木更津で整体、カイロで肩こり、腰痛、スポーツ障害の自然療法の専門家が施術するCCRKです

【拳骨日記】カイロプラクティック・コンディショニング・ルーム・Kの日々の臨床現場を通して医療のあり方を診療日記にしました

No 1030 臨床へのこだわり8

2009-10-30 | カイロプラクティック
診立てで何を診るか? 大切なことである。治療の成否に関わることである。

この診立てで何を診るかは治療が成立するかしないかに最も重要な部分である。診立てや診断で間違っていると、治療も当然間違ってくる。いわゆる誤診である。

最近の医療訴訟は頻繁に行われている。このような患者様との訴訟問題に発展しないようにするためにも診立ては重要な位置を占めている。

この診立ても機械的に人間をみると、当然といっていいほど症状をみてしまう。その症状を診断(診立て)してしまう。症状は結果ということを理解していない。

結果には必ず原因が在る。この原因に目を向けるのが診立てで在る。最新の医療機器でこの診立てをすると細胞レベル、遺伝子レベルまで微細なところまでみることができる。

そこで何が見えるのか? 病変化した細胞が見える。その病変化した細胞が原因と捉えそれを抑えるのに対処療法的な処置を行う。病変化した細胞は結果としてみることができないようだ。

代替医療の先生方にも同じような診立てをする方がいる。症状をしかみないで「変形している」「歪んでいる」「炎症起きている」「筋力弱い」「炎症を起こしている」などと診立てる。

当然、治療も症状の患部を中心に対処療法的な治療を行う。これでは西洋医学とまったく同じであり、代替医療の存在感はなくなってしまう。そこで、代替医療の存在感、アイデンティティーは何か?

機械論的に診立てていたのでは同じである。人間を生命体として、有機体として見立てることが必要になる。人間を生命体として診立てることによって西洋医学とは違った視点でみることができ、違った発見ができるはずである。

拳骨



No 1029 臨床へのこだわり7

2009-10-23 | カイロプラクティック
症状を改善するためには治療技術も大切だが、それよりも診たてである。

西洋医学的に言うと「診断」である。手技療法かも開業する前にはそれなりの教育を受けてきたはずである。教育機関の内容によっては教育時間に開きは在るだろうが。

国内の代替医療教育機関の基礎教育も西洋医学の先生が西洋医学の病理、解剖、生理などを教える。整形外科学検査、神経学検査、レントゲンの読み方など。

当然ながら西洋医学の先生方と共通の医療言語を使ってのコミニケーションが必要とされる。

日本には独特の国内の医療国家資格というのがある。このこ国家資格を取得するために教育を受ける。これは技術を学ぶ、臨床知識を学ぶというものではない。割りきりが必要になるだろう。臨床技術、知識はやはり研修という形で学ぶほかない。

この医療教育機関での教育も西洋医学の教育が基礎をなしている。ここの教育がしっかり学習できて忠実に臨床で再現されていると禁忌症などの鑑別がしっかりできる。

この視点は、西洋医学からの視点で医療をみた場合である。西洋医学からの病理をみた場合はこのような禁忌症の鑑別ができるかどうかは重要なことである。鑑別診断ができてそれぞれの専門医に紹介することは患者様の利益である。

さて、そのような視点からみると西洋医学の病理(機械的)教育を前面に出す代替医療の専門性がなくなってしまう。ということは代替医療は必要性がなくなってしまうと言うことになりかねない。

診立ても同じで西洋医学の検査で診立てを進めて行くと、機械論的な見立てになるので機械論的な治療技術がないと成立しなくなる。機械論的なみたてや治療は、機械というパーツの組み合わせでみるため西洋医学の外科的な処置が優先される。

このような治療は生命の危機に至るような緊急性の場合に得意とする。人間を生命体としてみた場合には「生き物」であるため、一刻一刻と生命エネルギーは絶えず変化しながら営んでいる。

その変化を司っているのは神経系である。この生命の原理原則でともいえる神経系の変化を読み取ることが本来の「診立て」である。西洋医学との大きな違いはここにあるはずである。

