洞町は二つの山が迫った谷間の町であったことから、その山の斜面を利用して登り窯を焼くには最適であり、沢山の登り窯が築かれた。
瀬戸焼き物の中心地として栄え江戸時代末期には「馬の目皿」「石皿」明治に入ってからは「本業タイル」(主に浴室やトイレに使われたタイル)のベストセラーが生み出される等、今でも昔の名残のある工場や陶芸作家の工房などが多く点在しており「焼き物の里」としての佇まいが感じられる町である。
商店街を抜けて暫く歩いて行くと、古い民家が軒を連ねており、更にその先を山の方向に行くと麓に細い窯垣の小径がある。
窯垣とは不用になった窯道具で塀や壁の総称で洞町には新旧の窯垣が残されており、その昔はこの小径を陶磁器を運ぶ荷車や天秤棒をかついだ担ぎ手さんが往来したという。
そう云えば以前こんな所に行ったことがあるぞ! う~ん・・・・・・
そうだ 常滑の土管坂だ!。あそこは土管で有名な町でその土管を道路に埋め込まれた坂はここに似た感じだったなぁ。
資料館やギャラリー等もあったが今回は閉館していたので改めて行ってみようと思う。