腎臓が腫れて休養、過去記事。坊さんは高級車

2021年06月16日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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透析やらない3ヶ月半😺生きてます~🐹🐹

2021年05月18日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
透析やらない3ヶ月半😺生きてます~🐹🐹
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腎臓機能障害による入院でドラマ降板の佐野史郎

2021年05月07日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...


腎臓機能障害による入院でドラマ降板の佐野史郎、「しっかり治癒させるのも俳優の仕事」

5/5(水) 6:00配信
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スポーツ報知

佐野史郎

 俳優の佐野史郎(66)が、腎臓機能障害による体調不良のため入院し、出演中だったTBS系連続ドラマ「リコカツ」(金曜・後10時)を降板することを4日、発表した。代役として平田満(67)が7日放送の第4話から出演する。

 佐野はこの日、自身のホームページ(HP)で自らの病状を説明。先月18日に熊本で行われた映画祭のトークイベントを終え、帰京した19日に39度台の発熱があったという。新型コロナウイルスの検査は陰性だったが「リコカツ」の植田博樹プロデューサーに紹介され医療機関を受診したところ、同月下旬に腎臓機能障害が判明。佐野はTBSを通じ「プロの俳優として恥ずかしい限り」とコメントし、HPでも「ここはしっかりと治癒させるのも、長い目で見た時の俳優の仕事と、決断した次第です」とつづった。

 「リコカツ」で佐野は、北川景子(34)演じる主人公の父で、連れ添った妻から離婚を切り出される水口武史役を演じていた。ドラマ関係者は「特段体調が悪そうな様子はなかったので、突然(の降板)で驚きました」。同局によると、代役の平田は4月の最終週から合流。佐野が出演したオンエア前の映像が1シーンだけ残っていたものの、平田ですでに撮り直し、台本の差し替えなどはない。HPで佐野は「平田満さんには、深く深く、心より感謝申し上げる」とコメントした。

 佐野は19年11月、日本テレビ系大みそか特番「笑ってはいけない青春ハイスクール24時!」のロケ中に第三腰椎を骨折し休養した経験もある。今回の腎臓機能障害では、撮影を予定していたほかの作品も降板するという。佐野は「みなさまに、これ以上ご迷惑をおかけしないよう、体調を整え、この先さらなる精進をしてまいりたい」と述べた。

 ◆佐野 史郎(さの・しろう)1955年3月4日、島根・松江市生まれ。66歳。劇団「シェイクスピア・シアター」や唐十郎主宰「状況劇場」など、舞台での活躍を経て、86年に映画デビュー作「夢みるように眠りたい」で主演。92年、TBS系「ずっとあなたが好きだった」の冬彦役で一躍ブレイクし、名バイプレーヤーとして活躍。大の怪談・妖怪フリークとしても知られる。

◇共演の永山瑛太がエール

 〇…「リコカツ」で佐野の義理の息子役を演じている永山瑛太(38)は自身のインスタグラムで「以前、共演させていただいた時に『もっと人と違う芝居してみたら』と声をかけていただき芝居のアプローチの面白さを教えていただきました。佐野さん覚えてないかも知れないけど…」とかつての思い出を回顧。「リコカツ」の1話の結婚式の共演シーンのオフショットとともに「ゆっくり療養されて、また芝居や音楽の話しましょう!」とエールを送った。



pap***** | 24分前

腎臓ですか・・・現在の医療では、、腎臓の特効薬というものが無いんですよね・・

機能障害という事は・・・最悪、透析しなければならなくなる可能性が有りますね。

お大事に。。。

返信0

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dbh***** | 37分前

世の中、腎臓を悪くされる方が意外と多いので、焦らずじっくり治療に当たって下さい。

返信0

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横山大観 | 36分前

病名が分からないと何だか分からん?腎炎なんだか糖尿あたりから来る腎不全なんだか。

返信0

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tensai***** | 7分前

腎臓は実は1番怖い臓器とされています。




BIG3 | 18時間前

腎臓機能障害で入院とは大変心配です。
佐野さんの降板は非常に残念ですが、ここはじっくり療養されて、再び元気で存在感のある佐野さんの復帰を願っています。

返信38

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buh***** |18時間前

冬彦さんももう66歳。今ではどんな役でもこなせる貴重な役者さんで大好きです。
腎臓障害とはとても心配ですので、どうかきちんと治療してほしいです。
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yag***** |17時間前

腎臓は怖いから、気をつけてほしいですね。

昨年は怪我もあったし、本当に無理はしないように。
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miy***** |17時間前

この記事だけでは、佐野さんが透析必要かどうかは分かりません。腎機能がどの程度低下したかによります。
一度低下した腎臓の機能を元の状態に戻すことはできないので、さらなる腎機能低下や合併症の腎不全で透析導入にならないように薬物療法や食事療法のほか、腎臓の負担を減らす日常生活の心がけも必要になってきます。タンパク質・塩分・カリウム・リンの摂取制限やカロリーと水分の適切な摂取も必要になってきます。
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pot***** |17時間前

不測の事態だったのかもしれないけど
この年齢なので 腰椎骨折が
影響したっていう可能性がありますよね。
後 それに伴う 鎮痛剤の使用とかね。
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***d** |16時間前

>慢性腎疾患持ちだと普通は透析に備え前もって腕のシャント手術するけど、急遽判明したから入院して動脈から透析ってことかな?
首か太ももの動脈の注射は痛いよー

鼠径部動脈からは全然大したことない。むしろ腕から首からのほうが結構痛いって入院時同室だった方達は皆さん仰ってました。
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sam***** |17時間前

腎臓は基本的に回復はしないんですよ。
もしも慢性的な障害だったなら、透析になるか腎移植を受けるか。
腎移植は待機人数が圧倒的に多く、約14年待ちとも言われています。
透析患者になると余命が半分になるというデータもあります。

沈黙の臓器で消耗品だからこそ皆さん大切にしてください。
日常的に塩分を摂りすぎている方が非常に多い。
後悔した時には遅いんです。
日本は人工透析大国であり、他人事ではないですよ。
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qqb***** | 18時間前

腎臓機能障害との事で急性であれば回復する可能性ありと聞いた事があります。どうか無事に退院できる事を願っています。

返信11

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asuretiku |17時間前

そうです。私も腎機能が落ちていて26年治療中です。慢性腎不全です。急性だったら治ります。慢性腎不全なら完治はしませんが私のように何十年も低たんぱく・低カリウム・減塩などきちんと守っていれば長生きできますよ。佐野さんは入院ということですから急性ではないでしょうか。
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vin***** |17時間前

知人が急性腎機能障害で長期入院しましたが、その後回復して
今は元気にしています。もちろん透析もしてません。
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bd2***** |17時間前

身内が感染症から腎機能障害に陥り、入院した事があります。

当初は、風邪症状があったため、風邪と診断され、血液検査までしていなかった為、発見が遅れました。

あともう少しで透析というところまで機能が低下していましたが、入院中の治療と食事のおかげで何とか回復。

腎臓機能は少し弱くなってしまいましたが、医者からは、塩分に気をつける以外は特に厳格な食事制限は不要と言われています。

感染症による急性腎炎なので、もっと早く治療していれば完全回復できたかも、とのこと。

佐野さんも急性であれば、治療が早ければ早いほど回復の可能性が高いです。
一日も早い回復を願っています。
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lim***** |16時間前

