いよいよ、僕の捲る時がきた‼︎
いつからだろう。
僕が、世代間のギャップに悩むようになってしまっていたのは…。
伝えたくても伝わらない。
わかりたくても、どうしても、実感が湧かない。
そんなことが、ずっと続いていました。
仕方のないことと、諦めてもいました。
そんな僕に、不思議な現象が起きてきました。
昨年あたりから、二十代の若者と、親しく語れる機会が、徐々に、徐々に増えてきていることです。
特に、二十代前半の若者とは、彼等と、折半しながら、深く語れている自分を、最近は、それを、実感するようになりました。
それが何とも、とても嬉しいのですが、同じくらいに、それが何とも、不思議なのでした。
…
僕が、GLASSONIONを始めた頃に、まだ二十代前半だった若者らは、今、それぞれ、生き方が具体的になり、個々に、立体化してきました。
要するに、大人の人生になってきたことです。
よって、40代となった彼等とは、また新しい関係性が生まれ、そこで、会話をするようになりました。
毎年、アフリカの大地を、ヌーの大群が、草原を求めて、大移動するように、人は、20年サイクルで、世代の大移動をするのかもしれません。
流行りを商売にするお客さんから、サブカルは、20年サイクルで巡るのだと、聞いたことがあります。
なるほど!と、思いました。
…
そして、震災以降、すっかり止まってしまった、風もまた、吹くことを始めました。
僕の、当てにならない、第六感が、そう太鼓判を押しております。
(^^;;
…
その風とは、国や政治を言ってるのではなく、人の心が、運ぶ風のことです。
待ちぼうけが、得意な僕だから(^^;;、それを、敏感に感じるのかもしれません。
どんな人の心にも、待ちわびる風があります。
待ちわびる心は、誰かの風を運びます。
…
あなたが、待ちわびる限り、あなたは、誰かの風を運び、誰かが、あなたの風を運んできます。
…
あの頃、僕には、今度こそ、この風に、必ず乗ってやるぞと、決めた風がありました。
ところが、吹き始めたその風に、乗ろうとした途端、パタリとその風は、吹くのを止めたのでした。
未曾有の有様に、人は心を止め、息を潜めました。
おーい、おーいと、何度も、何度も、その風の名を呼んだのですが、返事はありませんでした。
ナンテコッタイ‼︎と、
僕は天を仰ぎ、我が身の運のなさを、嘆きました。
それから、僕はまた、風を待つことを、余儀なくされました。
…
九州各県に、歴史に名を残した偉人は、たくさんいます。
でも、宮崎県人だけは、なぜか、ここ1番に、ヒットを打てないのが特徴のため、いまだに、天照大神いらい、宮崎からは、有名人がでておりません。
ちょうど、僕と同じ頃です。
間の悪いのは、自分だけかと、我が身の運命を嘆いておりましたら、間の悪いのが、もう一人おりました。
そのまんま宮崎前知事でした。
あーら、やっちゃった!
間抜けねぇ、まぁ気の毒にと、眺めておりました。
(^ν^)
宮崎県人男子の特徴は、詰めの甘さ、と昔から言われております。m(_ _)m
母親から、いつも、それを説教されてましたが、未だ持ってここ1番に、どうしてもヒットを打てません。(T ^ T)
宮崎県人は、考えて、打席に立っては、ダメですね(^.^)、
ろくな結果になりません。
宮崎県人は、来た球を打つ!
球が来たから打つ!
宮崎男子は、この2つ!
( ̄^ ̄)ゞ
…
はてさて!
そして今、街を吹く風は、日に日に、上昇を始めています。
7年ぶりに、口ずさんでいました。
あの、ワタルさんの名曲を!
(^ν^)
♪どうやら今夜は、風向きがいい。♫
そして、何よりも。
街を行く、人の景色が、この10年で、一変したことです。
いったい、これからどんな時代が、始まろうとしているのかは、わかりませんが、時代が変わる、とは、人の景色が変わる、と言うことのようです。
…
坐骨神経痛が再発しかねない今、もはや、風に乗ろう、などと、おこがましい悠長な考えは、もう捨てました(^^;;
その代わりに、これからは、僕は、ひたすら風を集めることに専念します。
…
僕の、不思議の、解答です。
どうして、今になって、二十代の若者に、僕の言葉が彼等に伝わること、彼等の言葉が、僕の腑に落ちることを、それを、実感するのか、について…。
今時のおじさんは…
とは、言われないように。
今時の若者は、とも決して言えないと言うことです。
いつの世も、大人と若者とのギャップは、その年齢差による、空洞化が原因なのだと、わかりました。
それを、ムキになるほど、空回りするだけだともわかりました。
"俺が、とうとうバカになったか、呆けてきたのか(T ^ T)"と、心配してましたら、それだけでは、ありませんでした。
僕と、今の二十代の若者とが、ついに、親子の年齢差になったからです。
日頃の環境が、世代間の空洞を埋めてくれることで、僕と彼等には、空洞化が存在しないことです。
彼等にしてみれば、僕は、親と同じ人種だから、扱いに慣れているわけです。
でも、実際は、親子ではない。
だから、利害のないところで、理解しあえる、程よい距離感なのだと気がつきました。
程よい年齢差が、無意識に、互いに、親子の関係性とその空気を作ることで、今まで、空洞化していた世代間の溝がなくなったことです。
僕には、子供がいないから、そのことに、全く、気ずけませんでした。
彼等の言葉は、僕を上手に説得してくれます。
彼等もまた、僕の言葉を、上手に、彼等の腑に落としてくれます。
面白いことに、これは、外国人の若者についても、全く同じことが言えることです。
こればっかりは、僕の、全く予想外の現象となりました。
正直なところ、僕の、大きな自信となりました。
…
これが、テレビ東京あたりの、ファミリーアワーならば…
"お父ちゃん、世界一の幸せもんや"
そんなタイトルかな‼︎
(T ^ T)
お父ちゃん、いよいよ~カマしたるで‼︎
(⌒▽⌒)