Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

GLASSONION⭐️LINE ⭐️Facebook⭐️Instagramをもご覧ください❣️🙇‍♂️

G NEW GENERATION

2015-09-27 | 諸行無常…let it be


いよいよ、僕の捲る時がきた‼︎


いつからだろう。

僕が、世代間のギャップに悩むようになってしまっていたのは…。

伝えたくても伝わらない。
わかりたくても、どうしても、実感が湧かない。

そんなことが、ずっと続いていました。

仕方のないことと、諦めてもいました。

そんな僕に、不思議な現象が起きてきました。


昨年あたりから、二十代の若者と、親しく語れる機会が、徐々に、徐々に増えてきていることです。

特に、二十代前半の若者とは、彼等と、折半しながら、深く語れている自分を、最近は、それを、実感するようになりました。

それが何とも、とても嬉しいのですが、同じくらいに、それが何とも、不思議なのでした。



僕が、GLASSONIONを始めた頃に、まだ二十代前半だった若者らは、今、それぞれ、生き方が具体的になり、個々に、立体化してきました。


要するに、大人の人生になってきたことです。

よって、40代となった彼等とは、また新しい関係性が生まれ、そこで、会話をするようになりました。


毎年、アフリカの大地を、ヌーの大群が、草原を求めて、大移動するように、人は、20年サイクルで、世代の大移動をするのかもしれません。


流行りを商売にするお客さんから、サブカルは、20年サイクルで巡るのだと、聞いたことがあります。

なるほど!と、思いました。





そして、震災以降、すっかり止まってしまった、風もまた、吹くことを始めました。


僕の、当てにならない、第六感が、そう太鼓判を押しております。

(^^;;



その風とは、国や政治を言ってるのではなく、人の心が、運ぶ風のことです。

待ちぼうけが、得意な僕だから(^^;;、それを、敏感に感じるのかもしれません。

どんな人の心にも、待ちわびる風があります。

待ちわびる心は、誰かの風を運びます。




あなたが、待ちわびる限り、あなたは、誰かの風を運び、誰かが、あなたの風を運んできます。



あの頃、僕には、今度こそ、この風に、必ず乗ってやるぞと、決めた風がありました。


ところが、吹き始めたその風に、乗ろうとした途端、パタリとその風は、吹くのを止めたのでした。

未曾有の有様に、人は心を止め、息を潜めました。

おーい、おーいと、何度も、何度も、その風の名を呼んだのですが、返事はありませんでした。

ナンテコッタイ‼︎と、
僕は天を仰ぎ、我が身の運のなさを、嘆きました。

それから、僕はまた、風を待つことを、余儀なくされました。




九州各県に、歴史に名を残した偉人は、たくさんいます。

でも、宮崎県人だけは、なぜか、ここ1番に、ヒットを打てないのが特徴のため、いまだに、天照大神いらい、宮崎からは、有名人がでておりません。

ちょうど、僕と同じ頃です。

間の悪いのは、自分だけかと、我が身の運命を嘆いておりましたら、間の悪いのが、もう一人おりました。

そのまんま宮崎前知事でした。

あーら、やっちゃった!
間抜けねぇ、まぁ気の毒にと、眺めておりました。

(^ν^)

宮崎県人男子の特徴は、詰めの甘さ、と昔から言われております。m(_ _)m

母親から、いつも、それを説教されてましたが、未だ持ってここ1番に、どうしてもヒットを打てません。(T ^ T)


宮崎県人は、考えて、打席に立っては、ダメですね(^.^)、
ろくな結果になりません。

宮崎県人は、来た球を打つ!

球が来たから打つ!

宮崎男子は、この2つ!

( ̄^ ̄)ゞ




はてさて!

そして今、街を吹く風は、日に日に、上昇を始めています。

7年ぶりに、口ずさんでいました。

あの、ワタルさんの名曲を!

(^ν^)

♪どうやら今夜は、風向きがいい。♫

そして、何よりも。

街を行く、人の景色が、この10年で、一変したことです。


いったい、これからどんな時代が、始まろうとしているのかは、わかりませんが、時代が変わる、とは、人の景色が変わる、と言うことのようです。




坐骨神経痛が再発しかねない今、もはや、風に乗ろう、などと、おこがましい悠長な考えは、もう捨てました(^^;;


その代わりに、これからは、僕は、ひたすら風を集めることに専念します。



僕の、不思議の、解答です。


どうして、今になって、二十代の若者に、僕の言葉が彼等に伝わること、彼等の言葉が、僕の腑に落ちることを、それを、実感するのか、について…。

今時のおじさんは…
とは、言われないように。
今時の若者は、とも決して言えないと言うことです。

いつの世も、大人と若者とのギャップは、その年齢差による、空洞化が原因なのだと、わかりました。

それを、ムキになるほど、空回りするだけだともわかりました。


"俺が、とうとうバカになったか、呆けてきたのか(T ^ T)"と、心配してましたら、それだけでは、ありませんでした。


僕と、今の二十代の若者とが、ついに、親子の年齢差になったからです。

日頃の環境が、世代間の空洞を埋めてくれることで、僕と彼等には、空洞化が存在しないことです。

彼等にしてみれば、僕は、親と同じ人種だから、扱いに慣れているわけです。

でも、実際は、親子ではない。
だから、利害のないところで、理解しあえる、程よい距離感なのだと気がつきました。


程よい年齢差が、無意識に、互いに、親子の関係性とその空気を作ることで、今まで、空洞化していた世代間の溝がなくなったことです。

僕には、子供がいないから、そのことに、全く、気ずけませんでした。


彼等の言葉は、僕を上手に説得してくれます。

彼等もまた、僕の言葉を、上手に、彼等の腑に落としてくれます。

面白いことに、これは、外国人の若者についても、全く同じことが言えることです。


こればっかりは、僕の、全く予想外の現象となりました。


正直なところ、僕の、大きな自信となりました。




これが、テレビ東京あたりの、ファミリーアワーならば…

"お父ちゃん、世界一の幸せもんや"

そんなタイトルかな‼︎

(T ^ T)

お父ちゃん、いよいよ~カマしたるで‼︎

(⌒▽⌒)