現代人は塩分摂り過ぎではなくて、逆に不足しているようです。
精製された食塩がダメであって、ミネラルの多い天然塩は人体には必須らしいですよ。
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aq9***** |15時間前

糸球体という組織が機能低下しただけなのか、壊れてしまっているかで変わります。
機能低下も放置すれば壊れてしまうので、急性の場合は特に治療が早ければ早いほど良いです。(壊れた組織は戻りません)
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原口が打って矢野が泣く |16時間前

透析は辛い




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3ヶ月弱、透析しないで生きてます(ΦωΦ)

2021年04月30日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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2ヶ月半、透析してないよ(ΦωΦ)最早、透析離脱状態です。

2021年04月24日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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透析8週間やってない元気(ΦωΦ)フィリピン生活

2021年04月10日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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透析やらない6週間、フィリピン有名大学附属病院、歴史的教会取材ミサ現場紹介

2021年04月03日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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透析5週間やらない!血液検査した話~~(ΦωΦ)フィリピン移住透析患者

2021年03月27日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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明日で透析しない5週間目!生きてます(ΦωΦ)フィリピンの透析患者

2021年03月25日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
明日で透析しない5週間目!生きてます(ΦωΦ)フィリピンの透析患者
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透析<<後編>>

2021年03月21日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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透析やらない4週間目(ΦωΦ)生きています((≡゚♀゚≡))フィリピンの透析患者

2021年03月19日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
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透析しない、、フィリピン透析患者ナンマンダブ~~(ΦωΦ)(過去記事)現在は3週間以上透析しないで生きているポックリ😹

2021年03月15日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...

透析しない、、フィリピン透析患者ナンマンダブ~~(ΦωΦ)(過去記事)現在は3週間以上透析しないで生きているポックリ😹



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人工透析

2021年03月12日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
森元首相も受ける人工透析 日本で増え続けるのはなぜ?

3/8(月) 12:13配信
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tok***** | 7時間前

富家孝氏の論考は勉強になることも多いけど、この記事はいただけない。
現役臨床医とは思えない粗雑な論考。
腎不全になっても透析せずに放置すれば「尿毒症性肺水腫」で耐えがたい苦痛を味わう羽目になることは、医学的常識じゃないの?
まあ今日では、透析が普及したおかげで典型的な尿毒症性肺水腫を診ることは稀になったから、実際の患者が苦しむ姿を見たことがない医師が多いのかもしれないけど、福生病院事件で当初透析を拒否した患者が結局後悔しながら死んでいったことを覚えているでしょう。

透析は延命治療というより緩和治療というべきで、腎不全でも透析をしないのは、「癌性疼痛が甚だしいのに鎮痛薬を投与しない」「呼吸不全で苦しいのに酸素を投与しない」のと同じレベルの非人道的な医療行為というべきでしょう。

返信0

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fanconi | 5時間前

なにこの記事
透析を勧めるのは日本だけ
そう聞くと、日本では金儲けのために透析を勧めると感じてしまう

記事にも書いてあるが、本来ならば腎移植が好ましい
だが、そうそう都合の良い腎臓なんて訪れない
だからこそ透析を勧める
透析によって40年以上も生存している人がたくさんいるのですよ

透析のない時代では、腎臓が悪いという原因がわかっているのに、何もできず苦しんで亡くなっていく辛さを看護師は味わってきた

今の治療でどれだけの人が救われているか
透析が日本においても最善の治療法ではないというのなら、貴方が最適な方法を提案してみなさい


ところで、透析に関しては明るいニュースもある
例えば、植え込み式の人工腎臓が考案され、今年にも人に対して治験される(動物には実施済み)
動力は血圧なのでバッテリーいらずで、ペースメーカーのように交換する必要もない

技術の進歩は著しい
更なる改善を期待しよう



読売新聞(ヨミドクター)
リングドクター・富家孝の「死を想え」

 先日、「女性蔑視(べっし)発言」が原因で森喜朗・元首相(83)が東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長を辞任しました。この騒動は約2週間続きましたが、私が驚いたのは、騒動そのものではありませんでした。この間、森氏が元気で、言動に乱れがなく、かくしゃくとされていたことです。「逆ギレ会見」と言われた会見では、森氏は1人で立ったまま30分以上も記者の質問に答えていました。あの姿を見て私は、正直、とても透析患者とは言えないと思ったのです。
前立腺がん、肺がん、透析…それでも働いた

イメージ

 森氏ががんを患ってきたのは、これまでの報道により、よく知られています。最初は前立腺がんで、これは2000年に見つかりました。当初、森氏は手術をせずにホルモン療法を中心に治療し、その後に摘出手術をされたと聞きます。

 そして2015年には、今度は肺がんが見つかり、このときは手術を受けた後、当時、実用化されたばかりの抗がん剤「オプジーボ」による治療を受けています。副作用で肺に水がたまり、呼吸が苦しかったと本人が述べています。

 そして、2019年2月から、森氏は人工透析を受けるようになりました。このことは、本人が新聞インタビューで公表し、週3回、透析のために病院に通っていると話しています。

 森氏の人工透析が、がんの副作用なのかどうかはわかりませんが、腎機能が低下していることは確かです。腎機能は年を取るとともに低下するもので、ある限度を超えると人工透析が必要になります。糖尿病が悪化した場合も同じです。ただし、人工透析というのは、一種の「延命治療」です。なぜなら、いったん始めたらやめられないからです。止めれば、患者さんは確実に死亡します。
人工透析は患者にとって非常につらいもの

 しかも、人工透析は、患者さんにとって非常につらいものです。腕などに、動脈と静脈をつなげるシャント手術を行い、この手術で太くなった静脈に針を刺し、そこから1分間に200cc程度の血液を抜きます。その血液を、老廃物を取り除くダイアライザーという機械を通して透析し、再び体の中に戻します。これを週3回、1回3~5時間行います。

 患者さんによっては、かなり強い血管痛や頭痛を起こします。また、心不全や感染症のリスクも高まります。いずれにしても、いったん始めれば、もうそれまでの日常生活には戻れないのです。

腎不全の危険がある糖尿病だが、透析は受けないと決めた

 私は現在、73歳で糖尿病を患い、血糖値を下げる薬を服用し、食事療法も行っています。いずれ腎臓の機能が低下する時が間違いなく来ると覚悟をしています。問題はそれがいつ来るのかですが、平均寿命を超えるような高齢で来たのなら、私はその時を自分の寿命と考える、つまり人工透析はやらないと決めています。

 若い時は別として、透析が苦痛になって途中でやめると、さらに苦しんで死を迎えるからです。水分が一気にたまり、全身に痛みが回り、のたうち回ったりします。
透析を拒否した先輩医師の死

 私の先輩に、断固、透析を拒否した方がいます。87歳で亡くなられましたが、進行がゆっくりだったため、穏やかな死に方でした。腎機能の指標であるクレアチニン値が限界を超えたとき、家族から、なんとか説得して透析を受けさせてくださいと頼まれましたが、私はできませんでした。本人の意思が固かったからです。

