三重県熊野市、七里御浜です。
熊野古道、松本峠を下ってきて、熊野三山のひとつ新宮の熊野速玉大社をめざすのが、この七里御浜を通る熊野古道浜街道です。
七里御浜は七里28kmもありませんが、約22kmの長大な砂礫海岸です。
①昨日、松本峠付近の東屋から見た七里御浜です。
②望遠で近寄ってみます。
中央部が井戸川の水を国道42号などを暗渠でくぐり、海へ流すボックスカルバート。
右側手前が獅子岩。
③海上からの七里御浜。
④七里御浜最北部の木本漁港から。
⑤⑥みはま小石を拾っているようです。
アクセサリーや装飾用に使われています。
⑦~⑨熊野の冬の風物詩、さんまの天日干しです。
冬場、ほどよく脂が落ちたさんまの丸干しを作っています。
焼いてハラワタごと食べるとうまいです。
撮影、掲載の許可をもらって写しています。
⑦
⑧今年のさんまは小ぶりが多いとのことです。
⑨さんまのすだれ干しが、浜風に揺れています。
⑩海と空が明るく広いです。
南国の風景です。
⑪ここの海岸はドン深です。
遊泳禁止になっています。
⑫折から船が帰ってきました。
防波堤の後は鬼ケ城の西端です。
⑬熊野灘に向かって咆哮する、高さ25mの巨大な岩、獅子岩です。
⑭逆光に煌めく海を包みこむように弧を描いて、七里御浜は和歌山との県境付近まで続きます。
⑮
⑯
⑰防波堤の外は、クロマツを中心とした雑木林です。
⑱10数kmほど南下してきました。
もちろん、歩きではなく車です。
御浜町にある道の駅、パーク七里御浜付近です。
この背後、南側の紀宝町の海岸は、台風の復旧工事中のため通行できないところも多く、写真撮影は断念しました。
残念ながら七里御浜の海岸は痩せて、狭くなってきています。
この砂礫海岸を形成してきた熊野川水系からの砂利の供給が、いくつかのダム建設により断たれたのが原因と指摘されています。
熊野古道、松本峠を下ってきて、熊野三山のひとつ新宮の熊野速玉大社をめざすのが、この七里御浜を通る熊野古道浜街道です。
七里御浜は七里28kmもありませんが、約22kmの長大な砂礫海岸です。
①昨日、松本峠付近の東屋から見た七里御浜です。
②望遠で近寄ってみます。
中央部が井戸川の水を国道42号などを暗渠でくぐり、海へ流すボックスカルバート。
右側手前が獅子岩。
③海上からの七里御浜。
④七里御浜最北部の木本漁港から。
⑤⑥みはま小石を拾っているようです。
アクセサリーや装飾用に使われています。
⑦~⑨熊野の冬の風物詩、さんまの天日干しです。
冬場、ほどよく脂が落ちたさんまの丸干しを作っています。
焼いてハラワタごと食べるとうまいです。
撮影、掲載の許可をもらって写しています。
⑦
⑧今年のさんまは小ぶりが多いとのことです。
⑨さんまのすだれ干しが、浜風に揺れています。
⑩海と空が明るく広いです。
南国の風景です。
⑪ここの海岸はドン深です。
遊泳禁止になっています。
⑫折から船が帰ってきました。
防波堤の後は鬼ケ城の西端です。
⑬熊野灘に向かって咆哮する、高さ25mの巨大な岩、獅子岩です。
⑭逆光に煌めく海を包みこむように弧を描いて、七里御浜は和歌山との県境付近まで続きます。
⑮
⑯
⑰防波堤の外は、クロマツを中心とした雑木林です。
⑱10数kmほど南下してきました。
もちろん、歩きではなく車です。
御浜町にある道の駅、パーク七里御浜付近です。
この背後、南側の紀宝町の海岸は、台風の復旧工事中のため通行できないところも多く、写真撮影は断念しました。
残念ながら七里御浜の海岸は痩せて、狭くなってきています。
この砂礫海岸を形成してきた熊野川水系からの砂利の供給が、いくつかのダム建設により断たれたのが原因と指摘されています。
松本峠から見る浜街道の松並木も手入れが行われているとは聞きましたが、何時までも残してほしい風景の一つですね。
そうですか、若い頃に熊野におられましたか。
私も世界遺産になるまで、松本峠など知りませんでした。
今回で、やっと二回目です。
さんま干しの風景を見、七里御浜を眺めると、熊野に来たということを実感しますね。
実は今、熊野を通りこして、潮岬に向かっています。
天気がいまいちですが、またアップしますので、ご覧ください。