例えば、The Beatlesのアルバム、let it beを、昨日、今日、明日と、三日続けて同じ時間、同じ場所、同じ音で聴いても、聴こえ方、伝わり方、音の響きは、毎日違うものです。
それは、昨日の自分、今日の自分、明日の自分は、それぞれ別な感情で、生きてるってことです。
つまり、今日の自分には、もう二度と会えないってことです。
そう思うと、今日の自分が、とても愛おしく思えてしまいます。
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Bob Marlyに始まりました。
今日のGLASSONION。
ボブマーリイが、今日は、とても新鮮です。
なんだか今日は、僕のために歌ってくれてるように、心地よく響いてきます。
良い音楽とは、そう言うものです。
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この頃、なんだか、二十代のある日に、僕の中のメンタルなものが、しだいに戻って行くような…。
そ⁇な自分に、ふと気づくことがあります。
身体が、旅を欲している時、無性に、青空が愛しくなるように…。
SOMETHING or something
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いったい誰を、僕は待っているのだろう。
いったい誰に、僕は会いに行こうとしているのだろう。
その一方で、
どこかの山里の、眺めの良い、小さな庵で、雨戸を取り払い、廊下に広げたゴザに横になり、遠くの山々を眺めているのも悪くない。
そんな僕もまた、あり、なのでした。
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今の政は、あまりにも、危うい。
そう、思うことの多い、この国の、この時代。
安倍晋三さんも、また、西洋史を、誰よりも疑いながら、西洋化に誰よりも憧れた、そんな日本人の1人なのでしょう。
僕は、ずっとこれからも、ノンポリでありたい。
そう願い続けています。
それが、僕流の、僕の主張です。
だから、浮世の窓は一つで十分。
後は全ての窓に鍵をかけ、飲み屋風情であることを、始めたのです。
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なのに、なのに、です。
最近のこの感情は、いったい、何なのでしょうか。
かつて、GLASSONIONに、無邪気な笑顔で、いつも通ってくれてた幼い学生達も、時を経、みんな大人になりました。
そんな彼等の中の1人が、先の総選挙で、1人街頭に立ち、彼の信念を貫き、彼の信じる正義を掲げ、ぶれることなく堂々とそれを主張する姿を見つけました。
彼のその姿に、足を止め、耳を傾けている、僕がいたのでした。
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傍観者であることよりも、意思を表すこと。
私は影から、一生懸命応援してますよ…頑張ってくださいね。
美しく、聞こえは良いが、それは、最初から逃げているのと同じこと。
それじゃ、何も変わらない。
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かつて、U2のボノが、全くおなじようなことを、言ってました。
例えそれが、新宿の片隅の、根も葉もない、飲み屋風情の、どんな"貧者の一灯"であろうとも。
社会に対する、飲み屋の一文は、必ずあるはずだ。
その小さな一つの灯りこそ、やがて、大きな松明になることの礎だと。
ある日のこと、夢枕に誰かが立っていて、そう僕に囁く声がしました…
もちろん、ただの気のせいです。
誰かの役に立つとか、誰かのためになるとか、観念として、物申せても、行動とは、全く無縁なのが、名もなき小さな善人なのです。
僕には、今まで、経験が一度もないから、この感情を上手く表せません。
表せもしないのに、そこにある、SOMETHING or somethingを、確かに感じている自分がいるのでした。
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いったいいつから、僕は、諦めてきたのだろう。