 延命治療を続けると、最終的に体は水ぶくれで太っていき、ご遺体は丸太のように膨らみます。そういうことにならず、きれいなご遺体だったと聞きました。

 私も担当医も本人の意思を尊重したのです。
人工透析は病院の安定収入源

 話はややそれますが、腎不全で人工透析が必要になった場合、それを積極的に勧めるのは、日本の医者だけです。日本の人工透析患者は年々増加していて、現在、33万人を超えています。患者に医療費があまりかからない制度があるからです。医療費としては月40万円ほどかかる高額な治療なのですが、患者負担は1万~2万円で済みます。また、身体障害者1級を申請すれば、様々なサポートがあります。一方、医療機関から言えば、透析患者がいれば逃げることのない安定収入が確保できるのです。

 しかし、人工透析は腎不全に対する最良の治療法ではありません。欧米では透析は腎臓移植へのつなぎ医療という位置付けです。日本では、ドナーが少なく、多くが家族からの生体腎移植なので移植が広がらず、透析患者が増える一方なのです。

受けるかどうか、本人が納得の上で決める

 日本透析医学会はガイドラインを定めています。医者は、透析をした場合としなかった場合どうなるかを患者さんと家族に詳しく説明するよう示しています。そうして、本人が納得した上で行うことになっています。「する」のか「しない」のか、医者に詳しい説明を求めてから決めるべきです。

 ただ、終末期になると、多くの医者は自動的に透析を行います。とくに患者さんが認知症を発症している場合は、本人の意思を確かめようがありませんから、人工透析も含めた延命治療は家族が止めない限り延々と続くのです。今は、延命治療に関して、「人生会議」で本人、ご家族と医者が、事前に十分話し合うことが勧められているので、透析を行うかどうかは、最終的に本人の意思次第です。
富家 孝(ふけ・たかし)



avr***** | 10時間前

うちの妹は中学生ぐらいの時に腎臓病になり、人工透析してた時期がある。
退院してから毎日欠かさず専用の薬を飲んでる。
今は薬飲んで定期的に病院通って普通に生活してるけど、当時は相当辛かったと思う。

返信0

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lgm***** | 8時間前

選択肢が欲しいよね。医師は透析を始めたら、いずれどうなって行くのかをわかっているだろうけど、一般人は分からない。医者に透析が必要です、と言われたら了解するしかないのかなと思うもん。

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rik***** | 9時間前

私の母は心臓が昔から悪くて歳をとってから心臓からが原因で人工透析になりました。母は心臓が悪いし血管はボロボロだしで透析始めて一年経たない間にシャントの造り治しを繰り返してたけど…透析を始めて丁度一年目に透析うまくいかずに亡くなりました。透析すると食べたい物も食べれずに水分だって飲みたい時に少ししか飲めず母は生地獄だって毎日のように透析してから言ってました。今頃はあの世で食べたい物を食べたいだけ食べて飲みたい物を飲みたいだけ飲んでくれれば良いなぁと思いながら毎日母に手を合わせています。

返信1

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tom***** |1時間前

それは透析をしたらではないですよね。
透析が必要な時点で、しなくても節制は必要なはずです。
透析でも足りないから節制がいるので。

透析をしたら全てが楽になるという幻想があったのかもしれません。

透析をされる方は、透析は万能ではありませんが透析しないと死んでしまうので、節制も苦痛も受け入れ、その制約のなかでも自分の人生を全うできるように頑張っておられる方々です。

昔は透析始めたら5年もつかという状態でしたが、技術の進化と節制で20年以上生きる方も増えてきました。
小さいお子さんがいた方も成人まで見届けられるのです。

節制が大変なのはわかりますが、自分の命と楽しみと、どちらを大切にしたいかで選択肢が変わります。
それが透析と決める前にちゃんとわかっていたら良かったですね。
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zen | 7時間前

腎臓の細胞を復活させて治療できる日があと10年もかからないと主治医から聞いたことがあるが、そんな日が来ると信じたい。

返信0

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nam***** | 9時間前

透析が全て悪であるような印象付けはやめてほしいですね。
私は30代の透析患者です。糖尿病ではありません。
特段体調不良もなく、フルタイムで働いていますしスポーツも旅行も楽しめます。透析の時間は拘束されますが、仕事や勉強や読書をする場所がクリニックになるだけです。給与もサラリーマン平均の3倍以上はありますので税金も納めています。
腎移植が広まればよいという部分には同意しますが、私は透析治療に感謝しています。

返信11

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tte***** |7時間前

高齢終末期の延命治療としての人工透析は行わない選択肢(特に患者自身の選択として)もあると書いてあるだけですよ。
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真贋を見極めよう |7時間前

普通に読んでも、全て悪だとは思いませんよ

この医師も、平均寿命超えたらしない、と言ってるわけで、明日必要となったらするようですし。
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1153 |8時間前

同感です、
この記事は一方的で誤解を受ける内容です。
老人の延命治療のための透析と、腎臓病による透析を混在している。
若くして腎臓病(糖尿病以外にもたくさんあります)になり、透析で社会生活を送っている人もいますし、透析センターがあるおかげで、日常生活をすごせています。
それと移植問題はまた別の議論です。
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kai***** |4時間前

このひと文章読解力ゼロなんでしょうか?

高齢者に無条件に透析導入することの是非を問うてるだけですよね。

ちなみに自分は透析歴32年、現在在宅透析中。
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curi***** |6時間前

透析をしていても元気に暮らせる人は数多くいますよ、80代の高齢者で何時も冗談ばかり言って周りの若い人を笑わせている人を知っていますが、最初に会った時は本当に元気な人だと思いました。
歩く時もしっかりした足取りだし透析をしているとは全然わからなかった
話を聴いたら「自分としては残りの命が少ないと思うから出来るだけ楽しく暮らしていますと」仰っていました。
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j**** |12分前

高齢者の話でしょう。
寿命が先に来るか腎臓が先に逝くかの話だと思います。

その事例として透析せずに自然に任せた先輩医師87歳を挙げたのでしょう。
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shi***** |8時間前

同じくです!

この富家氏も透析を決断する時期が来た際には、これまで主張していた事が何だったかのように透析を受けるのでは???と思ってしまいます。

寝たきり・単なる延命の為の人工透析なら検討する必要性があるかも知れませんが、現役世代や高齢でも自立生活可能な状態であれば、人工透析を受けながら健康な人と似たような生活が普通に送れている。

意見は人それぞれ・様々なのは当然であるが、このような偏った主張はそれこそ差別にも繋がる時代に逆行する存在でしかなく思える。
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son***** |26分前

私は無職だけど、税金収めてますよ。消費税・酒税・揮発油税 etc
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hbs***** |5時間前

極端な捉え方をしてムキになるのはおかしいです。
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ダメだこりゃ |12分前

透析は辛い、病院の儲け。
こんな書き方は良くないさ
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rpy***** | 10時間前

本人の意志をきちんと確認してほしい。
透析の病院看護師。勤務経験ありますがズラーっと患者さんがベッドに並んでいた光景。
そして、ほんとに本人の意志?と思う人が多かったです。体の血を取り替えるわけですから苦痛に決まってます。
医療費財源の一つでしょうが透析を受けていても少しずつ少しずつ増悪していく人がほとんど。私は透析したくない。

