8/12 火曜日 ・・・湿度が高い!! ぢぃと~の東京から発信です。
今朝の朝焼けは・・綺麗だった。 雨かなぁ・・・と予感するも、インディアンではないが!! (^3^)
予想は・・・少しかすったようだ・・・湿度が異常に高くなっている。
昔は我が輩も山岳部・・・夕焼けサンセットは翌日は必ず晴れる。
朝焼けは・・・雨と・・。行動していた。行動と言えば・・・常時のルーティーンと違う行動をしたがたために。。
1985年にレコードレーベルをファンハウスに移籍。5月22日に移籍後第1弾シングル「懐しきlove-song/心の瞳」を発売して、再び歌手活動を本格化させようとしていた矢先の8月12日、日本航空123便墜落事故に遭遇、43歳で死亡した。
事故当日はNHK-FM放送での仕事を終えた後に、大阪府にある友人の選挙応援として事務所開きに駆けつける途中であった。
坂本は本来、国内移動には日航ではなく必ず全日空を使っており、所属プロダクションや妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった。
事故当日はNHK-FM放送で、歌った歌が・・懐しきLove-song・・だった。と言うことを早朝のラジオで聴く。
懐しきLove-song
作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし
懐しきlove song 君を想い出す
懐しきlove song いまでも忘れない
流れる雲のゆくえ ふたり探して
夢だけかじりながら いつも生きてた
君がなぜか眩しくて 胸の中の言葉は
いまも 置きざりのまま
時の流れは 人の心も 街の様子も変えたけど
懐しきlove song 君を想い出す
懐しきlove song いまでも忘れない
しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、仕方なく確保したのが日本航空123便であった。そのため、家族も乗客名簿が発表されるまで日航機に乗っているはずがないと信じていた。
しかし、乗客名簿の中に「オオシマ・ヒサシ」と「コミヤ・カツヒロ」(小宮勝広、坂本のマネージャー)の名が出て、事故に遭遇したことは否定できない事実となった。
この事故で運命を共にした小宮は早めに羽田空港へ行き、全日空便への振替を何度も交渉したが、盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。
過ぎし日のlove song 君を想い出す
過ぎし日のlove song いまでも忘れない
恋に悩み あしたを見失っても
若さだけでなんにも 恐くなかった
君がそばにいるだけで つらい日々があっても
いつも 陽だまりだった
時のふりこは めぐる季節を 遠い昔に変えたけど
過ぎし日のlove song 君を想い出す
過ぎし日のlove song いまでも忘れない
時の流れは 人の心も 街の様子も変えたけど
懐しきlove song 君を想い出す
懐しきlove song いまでも忘れない
懐しきlove song 君を想い出す
懐しきlove song いまでも忘れない
この歌が九チャンの・・・最後だったとは!! まさに・・・お盆の怖い背筋が凍る話である。
29年目の夏がまた・・・来ました。