と言ってもオトモダチの中山茂さん(字が違うね)の事ではアリマセン。祖国復帰前後の義務教育世代(私も)教わった、奈良原繁第4代沖縄県知事の話です。明治25年(1892年)~明治41年(1908年)在任(16年間)着任時58歳(これまでの知事で最年長)
曰く、悪代官、県政私物化、謝花昇をいぢめた、當山久三移民政策の邪魔した。沖縄芝居ではつねに悪役、憎まれ役で描かれる事が普通でした(最近のTVでも)私もそう教わりましたが、さて、真相は?
とか言いつつハッピーアワー1500円。来月からサービスに変更アリマス。
チーズ食いつつ、
理解できない美意識に苦笑い。
ジンは来月から提供ラインアップから無くなる(泣く)
中締めトマトは健在です。と言いつつ本題に入るけど長くなりそうね。気合を入れて書きます。
イントロなエピソード 奈良原知事「生麦事件」で英国商人を切り殺したとされ、当時の沖縄県民(抵抗勢力)「下手をすれば奈良原に切り殺される」と戦慄した。ワオ!パンクですね。
奈良原は、地割制解体(地租改正)、人頭税廃止、杣山の町村への特別払下げなど沖縄県財政の基礎を確立。
漢那憲和(後の昭和天皇の御召艦艦長)の校長排斥ストライキ事件では(当時漢那18歳、奈良原61歳)漢那を高く評価し、兵学校進学時保証人となる。「漢那ドンは将来大将になるお方だ」
奈良原知事は教育に重きを置き、県下の学校視察、学用品贈与、親しく児童に接し激励を加える。校費捻出の為、野菜の行商をしているのに感心し、野菜全部買い上げ、更に5円(現在の5万円)与えて激励した。
當山久三の移民事業に邪魔した?奈良原知事の意見は、
標準語を話せない、読み書きの出来ない県民をハワイに送れば日本国として不名誉、本人も苦しむ。
借金して出稼ぎに行っても返済できるか不安である。
と極めてまともなご意見。當山氏はこれらに回答し知事の許可を得るが知事の示した条件は、
移民の人選は金武だけでなく本島全域
移民からの書簡は知事が閲覧する
3年の契約期間終了後は備蓄金を持って速やかに帰郷する事。
夜学を続行し、移民教育、特に言葉の教育に力点を置く事でした。
移民が始まると奈良原知事は30名の移民者一人当たり15円(当時の教員給料8円)を支給した。
もっとエピソード有りますが、最後に
明治41年4月奈良原は離任するが、県民はこの功績を後世に顕彰するとして、那覇市奥武山公園中央に銅像を建立した。だが、沖縄戦で破壊され、現代の沖縄史家は奈良原を悪代官のように表現している。
参考資料 誰も語らなかった沖縄の真実(WAC社)・沖縄の偉人(育鵬社)いずれも著者 恵 隆之介
恵先生に感謝しつつ、
すき家牛丼ミニ310円。
家内への賄賂で~す。
よんでくれてありがとうございます
やや、くたくた~