第6部 京城と総括編 その4
一番売られていったのが確かな我が家の「ねえやさん」に付いて考えを巡らすと。
泣きながら売られていった彼女たちが戦後親元に帰った時に親たちは娘さんにどう説明したのでしょう。
親は絶対に売ったとは言わなく他の説明をしたと思うのです。ひょっとすると私の父がどうしても借金を返せと言うので、しかたなしに売ったのだと説明するかもわかりません。
戦後、多くの日本人孤児が日本に来て家族捜しをしています。しかし、親が名乗り出なく帰っていく可愛そうな孤児がいます。
何故だろうか。小学校6年生で満州を放浪して帰ってきた弟は、このように説明しています。
満州で放浪中に餓えで、幼子を食料に変えた日本人が大勢いた。だから親とは名乗っていかないのや、自分が生きるために子供を売る親は私が親だと名乗れないのだと言っています。
私は、之には反論はできません。
なぜなら、此の弟にも心の傷があるのです。いぜんこのブログにも書きましたが、小学校6年生の弟と小3の妹が放浪の最後に妹をほったらかして、自分だけ最終の引き揚げ船に乗ろうとしたらしいのです。
兄として、この二人を見ていると生死の境を彷徨いながら幼い二人が日本に帰っていたのに余り仲の良い兄妹ではありません。なぜだか分かりませんでしたが、先日その原因が分かったのです。
一昨年、家内が妹と長電話している時に家内が
「なぜ貴女は下の兄さんを毛嫌いするの」
と今まで気になっていた事を聞いたらしいのです。すると
「今まで誰にも言っていなかっただけど聞いてくれる」「もう歳だしいつ死ぬかも分からないから死ぬまで誰かに聞いてほしかったのや、姉さんだけ聞いて、でもお兄ちゃん(私の事)には言わないで」
妹は、私がこのことを知る事によって、どのような行動に出るかが心配だったのかも分かりません。
家内は涙を浮かべながら二時間ほどしゃべっていました。
前にも書きましたが、重複すると思いますがもう一度書いてみます。
家内からの話を要約すると内容は
「引揚船に乗る直前になって、お兄ちゃんが『そこに待っとけよ』絶対に動いたらだめだ」
といって居なくなって一時間ほど待っても帰って来やへんのや、不安になって泣いていたら、知らないおっちゃんが、
「どうしたの」
と聞いてくれたので、
「お兄ちゃんが、ここで待っておけ,ぜつたいに動いたらだめだと言ってあっちへ行って、まだもどって来ないの」
というと、
「日本に帰るのだろ、船に乗るのなら、最後の引き揚げ船だから速く行かんと乗れなくなる」
と
「船着き場まで連れていってくれるたんや、そうしたらお兄ちゃんが皆と一緒に並んでいたんや」
傍に行くと
「あっ来たのか」と
一こと言っただけであっちを向いていた。
「お兄ちゃんは私が手足まといになって、私を捨てて帰ろうとしたんや、
それが何時までたっても心の端に残っているんや」
と戦後半世紀の間、心に溜めていたことを切々と家内も泣きながらはなしていたようでした。
以下次回
一番売られていったのが確かな我が家の「ねえやさん」に付いて考えを巡らすと。
泣きながら売られていった彼女たちが戦後親元に帰った時に親たちは娘さんにどう説明したのでしょう。
親は絶対に売ったとは言わなく他の説明をしたと思うのです。ひょっとすると私の父がどうしても借金を返せと言うので、しかたなしに売ったのだと説明するかもわかりません。
戦後、多くの日本人孤児が日本に来て家族捜しをしています。しかし、親が名乗り出なく帰っていく可愛そうな孤児がいます。
何故だろうか。小学校6年生で満州を放浪して帰ってきた弟は、このように説明しています。
満州で放浪中に餓えで、幼子を食料に変えた日本人が大勢いた。だから親とは名乗っていかないのや、自分が生きるために子供を売る親は私が親だと名乗れないのだと言っています。
私は、之には反論はできません。
なぜなら、此の弟にも心の傷があるのです。いぜんこのブログにも書きましたが、小学校6年生の弟と小3の妹が放浪の最後に妹をほったらかして、自分だけ最終の引き揚げ船に乗ろうとしたらしいのです。
兄として、この二人を見ていると生死の境を彷徨いながら幼い二人が日本に帰っていたのに余り仲の良い兄妹ではありません。なぜだか分かりませんでしたが、先日その原因が分かったのです。
一昨年、家内が妹と長電話している時に家内が
「なぜ貴女は下の兄さんを毛嫌いするの」
と今まで気になっていた事を聞いたらしいのです。すると
「今まで誰にも言っていなかっただけど聞いてくれる」「もう歳だしいつ死ぬかも分からないから死ぬまで誰かに聞いてほしかったのや、姉さんだけ聞いて、でもお兄ちゃん(私の事)には言わないで」
妹は、私がこのことを知る事によって、どのような行動に出るかが心配だったのかも分かりません。
家内は涙を浮かべながら二時間ほどしゃべっていました。
前にも書きましたが、重複すると思いますがもう一度書いてみます。
家内からの話を要約すると内容は
「引揚船に乗る直前になって、お兄ちゃんが『そこに待っとけよ』絶対に動いたらだめだ」
といって居なくなって一時間ほど待っても帰って来やへんのや、不安になって泣いていたら、知らないおっちゃんが、
「どうしたの」
と聞いてくれたので、
「お兄ちゃんが、ここで待っておけ,ぜつたいに動いたらだめだと言ってあっちへ行って、まだもどって来ないの」
というと、
「日本に帰るのだろ、船に乗るのなら、最後の引き揚げ船だから速く行かんと乗れなくなる」
と
「船着き場まで連れていってくれるたんや、そうしたらお兄ちゃんが皆と一緒に並んでいたんや」
傍に行くと
「あっ来たのか」と
一こと言っただけであっちを向いていた。
「お兄ちゃんは私が手足まといになって、私を捨てて帰ろうとしたんや、
それが何時までたっても心の端に残っているんや」
と戦後半世紀の間、心に溜めていたことを切々と家内も泣きながらはなしていたようでした。
以下次回