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作家・演出家
鴻上 尚史
KOKAMI Shoji
作家・演出家。1958年愛媛県生まれ。1981年に劇団「第三舞台」を結成。
現在は、プロデュースユニット「KOKAMI@network」と、「虚構の劇団」を中心に活動。
87年「朝日のような夕日をつれて’87」で紀伊國屋演劇賞団体賞、95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞。
97年に渡英し、俳優教育法を学ぶ。
10年に戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。主な著書に、『「空気」と「世間」』『クール・ジャパン!?』『不死身の特攻兵』(以上、講談社現代新書)、『「空気」を読んでも従わない』(岩波ジュニア新書)、『鴻上尚史のほがらか人生相談』(朝日新聞出版)、『孤独と不安のレッスン』(だいわ文庫)、『ドン・キホーテ 笑う!』(論創社)ほか多数。
舞台公演のかたわら、エッセイや演劇関連の著書も多く、ラジオ・パーソナリティ、テレビ番組の司会、映画監督など幅広く活動。
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〇ビーチサンダルからストーンウォッシュのジーンズ、こんなものも日本発
地下足袋がカラフルになっていると書きましたが、同じカラフルな「ビーチサンダル」は、草履が元になっています。
日本で一九五二年にアメリカ人の提案を受けた日本のメーカー(内外ゴム)が、ゴムで草履を作りました。
ゴム草履の別名が、ビーチサンダルなのです。
最初はなかなか売れませんでしたが、やがて、世界的に受け入れられるようになり、海外のブランドもビーチサンダルを出すようになり、まずはハワイで爆発的に受け入れられました。
そして、「アロハシャツ」の柄は、和服が起源だという説が有力です。
一九世紀終わりから二〇世紀初頭、ハワイに移住した日本人移民が、農作業の時に洋風の開襟シャツを着ました。
これは格子柄など、地味なデザインでした。
やがて、日本から持ってきた着物を再利用して開襟シャツ風に仕立て直したものが「アロハシャツ」の起源と言われているのです。
着物の柄ですから、派手なものが多く、それをハワイの人たちが好み、今のアロハシャツに通じる雰囲気が生まれたという説です。
今、日本人がアロハシャツを好み、輸入したり、日本発のものを作ったりしているのは、いわば、里帰りと言えるのです。
「ストーンウォッシュのジーンズ」は日本人が始めたものです。
新品のジーンズを軽石と一緒に洗って、穿き込んだ感じを演出するものです。今や、世界中にこの方法は広がりました。
多くの外国人が「子供の頃からストーンウォッシュのジーンズを穿いていたよ。
日本発なんて知らなかった」と答えました。
最近は、表面をこすって穿き皺を出したり、ガスバーナーで表面を焼いて年代物の深みを出そうとするものもあります。
こうして、世界的に、おしゃれなジーンズとして受け入れられているのです。
書道の筆の技術を使って作られた「化粧筆」は世界的に有名になり、トップモデルやハリウッドの俳優たちが使っています。
名の知れたいくつかのメーカーのものは、かなりの値段ですが、それでも世界中から注文が殺到しています。
日本が最初ということでは、「胃カメラ」もそうです。
一九五〇年、世界で最初に胃カメラが日本で実用化されました。
超小型のカメラを開発することで胃の中を見ることが可能になったのです。もちろん、世界中が注目しました。
さらに連載記事<日本の「アイスコーヒー」、じつは「外国人」には「衝撃的」だった…! その「意外なワケ」>では、「アイスコーヒー」が外国人に与えた衝撃について、詳しく解説しています。