07年10月23日 火曜日 まだ戦後は続いている。
21日の日曜日にMBSとNHKで、二つの全く異なった戦時の放送があった。
MBSは元シベリア抑留者の石元砂雄(83)さんのシベリア抑留時代の当時の体験談。多くの兵士が過酷な条件の中で多くの戦友が餓えと重労働の中でばたばたと亡くなっていく。
(シベリア抑留者は・約60万人といわれている)
私も忘れていた、この話をしても現在この現実を知っている人は人口の何%いるのだろうか。間違ったているかも分からないが、当時、ラーゲル?でろくな食料も与えられずバタバタと多くの兵士が死んでいったという遠い昔の話。
そして,亡くなった戦友の屍骸は褌一つにして埋める。普通死者は埋葬と言うのだが、埋葬とは云えるじ容態でない当時の模様。死者の着ていた物は生きている者が生きるがために頂戴する悲惨な状態だったと当時を彷佛しながら語られていた。
これは、満州を放浪していた弟も同じようなことを言っていた。
その中で生き延びた兵士が日本に帰ってからの政府の対応が、いかに冷たいものだったか。
舞鶴に上陸した時に、市役所からはたった二人しか出迎えてなく、腹が立って文句を言うと、「警察は共産党がかえってきた」といわれ、マークされてまともな仕事には付きにくかったと当時を懐古されていた。
考えると、その当時に「シベリアから帰される元兵士は、共産主義を叩き込まれた人間だけが帰されたのだ」と言う実しやかな話も思い出した。
1989年に抑留経験者が、その当時の強制労働の保証を求めて法廷闘争をした。(なぜ政府に強制労働の金銀未払いの賠償請求をしたかは省く)しかし東京地裁は訴えを破棄。
長くなるので番組の経緯はこのくらいにしますが、私我は腹立たしく思うのは、戦争に負けたのは致し方ない。兵士として戦場に出るのも負けて捕虜になるのも仕方がないことだろうと思う。
しかし、この兵士たちがやっと日本の地に降り立った後の政府の対応なのだ。
テロップ参照・1 (ここをクリック)
南方から復員してきた軍人は帰還兵に労働証明書を渡していたので、未払い賃金を渡している。しかし、ソ連は負けた国の兵士は奴隷と同じだと労働証明は渡さなかった。
しかし、エリツィン大統領になって送ってくれた証明は国家として認められないということだ。
考えると、関東軍は沖縄のような大きな戦には成っていない。しかしシベリアに送られた弟にいわすと、逃げた兵士でなく先頭に立って体した武器もなく戦った兵士なのだ。
そして、シベリア組に送られた組は参照の中にある、たった三行26文字の証書と特別慰労品なのである。
テロップ参照・2 (ここをクリック)
石元砂雄さんは、生き残りの仲間を集めて再度訴訟をおこす準備をはじめておられる。
なぜなら、極秘文書として当時の関東軍司令が、ソ連の「ワシレフスキー元帥にあてた文書が見つかったからだそうだ。
テレビでは文字を大きく映し流していたので部分的にとりだして一つに纏めてみた。
之を見ると、関東軍の司令は、部下たちは煮て食おうが焼いて食おうがご自由にといっているように感じ、番組のプロジューサーは全文読めるのてそう解説していた。
この司令のこの文章、そして戦後、命をとして戦った兵士への態度、国家が命を掛けて戦った保証が、感謝の言葉もない国家を感じ本当に腹が立たされる番組だった。
今、特措法で揺れている。給油も20から80の間違えを気付かなかったなど嘘は見え見えだ。
これではシビリアンコントロールは出来ないだろう。
また、其れが本当だとすると、其の様な間違いを犯す軍隊など、どこと戦争をしても負けるに決まっている。
この番組は、満州から帰ってきた人々には、関東軍について複雑な思いで人それぞれに違う感情があると思う
しかし、負け戦の悲哀を骨の髄から味わっているとまではいかないが、何時もいっているが此のシベリア帰りの元兵士のような庶民なのだと言うことを再度認識さされる番組だった。
やはり、地球上に軍隊というもがあっては、もめ事や戦争は無くならないと感じた。
