戦後70年、戦争を知らない1人の日本人として、僕には、この光景は、歴史的な重さを感じさせられた景色でした。
良い悪いの、区別でもなく、正しい正しくないの、判断でもない。
当然、70年と言う時間経過のせいで、同じ日本人でも、この出来事への、皮膚感覚が全く違います。
様々な解釈があるはずだ。
つまり、そう言うことだと思います。
実際のところ、世代も性別も関係なく、感心のない日本人も、また、知識として皆無な日本人も、数多くいることも事実です。
それらも含めて、様々な受け取り方だと、僕は思いました。
僕は、この写真に、嘘はなかったと思います。
この、記念館となった、戦後ヒロシマを、一度だけ、観にいきました。
ショックで、足がすくんだことを、今でも、鮮明に覚えています。
それ以外の、僕のヒロシマ体験は、父が太田基地で終戦を迎え、何日もかけて宮崎まで戻る途中に立ち寄った際の、ヒロシマ駅から眺めた、ヒロシマ市内の、街の景色の、父の感想でした。
おりしも、沖縄で、またもや、米軍関係者による沖縄女性の殺人事件が起きた矢先の、オバマ大統領ヒロシマ訪問でした。
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日本人の一文として、観て、思い、感じたことの、語り部であるべきだと、思います。