台湾の李登輝・元総統(在任期間1988~2000年)が30日、97歳で死去した。在任中に総統直接選挙を実現し、台湾の民主化を無血で成し遂げた歴史に残る政治家だった。この李氏にダイヤモンド編集部は昨年末、書面で独占インタビューを実施した。米中対立、民主主義の価値、経済成長のカギ、そして日本への助言まで語り遺したこのインタビューを、李氏への哀悼を込めて再掲載する。アジアの巨人よ、安らかに。(インタビューは質問状に対して李氏が答えた内容を、日本人秘書の早川友久氏が書面にまとめ、ダイヤモンド編集部副編集長・杉本りうこが構成・編集した)
経済は成長率だけでは理解できない。国民経済の活動を決定づけるものとして実体資本、人的資本、技術・知識などの生産投入要素のほか、制度資本(編集部注:教育や医療、金融、司法、行政などを指す。経済学者の故宇沢弘文が、社会的共通資本の一つとして提唱した)がある。
安価な労働力は、短期的には制度資本の不足を補う上で大きな効果を発揮する。だが制度資本の本質的な代替品には、永遠になり得ない。これこそが中国経済が将来あるいはすでに、必然的に直面するボトルネックであるのだ。
中国は必然的に内需型のサービス業に転換していく。だがサービス業の発展は、制度資本に依存する率がより高い。例えば言論の自由は、制度資本によって生み出される重要な要素の一つだ。メディアの言論が制限を受ける度合いが大きくなれば、都合の良い情報ばかりが報道され、都合の悪い情報が報道されることはなくなる。そうなった場合、私たちが受け取ることのできる情報の深さや広さの度合いは大幅に後退し、市場参加者が得る情報の真実性に大きな偏りを生じさせる結果となる。客観性が乏しくなれば、市場は混乱するばかりだ。
もともとアジアにおける経済発展は、日本の明治維新や戦後復興がモデルだ。国家が基礎になって「資源の配分」を行う方法である。明治期の日本ならば、農民からの地租(租税)を基に財政を調え、工業に資金を再配分した。
戦後復興であれば、重化学工業への傾斜生産方式がそれである。終戦後、台湾大学に編入するまでの1年、私は京都帝国大学(現京都大学)に通っていた。校内は寒く、ストーブはなかった。燃料となる石炭は全て工業に回されていたのである。
ワシントンコンセンサスについては自由放任市場と民主主義には関連性がないことが明らかになったし、北京コンセンサスも人権などの普遍的価値が経済発展に重要であるという基本的認識を欠いている。そして前述のように、日本と台湾の経済発展がたどってきた道は、この二つのどちらとも明らかに異なる。政府が強力な経済政策を主導することに関して、近年の日本で懐疑的な見方が強くなっているようだが、それはこうした過去の経験が忘れられているせいではないか。
明言したいのは、言論の自由が完全に保障されない国家に民主主義は根付かない、ということだ。香港の事例を見るまでもなく、人民が自分の国をどうしたいかということは、自分たちで決めればよい。そして自国の将来の選択肢を決める上で重要なのが、十分な情報だ。言論が制限され、国家や党に恣意的にコントロールされた社会においては、人民が政治的選択をする際の情報量が絶対的に不足している。
「国家を経営する」ということを考えた場合、中国のような独裁体制の方が効率が良いと捉える向きがあるそうだが、私はその意見には同意できない。あくまでも国の主人は人民であって、権力者は仕事をするために有権者から権力を借りているにすぎない。
台湾が、中国の影響力の大きい中華圏にありながら、決定的に中国と異なっているのは、この民主化の経験があるからだ。
総統を退任後、心臓病の治療で日本へ行きたいと言ったら、外務省は上を下への大騒ぎになった。また、慶應義塾大学で講演するためにビザを申請したときも同様だ。あのとき私は「日本政府の肝っ玉はネズミより小さい」と言って怒ったのを覚えている。
国会議員や外務省の官僚、あるいはマスコミにもチャイナスクールのような人たちがいる。なぜ日本人の中に、これほどまでに中国におもねる人が多いのだろうか。おそらくあの戦争で、日本が中国に対して迷惑を掛けたことを償わなければいけないという、一種の贖罪の意識が座標軸にあるのではないか。
ただ、こうした贖罪意識と、国家の政治や外交とは全く別のものであるべきだ。いつまでも中国に対する負い目を感じる必要はない。最近は、日本の外交もようやく言うべきことを言い、ペコペコ頭を下げなくなってきた。これは、日本人が自信を取り戻しつつある表れではないかと感じている。
リーダーに限らず、いまの日本人に知っておいてもらいたいことがある。日本の若い人たちがかわいそうなのは、「昔の日本は悪いことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることだ。日本は世界各国から批判されていると思い込み、自信を失ってしまっている。
児玉源太郎・第4代台湾総督の民政長官だった後藤新平は、わずか8年7カ月で台湾を「1世紀も違う」ほどの近代的な社会につくり上げ、今日の繁栄の基礎を築いた。台湾を近代化し、経済を発展させるために後藤が最初にやったことは、仕事のできない日本人の官吏1080人を首にして日本に送り返すことだった。よほどの覚悟と決心がないとできないことだ。
その一方で各方面から有能な専門家を台湾に集めた。その中には新渡戸稲造や、台湾でいまだに神様のように尊敬されているダム技師の八田與一をはじめ、数多くの能力のある日本人がいた。彼らが台湾のために働いたおかげで、現在の台湾があるのだ。
こういう話をしたら講演後、中学生の生徒代表が、「今日のお話を聞いて、自信が出ました。今までは街を歩くときに、なんだか肩身が狭い思いをしていましたが、明日からは胸を張って歩きます」とうれしそうに言ってくれた。私もうれしくなって、「がんばりなさい」と励ましたことを覚えている。
終戦後の日本人が価値観を百八十度変えてしまったことを、私はいつも非常に残念に思っている。若い日本人は、一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。そのためには、リーダーたる人物が若い人たちにもっと自信をつけてあげなければならない。日本人はもっと自信を持ち、日本人としてのアイデンティティーを持つ必要がある。そうして初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるはずだ。
すなわち政治的自由と経済的能力、社会の流動性、責任の透明化、安全といった要素は、手段と目標として全て不可分であるということだ。そして成熟した健全な政治経済社会体系では、あらゆる局面で必要とされる。
台湾がこれから、政治においても経済においても負け組になるような国難を避けるためには、どうするべきか。もう一度体制を改革し、「コンセンサス型民主主義」(編集部注:比例代表制や多党制を特徴とする民主主義)に移行する必要があると私は考えている。コンセンサス型民主主義は、権力の分担により、傷ついた社会の分裂を補修し、対立を解消するのに適した民主体制だといわれる。であるならば、いまだにアイデンティティーによって社会が分裂した台湾においては、この体制が有効な解決手段の一つとなるのではないか。民主制度は台湾の究極的な価値であるという前提の下、民主主義制度の選択を考慮する必要があると考えている。
私はこれまで「民主改革を成し遂げ、民主国家となった台湾は、もはや民族国家へと後戻りするべきではない」と主張してきた。台湾の国民が持つ共通の意識はあくまで民主主義であり、民族主義ではないのだ。