Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

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”アクセント”

2011-03-13 | 時代の光景U+203CU+FE0E
刻々と被害情報は拡大しカウントされていく。

恐れていた原発からやはり大量の放射能漏れが明らかになった。

TSUNAMIから逃げ惑う人々に、更に追い討ちをかけ放射能を浴びせかける。

丸の中の住人は、丸ごと寿命を決められていたのか、決まっていたのか。

運良くTSUNAMIをまのがれた矢崎の駄目押しである。
この不条理だけは何ともやりきれない



結局金曜日は、商売にならず。
土曜日はモチベーション上がらず休んだ。

実はGLASSONION、全く被害はなく揺れも地上の半分以下だった。

でも怖いから外にでた。

すると、地上の早稲田通りはまるでパニック映画みたいな不気味な静けさで‥。

人も車も立ち止まり、誰もが事の成り行きを茫然と見つめているではないか。

本当に不気味な時間だった。

日本中の誰もがいつか来ると信じていたものがついに来た。

それは期待以上だった。

期待以上のことされると、人は呆れて言葉を失くすものだ。

TSUNAMIが三陸を直撃する光景をヘリがカメラで追う。

まるで”地獄の黙示録”だった。

金曜の夜は、交通手段を失くした人々で溢れ、さ迷う姿はまるでゾンビのようだった。

裸にされた街とはこのことだ。
土曜日は精神的に落ち着かず、金曜日の余韻に東京中が浸っていた。



そして、日曜日。

何事もなかったように、夜明けの街にいつもの朝がくる。

信号が赤から青に変わる

僕らには、またいつもの朝がそこにあるだけだった。

街にはいつもの穏やかな日曜日が穏やかな風景を作り、明日のための今日を過ごす。

朝焼けと夕焼けと、そこにどれだけの違いがあると言うのだろう。

昨日から今日、今日から明日へと繋ぐ理由は、たまたま生きてるから明日がくる。

だから朝日があって、だから夕日がある。

アフリカのサバンナに暮らす動物の生態系にはいつも感動するが、そこに人間は、どう関わっている生き物なのだろうか。

それでも人間とて、‥事故と自殺と病気と天災と死刑と老衰と‥、最後の選択は神に委ねるしかないようだ。

店では常にゴキブリホイホイを常設し、定期的にバルサンでゴキブリを一網打尽にする。

口蹄疫、鳥インフルエンザ、感染してもしなくても、可能性で全て抹消する。

人間の持つ命の許容を考える。

命の重さを何で計るんだ。

命の基準を誰が決めるんだ。

命の価値を誰が知っているのだろう。

多分人間は、そこにその不条理の分配を神に委ねたのだろう。

だから神という絶対を必要としたのだろう。

10年以上ホームレスやってるおじさんは、70才を過ぎ、最近信仰にはまり、生きる証を知り、僕に生きる理由を得よと説教をする。

説明されながら、僕はおじさんからビッグイシューを買っている。

何とも説明のつかないこの力強い光景こそが、人が今日まで生きてきた証ではないのか。

良いも悪いも僕とて、もう二十年もすると、三途の川の畔に腰をおろし、川向こうの船頭に手を降ってるはずだ。

船頭さんが手を降る僕の姿を見つけてくれたら

それを有り難い人生と呼ぶのだろう

世界中に河がある

それぞれの河の畔で人は何を思うのだろうか