は、まさに下屋敷の味噌づくりを引き継いだ店だ。
そこには「五風十雨」という味噌がある。
量り売りで、好きな分だけ杓文字で取り分けてもらう。
なんと芳しいことか。
熟成した濃い色、香り豊か、塩気が力強いが切れが良く、コクも甘みもある。
江戸詰めも、郷の味にて和む暮らしで候。