昨日、宇都宮線に乗っていたら大宮駅に着く直前に隣に座っていた女性から声を掛けられました。
すみません
はい
この電車って南栗橋着きますよね?
つきません
え?つかない?
はい、つきません
え~~~~
(え~って言われても)線が
言いかけたら電車の扉があいた
どうしようじゃあ、ここで降りた方がいいかしら
(下向いて話しているけれど独り言?どっちなんだろう)・・・。あっ顔が上がった
さっき、聴いた人は着くって言ったのにっ
最後に捨て台詞で、電車を降りて行った。
なんていいうか、前の人がどう答えたとか、私がなんて言ったかじゃなく
自分で決めようよって言いたくなった
不安だから沢山の人に聴く、でも不安は消えない判断基準が「聴いた人」のみで行動しているからだと私は思う。
座るのを諦めたら、電車内に路線図のっているんだから自分の足で移動して目で確認したら済んだのではないでしょうか?
・・・また、辛いこと言ってますかね・・・
人・外の情報は参考にして良いけど、あてにしない(鵜呑みにしない)って感じの事が言いたいです
どんなものを参考にするのも、取り入れるのも自由だけれど、最後に決めるのは自分でしょ
無理やり決められた、なんて感じる時でも引き受けたのは自分、なら文句を言わないでやる、
嫌なら断る、協力を求め、納得できる形になったら引き受ける、文句が出ない自ら進んでやれる。
解らないから聴く、解りたいから聴く、お互いにとって良いところを探りたいから聴く
決断は自分
決断とは「決めることで迷いを断ち切る」ってジェームス・スキナーさんが言ってました本当にその通りだと思います。
キチンと聴いてから、納得して選びたい双方なかなか折りが合わないこともあるけれど、これからも続けて行きたい関わり方の1つ
この出来事で、結構、最後は自分で決めるって事に、こだわりがあるんだな~って思いました(笑)
相手からみたら結構めんどうくさいかも
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