だから、解る、本当の違い…。

STAP細胞は、小保方晴子さんが、世界に発表したことで、これからの彼女の人生をもまた、大きな流れとなるのだろう。
僕の人生などとは、全く無縁な人かと思っていたら、彼女は、早大理工学部だったそうだ。
卒業生に聞いたら、応用化学をやつてた人のようだ。
へえ~というだけで、、^^;飲み屋風情には、猫に小判どころか、雲をつかむような、ちんぷんかんぷんな学問だ。
(; ̄ェ ̄)
ところがだ…。
そんな、永遠に数学や化学には、全く無縁な超アナログ店主がやっているGLASSONIONに、場所が近い、(^^;;ただそれだけな理由で、今まで、多くの理工学部の学生や、大学院生が、やってきた。
卒業後も、長くやってるだけ、付き合いが、続いているお客さんもいる。
ホントに、こやつはマコト知能が高い。
あきれてしまうようなのが、実際に存在する。
小保方さんも、恐らく、そんな人だったのだろう。
世の中では、誰もが、様々な環境で育つから、知能が高いイコール有名大学ではない。
学校など全く関係なしに、知能の高い人は、世の中には、おてんこ盛りでいて、そんな人が、いつの時代にも、自浄作用の原動力となる。
聞いた話だが、知能の高い人は、授業で、ノートやメモなど取らずに、聞きながら、学んでしまうそうだ。
その話を聞いた時に、我が過去を振り返り、ハッキリと自分の足るを確信(^^;;したのだった。
そして、近くのあの学部には、たまたま、東大落ちた…いかなかった…そんなのが、たくさんいるようで、その後、とんでもなく有名な企業の研究所なんかで、日本のためになっている。
今思えば…。
しんな若者等相手に、僕は、偉そうに、人生論とか、恋愛論とかを、得意げに、ぶちまけてきた^^;
今思えば…。
彼等は、吸収が早いから、店主が1を宣うと(^^;;…、100個先の、店主の能書きまで先読みして、彼等の方が、僕の相手をしてくれていたような気がする^^;
がそれは、学問の上の話だ。
ここからが、僕の出番だ。
そして、彼等のその後を見ると、僕の前で、いつも朗らかで、いつも無邪気に笑っていた若者ほど、その後、それぞれの人生で、大成している。
だから、わかる、本当の賢者と、おバカの違い。^^;
まだまだ、社会知識や人間観察の浅い頃は、どうしても、学歴や家柄や職業なんかで…、所謂、纏った鎧で、人の判断をしてしまいがちだ。
やがて、ある程度、社会と直接的に関わるようになると、人を見る判断基準が、それまでと次第に違ってくる。
人間性、社会性とは、例えば、心の許容量や、共存や共有バランスのことだ。
つまり、社会とどう向き合える人物なのかで、賢い人、愚かな人かを、判断をするようになるものだ。
学生街で、長く商いしてきたから、若い人を観てきたその統計として、人間性や社会性は、18くらいまでに、ほぼ完成しているのが、彼等のその後を見ていても、ハッキリとわかる。
勉強ができただけじゃ、社会では通用しないことが、ハッキリと、若者等のその後の動向でわかる。
三つ子の魂百まで…ということわざが、今だに通用することを、幾つもの事例が裏付けをする。
親を観れば子が観える。
子を観れば親が観える。
もちろん、ただ観えるだけ。
犯罪者でもない限り、それ以上は、プライバシーの範疇となる。
そう、良い悪いではない。
ただ観えてしまうだけ。
大人の世界は、それ以上口にしないから、これまた、ただむつかしい。
鳶が鷹…など決してあり得ない。
もしも、そう見えたとすれば、鎧で見間違えただけのことだ。
人間、いかに、中身が大切なのかは、人生の経験値が、否応なしに、いつもいつも教えてくれる。
1➕1=2とならないことを知った時に、人は初めて、人間の器や品格を、試される時だ。
