おけましておめでとう御座います。今年も宜しくお願いいたします。
長く臨床を続けていると人間の身体の不思議さに驚かされる。身体のふしぎは痛みだけでは無いが、痛みを取るために日々努力をしている我々にとっては、痛みとは不思議な物である。どうして痛みが無くなるのか? 未だに謎が多すぎる。
その謎を解明しないと科学的では無いと言われることはわかるが、謎解きしないと科学で治せないということになると、何時になってもなおすことができない。現実に「腰痛」一つ取り上げても現在の現代医学の科学的検証に基づいて解決できるのが15%であり、85%は非特異性の腰痛ということで整形外科の分野では解明できないといわれている。
日進月歩の医学の進歩が目覚ましくとも85%は改善できないのである。この85%はあと何年で解明できるのか。その間は患者は原因がわからない腰痛は我慢するしかない。そのような患者は現代医学に見切りを付けて代替医療の世界に藁をもつかむ気持ちで飛び込んでくる。
この代替医療の不思議さも面白い。鍼灸、カイロ、整体・・どれをとってもなぜよくなるか全くといっていいほど分かっていない。色々な仮説は立てることはできても仮設以上の域からでない。臨床において大切なのは、目の前の患者の痛みが治るか、治らないかである。患者を目の前いにおいて仮説に対して議論しても意味がない。臨床とはそういうものである。
代替医療の仮説に、最近進んでいる脳科学の分野の理論を持ってくると、おもわず臨床でいい結果がでることがある。カイロ界においてもキャーリックの神経学は臨床でつかる神経学である。ベッドサイドの神経学とはまた違った使い方ができる。科学的検証も臨床効果と結びつくと治療家にとっても患者にとってもいいことである。
代替医療の科学的検証を待っていたのでは患者が困るので、臨床家としてはでたこと勝負みたいな感じは拭えないが、痛みで困っている患者を目の前にして、腕を組んで見ているわけにもいかないので、科学的検証に取り組んでいる研究者の意見に耳をかたむけながら、臨床家としての道を、今年も邁進する。
拳骨
長く臨床を続けていると人間の身体の不思議さに驚かされる。身体のふしぎは痛みだけでは無いが、痛みを取るために日々努力をしている我々にとっては、痛みとは不思議な物である。どうして痛みが無くなるのか? 未だに謎が多すぎる。
その謎を解明しないと科学的では無いと言われることはわかるが、謎解きしないと科学で治せないということになると、何時になってもなおすことができない。現実に「腰痛」一つ取り上げても現在の現代医学の科学的検証に基づいて解決できるのが15%であり、85%は非特異性の腰痛ということで整形外科の分野では解明できないといわれている。
日進月歩の医学の進歩が目覚ましくとも85%は改善できないのである。この85%はあと何年で解明できるのか。その間は患者は原因がわからない腰痛は我慢するしかない。そのような患者は現代医学に見切りを付けて代替医療の世界に藁をもつかむ気持ちで飛び込んでくる。
この代替医療の不思議さも面白い。鍼灸、カイロ、整体・・どれをとってもなぜよくなるか全くといっていいほど分かっていない。色々な仮説は立てることはできても仮設以上の域からでない。臨床において大切なのは、目の前の患者の痛みが治るか、治らないかである。患者を目の前いにおいて仮説に対して議論しても意味がない。臨床とはそういうものである。
代替医療の仮説に、最近進んでいる脳科学の分野の理論を持ってくると、おもわず臨床でいい結果がでることがある。カイロ界においてもキャーリックの神経学は臨床でつかる神経学である。ベッドサイドの神経学とはまた違った使い方ができる。科学的検証も臨床効果と結びつくと治療家にとっても患者にとってもいいことである。
代替医療の科学的検証を待っていたのでは患者が困るので、臨床家としてはでたこと勝負みたいな感じは拭えないが、痛みで困っている患者を目の前にして、腕を組んで見ているわけにもいかないので、科学的検証に取り組んでいる研究者の意見に耳をかたむけながら、臨床家としての道を、今年も邁進する。
拳骨