6/05 金曜日 ・・・・降りやまず!! ・・・未明 or 明け方に止んでくれるのだろうか・・・東京から発信です。
・・・またまた吾輩の大好きなB級ニュースである。
なぜ?? 酔っ払いはタクシーの中で・・・騒動を起こすのだろうか!!
・・・酒を飲めば!! ホームレスだろうが・・・国会議員だろうが酔っぱらう!!
降りる根拠は・・・目的地に着いたからでしょ!! (^◇^) 他に何かあるのだろうか?? 「国会議員としてあるまじき不適切な行為であり、ご心配とご迷惑をおかけしたことをおわびする」と述べた。
お詫びなんか?? いらないでしょ!! 酒を飲めば酔う!!
党幹部から「1年間断酒」を指示された。当時の状況について後藤氏は「なぜ酔いつぶれたのか分からない。
正確な記憶がない」と繰り返した。
先生。。もっと呑みんしゃしい!! 酒を呑んで酔わない奴が可笑しい!!
先生のように・・・絡まないといけない!! 先生は・・・普通の一般庶民と同じ行為をしたんだから・・・謝ったら!! アカンヨ!!
1年間は。。真夏のルービー。ハイボール。秋の新米新酒。クリスマス。忘年会。新年会。お花見。慶弔・結婚式乾杯・・・お通夜の清めの食事。蕎麦屋の一献。 人生には・・・酒は付き物である。
・・・・執行部さん!! 奈良漬け・・・かす汁・・ウィスキーボンボン・・もだめなんですか??
国会議員としてあるまじき行為・・・ふざけるな。 人間として道徳的に人道的におかしい。
こいつは・・・酒を飲まなくとも・・・陰湿な人間だろう!!
<1991年5月> こんな時代が・・・ああぁったねと。。。(^◇^)
徳川・松平家の末裔(まつえい)で「殿」といわれたNHKアナ、松平定知。90年6月、主管から一気に特別職局次長へと100人抜きで2階級特進するなど、NHKの顔ともいえるキャスターだった。タクシー運転手を蹴る事件を起こしたのは91年のことだ。
5月24日深夜。世田谷から渋谷に向かう個人タクシーの中で、松平は備え付けられた運転手個人の自動車電話を勝手に使い始めた。それだけでもヒンシュクものだが、電話は12~13分もつながらず、カチャカチャやり続けたという。見るに見かねた運転手が代わりにかけたところ、電話はつながった。ところが、松平は「出ないや」と言って受話器を一度置き、もう一度かけようとした。
そこで運転手が「無駄じゃないですか」と言うと、松平の態度が豹変(ひょうへん)した。「オレが電話するのにテメエなんかにとやかく言われる覚えはない」と怒鳴り、革靴を履いた足でいきなり左頬を蹴ったという。運転手が「何をするんですか」と言うと、さらに受話器で頭を殴った。
信号待ちから発進したばかりで時速30キロほどだったが、タクシーは走行中。運転手は車を停止させ、「交番に行きましょう」と言うと、松平も「行きましょう」と応じたという。その後、酔いがさめてきた松平は「この話はなしにしよう」と持ちかけたが、運転手は構わず交番に向かった。松平は「申し訳ありません」と謝ったが、お巡りさんからは「バカなことはしないように」とコッテリ絞られた。
運転手は全治1週間の打撲を負ったが、治療費や慰謝料は請求せず、告訴もしない方針で、松平は交番で調書を取られたのみ。事件はそのまま終わるかに見えた。
しかし、経緯を聞いた運転手の友人の個人タクシー無線部長が新聞にリークし、翌日夕刊の社会面のトップ記事に。「殿のご乱心」は世間に知れ渡った。当日夜にはおわび会見が行われたが、発言はわずか3分。記者団から「報道の立場にある人間が何も答えないで済むと思ってんのか」と罵声が飛んだ。
NHKは5月28日に訓告処分を下し、当分の間、番組出演自粛とした。松平は休暇届を出して雲隠れ、1カ月ほどアジア各国を訪問した後、若手の指導や資料整理などを担当した。
4カ月後の9月末。松平はNHKスペシャルに出演し、「ブラウン管を通して皆さまの前にて仕事をやっていきたい」と語り、同日、3分間のPR番組「テレマップ」でおわび放送も行った。ちなみに、この視聴率は20.4%を記録し、直後に放送された7時のニュースを超えた。
復帰は95年4月の「ニュース11」だが、合図に気づかなかったスタッフにペンを投げつける姿が放送されるハプニングが。同番組終了後には「その時歴史が動いた」を担当し、07年12月の退職後は、フリーアナとして09年3月の番組終了まで司会を務めた。
現在はNHKに単発出演、複数の大学で客員教授にも就任している。
◇1991年5月 14日、信楽高原鉄道信楽線で列車衝突事故。42人が死亡。同日、毛沢東夫人・江青が自殺。18日、高速増殖炉「もんじゅ」が試運転を開始。31日、東京・芝浦にジュリアナ東京がオープン。