返信6

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giroushi*** |6時間前

腎不全で透析は受けないと言っていても、体液過剰による肺水腫や尿毒症で緊急搬送され、再度意思確認すると、やはり透析受けますという人がほとんどです。
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T.corporation |3時間前

頑なに透析拒否した患者もいるし、高齢だからと拒否して亡くなった患者もいる。家族がどれだけ理解して、サポートできるかに尽きるかな。ターミナル専門の訪問とかしてもらいながらだけど。家族だけで見てたら、苦しがるとどうしても救急車呼んじゃうもんね。
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mpn***** |2時間前

私も透析患者ですが、よく
「身体中の血を入れ替えるんでしょう?」
と言われます笑
一般の方に多い勘違いですので、医療関係者ではないでしょう。もしくは受付とか。

あと、透析は延命治療ではありません。
確かに透析をやめれば(しなければ)死に至ますから延命と捉えられがちですが、ペースメーカーを入れてる人に延命治療と言わないのと同じですよ。
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bon***** |3時間前

本当に透析のナースですか?
医療費財源のためなんて軽々しく口にしてもらいたくないですね。患者と医療関係者に失礼ですよ。いったい現場で何を見て来られたんですか?
透析をしなければすぐそこに何が待ち受けているかご存知でしょうに。
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g5g***** |4時間前

>>体の血を取り替えるわけですから

本当に透析施設勤務の看護師だとしたら、
この認識は相当恥ずかしいと思った方がいい。
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xjt***** |7時間前

透析は、血を取り替えるのではないですよ。
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@@ | 7時間前

亡父が透析患者でした。
私の大学受験の当日倒れ、そのまま透析に。
いわゆる尿毒症でした。
病気退職しましたが、退院して通院透析になってから再就職して私達姉妹を大学へ通わせてくれました。
「治るわけではない」という説明は受けていました。まだそんなに人工透析が知られていなくて患者も少なかったです。
昔の透析は今よりもずっと大変で、負担も大きかったようですし、生活上の制限も厳しいものでした。
亡父は20年以上透析を続けたので
「機械が新しくなるたびに楽になるよ」と言っていました。
透析技術、医療スタッフの皆様、そして経済的な補助制度に感謝しております。
ただ、たしかに、延命治療の一つなのかもしれませんが、こんなふうに書かれて少し悲しかったです。

返信0

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fuj***** | 8時間前

なぜ透析は辛いという印象の記事ばかりなんでしょうか?
わたしは透析生活14年になろうとしていますが、普通に働いて生活しています。
軽度のスポーツもできますし、海外旅行にも行きます。
週3回の病院通いは確かに慣れるまでは大変かもしれませんが、慣れてしまえばどうと言うことはありません。
透析が辛いと思った事はあまりありません。それよりも透析後に身体が軽くなりスッキリした気分になれるため、透析には感謝しています。
延命治療ではありますが、第2の人生のスタートだと前向きにとらえています。

返信1

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*** |7時間前

そりゃ辛いと言う人もそれなりにいるからやろ
問題なく受け入れられている人もいれば、そうでない人もいる
透析に限らないけれど、
それが「普通」になるか「つらいもの」になるかはその人次第
その人次第と書いたがもちろん周りの環境や人間関係などもあるだろう
33
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kun***** | 10時間前

透析患者は増え続けてはいません。ほぼ横ばいですね。本当は糖尿病患者数が増加していますが、現在は薬の力で抑えなれ透析までいくのを抑えています。
ただ日本では腎移植が海外ほど多くないため、やはり透析をしないといけない選択しかないです。
また以前は透析をし始めたら5~7年程度で亡くなる方も多かったですが、現在は10年以上生きられる方も多くなっています。
一応透析の診療点数は減少傾向にあり、以前ほどは儲かりません。
ただ他のクリニックの医師よりはすることがないので、基本看護師任せです。
しかしながら透析をしないと生きていけない患者の方がほとんどです。しないといけない部分もあるのであまり責めずに見守ってください。

返信1

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mj7***** |1時間前

透析患者さんは合併症多いですから、やる気があればすることはたくさんありますよ。忙しい医師、暇そうな医師の違いは、その施設の治療成績の差として現れてきます。
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0

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1153 | 8時間前

この記事は一方的で誤解を受ける内容です。
老人の延命治療のための透析と、腎臓病による透析を混在している。
若くして腎臓病(糖尿病以外にもたくさんあります)になり、透析で社会生活を送っている人もいますし、透析センターがあるおかげで、日常生活をすごせています。
それと移植問題はまた別の議論です。



mj7***** | 1時間前

腎移植しても免疫抑制剤含め、月に数十万円の医療費がかかります。透析が高いと言うよりも、重要臓器の代わりを担う治療にはある程度のコストがかかるというだけではないでしょうか。透析しながら仕事している人も多いですし、また80歳代、90歳代の人にも社会的役割は多々あります。腎臓だけの不具合であれば透析ながら社会生活送っていけることは幸せだと思います。

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okb***** | 16分前

ひと昔前の人工透析は、ほとんどが大病院かある程度の規模の中堅病院で行っていました。
しかし現在では、駅近や郊外の内科や泌尿器科を標榜しているクリニックでも、人工透析を行っているところが増えました。
特に泌尿器科は、外科的治療がメインなので、透析導入時に行う血管のシャント術ができるメリットがあるようです。また、前立腺肥大症の内視鏡手術や尿管結石の破砕治療、尿失禁の治療といったありふれた内容では他のクリニックとの差別化を図れないので、人工透析を導入する泌尿器科クリニックが増えてきたと推測されます。

人工透析が増えたのは、糖尿病による合併症(糖尿病性腎症)が増えたり、高齢化社会といったことが寄与していると思われます。

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hht***** | 15分前

腎臓と肝臓は代謝排泄の要。
腎臓が機能しなくなると尿が作れなくなり尿毒素などが除去できなくなり透析となる。
塩分を控えて適正血圧も維持する事が重要
肝臓に関しては飲酒量を減らして太らない事が重要。
腎臓肝臓対策で有れば塩分、カロリー、アルコールを控え、適度な運動とストレスを発散するなど基本的な事となる。
太ると血圧、コレステロール、血糖値が上がってきて心臓にも負担がかかる。
日頃から注意する事で予防する事が大切。
仕事のストレスなどで食に走るなとは言わないが、ジュースをお茶やソーダ水、ブラックコーヒーに置き換えて甘いものは週1回にし、ご飯パンは極力減らすしかない。
パンとお菓子とジュースを一切食べないだけですこぶる健康になるはずです。

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k** | 4時間前

先天性の疾患もあれば、自堕落な理由から
糖尿病になり、腎臓へというケースもあるし、
一概にどうと言うものではないけれど、
正直、何とも複雑な思いです。

とても多額の費用(国負担)がかかることや、
透析しても腎臓機能自体が良くなるわけでも
勿論ないので、他の内臓に対しても良い
影響はありません。

食事(たんぱく制限、塩分制限等)や水分摂取に
制限もあるし、なにより透析治療にかかる
負担はとても大きいです。

私の親族は先天的な腎臓疾患があり、透析に
必ずなる状況でしたが、本人の意思もあり、
透析はせずに亡くなりました。
私自身も透析するつもりはありません。

いろいろと複雑な思いです。
先々、IPS細胞等の治療の進化から、透析せず
臓器の機能再生等が出来るようになれば
勿論良いのですが。

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tos***** | 4時間前

この人、自分自身が透析否定派だからか記事中では透析に対してまるで麻薬であるかのような非常に偏った表現が多いね
透析を受けるも拒否するも勝手
それぞれがそれぞれの価値観で決めれば良いこと
こういう明らかに偏向した考えを記事にするような人物であることを世間に公表して何の得があるんだろう

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血液透析不導入・中止の応用医学哲学的考察

2021年03月11日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
維持透析中止とは,数日から数週間の後に,ある程度の確実性をもって患者に死がくることを想定している.


