高倉健さんまでが、とうとう、逝ってしまいました。
高倉健とは、昭和の大きな象徴でした。
また一人、昭和の大きな象徴が、景色になってしまいました。
人生は泡沫の愛似恋
年々早くなる、変わる景色のその姿。
僕の高倉健さん映画では、"居酒屋兆治"が大好きです。
この手の映画の持つ、日本人的なアナログテイスト。
浪花節であり任侠型の、それは、今の若い日本人からは、どんな風に、受け入れ方をされているのだろう。
興味があるところです。
僕などは、こんな映画や、こんなドラマばかりで育った世代だから、男も女も、人は人の背中を読み、人は人の背中を語るもの、そう信じて、生きてきました。
そして、いまでも、確かにそう思います。
正面は、どうにでも装えますが、背中は隠せないからです。
そんな世代だからでしょうか。
無意味な問いを繰り返すより、背中が語る本音で、人の見極めをします。
…
長年、毎日のように、若い人達と、関わってきたことで、若い人からは、教えられることばかりです。
自分の過去を再確認させられるからだと思います。
そして、若者の成長過程から、否応なしに、学ばされる絶対的な真実があります。
それは、ある意味、自分の半生が見えてしまった、ショッキングな瞬間でもありました。
猿の惑星で、禁断の地に、テイラーが足を踏み入れた瞬間のように…
^^;
いつの時代も、若い頃は、世相に敏感だから、それが、若者の特権でもあるかのように、若者の多くがステレオタイプです。
そして、いつの時代も、ステレオタイプでなかった若者だけが、やがて、それぞれの分野で頭角を現し、世を動かす、社会のリーダーとなっていきます。
それだけのことでした。
^^;ガチョーんです。
長年、若者と接していると、それだけが、ハッキリとわかることでした。
若者には、二種類いるってことです。
侮れる若者と、侮れない若者です^^;
侮れない若者とは、ステレオタイプではない、自分をしっかり持っている人です。
そう言う若者とは、年齢を超えて、敬意を払いながら、話をしてしまいます。
大人は、侮っていい若者と、決して侮るべきでない若者がいることを、肝に銘じておくべきです。
侮れない若者は、大人の地位や立場を脅かす存在です。
(*^o^*)
学校での優等生と 、社会での優等生は、全く別物です。
最近よく、若い人の会話の中で、等身大、と言う単語を、頻繁に耳にします。
恐らく、さんま、あたりがTVで口にしたものが、流行ってるにすぎないのでしょうが、若いのが、等身大、を使うことに、どうにも違和感あるのは、僕だけでしょうか。
(^_^)
ともあれ、そんな若者は、大人を脅かす存在にはならないので、侮ってもOKです。
いつの、時代も
未来は、侮れない若者達が、切り開くものです。
いつの世も
年寄りと肛門は、出すぎると害にしかなりません。
それが、真実。
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