世界標準技術開発フォローアップ市場展開

ガラパゴス化から飛躍:小電力無線IEEE802規格開発会議・・・への寄与活動拡充

中国の権力闘争がさらに激化!習近平主席の猜疑心を煽る…ベトナムが李強首相に与えた「国賓待遇」の波紋#2024.10.26#

2024-10-26 15:25:51 | 連絡
:::::
評論家 石 平 SEKI HEI
 1962年、中華人民共和国四川省成都市生まれ。
北京大学哲学科卒業、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。
日本留学中に起きた天安門事件で、中国に失望、日本に残り、研究、評論活動を行う。
2007年、日本国籍取得。『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』で第23回山本七平賞受賞。ほか著書多数
 
:::::
異例! なんで公安部トップが天津を経済視察
10月16日、中国の新華社通信が次のニュ=スを伝えた。
15日、16日の両日、中国公安部長の王小洪氏は、共産党中央書記処書記、国務委員の肩書で直轄市の天津市
2018.1.29 #天津市のGDP水増し「告白」に見る、中国経済の方針転換

で「経済の高品質発展」について視察を行ったという。

 視察中、王氏は関連企業を訪れ、当面の経済情勢と経済工作に関する習近平主席の重要講話精神の学習・貫徹を呼びかけた。
同時に彼は、内需の拡大、経済構造の向上、全国統一大市場の構築などについて語り、それらの重要性を強調したという。 
王氏は国務委員の一人ではあるが、本職が公安部長であって、全国の公安警察の総責任者だ。
国務院における彼の役割分担はあくまでも公安や治安維持である。
したがって彼の立場と仕事は本来、「経済」とは何の関係もない。
公安責任者が地方で企業を視察して「内需の拡大、経済構造の向上」を語るのはまさに前代未聞の大珍事、荒唐無稽でさえある。
■習近平人脈の中核中の中核
王氏の経歴をみれば、彼が1984年から2013年までにずっと福建省で公安警察の仕事に従事していたが、習近平主席は1990年から96年までに福州市党委員会書記を務めた時、王氏が福州市公安副局長・局長を歴任し、習氏直轄の部下として仕え、それ以来、習氏の側近の一人となった。
そして2012年秋の習近平政権成立後、王氏はまず河南省公安庁長に昇進し、2015年には北京公安局長に転任、16年からは公安部副部長、2022年には公安部長に昇進して全国の公安警察のトップとなって、習主席の公安警察掌握の要となった。
その一方、王氏は習主席一番側近の政治局常務委員の蔡奇と並んで、習近平の福建省勤務時代からの「譜代側近」として、今や習政権の一番中枢の「福建組」の核心人物の一人でもある。
 
■他に信頼できる側近がいない!?
このような背景からは、公安警察トップの王氏が突如、天津に現れて、畑違いの「経済視察」を行ったことの理由がある程度分かってくる。
つまり、本来は習主席の側近であるはずの李強首相が経済運営の問題上、習主席と悉く対立している中で、
習主席は李首相を制する切り札として、国務委員でもある公安トップの王氏に経済運営に関与させることによって、李首相の仕事を邪魔し徹底的に牽制する魂胆であろう




そしてそのことは、習主席と李首相との信頼関係が完全に崩壊したことを意味する一方、習主席は今、蔡奇や王小洪など数名の福建時代からの「譜代側近」以外に、もう誰も信頼できなくなっていることを意味する。

信頼できる人が数名しかいないから、習主席はやむを得ず、公安一筋の王氏に無理やり「経済」を語らせ、経済運営にまで関与させようとしているが、これほど荒唐無稽なことは逆に、習近平政権は完全に行き詰まって末期症状を呈していることを示している。
そして公安警察トップが経済運営に口出しするようでは、中国経済自体は地獄入りする以外にないのであろう。 
■もはやベトナムが李強を「元首」扱い
一方、渦中の人物である李首相の方でも最近、次のような興味深い動きがあった。
今月12日と13日の両日、ラオスでの国際会議参加を終えた彼はその足でハノイへ行き、二日間の日程でベトナムに対する公式訪問を行った。
訪問での首脳会談の中には特に注目すべきところは特にないが、意外だったのは、ベトナム側の李首相に対する異例な厚遇ぶりである。 
12日の夕刻、李首相がハノイ空港に到着した時、ベトナムの副首相兼外相は飛行機の下で彼を迎えた。
そしてその晩のうち、李首相はベトナム共産党中央本部へ赴き、ベトナム共産党総書記・国家主席トー・ラムと会談した。
ベトナムでは総書記・国家主席は国家元首の立場であって、中国首相のカウンターパートナーではなく、本来、李首相と会談しなくても良い。
たとえ会談があるとしても、李首相の表敬訪問を受ける形での儀礼的な会談で済ませて良い。
しかし今回、ベトナム主席は高官たちを率いて李首相をトップとする中国側と長方形のテーブルを挟む形での正式会談を行った。
それは普通、対等な立場にある首脳同士の会談の様式である。
 
そして翌日の13日、今度はベトナム首相は李首相の歓迎式典をとり行った後に首脳会談。
午後には、ベトナムの国会主席(議長)が李首相と会談した。
このようして、李首相訪越の二日間において、ベトナム側は党・国家・政府・国会のトップが総出の形で彼と会談したわけである。
それは普段、習近平主席やバイデン大統領などの外国元首に対する首脳外交の行い方であって、中国の首相であるはずの李首相に事実上の国賓待遇を与えたのである。
■猜疑心の強い習近平は……
習主席と李首相との確執がすでに表面化している中で、ベトナム側は一体どうして、習主席の不興を買うかもしれないことも覚悟の上、李首相に余分な厚遇を与えたのか。
ここに出てくる可能性の一つはすなわち、同じ共産党一党独裁国家として共産党流の権力闘争をよく知っているベトナムは、最近の動向から李首相の台頭が不可避と読んで、将来有望の李首相に恩を売っておく判断となっているのではないか。
つまり、李首相に対する異例な厚遇の背後には、中国中枢部の権力闘争の行方に対するベトナム側の読みと国益からの打算があると思われるが、その一方、ベトナム側のこの挙動は逆、習近平vs.李強の確執に火を注ぐことにもなりかねない。
猜疑心が強く了見の狭い習主席は、子分の李首相がベトナムで国家主席の自分と同様な待遇を受けたことに対し不快ないし嫉妬を感じてしまう可能性が十分にある。
そして、その一方、李首相が国際的に評価が高まることに対し、独裁者の習主席はそれが自分の地位に対する潜在的脅威だと捉えて警戒心を強めることもある。
ベトナムが余計なことをしてくれたことで、習主席と李首相との確執がむしろ深まる方向へと向かい、いよいよ「佳境」に入っていく様相である。
検索引用サイト



最新の画像もっと見る

コメントを投稿