ネット記事より
リオデジャネイロ五輪の最終日、古代オリンピックのもととなった競技の一つで、近代五輪では毎回最後に行われるマラソンで、それは起こりました。8月21日、男子マラソンで銀メダルを獲得したエチオピアのフェイサ・リレサ選手が、ゴールインの際に頭上で腕を交差させました。これは出身国エチオピアの政府が国民の政治活動を弾圧していることへの抗議の意思を示したもので、リレサ選手自身はそれによって自らの生命も危険かもしれないと語っています。
エチオピアでは、主に同国北部のオロモ州と北西部のアムハラ州で、昨年11月頃から政府に対する抗議デモと、これに対する鎮圧が繰り返されてきました。これらの抗議デモはお互いに結びついてはいないようですが、いずれにせよ国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、今年6月までにオロモ州だけで少なくとも400人が治安部隊によって殺害されています。
オリンピックは「平和の祭典」と称されますが、それは「そうであるべき」という目標であって、実際には政治と無関係ではあり得ません(詳細については池井優.1992.『オリンピックの政治学』.丸善)。特に自分の国で政治活動ができない、あるいは国際的に関心がもたれにくい問題の場合、国際的に活躍するアスリートがオリンピックの場で自らの国を告発することは、これまでにもありました。今回のリレサ選手の行為も、その一つといえるでしょう。
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神は、どう沈黙されるのだろう。
今、この地球上で、この時代のこの世の中に、僕が存在するのならば、彼もまた、存在する人だ。
100年後は、アフリカの時代となっていて、多くの国が、先進国となっているだろう。
僕は、そう信じています。
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彼は、このオリンピックで、国の代表として、必死で獲得した銀メダルと、国を代表して、世界に、祖国の実情を訴えるために、自分の命を、天秤に乗せて見せたのです。
どちらに傾こうと、彼は、祖国を、愛するがゆえに、やっていることなのです。
そんなことになっている国から、彼は国を代表して、わざわざ、オリンピックにやってきたのです。
ちょっと顔を上げるだけで、この世は、絶句させられることばかりです。
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僕らは、1つの単語を、同じ目線では捉えてはいないことだけは、確かだ。
平和とはなんだろう。
自由とはなんだろう。
夢とは? 希望とは? 愛とは?
悲しみとは? 笑顔とは?
小さな夢や、希望や、愛の欠片を、大きな貝塚から、せっせと、欠片を拾い集めて貼り合わせ、これが、夢や希望や愛の原形ですよと、並べてみせることが、人の一生なのかもしれない。
人生とは、遺跡の発掘みたいなものだ。
いつだったか、NHKが、スラムに暮らす人々が、ゴミの山から、お金になりそうなものを拾い集め、そこで生きることをする、彼等の姿を見ながら、そんなことを、ふと思いました。
激しい悪臭と、不衛生でしかない、ゴミの山に群がり、次から次に、トラックの荷台から吐き出されるゴミに、大人も子供も、我先にと、ゴミの中に突進して行く姿は、イキイキとしてるように見えて、悲壮感ばかりを描こうとするNHKの目論見とは、ずいぶん違って見えました。
ある意味、彼等にしてみたら、一日中、宝探しをやってるわけです。
時には、恐らく高価な品を見つけることもあるでしょう。
人は、それが、日常となれば、そこには、そこにしかない、楽しみや、悲しみ、幸せや不幸があるはずです。
人は、強くはないけれど、弱いだけでもない。
昨日の敗者は、今日の勝者となる。
それもまた、世の常です。
時代は変わる。
彼等が、いつも、口ずさむ名曲とは、どんな曲なのだろう。
それを、聴いてみたいと、思いました。
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追伸‼︎
心から泣ける歌、心から笑える歌。
どちらも、勇気が湧いて、元気にしてくれる。
だから、それを、名曲と言う。
名曲は、いつも、手元に置いておきたいから、いつも心のどこかから、聴こえてくる。
名曲は、いくつ時代を越えても、誰からも愛され、老いることを知らない。
名曲とは、樹齢なんだろう。
そして、名曲とは、あなただけのもの。
プロは、ドラマを描くが、アマチュアは、ストーリーしか描けない。
だから、アマチュアは、プロには、なれない。
若い頃、それを言われて、何をほざくかこのキザ野郎!今に見てろと、睨みつけてやったが、結局のところ、僕の人生、飲み屋留まり!
^_^;オホホホホ
そう、僕は、ドラマを描けなかった。
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今でも、その意味を、よく考えます。
確かに、世にある名曲には、どれも、ドラマを描いている。
孤独な夜に、誰かと共有したくなる時間を、満たしてくれるのが、あなたが選んだ名曲です。
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