血液透析不導入・中止の応用医学哲学的考察

阿岸鉄三板橋中央総合病院血液浄化療法センター


透析不導入,維持透析中止の哲学透析不導入,維持透析中止とは,数日から数週間の後に,ある程度の確実性をもって患者に死がくることを想定している.そこで問題になってくるのは,医療とはなにかということであり,近い将来の死を想定しながら医療方針を決定することの要件であろう.医療の目的はなにかということについて,人生のある時点において医学的にみた患者の健康状態は,その時点から死の時点に到るまでの身体状況のQOLの総和の大きいほどよく,自由度の総和の大きいほどよいとする発言がある4).医療方針の決定に際して,患者の人生観・価値観・人生計画が考慮されねばならず,よく生きることを妨げないためである4)とするのは当然であろう.そこでは,医療における自立権5)が絶対的条件として確保されなければならない(表1).注意しなければならないのは,たとえその決定が当人に不利益をもたらすことであっても,自己決定の権限を持つということである.これらにはすべて,QOLの向上・確保がキーワードになっている.QOLという用語は最近では,馴染みのものになっているが,きわめて不明瞭な,あやふなものであると考えられる.QOLを定義するのは,身体的・精神的に良好であるとする生物学的観点からであるより,むしろ周囲の状況との相対的関係に影響される社会的な観点からである要素が大きい.その意味で,QOLの評価はきわめて主観的である.たとえば,腎不全患者のQOL評価項目をみると,健康感・自覚症状など主観的項目のみが羅列されている(表2)6).QOLの評価法として国際的な注目をうけているSF367)においても,評価のランキングとして数字を用いたスコアとして表示し,数学的取り扱いの装いをしても,基本的な評価は患者のまったく個人的な主観に基づいている.問題にしたいのは,近代科学に基礎をおくとする現代の医学は,科学性を追求するために主観性を排除するのが通例である点である.また,医療行為は公共的に合意された価値評価に基づくといいながら,QOLを評価する個人の価値観はその一般的価値評価に一致するとは限らないことを認め,個人の人生観・価値観を尊重する4)ことが現代では容認されている不整合性も問題点とすべきであろう.多様性を認める現代では,個人により異なる感性を工学する立場の研究者の集団もある.当然,個別性・主観性を取り扱わざるを得ない.主観性の科学の構築は,21世紀の科学の直面する大問題であり,その構築は従来の科学のパラダイムを根底から変革するとの指摘もある8).筆者は,こう考えている.近年,わが国においては未だしの感があるが,諸外国,特に欧米において医療の統合への動きが激しく起こっている.これまで正統医療とされてきた近代科学に基礎をおく現代医療と,代替・補完・伝統医療などと呼ばれ,現体制のなかでは医療類似行為とも呼ばれるべきものとの統合である.背景として,前者の現代医療では,生命を構成要素に還元し,細胞を分子構造から化学的組成にまで分解した結果,生命像の本質からますます遠ざかってしまい

人間を機械論的に見,生命をマスとして取り扱うことが多かったという反省に由来している.後者では,人間を包括的生命像の観点から見,主体性,したがって主観を持つ個としての人間を尊重する立場にある.このような視座にあれば,QOLやQOLを評価要素として重視するEBM(evidence-basedmedicine)は,実は,現代医療のパラダイムにおいては存立し得ず,統合医療のパラダイムにおいて理解されるべきものといえるであろう.ただ,残念ながら,現在ではまだ,統合医療は理論構築が十分でなく,QOL,EBMを評価する物差しを持たない状況にある.3透析不導入・維持透析中止の臨床米国においては,維持透析の中止が透析患者の死亡原因の第二位を占めるといわれる.わが国においては,患者統計中に項目すら存在しない.この主題は,著しく宗教的・倫理的・哲学的・社会的・家族的な意味を持つ,微妙な問題であり,日本人が口に出して討論するのには不得意な対象である.むしろ習慣的に,言わずに理解する阿あ吽うんの呼吸の世界,日本人に特有な「なあなあ」の世界であった.しかし,最近では,医療の解釈についてもグローバリゼーションの思想が入り込み,情報の公開が求められるようになっている.一方,医療における生の継続・維持,あるいは近い将来の死の想定は,基本的にきわめて個人的・主観的な問題であり,両者の折り合い,あるいは,妥協点を見つけだすことが,実際には難問である.維持透析を差し控え,中止する条件が日本でも(表3)9),米国でも10)提出されているが,後者の方が条件として緩やか,拡大されている感じがある.文化の違いを反映していると見られる.この問題は,ときに安楽死と深い関わりを持つようになる.安楽死の先進国とも見なされるオランダでは,2001年4月に安楽死法が成立しているが,その意義は,患者の死の選択に協力しても刑事訴追を受けないことにとどまり,安楽死支援を行った医師に対する起訴は,ほとんどない現状を追認して法制化したものとされる11).日本では,自己決定権を中心とする患者の権利を法制度として確立することが優先課題とされる段階にある.それでも,いわゆる東海大安楽死事件に対する判決例から,積極的安楽死が認容される条件が提示されている(表4)4).日本学術会議でも(1997年),尊厳死を患者の人間としての尊厳を確保することを目的として患者の意思・自己決定を尊重し,残された人生を少しでも豊かに過ごせるような医療を邁進するという積極的な意味があると支持している.



