


ん~。
久々に納得いくおかずを作った(笑)

子供達もおかわりしてめっちゃ食べてた

そして、今は明日の朝ごはんの予定のメロンパンの二次発酵中

んでもって。フライパンには・・・チャーシュー仕込中

明日の朝はメロンパンとチャーシューサンド(サンドイッチ用のパンがまだあるし)にしようかな

ガッツリ系の朝ごはんになりそうね

今朝はサンドイッチやったし

今日は本当に充実した1日だったかもしれない
看護補助業務も非常にスムーズで、看護師業務もスムーズだった。
結果的に患者さんに関われる時間が非常に満足できる幅を取れた。
ある看護師さんと相談して、患者さんの散歩に行くことに
普段、外出許可を取れても実質1人では外に出られない患者さんを優先的に数名ですがピックアップして
手引き歩行可能者・車椅子介助者を連れて行った。
売店により好きなおやつを購入し、外来にあるカフェテラスにてピクニック
みんな楽しそうだった。
笑顔があり、職員の笑顔も余裕もあり。
これが本来の療養型なんだろうね
患者さんの満足感もさることながら、職員の満足感も高かった
本当によかった。
毎日は無理でも週に一度、いや2週間に一度はこんな風に出来たらなって思う。
あくまでも、理解ある看護師のメンバーが揃っていて、尚且つ業務が円滑に進む日と言う条件はあるけどね。

看護補助業務も非常にスムーズで、看護師業務もスムーズだった。
結果的に患者さんに関われる時間が非常に満足できる幅を取れた。
ある看護師さんと相談して、患者さんの散歩に行くことに

普段、外出許可を取れても実質1人では外に出られない患者さんを優先的に数名ですがピックアップして

手引き歩行可能者・車椅子介助者を連れて行った。
売店により好きなおやつを購入し、外来にあるカフェテラスにてピクニック

みんな楽しそうだった。
笑顔があり、職員の笑顔も余裕もあり。
これが本来の療養型なんだろうね

患者さんの満足感もさることながら、職員の満足感も高かった

本当によかった。
毎日は無理でも週に一度、いや2週間に一度はこんな風に出来たらなって思う。
あくまでも、理解ある看護師のメンバーが揃っていて、尚且つ業務が円滑に進む日と言う条件はあるけどね。
私の従姉妹が先週末癌で亡くなった。
49歳だった。
私とは15歳離れていて、私の中ではずっとお姉さんだった。
結婚して、4人の子供をもうけていた。
乳がんが見付かったのは数年前。
即手術を受けていた。
そして2年前に再発したところまではきいた。
奇しくも2年前は親戚の叔父が亡くなった。
その叔父が従姉妹の父親である。
そのお葬式・通夜で何年ぶりかに再会し、痩せた印象はあった。
そのご、癌の再発を聞き、再手術を受けたと聞いた。
それから2年・・・。
6月に入院したとき、余命3ヶ月と宣告されたらしい。
既に病魔は脳までもを侵し、利き手が全く動かなくなっていたようだ。
それでも抗がん剤治療を受け、髪もなくなり、4番目の子(長女)にかつらをかぶるように勧められて購入していたと聞く。
7月に入り、意識が朦朧としている中で抗がん剤が合わずに投与中止。髪の毛が見る見る増えていたらしい。
8月。
医師から今のうちに(会話の出来る間に)逢っておきたい人を呼んでくださいと言われ。叔母である母親と従姉妹(長女)で逢いにいったらしい。
そしてその日は物凄く会話が出来、医師の言う余命宣告を覆すのではないかって思えたらしい。
叔母が帰京すると分かったとき、従姉妹が号泣した。漠然とした不安からだろう。
その後、従姉妹の子供が入れ替わり立ち代り夏休みを利用して看病した。
最後は“あんたが誰かわからん”と長男に言ったらしく、長男は母親の言葉にショックを受けながらもそこから離れなかったらしい。
そして・・・。
9月4日。49歳の若さで永眠。
冷たいかも知れないが・・・。
痛みで顔を歪め、ベットでのた打ち回る日々から介抱されて姉ちゃんもよかったのかなって思いたい。
ご主人をはじめ。子供4人も看病に追われクタクタになり家族崩壊するよりはよかったのかもしれない。
2年前。
叔父のお葬式で色んな親戚と写真を撮っていた姉ちゃん。
ほとんど喋る時間もなかった。
逢う時は誰かの法事・・・。
どうぞ、ゆっくり休んでね。
きっと、貴女の子供達は立派に成長しますよ。
だって、姉ちゃんの子供だからね。
49歳だった。
私とは15歳離れていて、私の中ではずっとお姉さんだった。
結婚して、4人の子供をもうけていた。
乳がんが見付かったのは数年前。
即手術を受けていた。
そして2年前に再発したところまではきいた。
奇しくも2年前は親戚の叔父が亡くなった。
その叔父が従姉妹の父親である。
そのお葬式・通夜で何年ぶりかに再会し、痩せた印象はあった。
そのご、癌の再発を聞き、再手術を受けたと聞いた。
それから2年・・・。
6月に入院したとき、余命3ヶ月と宣告されたらしい。
既に病魔は脳までもを侵し、利き手が全く動かなくなっていたようだ。
それでも抗がん剤治療を受け、髪もなくなり、4番目の子(長女)にかつらをかぶるように勧められて購入していたと聞く。
7月に入り、意識が朦朧としている中で抗がん剤が合わずに投与中止。髪の毛が見る見る増えていたらしい。
8月。
医師から今のうちに(会話の出来る間に)逢っておきたい人を呼んでくださいと言われ。叔母である母親と従姉妹(長女)で逢いにいったらしい。
そしてその日は物凄く会話が出来、医師の言う余命宣告を覆すのではないかって思えたらしい。
叔母が帰京すると分かったとき、従姉妹が号泣した。漠然とした不安からだろう。
その後、従姉妹の子供が入れ替わり立ち代り夏休みを利用して看病した。
最後は“あんたが誰かわからん”と長男に言ったらしく、長男は母親の言葉にショックを受けながらもそこから離れなかったらしい。
そして・・・。
9月4日。49歳の若さで永眠。
冷たいかも知れないが・・・。
痛みで顔を歪め、ベットでのた打ち回る日々から介抱されて姉ちゃんもよかったのかなって思いたい。
ご主人をはじめ。子供4人も看病に追われクタクタになり家族崩壊するよりはよかったのかもしれない。
2年前。
叔父のお葬式で色んな親戚と写真を撮っていた姉ちゃん。
ほとんど喋る時間もなかった。
逢う時は誰かの法事・・・。
どうぞ、ゆっくり休んでね。
きっと、貴女の子供達は立派に成長しますよ。
だって、姉ちゃんの子供だからね。
パン教室の体験講習の申し込みの折込が入っていた。
場所もそんなに遠くない。
けどね~。
子供の運動会に、遠足に、参観にと行事で公休を取って・・・。
さらに指定公休を取ってたら・・・。
丸々休める日はなくなるし
悩みどころ。
場所もそんなに遠くない。
けどね~。
子供の運動会に、遠足に、参観にと行事で公休を取って・・・。
さらに指定公休を取ってたら・・・。
丸々休める日はなくなるし

悩みどころ。