25年前はオレ学生で、当時大阪に住んでたんだ。
1月の中旬、成人式に参加するため地元の島根に帰省してて、成人式当日の夜は同窓会で泥酔…、翌1月16日も高校時代の友達と夜飲みに出かけて、
日付も変わって夜中に実家に帰宅。そのままこたつで寝てたんだ。
そしたら朝地震があり(オレは爆睡してたので気付かず…)、母親に「アンタ大阪がえらいことになってるで!」と起こされて、二日酔いで頭ガンガンしてる中テレビのニュース見ると…
マスコミのヘリが神戸の上空から映す状況に絶句。
神戸の街並みの至るところから火が出て、大規模な火災。
阪神淡路大震災の衝撃は二十歳のオレにとってすさまじいモノだった。
「マジか?これホントに日本か?ホントに現実か?」と呆然としながらしばらくニュースを見てた。
で、ふと我に返り、「そうだ、今日は大阪に帰る日だった、夜バイトだった」と思い出して、高速バス予約してたから、バス走るかどうか電話でバス会社に確認すると、
「関西方面で大規模な地震が発生したため本日は全便運休です」との事…。
まだこの時点では「バス運休かー」くらいにしか考えてなくて、
「ならJRで帰るか」くらいの感じで、JRの特急やくもと岡山からの新幹線を予約するためJRに電話。
そしたら「山陽新幹線は全面運休、やくももJR山陰線の線路の被害状況確認の為運行を見合わせているとの事…。
「マジか、今日の夜からバイトなのに大阪に帰れなかったらやばいぞ、明日は学校もあるし…」とだんだん焦ってきて、
「高速道路(バス)もダメ、線路(やくもと新幹線)もダメ、となると空(飛行機)しかないか…」
という事で米子空港に電話して聞いてみると、米子-伊丹は運航しているとの事なので急いでチケット取って、
急遽大阪まで飛行機で帰った。
当時はスマホはもちろん、携帯電話も、家にネット環境もない時代だから、テレビのニュースでしか情報を得ることができなかったんだけど、
伊丹空港に降りて、阪急線で住んでたマンションまで帰ってきたけど、
街の至るところで屋根の瓦が落ちていたり壁にヒビが入っていたり、窓ガラスが割れていたり、
神戸の様子しかテレビで見てなかったけど、大阪もかなり深刻な被害状況だった。
無事マンションまで帰ってきて、自分の部屋に戻ると…。
大阪もけっこうな揺れだったみたいで、オレの部屋もローボードに置いていたいろいろなものが倒れたり落ちたりしてて、洋服掛けてたハンガーも倒れてて、
一番ショックだったのは、醤油を入れているボトルが倒れてて、床のじゅうたんに黒く丸く醤油が全部こぼれてて、雑巾でこすっても何しても黒い丸いシミが取れなかった事かな…。
で、夕方になり当時バイトしてた居酒屋に行くとシャッターが降りたままで、店長も他のバイトも誰も来ない…。
結局しばらく待ってみたけど誰も来なかったので、店長さんとか地震の被害にあったのかな?大丈夫かな?と心配しながら帰りました。
ちなみにバイト先の店長や、仲のいい同級生にも電話かけてみたけど、地震の影響で全く繋がらず…。
翌日には学校でみんな無事だったという事で安堵して(神戸の友達は自宅が被災したり、車のルーフに物が落ちてきて凹んだりはあったけど、家族含めてみんな無事)、夜バイト行ったら店長や他のバイトもみんな無事だったという事で安堵して、
あれだけの被害があった大地震で、命の大切さとか、家族や友人の大切さとかを身を持って感じた出来事だったな。
あれから25年かぁ…。
東日本大震災もそうだけど、やっぱり自然災害の少ない山陰だからといって、地震とかの備えを考えないんじゃなくて、いつどこで大きな災害が起きても避難経路やライフライン、避難グッズなどの準備はしておくべきだよな。
それと命は永遠ではなくて、人間誰もいつ死ぬか分からないから、今を一生懸命悔いのないように生きていくことが大事なんだと、阪神淡路大震災から25年の今日改めて感じました。