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故郷の大地へ!

2016-04-18 | 諸行無常…let it be







無性に人恋しくなることがあります。

それは、自分の無力さを、思い知らされる時です。

例えようのない虚しさばかりが宿るから、心が居所を無くしてしまうようです。

僕は宮崎生まれの宮崎育ち。
だから、シンパシーもまた格別なものがあります。
先週の熊本の震災は、僕の故郷のすぐ近くで起きていることだからです。






過去を振り返っても、僕の記憶の限りでは、熊本と大地震は、どうしても、結びつきません。

それが、とても、悔しい。
5年前にはなかった、なぜか、そんな思いに駆られました。

余震は、断続的で、止む気配すらありません。
1~2時間毎に、震度3~4の速報が送られてきます。

僕の生まれ故郷のすぐ近くで、今起きている現実です。

使う方言も、ほとんど同じです。

すべての風景が、僕の中にあります。

だから、そこに暮らす人々の、不安な表情や、重苦しい息遣いまでもが、つぶさに目に浮かぶのです。

熊本の平静を祈っています。



頑張れ、頑張れ、頑張れ~


どんな人も、みんなみんな、人生やるために、毎日を、頑張って、頑張って、一生懸命働いて、一生懸命生きています。

なのに、こんなことが起きると、さらに、人は、頑張って生きてる人に、頑張れ、もっと頑張れと、これでもか、これでもかと、ただ、応援を唱えることをします、


頑張る方は、頑張りすぎて、もうクタクタ…。

もう、頑張れねぇよ!

誰かが、そう泣き言を放ったところで、その誰かを、いったい誰が責められると言うのでしょう。


それでも、熊本よ頑張れ、頑張れ熊本…
と祈る僕がいます。


無性に、人が恋しい…。



エクアドルでも、大きな地震が起きて、すでに熊本を、遥かに上回る犠牲者と被災者のようです。

東北大震災でも、時を同じく、ハイチでも、四川省でも、大地震があり、それぞれ数十万人の犠牲者が出ました。

その後、ネパールもありました。

環太平洋造山帯は、もはや、どのプレートも、ユルユルなのでしょうか?

この国では、関東、東海、南海トラフ。

そろそろ、覚悟を本格化すべきですね。

熊本での大地震は、熊本と言うより、地震とは、活断層上で起きる地殻変動なのだと、今回もまた、地上での被害状況の明暗が、はっきりと、それを物語っていました。


この国は、国中の至る所で、震災が起きます。

それが、この国の歴史でもあります。

繰り返し、繰り返し、地震がこの国を破壊します。

そして、どんなに破壊されようと、繰り返し、繰り返し、日本人は、また、そこに、コツコツと、より強度のある家を建ててきました。

今度こそは、今度こそはと…手を替え品を替え。

考えることをするのが、日本人。

形を信じないのが日本人。

月並みですが、もしかしたら、戦後の復興の早さも、確かに、その思想が影響してるのかもしれませんね。


日本人の文化は、観念です。

それがある意味、日本人の思想の形です。

無を形として想像する思想です。

つまり、この世に形ある限り、いつかは必ず無が訪れる。

その儚さを、愛でる文化を産み出しました。

エジプトがナイルの賜物ならば、日本の、風光明媚を重んじる思想や文化は、地震の賜物なのかもしれません。


僕は、あの日以来、ノンポリで通すことを、僕の主義主張とすることを自分に誓いました。

^_^;

だから、政治に関わるような関心毎は、あくまで僕の趣味です。

あの、ドラマ時効警察のようなものです。
自分だけ、納得してお終い‼︎

(^-^)

九州生まれ九州育ちが、不思議に思う、この度の熊本大地震の最中、すぐ目と鼻の先にある、川内原発が、こんな緊急事態でも、国は、停止しないこと。停止させないこと。

どうしてそこまで、原子力エネルギーに、こだわる日本人がいるの⁇

それはどんな日本人なのか、それが僕の今、最も知りたいことです。

趣味としてです。

彼等と言う日本人は、原子力に勝てると、本気で考えているのだろうか。

地下に潜伏する、ナチスの残党を想像するように、もしかしたら、日本人にも、戦後、地下に潜伏する日本軍の残党でも、いるんじゃないのかと、想像するわけです。

(^.^)

福島の現実や実態を知るにつれ、鹿児島の川内原発の意図や目的もまた、単なるエネルギー供給目的でないことだけは、もはや、はっきりとしています。

反対派にしても、それを承知だからこそ、あえて原発反対を訴え、国に挑んでいるわけです。

原発を制することが、アメリカを制すること。
そう本気で考える旧日本人は、本当に存在するのだろうか。

考えよう。

せめて、考えよう!