精神科医として,患者として,「日本での透析中止」を考える

春木繁一松江青葉クリニック


はじめに私は1972年(昭和47年)から透析医療を受け続けている.また,同時に一リエゾン精神科医として透析,腎移植の分野で仕事をしてきた(サイコネフロロジー)1).一方で,1987年(昭和63年)から神奈川県立がんセンターで月に4日,サイコオンコロジーについてもその臨床実践を今日まで15年間行ってきた2,3).その過程で緩和ケア病棟の企画・設立にも参加し,2年前からスタートした緩和ケア対応病棟での医療にも関与している.ちなみに,この病棟は4月からは正式に厚生労働省指定のホスピス病棟になる.したがって,腎不全患者の「生死」と,がん患者の「生死」に関する精神医学的問題については,双方それなりに少しは経験を積んできたつもりである.これらの実践を通して得られた私の個人的な経験から,ごく普通の平凡な日本人の「生死」に対する感情を知る精神科医として,この問題(透析中止)を考えてみたい.なお,透析導入の是非の問題とすでに行われてしまった透析を中止するか否かの問題は次元の異なる問題であって,両者が一緒に議論されると臨床の場での混乱を招くと思うので,ここではあくまでも「身体的理由ですでに始まっている透析医療を中止せざるをえない場合」と限定する.患者自身への心のケアなどいろいろと指摘したい問題があるが,精神科医として特に指摘したいことは,① 患者と家族の一致,不一致を医療者はどう受け止め,対応するか② 残される家族(遺族)への精神的ケアという問題である.1事前指示(書)のこと透析患者が事前指示(書)をあらかじめ家族に残していることは,今の日本ではまずありえないと考えるべきである.特に高齢者で最近透析に導入された患者がそれを表明したり(書いたり)していることはほとんどあり得ないと思う.導入されてみて,あまりにもつらく苦しい透析医療で「もうこの治療はいい.やめてほしい」と訴える場合が一番多いであろう.だからといってそれだけをもって本人の真の意思であると結論できるかというと,尿毒症下で,しかも初めて経験する透析医療の身体的・心理的苦痛のもとでの「訴え」であるから,ただちに「透析中止の依頼」とすることには疑問があることは透析医としてそれなりの経験がある方は理解されるであろう.概して,こういう患者は数週間なんとかお互いにがまんして透析を行っていけば,「案外思ったよりも透析も悪くないねー.前と比べればずいぶん楽になったよ」と本人が言い出すのである.「おじいちゃんがあんなに苦しい,やめてくれと言うなら止めて下さい」と一緒になって訴えていた家族もにこにこ顔になる.これほど患者本人および家族の心理は「当てにはならない」「揺れる」ということも事実として知っておきたい.が,ことはそれだけでは終わらない.間もなく問題は深刻になっていく.身体が透析続行(継続)を許さない状況が生まれてくる.ここからが「透析中止」問題の始まりである.2医療を取り止める事例はほかにどのような医療があるか?医療を取り止めるかどうか現場で迷う医療の具体例として,私が思いつくだけでも,① 人工呼吸器の取り外し② 輸血の中止ないし終了③ 蘇生医療の試みの取り止め④ 化学療法の差し控えないし中断⑤ 経管栄養あるいはIVHの中止そして,⑥ 透析中止がある.いずれの問題にも一定の結論,あるいは一般的,普遍的な結論,まして社会的な合意がすでに成立したわけではない.私の経験から見ても,これらの医療の中止について「患者の強い一貫した希望」「患者の独立した自分自身での意思決定」はごく一部の例を除いては皆無に等しい.いずれの場合も,その場に臨んで急遽家族と医師とで話し合うというのが現実ではないだろうか?欧米においては普遍的であるとされるリビングウイル(livingwill)の存在は日本ではまだ稀だと考える.3事前指示(書)が残されていない状況での透析中止の決定一般に「透析中止」問題は高齢者に起きる.私のような精神科医が心配しなくてもいいことかもしれないが,患者本人が一切意思を残していない場合で,しかも以下のようなときにどうするのかという疑問が湧いてくる.① ひとり暮らしの意思決定能力のない老齢の患者で親族がいない場合.② 意思決定能力のない老齢の患者で,他方の配偶者に判断力がない場合.しかも,子(養子を含む)がいない場合.これらにおいては,医療者のみの判断で事を決定してよいのかどうか? もし,私が主治医であれば,相当に悩むであろう.現実には,もうこれ以上透析が身体的な理由で行えなくなっている.あるいは行うことが著しく困難になっている.しかし,「中止」を決めることは法律上も,倫理上も無理があり,スタッフとしての精神衛生上も抵抗がある場合どうするのか?毎日の臨床でこうしたケースに現実に悩んでおられる透析医の方々は少なくないと思う.あの高名な内科医であった沖中元教授の最後は,脳梗塞のために亡くなられる数年前から植物人間のようになって生きておられて,奥様も脳血管障害で入院中で正常な判断ができる状態ではなくて,お子さんがおられなかったので,植物状態のようなままに生きておられたというエピソードがある4).沖中氏のリビングウイルがなかったことからこういう事態が生まれたわけであるが,高名な医師ですらもその準備はなかったことから考えると,国民一般にリビングウイルを残すようにという要求は現実問題として日本ではまだ無理だと思う.さらに考えられるケースとして,③ 意思決定能力のない8090歳の老齢の親で,5570歳以上のそれなりに高齢の子(養子を含む)に判断能力のあるときはよいとしても,ないときはどうするか?④同じく,老齢でない子がいても海外在住とか音信不通・行方不明などで連絡が取れないとき,どうするのか?このような場合医療者側だけで「決定」していいものか? これもおそらく倫理的,社会的に問題が残るだろうと思う.いわゆる「代理判断」がどこまで許されるのか? 精神科医の専門ではないが,気になることではある.また,「法的な家族」と「心理社会的な家族」をどこで,何をもって区切るのであろうか?土壇場になって「患者の同胞が出てきて反対した」「長らく不在であった三男が現れて反対する」ようなことで,それまで医療者側と家族側で築きあげてきた「合意」がくずれてしまう,あるいは合意形成のプロセスがいとも簡単に壊れてしまっても致し方ないことであろうか?