拳骨


No 1028 臨床へのこだわり6

2009-10-16 | PCRT(心身条件反射治療)
前回紹介した「ブレインマップ」(この場合のブレインマップはPCRTの手法である)の応用で、痛みの部位と脳の関係でブレインマップと痛みの部位を打ち消すは反応を見つける。

要するに痛みの反応部位にコンタクトしてブレインマップで反応した部位を両側コンタクトすると痛みが消えたり、軽減する。

筋骨格系の問題ではかなりの確立でその場で反応がみられる。また、関節機能の柔軟性の欠乏に関しても、その場で改善がみられる。例えば、体前屈で固い人がブレインマップで反応する部位をコンタクトして体前屈をする。コンタクト部位が間違っていなければかなり柔軟性が向上する。

この発想は「いたいの、痛いの飛んでケー」である。ぶつけたりしていたいところを触ると痛みが軽減する。あるいは、手を優しく触れられると何となく痛みが和らぐような経験があるはずだ。

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「ぶつけたところを触ると治る」のは脳のいたずら!「どこかに膝をぶつけたとき、痛てて、、」と反射的にぶつけた膝を触ったり抑えたりしてしまうことがある。小さい頃なら、母親が痛いの飛んでいけ、、」と幹部を優しくさすってくれたことによって、痛みが和らいだ気がしたものだ。

ところが、この行為はただのおまじないでなく、脳の働きにも大きく関係していることをご存じだろうか?膝をぶつけると当然、痛みが走り、脳には「膝が痛い」という信号が送られる。そのとき、膝を触るとことでぶつけたときとは別に「膝を触った」という二つ目の信号が送られることになる。

このとき、脳は二つの信号を同時に処理しなくてはならなくなり、その対応に追われるため、痛みが分散されて緩和するという仕組みになるのだ。私たちはこれらを理屈ではなく経験として知っているので、反射的に幹部を触ってしまうわけである。(脳の地図帳、米山公啓著(青春出版社))

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ブレインマップと痛みの部位を同時にコンタクトして痛みが軽減するのはこんなところに裏づけが取れるかもしれない。痛みという感覚がそうであるように、痛みだけでなく脳のなかで潜在的な思考パターンとして興奮と抑制のバランスを取る働きがあるはずである。

潜在的な思考パターンを作り出すのは脳への情報入力と入ってきた情報をどのように処理するかになる。脳は快感や安心を求め不安を少しでも解消しようと一般化された常識的な方向へ行きたがる。40%より60%を求めたがるものである。たとえ60%が間違いであっても。

東洋医学の陰陽バランスでも同じである。昼間のでも曇りがあり、夜でも月明かりがあるように、陰と陽の共存、興奮と抑制の共存、快感と不快感の共存それぞれ対局したところにともに生かさず殺さずと共存しているのではと思う。それを考えると痛みも必要なものなのかもしれない。

拳骨

No 1027 臨床へのこだわり5

2009-10-14 | カイロプラクティック
多くの患者さんが訴える「筋骨格系の痛み」は、急性外傷などの急性期の痛み(これは明らかに原因がわかる)と、これといって原因がわからずいつの間にか気がついたら痛くなった。あるいは癌、リウマチなどの病理からの痛みにわけられる。

NHKの番組で最近の脳科学の研究を放映していた。MRIで検査しているときに痛みは脳のどこで感じるのかという番組である。

この痛みも急性期の痛みと慢性期の痛みを分けて検査を行った。腰痛を例にとって急性の外力を与えて急性期の痛みと、原因が定かでない反復性の腰痛とでは脳の活動部位がまったく違う。

急性期の痛みは視床を経由して痛みを認識して体制感覚部位や感情的感覚部位、思考部位に転送する。慢性の痛みは視床は経由せず感情、情動といった前頭葉にいきなり行く。

ぶつけた原因もなく痛みがでるのはストレスなどの感情的要因や思考などでも再発することがわかる。このことを最近の脳研究では明らかになっている。不安や恐れ、心配でも痛みは再現する。

