Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

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時をかけるオジサン…In my life

2014-06-01 | 諸行無常…let it be
アーサーさんの、ライブ目的が、僕の勘違いから(^^;;、急きょ、街角散歩となった。

下北沢は、夏日。

照りつける日差しの中を、思い出を辿って見た。

まさか、そんなに、時を駆け抜けてしまっていたとは…



僕は、常連客だった。

マスターは、お元気かな。

ここは、その昔、街でも有名な、オシャレな喫茶店だった。

時代が変わり、バブルな時代がやってきて、マスターは、ラーメン屋の大将になった。

ラーメン屋になって、それでも、もう、30年近いはずだ。

しだいに足が遠のいて、やがて、下北沢からも、離れて行った。

だから、僕達世代には、ラーメン屋の大将ではなく、今でも、マスターなのだ。

僕が、もしも、GLASSONIONから転業しても、きっと、そう呼ばれるのだろう(^^;;



僕は、駅の南口から、通りを下りた。

狭い通りをいっぱいに、若者が行き交う街、それが、下北沢だ。

この街は、今も、僕が目の前にする若者達で、成立している。

30年前の僕もまた、彼等と、同じような格好で、同じような会話をしながら、一日中、この街で、ヒマをつぶしていた。

店の名前や、業種は変わっても、下北沢は、今も同じ街並みをしていた。

つまり、人の入れ替えは、絶えず繰り返されても、また、同じ世代、同じ種類の若者が訪れるから、街の景色は、変わることがないのだ。

だからだろう。

遠い日の、ある日の僕が、そこに立っているような錯覚を覚えてしまう。

でも、もはや、僕には、ノスタルジックな、他人の街だった。

松田優作も、原田芳雄も、いない街なのだ。



恐らく、高田馬場を、数十年振りに訪れた、早大の卒業生もまた、駅前のロータリーに立つ時、同じような錯覚を覚えるのかもしれない。


今では僕も、慣れない街の喧騒を逃れ、高田馬場を降りた時に、やっと生きた心地がして、ホッとする。

どうやら僕は、高田馬場が、スッカリ身体に染み付いたようだ。

どんな人も、身体に染み付いた街こそが、あなたの、帰る場所なのだ。