先日の「ひとりごと」の後、ここから黙って消えて行くことも考えたですが、私のブログをご愛顧いただき、ご交誼いただいた皆様と、このブログへの未練と愛惜から最後にごあいさつを申し上げることになりました
今、時々襲ってくる痛みや苦しみに耐え、また極めて疲れた状態にあります。
胃ガンが発見されてから2年6ヶ月、そのときすでにステージ3Cでした。
ステージ4になってから約2年3月、私はよくがんばったものと思っています。
しかし今の状態ではこのブログを続けて行くのは困難になりました。
ブログの掲載はこれまでとさせていただきます。
私をここまで引っ張ってくれた原動力のひとつがブログです。
取材し、写真を撮り、調整し、記事を書く(3月以降は以前の写真を構成したものが多くなりましたが)。
これは相当無理をした、きつい作業だったこともありましたが、私の楽しみであり喜びであり、生きている証しと思って、どんなにつらい日でも毎日続けてきました。
ブログの向こうに見える、ご覧いただき、楽しんでいただく皆さんのお顔が、私をここまで引っ張っていただきました。
皆さんのおかげで、私が予想以上に長く生きながらえ、ブログを続けることが出来ました。
私にとってやはりガンは治らない病気でした。
ガンは治らない死に直結する病気との恐れを持って、予防と早期発見に努めてください。
それでも罹ってしまったら、医学、薬学の進歩はめざましいものがあり、ガンは治る可能性もある病気との希望を持って戦ってください。
皆様、お元気でお過ごしください。
この記事は私がまだパソコンのキーをたたく余力があったときに、ほとんど作ってあったものです。
今の私にはコメントをいただいてもご返事を差し上げる力がありません。
コメント欄は閉じさせていただきます。
なお私のブログは当面、このままの状態にいたします。
更新はありませんが引き続き過去の「風景写真」と「音楽」をお楽しみいただければ、こんなうれしいことはありません。
最後に、以前掲載した「何処(いずこ)へ」を森繁久彌の歌で再びお聴きください。
作詞松本礼児、作曲、穂口雄右。
何処(いずこ)へ 森繁久彌 <YOUTUBE>から
今、時々襲ってくる痛みや苦しみに耐え、また極めて疲れた状態にあります。
胃ガンが発見されてから2年6ヶ月、そのときすでにステージ3Cでした。
ステージ4になってから約2年3月、私はよくがんばったものと思っています。
しかし今の状態ではこのブログを続けて行くのは困難になりました。
ブログの掲載はこれまでとさせていただきます。
私をここまで引っ張ってくれた原動力のひとつがブログです。
取材し、写真を撮り、調整し、記事を書く(3月以降は以前の写真を構成したものが多くなりましたが)。
これは相当無理をした、きつい作業だったこともありましたが、私の楽しみであり喜びであり、生きている証しと思って、どんなにつらい日でも毎日続けてきました。
ブログの向こうに見える、ご覧いただき、楽しんでいただく皆さんのお顔が、私をここまで引っ張っていただきました。
皆さんのおかげで、私が予想以上に長く生きながらえ、ブログを続けることが出来ました。
私にとってやはりガンは治らない病気でした。
ガンは治らない死に直結する病気との恐れを持って、予防と早期発見に努めてください。
それでも罹ってしまったら、医学、薬学の進歩はめざましいものがあり、ガンは治る可能性もある病気との希望を持って戦ってください。
皆様、お元気でお過ごしください。
この記事は私がまだパソコンのキーをたたく余力があったときに、ほとんど作ってあったものです。
今の私にはコメントをいただいてもご返事を差し上げる力がありません。
コメント欄は閉じさせていただきます。
なお私のブログは当面、このままの状態にいたします。
更新はありませんが引き続き過去の「風景写真」と「音楽」をお楽しみいただければ、こんなうれしいことはありません。
最後に、以前掲載した「何処(いずこ)へ」を森繁久彌の歌で再びお聴きください。
作詞松本礼児、作曲、穂口雄右。
何処(いずこ)へ 森繁久彌 <YOUTUBE>から