4リビングウイルが残されている場合患者が精神状態が健全なときに作成した事前指示書が残されている場合には問題がないように思われる.が,意地が悪いようだが,① 主治医が認めないとき② 主治医と家族双方が認めないとき③ 主治医は認め,家族が認めないとき④ 主治医は認めないが,家族が認めるときは,どうするのか,といった場合もケースとしては考えられる.さらには,事前指示書が作成されてから10数年以上経過している場合はどう考えるのか?われわれ日本人は欧米人のように「意思決定」の仕方,やり方に不慣れであるために,こうして議論しているときには「これでいい」「正当な結論がでた」「間違っていない」と思っていても,いざ問題に直面となると「揺れて」「迷い」「混乱する」ことは私の経験からでも容易に言える.患者さんの「心」でさえ(したがって家族の「心」も)状況の変化や時間の経過とともに変化していくことにはよく出会う.すでにホスピスに入っておられても,「先生,こんなところに入らなければよかった」「こんなに精神的に苦しいのなら入らないほうがよかった」「もうこのままずっと眠らせてください」などと自身の意思で決定,実行した「医療」でも,身体的には十分に緩和されていても,心理的に苦しみ,悩まれ,主治医でなくて第三者的な立場にいて,フリーに言えることが許される立場である精神科医へその心情を訴えられる患者さんが少なくない.5緩和ケアの大切さ透析中止を決定し,いざ実行に入ったあとの「緩和医療のあり方」について考えると,最近の透析医療の現状を知る者としては,頭が痛い.ここで話そうとすることは「一部の例外的なこと」ではないように思う.今日,日本の大きい透析専門施設であればあるほど「真の透析医」不足に頭を悩ませているのではないか.かつて,透析や人工臓器医療は先端医療の花形であった.したがって,情熱をもってこの医療に入ってくる優秀な医師たちがいた.当然,透析室はそういう医師たちで満ちていた.が,現在ではどうか? 透析室勤務は「致し方のないデューティー」として交代勤務体制になっているところが多いであろう.大学病院ですら例外ではない.あるいは,もっと悲惨な例では,普段は透析医療にはまったく関係のない医師免許をもっているだけの,たとえば解剖学や生理学の大学院生がアルバイト医として,時間から時間まで透析室に詰めているだけのところもあろう.患者の長い(何年もの)経過を知らないまま,当日の(その日の)透析が無事に済めばいい式の透析が毎日繰返されていることは決して珍しいことではない.すなわち,まだ元気で透析を受けている患者の現在の状態ですら同一の医師(主治医)によって完全に掌握されているとは言いがたい.カルシウム,リン問題などはその典型である.「なぜ,こんなになるまで放っておいたのか!」と精神科医である私ですらびっくりするようなケースに出会う.身体状態についてすらこうなのであるから,患者の精神や心理については推して知るべしであろう.透析医療を自分の真の専門領域と心得てその毎日の臨床に没頭し専念している透析医がどのくらいおられるであろうか?機械,看護婦,技士任せにしても,それなりにやっていける医療になってしまっただけに恐い面がある.このような日常の中で「透析中止」を決定し,その患者のケアをトータルに行っていけるだけの「能力」や「体制」が本当にあるのだろうか?がんの医療でも,終末期医療は「がん専門医」の力だけでは及ばないことがわかり,ホスピス専門医と看護スタッフが用意された.それでもホスピス医療に「志をもって入ってきた」はずの医師たちや看護婦たちが2-3年してその職場を離れていくことは決して珍しくはない.「死の臨床」とはそれだけ医療者にとっても「苦しい,燃え尽きる」医療なのだと思う.一方,現在の透析医療では,生かし続ける医療のためだけでも,高齢者,糖尿病患者と手を焼く患者が増えているのに,このままの体制で「透析中止」後の患者の緩和ケア(死の臨床)が行えるのであろうか?透析を中止することに合意はできたとしても,その後の緩和ケアにどれだけのエネルギーを注ぎ込むことができるのか? 人の数の問題,質の問題ともに透析医療の現状を知る人間からは,日本のこのままの現状で積極的にただちに「透析中止」を行おうと呼び掛ける勇気は私にはない.しかも,普段熱心な透析医ほど患者をできるだけ「生かす」方向に情熱を傾けているのであって,「死にゆく患者へのケア」に他方では考えを切り替えようと言われても,それはなかなかにむつかしいであろう.このことは「がん医療」で私たちが十分に見て経験してきたことですでに証明されている.「死を否認してきた医療」か「死を積極的に認める医療」への切り替えは頭の中ではなんとかできても,実際の日々の臨床で果たして可能なのであろうか?もし,なんとかして行おうとすれば,あたかも芸術家が自分一人の仕事として孤高を保ちつつひとつひとつの「作品」を丹精込めて作り上げていくように,そうした(透析中止の)希望を持つ患者を一人慎重に選んで100%条件を整えて,あたかも作品展覧会に出品するのを目標にするかのようにして,心を込めて「手作りの医療」を行おうとする心構えが必要だと思う.そこには採算の度外視はもちろん相当数の人的な資源も必要であろう.それにその医療に心から賛同(共感)するコメディカルスタッフが一チーム必要である.身体的な苦痛の緩和はもちろん,精神的・心理的苦痛の緩和,さらには霊的(スピリチュアル)苦痛の緩和をも可能にする力を持ったコメディカルスタッフである.もちろん,家族全員一致した支持,応援も必要である.現在,日本のホスピス病棟は「がん」と「エイズ」患者に限られている.したがって,現実問題としてホスピスケアの専門職の人たちの直接的な応援,支援は受けられない.しかし,どこかの段階で彼らのこれまでの蓄積された経験やその手前にある「死の臨床」の考え方・思想やもしかしたらその背後にある哲学的な思考についても,先輩として「教えを請う」ことが必要なのかもしれない.どうもテクニックだけではなさそうである.これらの人々から「学ぶ」ことが必要と思う.しかし,それにしても,「できるだけ延命させる」ことを合い言葉に,それについて疑うことなしに行ってきた,透析医療の持つ根本的な考え方がしっかりと身についてしまっているわれわれに「学ぶ」ことができるのであろうか.とは言え,「延命のみの医療のあり方」を根本から考え直す必要に迫られているのが「透析中止」の問題であると思いたい