明日は、学徒兵の見聞記を書きます。
21日の日曜日にMBSとNHKで、二つの全く異なった戦時の放送があった。
MBSは元シベリア抑留者の石元砂雄(83)さんのシベリア抑留時代の当時の体験談。多くの兵士が過酷な条件の中で多くの戦友が餓えと重労働の中でばたばたと亡くなっていく。
(シベリア抑留者は・約60万人といわれている)
私も忘れていた、この話をしても現在この現実を知っている人は人口の何%いるのだろうか。間違ったているかも分からないが、当時、ラーゲル?でろくな食料も与えられずバタバタと多くの兵士が死んでいったという遠い昔の話。
そして,亡くなった戦友の屍骸は褌一つにして埋める。普通死者は埋葬と言うのだが、埋葬とは云えるじ容態でない当時の模様。死者の着ていた物は生きている者が生きるがために頂戴する悲惨な状態だったと当時を彷佛しながら語られていた。
これは、満州を放浪していた弟も同じようなことを言っていた。
その中で生き延びた兵士が日本に帰ってからの政府の対応が、いかに冷たいものだったか。
舞鶴に上陸した時に、市役所からはたった二人しか出迎えてなく、腹が立って文句を言うと、「警察は共産党がかえってきた」といわれ、マークされてまともな仕事には付きにくかったと当時を懐古されていた。
考えると、その当時に「シベリアから帰される元兵士は、共産主義を叩き込まれた人間だけが帰されたのだ」と言う実しやかな話も思い出した。
1989年に抑留経験者が、その当時の強制労働の保証を求めて法廷闘争をした。(なぜ政府に強制労働の金銀未払いの賠償請求をしたかは省く)しかし東京地裁は訴えを破棄。
長くなるので番組の経緯はこのくらいにしますが、私我は腹立たしく思うのは、戦争に負けたのは致し方ない。兵士として戦場に出るのも負けて捕虜になるのも仕方がないことだろうと思う。
しかし、この兵士たちがやっと日本の地に降り立った後の政府の対応なのだ。
テロップ参照・1 (ここをクリック)
南方から復員してきた軍人は帰還兵に労働証明書を渡していたので、未払い賃金を渡している。しかし、ソ連は負けた国の兵士は奴隷と同じだと労働証明は渡さなかった。
しかし、エリツィン大統領になって送ってくれた証明は国家として認められないということだ。
考えると、関東軍は沖縄のような大きな戦には成っていない。しかしシベリアに送られた弟にいわすと、逃げた兵士でなく先頭に立って体した武器もなく戦った兵士なのだ。
そして、シベリア組に送られた組は参照の中にある、たった三行26文字の証書と特別慰労品なのである。
テロップ参照・2 (ここをクリック)
石元砂雄さんは、生き残りの仲間を集めて再度訴訟をおこす準備をはじめておられる。
なぜなら、極秘文書として当時の関東軍司令が、ソ連の「ワシレフスキー元帥にあてた文書が見つかったからだそうだ。
テレビでは文字を大きく映し流していたので部分的にとりだして一つに纏めてみた。
之を見ると、関東軍の司令は、部下たちは煮て食おうが焼いて食おうがご自由にといっているように感じ、番組のプロジューサーは全文読めるのてそう解説していた。
この司令のこの文章、そして戦後、命をとして戦った兵士への態度、国家が命を掛けて戦った保証が、感謝の言葉もない国家を感じ本当に腹が立たされる番組だった。
今、特措法で揺れている。給油も20から80の間違えを気付かなかったなど嘘は見え見えだ。
これではシビリアンコントロールは出来ないだろう。
また、其れが本当だとすると、其の様な間違いを犯す軍隊など、どこと戦争をしても負けるに決まっている。
この番組は、満州から帰ってきた人々には、関東軍について複雑な思いで人それぞれに違う感情があると思う
しかし、負け戦の悲哀を骨の髄から味わっているとまではいかないが、何時もいっているが此のシベリア帰りの元兵士のような庶民なのだと言うことを再度認識さされる番組だった。
やはり、地球上に軍隊というもがあっては、もめ事や戦争は無くならないと感じた。
明日は、学徒兵の見聞記を書きます。