僕の文章力では、説明が足りないので、記事を、拾い集めて、書いてます。
SEALDs(シールズ)」が、そうであったように、僕らの世代の想像を超えたところで、今の若者は、確実に、育っています。
それを、大人は、もはや、認めるべきだ。
今時の若者は、もはや、完全にグローバルしてます。
彼等は、社会に、ちゃんと立ち向かいます。
そして、彼等は、ちゃんと主張するんです。
本当に素晴らしい‼︎
東京新聞のLINE記事で、このバンドを、初めて、知りました。
それで、記事より、抜粋です。
。
<となりの障害者>
動きがのろいって蹴られた
こんなのもできないのって殴られた(略)どうせ何にも分からないって
障害があるだけでばか扱い(「いじめ」)
さいたま市中央区の小さなライブハウスに、叫ぶような歌声が響いた。
口裂け女やピエロの化粧、法被やチャイナドレス姿。奇抜な衣装に身を包んだ二十人前後がステージに入り乱れる。
バンド「スーパー猛毒ちんどん」の単独ライブ。全員が障害者自立支援組織「虹の会」(同市桜区)の関係者だ。
中央に立つ歌舞伎の隈(くま)取り姿の男は、リーダーの井上正邦(34)。
左手のまひと知的障害があり、虹の会では副会長を務めている。
「いじめ」は、井上の実体験から生まれた曲だ。「学校は嫌なことが多かった」。
養護学校高等部二年のとき、実習に行った工場。朝から夕方まで誰とも話さず、ひたすらカレー粉を袋詰めした。
もう一つの実習先だった虹の会では、他の障害者や職員と協力し合い、バザーを運営した。初めて見つけた居場所だった。
人前に立つのは苦手というが、ライブでは堂々としたトークで客を引き付ける。
「練習は緊張するけど、本番は勢いで。後ろのメンバーがいるから歌える」。
歌詞を覚えられなくても客席になだれ込んだり、レオタード姿で踊ったり。
メンバー全員に役割がある。「歌ってるときの俺はかっこいい」と胸を張る。
俺は黙ってカレーを詰める/笑うことも忘れた/俺は仲間が仲間がほしい/ふざけて笑える仲間が(「カレー」)
内容は暗いが、曲調は底抜けに明るい。
「ポップな曲だからこそ歌詞が引き立つ」と、同じく副会長で、曲作りを担当する佐藤一成(50)。
「歌は自己表現。本当に言いたいことじゃないと意味がない」と障害のあるメンバーから体験を聞き取っている。
高校時代はモヒカン刈りのパンク少年だった佐藤。一九八五年に埼玉大に入学し、障害者運動史を学んだ。
同級生の誘いで通い始めた当時の同会は、全身の筋肉が萎縮していく筋ジストロフィーに侵されながら、同大近くで一人暮らしを始めた福嶋あき江(故人)を介助するボランティアの女子学生の集まりだった。
福嶋は介助を受けるだけの障害者ではなかった。
施設から出て自立生活を目指す「闘う障害者」だった。
初めて話し込んだ大学三年の夏。
「会をただのボランティア団体じゃなく、運動にしたい」。
熱っぽくそう語った福嶋は、その数日後、たんが詰まり二十九歳で急逝。
「言い残されたような気分になった」。
佐藤が同会を引っ張るようになったのはそれからだ。
死去の翌年に福嶋の人生をドラマ化したテレビ番組は、単純な「お涙ちょうだい」の物語だった。
「本当は嫌な奴(やつ)も世間知らずな奴もいるのに『障害者は勇気をくれる。
前向きだ』って。
うそつけと思う」。
バンドの奇抜さには、そんな障害者イメージへの反感が込められている。
十数年前に「みんなの遊び」として始まったバンド。
今年はネット動画を見た音楽関係者から大阪のイベントに招かれるなど、着実に活動の幅を広げている。
ライブを締めくくるのは、必ずこの曲だ。
一つ人より頭は弱いが/二つ不器用何のその(略)三つ見た目もいまいちだけど/四つ世渡りもうまかない(略)今が時だ逆襲だ/俺にだって夢はあふれている(「スーパー猛毒ちんどんの数え歌」)
◇
「障害者なんていなくなればいい」-。
先月、相模原市で障害者十九人の命を奪った男の言葉が、多くの人を震撼(しんかん)させた。でもそれは、虹の会のメンバーにとって、目新しい言葉ではない。
すでに学校で、職場で、さんざん爪はじきにされてきたから。
「どんなに障害が重くても、地域で暮らすのが当たり前」を旗印に、親元や病院や施設を離れて街中のアパートで暮らす彼らは、決して「いなくならない」。
東京新聞 LINEの記事より
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