Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

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浮世の義理にイマジンを…PART.1

2014-02-03 | 諸行無常…let it be
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この世は、アンポンタンでできている。

そして、自分もアンポンタン。

アンポンタンと遭遇する度に、自分は今、世界アンポンタンランキングでは…、アンポンタンと遭遇する度に、自分のランキングが気になるものだ。

人間は、遅かれ早かれ、誰もが生まれながらのアンポンタンを持っている。

そう自覚はあれど、目に余るアンポンタンと遭遇すると、全否定したくなるから、極力アンポンタンとは、遭遇しないように、最大の注意を払っている。

それでも、ちょっと気を許した隙に、"甘いなぁ~オマエ、まだまだやで~"とばかりに、神様が意地悪をするかのように、アンポンタンを連れてくる。

師匠に言わせると、偶然、遭遇するアンポンタンとは、阿弥陀様の化身なのだと。

時に、お前を試すために、アンポンタンの姿で、現れるのだと。

アンポンタンは、偶然ではなく、必然なのだと。

しかしながら、こちとら、試される程の使命も器も、与えられてはおらず、アンポンタンと出会う理由もなければ、身に覚えもない。

アンポンタンなど出会うことなく、ただ、穏やかに、ただただ穏やかに…。

波風たてずに暮したいと願う。
その、いったいどこに、間違いがあると言うのだろう。

ややこしいことに、人は、年齢とともに、肯定を怖がり、否定から、入ろうとするようになる。

つまり、アンポンタンに動揺する自分は、アンポンタンにある種の自分を観ているのだ。

アンポンタンを知れば知るほど、観れば観るほど、人は、何もかも否定から入るようになる。

アンポンタンは、年齢ではない。
ましてや、家柄でも、学歴でも、職業でもない。

いい年して…、アンポンタンではない。

まだ若いのに、アンポンタンでもない。

時々、今からこんなにアンポンタンで、この先どうするのだろうと、思わず心配してしまう若者を、見かけることがあれば、若いのに、なぜこんなにも、物の道理を弁えられるのだろうと、大きな年の差も忘れて、尊敬してしまう若者もいる。

いつの時代も、2:8の論理で、結局この世は動いているのか。

あれこれ考えさせられてしまうのが、ホントに、心底面倒臭い。

ノラ達が家猫をナンパしてるらしく、煩くて仕方ない。

アンポンタンはどこにでも潜んでいる。