PCRTのテクニックの中に「ブレインマップ」という手法がある。この「ブレインマップ」は痛みなどの症状が脳のなかのどの部位でブロックされているのか見つけて開放するテクニックである。

臨床の工夫のなかでこの「ブレインマップ」に一味付け加えてスパイスを加えてみて臨床効果を上げている。PCRTセミナーを受講した方はわかると思う。ブレインマップで検査をして反応があるようなら、そのまま手を当てて痛みが再現するような動作や触診をしてみる。

ブレインマップの部位が適切に診断ができている様であれば、痛みはその場で消える。小生の臨床経験から7割はヒットする。これも結果でしかないので対処的なものでしかないがエネルギー治療の効果を患者様に納得して頂くのには効果がある。

前回のPCRTセミナーで何人かの先生方に紹介して臨床したが実際に使っていただいているかは定かでないが、このブログをみている先生がいたら効果があるかコメントがあると嬉しい。

拳骨

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No 1026 臨床へのこだわり4

2009-10-08 | カイロプラクティック
治療はアートであると同時に哲学が必要である。+サイエンスという。カイロプラクティックの常識である。

カイロプラクティックは米国が発祥であるが、もともとカイロプラクティックの語源は「カイロ」はギリシャ語で「手」「プラクティック」は「治療」を意味するらしい。

100年以上の経過の過程で西洋医学と同じ土俵に乗ろうとサイエンスが必要になってきた。再現性が高まってきたからである。

その流れで現在のカイロプラクティック教育はリハビリや物療療法まで教育されている。リハビリや物理療法もカイロプラクティックのサイエンスの部分からみればありかなという気もしないわけではないが・・・

カイロプラクティックのテクニックも数え切れないほどあり、伝統的な脊椎矯正を頑なに使いそのテクニックに患者さんを治めるものから、手技から物理療法、リハビリと何でもあるミキサータイプ、低刺激のタイプとこれらは治療家の哲学的な背景から使い分けていることが多いようだ。

臨床を25年もやっているといろいろなものをためす。決して患者さんを実験台にしているわけではない。伝統的な手技による脊椎矯正から筋力トレーニング、リハビリ、物療療法とんあでもっやてみた。

それなりに効果があり患者様の利益になったが決して満足のできるものではない。患者様の満足より施術者の技術を複雑にして、その複雑したテクニックを使いこなす「自己満足」が強かったように思う。

手技療法かは自己のテクニックに酔いしれて、患者様をそのテクニックに当てはめ治療をおこない、結果がでないと患者様の自己管理の問題にすり替えることが見受けえられる。過去を振り替えると小生も反省しなければならない。

治療法を機械論から脱却して何とか将来の治療法が見えてきた。治療もシンプルなほうが良い。患者様のリスクも少なく効果がでる。

機械論的と有機論的な治療法の選択肢は何か?  機械論的な治療法は構造重視の「身体構造」を治療のターゲットにしている。構造改善から機能改善が得られ症状の改善につながる。また、逆もあり。

いずれにせよ機能や構造までで先がない治療である。一方、有機論的な治療法は「身体生命」と捉えるから、生命体は一分一秒足りと同じ状態ではない。その生命体の変化を読み取って本質を突き詰めることである。先が広がり変化に対応した応用が柔軟に聞くことが面白い。


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No 1025 臨床へのこだわり3

2009-10-07 | カイロプラクティック
手技療法家のこだわりに「手を使って」がある。どうしてもそこに行き着くというか、技術の向上はそこだとこだわる方がいる。

小生もそうであった。PCRTのセミナーに参加して感じたことは講師のY先生の進化が新幹線(古いかも)のようなスピード進んでいることである。この進化には目を見張るものがある。

当初スタートしたときとはだいぶ様変わりをしてきている。当初は神経反射反応を診る技術がある程度できないと治療が進まなかったが、現在では機械的な技術もさることながら言語を用いた手法が面白い。

