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月光とピノキオ

2009-11-09 | 時代の光景U+203CU+FE0E
私達は、ピノキオを見ていたのよ…

でもピノキオは、人間になれなかった

人間になろうとしたピノキオをみんなで笑い物にしたから。

だから私達は、きっとみんな辛いのよ。

そう、いつだったか小さくつぶやいた、Aさんの言葉を思いだした。


…This is it


僕等の世代は、音楽好きならば、一度はマイケルのコンサートにでかけたはずだ。

僕は91~3年あたりの、スラッシュがゲスト出演した年末カウントダウン東京ドーム公演を見たのが最後だった。

それでもマイケル初来日から3度見に行ったことになる。

正直なところ、マドンナの方が上を行ってると思ったし、マイケルやマドンナより更に遥か高いレベルにプリンスがいた。

だから、僕等世代で普通に洋楽好きなら、見えてしまうことがある。

映画は、ロンドン公演のリハーサル映像のドキュメンタリー映画だった。

6月辺りのマイケルの記事は、まさか、マイケルが亡くなるなどとは前提にないから、リハーサル終えた直後の記事は酷評されたものばかりだった。

僕はそんな記事さえ全く関心もなく、ただ退屈しのぎに偶然立ち読みしてしまったに過ぎなかった。

もはや僕の中では、マイケルは現役とは認識してなかった。

そして突然のマイケル悲報。

今まで怪物くんまがいのゴシップやすっかりマーケティング的にも陰りを見せてたマイケル音楽への中傷記事もすっかりどこへやら。

神のごとくマイケル賛美の記事ばかり。

いつもながらの人間に潜む悪魔が顔を覗かせる。

自分にも他人にも潜む悪魔の顔。

『おきざりにした悲しみ』に、気づいた時から、潜む悪魔と禅問答。

実際映画では、先入観や偏見を差し引いても、いくらリハーサルとはいえ全盛期のマイケルとは程遠いものだった。

サポートなしではマイケルのパフォーマンスはもはや成立しないことはハッキリ見てとれた。

足がついてこない。
声がでてない。

だから、必然的に作り込みがアナログ的ではなくデジタル的な作業が主となる。

もちろん、本番では誰もが度肝を抜くような、見せるステージであったことは間違いないだろう。

なぜなら、世界屈指のエンターテイメント集団が企画、演出するのだから。

サブカルパワーこそがアメリカの強さの象徴だから、一般人を感動させる仕掛けなど朝飯前なのだ。

余談だが、ストーンズとて今は年齢的なこともあり、デジタル的な作り込みばかりで、実態は、さぶちゃんのステージの実体とあまり変わらないらしい。
しかし、屈指のエンターテイメント集団の手に掛かると魔法にかけられてしまうのだ。

でも、どこがで僕等はすでに気づいてた。

僕等がピノキオを見ていることに。

でももしかしたら、ピノキオは神様からこっそり人間にしてもらったのかもしれない。

神田川に満月の夜

月光でピノキオが…