み か さ(3 )
平成 29 年4月1日(土)発行 第 30 号
平成 29 年4月1日(土)発行 第 30 号
東京海洋大元客員教授 毛 利 邦 彦
早稲田大学 元客員教授 三笠保存会評議員 太 田 現一郎
日本海海戦の端緒における仮装巡洋艦 信濃丸からの無線電信は、聯合艦隊側に 十分な事前情報を与え、的確な戦術を講 じるに必要な準備を与えた。三六式無線 電信機の開発に邁進した木村駿吉海軍技 師は、海戦の後に、大いに感謝をされた。 他方、筆者らは長年疑問を抱いてきた ことがある。それは三六式無線電信機の 公称通信距離が 80 海里(約150㎞)で あったにも関わらず、ときにはこれを大 きく超える通信が達成されたことであ る。
このほど筆者らは、三六式無線電信機 の開発から海戦時に到る電波伝搬状況を 調べ、当時の電離層の状態が長距離通信 をもたらす好機であったことを確かめ た。
すなわち、日本海海戦においては、天 もわが国に無線電信で味方したと言え る。
このほど筆者らは、三六式無線電信機 の開発から海戦時に到る電波伝搬状況を 調べ、当時の電離層の状態が長距離通信 をもたらす好機であったことを確かめ た。
すなわち、日本海海戦においては、天 もわが国に無線電信で味方したと言え る。
「三笠」の無線電信室には三六式無 線電信機が装備されていた。明治 38 年(1905年)5月 27 日、五島列 島西方において哨戒中の仮装巡洋艦 「信濃丸」から発信された「敵艦見ゆ」 の第1報は、第3艦隊旗艦「厳島」 を経由してこの電信室で受信され、 東郷司令長官の「敵艦隊見ゆとの警 報に接し…」の連合艦隊出撃報告も この電信室から海底ケーブルを経由 して発信された。
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