僕は時々…
こうして、この、映画スモークでの…、ハーヴェイカイテルのこのシーンを思い出します。
それは、たまたま縁あって、この街で、GLASSONIONを始めたことの、初心に戻れるからです。
この映画は、ある意味、GLASSONIONの原点です。
1995年 映画 Smoke
監督 ポールオースター
僕が、高田馬場でGLASSONIONを始めた翌年の映画です。
僕が選ぶとした場合に、僕にとっての名作映画の中でも、この映画は、特に、傑作中の傑作なんです。
ある意味僕は、この映画と出会えたから、今日まで、GLASSONIONを続けられたのかもしれません。
時々、そう思うことがあります。
人には、人それぞれに、拭いても拭いても、拭い落とせない、心に曇りガラスがあるようで…
その曇りも、人それぞれに、また違うようで…
だから、同じ物を見つめても、曇り方が違うから、見え方もまた、人それぞれのようで…
互いに、そのニュアンスだけを、曖昧に共有しあうもの。
どうやら、それが、人生のようで…
だから、人生において、白黒なんて、誰にもつけられない。
それでも、白黒つけようとするならば、それは、ウソになる。
ホントの哀しみも喜びも嘘も、本人にすらわからない。
でも、どこかで喜んでいて、どこかで哀しんでいて、どこかで嘘をついている…
だから、今日もなんとか、生きている。
だから、今日もなんとか、生きていられる。
…
この街での21年間でさえ、僕は、人をたくさん傷つけてきたし、たくさん、人から傷つけられてきた。
"コンチクショー!" と呪文を唱えても、
その懺悔の、甲斐もなければ、神も仏も現れない。
そして、そんなことなど、おかまいなしに、僕は今日も、また誰かを傷つけて、また誰かに傷つけられるのでしょう。
…そんなことを、この映画は、いつも、僕に語りかけてくるのでした。
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