1956年 私が生まれる。
1964年 8歳・夏休みの山原(おばさん家)帰りに那覇に向かうバス車中(午後9時ごろ)にて、コザBCストリート(現パークアベニュー)の看板、ネオンサイン群を初めて見て、「映画で見た新宿より凄い」と度肝を抜かれる。不夜城でした。
1968年 12歳・ボーイスカウトの制服、教則本(日本語版)の購入の為、プラザハウウ内のロジャース百貨店に一人でバスの旅。当時ボーイスカウトはアメリカ政府管轄だったので制服、備品等は全てアメリカ制で高価でした。帰りに初めてA&Wのルートビアの洗礼を受け「アメリカガムの変な味」と思ったが後に好物となる。ボーイスカウトは復帰後、日本ボーイスカウトとなり制服などださくなり残念。ロジャースでは外人さんカップルのキスに、恥ずかしくて目をつぶった純情小学生でした。
1972年 16歳・普天間、コザの質屋回りを開始。ギブソン、フェンダー、ロジャース、ラディックなどよだれを垂らして見るだけ。コザの照屋楽器、普久原楽器のアンプなど、那覇ではお目に掛かれないROCKアイテムにノックアウト。
1974年 18歳・コザのライブハウスに潜入しつつBCストリートのエロ看板、写真に妄想。大人でROCKでエロでカオスな街は何度でも遊びたいね。帰りに輸入雑誌プレイボーイを購入し黒墨消去の研究に没頭するが成果なし。
その後現在にいたる迄、コザとの付き合いは続いていますが、どうも元気がありませんね。
現在
初めて行ったのは20歳ぐらいでした。古い建物に客9割は外人、ソースは激辛でコーラで流し込めば口中地獄の熱さとなり、でも快感でした。
日本人向けは止めて元のチャーリにしておくれ~19のタコ。
コーンスープ260円。全然美味しくないデス。ク〇ールみたいな味。
昔から頑張る刺繍屋、インド屋、照屋楽器(最近元気ないね)などを除いて「空き店舗」の看板だらけで寂しいね。時間が止まっているような静かな街に・・・
人間(私)が至近距離まで近づいても、無視して毛づくろい中の猫の生態が今のコザみたいですね。あまりの寂しさに店舗の写真撮る気なしでした。
よんでくれてありがとうございます。