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STAP細胞は、小保方晴子さんが、世界に発表したことで、これからの彼女の人生をもまた、大きな流れとなるのだろう。
僕の人生などとは、全く無縁な人かと思っていたら、彼女は、早大理工学部だったそうだ。
卒業生に聞いたら、応用化学をやつてた人のようだ。
へえ~というだけで、、^^;飲み屋風情には、猫に小判どころか、雲をつかむような、ちんぷんかんぷんな学問だ。
(; ̄ェ ̄)
ところがだ…。
そんな、永遠に数学や化学には、全く無縁な超アナログ店主がやっているGLASSONIONに、場所が近い、(^^;;ただそれだけな理由で、今まで、多くの理工学部の学生や、大学院生が、やってきた。
卒業後も、長くやってるだけ、付き合いが、続いているお客さんもいる。
ホントに、こやつはマコト知能が高い。
あきれてしまうようなのが、実際に存在する。
小保方さんも、恐らく、そんな人だったのだろう。
世の中では、誰もが、様々な環境で育つから、知能が高いイコール有名大学ではない。
学校など全く関係なしに、知能の高い人は、世の中には、おてんこ盛りでいて、そんな人が、いつの時代にも、自浄作用の原動力となる。
聞いた話だが、知能の高い人は、授業で、ノートやメモなど取らずに、聞きながら、学んでしまうそうだ。
その話を聞いた時に、我が過去を振り返り、ハッキリと自分の足るを確信(^^;;したのだった。
そして、近くのあの学部には、たまたま、東大落ちた…いかなかった…そんなのが、たくさんいるようで、その後、とんでもなく有名な企業の研究所なんかで、日本のためになっている。
今思えば…。
しんな若者等相手に、僕は、偉そうに、人生論とか、恋愛論とかを、得意げに、ぶちまけてきた^^;
今思えば…。
彼等は、吸収が早いから、店主が1を宣うと(^^;;…、100個先の、店主の能書きまで先読みして、彼等の方が、僕の相手をしてくれていたような気がする^^;
がそれは、学問の上の話だ。
ここからが、僕の出番だ。
そして、彼等のその後を見ると、僕の前で、いつも朗らかで、いつも無邪気に笑っていた若者ほど、その後、それぞれの人生で、大成している。
だから、わかる、本当の賢者と、おバカの違い。^^;
まだまだ、社会知識や人間観察の浅い頃は、どうしても、学歴や家柄や職業なんかで…、所謂、纏った鎧で、人の判断をしてしまいがちだ。
やがて、ある程度、社会と直接的に関わるようになると、人を見る判断基準が、それまでと次第に違ってくる。
人間性、社会性とは、例えば、心の許容量や、共存や共有バランスのことだ。
つまり、社会とどう向き合える人物なのかで、賢い人、愚かな人かを、判断をするようになるものだ。
学生街で、長く商いしてきたから、若い人を観てきたその統計として、人間性や社会性は、18くらいまでに、ほぼ完成しているのが、彼等のその後を見ていても、ハッキリとわかる。
勉強ができただけじゃ、社会では通用しないことが、ハッキリと、若者等のその後の動向でわかる。
三つ子の魂百まで…ということわざが、今だに通用することを、幾つもの事例が裏付けをする。
親を観れば子が観える。
子を観れば親が観える。
もちろん、ただ観えるだけ。
犯罪者でもない限り、それ以上は、プライバシーの範疇となる。
そう、良い悪いではない。
ただ観えてしまうだけ。
大人の世界は、それ以上口にしないから、これまた、ただむつかしい。
鳶が鷹…など決してあり得ない。
もしも、そう見えたとすれば、鎧で見間違えただけのことだ。
人間、いかに、中身が大切なのかは、人生の経験値が、否応なしに、いつもいつも教えてくれる。
1➕1=2とならないことを知った時に、人は初めて、人間の器や品格を、試される時だ。