さて、、、今週からもう、7月ですね。
2015年も、折り返しです。
9月になれば、僕はまた、1つ年をとります。
The Halftime Show
at the GLASSONION
今日は、ジョンレノンを語る(^^;;…くらいベタなこと、笑われそうなことを、書きます。
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断行、捨行、離行。
いわゆる、"断捨離"…を実践されている、お客さんの風景を聴きながら、我が風景に、ドキッと気づかされました。
目からウロコでした。
こんな衝撃は、初めてです。
僕は、変わり者(^^;;だから、ましてや、商標登録されるような、流行り言葉は、たいがいは、嘘っぽいものだからと疑います。
だから、僕は、それには、触れずにいた言葉でした。
ですが、ドキッとしてしまう自分がいたのは、紛れもなくて、商標登録された短縮形ではなく、断行、捨行、離行が意味する、本来の言葉にある力と価値でした。
何千年をかけて、長い時間の河を、下ってきた言葉は、例え今の扱いがどうあれ、それは、深い真実なのでしょう。
その真逆が、今の自分の全てが当てはまり、自分の全てが、思い当たるのでした。
見えるものだけに、執着してきたから、結局僕の人生は、何も見えてはこなかったのでしょう。
今までの僕は、断行、捨行、離行の、正反対を生きてきました。
もはや、今さらですが、あかんねぇ、俺は(^^;;
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GLASSONIONには、たくさんの素晴らしい哲学者がいて、いつも、いろんなことを、僕に教えてくれます。
そして僕は、いつも、学びの悪い生徒なのでした。
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どんな言葉も、濫用されると、言葉は、言葉に埋もれてしまうものです。
断捨離( 断行、捨行、離行 )、
商売用語となると、その意味も、現象面ばかりが、強調されるようになり、⁇な解釈もたくさん目にします。
でも、本来、断行、捨行、離行…には、計り知れないほどの、力と価値があり、人が生きることの基準を、教えてくれる言葉です。
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一期一会にしても、足るを知る、にしても、全く同じです。
自分が、改めて自分の風景に、気づくことで、感謝する気持ちや、自分がどうあるべきなのかを、教えてくれる言葉です。
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しかしながら、日常に囚われ、日常に縛られ、毎日日常と睨めっこしてると、わかってるつもりでも、やっぱり、忘れてしまうものです。
執着しすぎるから、求めることばかりをしてしまう。
執着するものを、本気で本当に、手に入れたいのなら、まず、その執着を捨て、離れること。
要らないものを断つ。
要らないものを捨てる。
執着から離れる。
これが、本当に自分が望むものを手にするための、三つの絶対条件‼︎
それで、よくよく、そのことを照らし合わせると、一流と呼ばれるアーティストも、アスリートも、大企業のトップも、それが無意識なのか、意図的なのか、それは、わかりませんが、共通して、これを、実践していることがわかりました。
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僕は、凡人だから…。
誰かに、背中を、ポンと叩かれた時に、その都度、ぼーっと歩いてた自分を、気づかされます。
まさに、僕の人生なんて、その繰り返しです。
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これから、僕の残りの人生、どれくらい、僕のSOMETHING に、近づけるものだろうか。
今日から、それを、始めようと思います。