最近ではビジネスだけでなく医療の分野でも「コーチング」や「メンター」といった手法が取り入れられて、患者さん主体で気づいていただく言語のコミニュケーションがある。

手技療法家が陥りやすいことは手技という技術があれば成立するだろうと思うことである。手技を巧みに操ることは必須のことであるが、手技を扱うまでの診立てや患者さんから診たてをする判断材料としての言語での引き出し方も重要な技術である。

また、患者さん自ら言語のなかで引き出されることは「脳」への大きな刺激になり「寝ている社長さん」が目を覚ますような効果がある。社長が寝ていたのでは従業員(各器官)は働かない。

神経反射反応を診る上で、身体運動と同じように言語からの入力や出力は顕在意識はもちろん潜在意識の分野まで的確に判断できる。

心身条件反射療法とコーチングのマッチングはまさに妙である。この言語のコミニケーションも患者様の脳がいかに活性化されるように導くのも手技に劣らぬ技術である。

拳骨

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No 1024 臨床へのこだわり2

2009-10-06 | カイロプラクティック
昨日はPCRTのセミナーに参加してきた。

このPCRTはセミナー開始当初から比べるとだいぶ進化して来ている。創始者のDCの勉強熱心さが顕著に現れている。治療もシンプルになってきている。

治療か家というものは治療技術だけ優れていれば治療ができると思っていることが多い。特に代替医療は治療技術を売り物にするためその傾向が強い。小生もその一人である。(・・あった。これからは過去形にする)

セミナーに関してはいつもながら内容のボリュームはあり、受講生の多少の消化不良を起こすだろう。

臨床経験の浅い先生方はテクニックを学んで臨床に使うときにマニュアル通りに行かないと壁にぶつかる。

前回も書いたが「テキストはこうだから、こうでないといけない」こんな感じである。なんどもいうがテキストは最低限のことしか欠いてないので、臨床では通用しないことが多い。

そこで臨床に使えるようにするにはどうしたらいいのか? テキストどおり行かないからこのテクニックは使えない。使えないのはテクニックではなく、そのテクニックを生かす「頭」がないだけである。

自己の頭がつかえない。応用が利かないだけである。特に応用が利かないようにしている思考は人間を機械的に考えてしまうと応用が利かない。

機械は型に収まった企画どおりのものであり、有機体のように柔軟な変形(変形とは形を意味しているのではない)をしていない。

機械の修理は外から手を加えて型を修正して整える、いわゆる他力本願である。行き的なものは内からの生命力でどのようにも適応する能力である。自力型といえる。

機械論的な修正には型どおりのテクニックが最適である。外から寸分たがわずきちっと修正して整える。外から手を加えて完成させる。決まりきった修正法があっている。

一方、有機的なものには内なる力がる。外から型どおりの修正は必要ない。自力方であるから少し手を貸してやれば、後は自然にうちから修正してくれる。これが自然治癒力である。

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NO 1023 臨床へのこだわり

2009-10-02 | カイロプラクティック

臨床のでは確定的なマニュアルは無い。まして、マニュアル通りに臨床が進むことなどありえない。

よくセミナーで聞かれることは

「テキストには○○と欠いてありますが・・・」「テキストのLODは上下方45度と書いてありまうが?」

テキストはテキストとして受け止めておいてほしい。文書は最低限のことを書いているに過ぎない。

臨床は患者様の体型や年齢、施術者の技術の程度によって応用を求められる。テキストに書いてないことが次々と出くわす。

それらの問題に臨機応変対応し的確に問題を解決していくかが症状を改善できるかできないかの分かれ目になる。

例えば「上下方45度」のLODがテキストに書いてあったとする。上下方の角度をイメージすると大方は45度くらいに目安をつけるはずだ。

上過ぎず、下過ぎずといったことで中間あたりがベストと思う。

しかし、椎間関節などは分節によって角度が変わってくる。

この変化をどう捉えるかが大切である。ここでテキストどおりどの分節でも45度の角度で矯正していたのではいい結果がでない。

テキストから一歩前進して、ここで五感を働かせて見ると思わぬ結果がでるはずである。臨床も飛躍的に進歩するはずである。


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