6家族と心を合わせての合同作業しかも,「透析中止」は,患者や家族と合同で「作り上げていく医療」になりそうである.医師がプライオリティーをもって行える医療ではなさそうである.むしろ,患者や家族に「ついていく」「つきあっていく」「お互いが職業関係でありつつもどこかで生なまの人間同士としての関係」をも共有していかないといけない相当に「人間的な」仕事になっていきそうである.このことをあらかじめ覚悟してからでないと,簡単には「透析中止」医療は始められないと思う.家族を責めない,叱らない,怒らないことは勿論であるし,すべての問題で「見切り発車しない」ことが大切になる.そもそも透析医療は機械に支えられて生きている(きた)医療である.よく言われる「私は人生末期になってまで機械の力で生きるのはいや」という言葉があるが,これは透析患者には通じない.透析医療そのものが,ある意味で終末期医療である.いわば,「透析中止」は2度目の終末期医療になる.患者や家族が第2回目の「臨終」を迎えようとしているのだ,という認識はどこかで持っていたい.7喪失や別れの中味複数の治療の選択肢がある「がん医療」とは違って,選択肢がひとつしかないこと,徐々に死に近付くイメージがなくて,「透析中止=死」とダイレクトに「死」が始まっていき,平均1週間で終わりがくるこの医療の特性がこの問題を「重苦しいもの」にしている.さらには,多くの透析患者は入院施設を持たないクリニックで普段の医療を受けていることが多い.クリニックで医療を受けてきた患者がいよいよターミナルステージに入って,透析の継続が困難ということになれば,大部分の患者は入院設備のある関連病院に入院せざるをえない.ここで長い間慣れ親しんだ,自分の生命を守ってくれた馴染みのクリニックとは「別れねばならない」.「もうこのクリニックも見納めか」と思う.「二度ともうここへは帰ってこれない」と思う.すでに「死」はここから始まっている.何十年もの間かかわってきたスタッフとの「別れ」もある.身も心も衰弱し,自分のことをよくわかってくれているスタッフと別れて,自分のことについてはよく知らないスタッフのいる病院に移っていって,弱ってしまった身と心馴染みのないスタッフたちに任せざるをえないときの心細さは言葉に言い尽くせないものがあるだろう.しかし,送りだすスタッフのほうは,案外職業的な「慣れ」で自分達の内心にあるグリーフワーク(griefwork)にはあえて蓋をして機械的,ビジネスライクに患者を送りだすことで,自分達の「心」にまでは「踏み込まない」ようにしているかもしれない.迎える側の病院のスタッフもそれに近い「防衛」ができてしまうと,「透析中止」はただ単に「機械的な日常の仕事」になっていく.8(長期)透析患者にとっての「透析中止」の意味もし,患者や家族が,医療者側からの心からの応援を受けずに(すなわち医療者側はあまり悩むことなしに)孤立した状態に置かれて「透析を中止しないといけない」という問題に直面させられたときのことを想像すると,そう簡単に傍観者的に「透析中止問題」などと表現できなくなってくる.患者にとって,自分の問題として「透析中止を心から考えること」は相当の覚悟がいることである.医療者側はつい「あなた死ぬ人,私生き残る人」になりやすい.そのような状況の中で,いつ,どのような形で自らの「透析中止」を決めなければいけないかについてあれこれ悩むよりも,もっとその手前の段階で「透析中止までの間に自分がどう生きたいか」「どう生き続けたいか」を思い,自分自身の「機械に支えられて生きている人生そのもの」をあらためて考え直すことだと思う.「死に直面して生を思う,考え直す」ことが「どう死ぬか」について答えの出ない答えを探し続けるよりも,より透析患者としては重要だと思う.しかし,リビングウイルにしろ,事前指示(書)にしろ,「まだ生きたい,生き続けたい」と思うときに,それらを形にしておく仕事は相当に重い,矛盾した「心の仕事」になる.アメリカでも事前指示(書)を残している人は患者の10-20%という.入院時に促されてやっと30%になるのが現実だという.透析中止の場合,「死を受け入れる」心境が生まれてから,といっているうちに意識障害で手遅れになるのが現実ではないか.9家族,遺族へのケア透析を中止して「死にゆく患者」を目の前にし続けている家族も当然「混乱し,揺れて」いる.あるいは「怒り,戸惑い,悲嘆,抑うつ,不安,悔やみ,自責感,罪悪感」などの様々な感情を抱えている.もちろん,古来からの経験と知恵で日本人は家族,親族同士でそれらを上手に処理しているとは思うが,こと「透析中止」という思いもしなかった手段で「家族の死」を迎えねばならなくなった家族にとっては衝撃,混乱そのものであろう.ちょうど,「脳死」に直面した家族の感情と似ているように思う.「この決定でよかったのか」「本人はどうしてほしいと思っていたのか」「自分達がこの人を殺してしまおうとしているのではないか」などなど,単に「悲嘆」だけではない「罪悪感,自責感」も強いであろう.これらの感情に対してもわれわれはケアを行う必要に迫られる.たしかにここの領域は「保険医療」外である,といって放っておけるのであろうか? 本人への「心のケア」すらむつかしい.それに加えて家族のグリーフワークへの援助まで必然的に要求される.単純に「それは身内での仕事だ」とこちら側がかかわらずにいられるであろうか.治療を行わないという決定は医療者も参加したところで行われた事実がある.「あとは知りません」はできないであろう.が,これも透析医療にのみ携わってきた人間にとっては「どうしていいかわからない」「苦手だ」と思える仕事である.が,だれも,代わってくれる人はいない.ここでもつい「よいテクニックはないか」と思ってしまう.10テクニックではおそらく目的を達しないここで問われるのは「なぜ,自分はこの職業(仕事)を選んだのか?」という基本的なテーマだろうと思う.医療職には「相手の気持ちや感情を汲み取る」仕事が本来はあるのだということを思い出すことである.コンセント(合意)はconsentire=tofeelto-getherの意味であるという5).としたら,共感(相手の気持ちになる)することは医療者としての第一歩の仕事だと考えられる.家族と同じ気持ちや感情を「分かち合う」ことは,その場では一見なんの成果も生まないように見えて,実は奥深いところで(案外に言葉のレベルよりも時間をかけて)伝わっていくのだろうと思う.「家族の気持ちが医療者に伝わること」と同時に「医療者の気持ちが家族に伝わること」が双方向性に起きてくれば,それは立派な「心のケア」だと私は思う.患者が亡くなったあとの遺族へのケアも同じことだと思う.「時が心を癒す」のも真実であろう.否定はしない.が,ここでも,透析中止という人工的手段での「死」が,遺族の罪悪感,罪責感を強めていることに気づきたい.「死なせてしまった」「殺してしまった」という感情である.「死者への許しを請いたい気持ち」を理解してあげることは,他者では(医療者以外では)できない仕事のように思う.そうした感情を目の前で述べてもらうことが,すなわち遺族へのケアになると思う.受け止めてあげることである.遺族が患者の死が「悔やまれる死」ではなかったのだ,と思えることがひとつの目標になろう.11医療者のグリーフワークここまで述べてくると,再びテーマはもとに戻って,いったい医療者のグリーフワークはだれがしてくれるのか,するのかということになる.ここまでのきつい仕事を要求されるのなら,このような職場にはいたくないと思い,感じるスタッフは多いかもしれない.なにしろ,今生きている透析患者の心のケアですら手一杯である.「生きている人たちのことでもせいいっぱいなのに,亡くなるあるいは亡くなった人たちやその家族の人たちまでの心のケアをしろと言うの」という声が聞こえてきそうである.「そこまでつきあって(やって)いたら私たちはどうなるの」という声である.どうしてもそのようなことはどこかで切り捨てないと自分達がやっていけない「仕組み」が日本の医療体制にはある.「形のあるもの」に対してはお金が出るが,「目には見えないもの」にはお金が出ないこと,これが一番の盲点であろう.12透析中止で一番気になること「患者と家族の不一致」が明らかになったとき,医療者はどうするのか? このことについては私は答えがない.患者のリビングウイルははっきりとしている.しかし,家族はそれをノーと言う.そのうちに患者の意識レベルは落ちてきてもう確かめようがない.これは「脳死臓器移植」と同じ構造にある問題である.本人のみの意思では決定してはいけない,という考え方がひとつの公式なモデルとしてある.とすると家族がノーと言っているのに実行できるかという問題である.脳死医療ほどに時間は取れない.おそらく時間切れに終わってしまう可能性が強いであろう.こういう問題も含めて,透析医療の世界だけの問題ではないとして広く世の中に問うてみる問題だと私は考える.われわれだけで悩むのではなくて,もっと家族にも世間にも悩んでもらうことが大切だと考える.われわれのみがあまりにも問題を背負い過ぎると,「病院に死を牛耳られる」(大阪毎日新聞)という思いもかけない「声」が上がってきて,思ってもいない視点から攻撃を受けることになる.透析中止に限らず,「自宅で家族に見守られながら亡くなっていく」のが一番理想だと思うが,たいていの家族が「仕事が忙しい」「働いていて在宅の介護はむつかしい」「急変したときに駆け付けてくれる信頼のおける医師(家庭医)がいない」「よい介護ヘルパーがいない」「私的に介護者を雇うだけの経済的能力がない」などの理由を挙げて在宅終末医療には難色を示す.その結果病院での「死」にならざるを得ないのだが,人生の最後で「病院に死を牛耳られる」と言われては,こちら側のこうした苦労や悩みも宙に浮いてしまう.もっともっと国民的な議論の対象にすべきだと私は思っている.社会的な合意が得られないうちは,患者や家族を慎重に選び,ていねいに,ていねいにひとつひとつの「作品」を作るつもりで透析中止医療をやっていくしかないであろう.しかし,そのことに携わる医療者の心痛や苦労はなまやさしいものではない.「透析の中止を決定し,その実行をせざるをえないときのメディカルスタッフの心情」を思うと,しばしば日本のマスメディアがやるように傍観者的にああだこうだと批判し,非難することはとてもできないと思う.おわりに医師である山本高史氏は肝臓がんであった厳父の「死の臨床」を自ら担当された.在宅での終末期医療で格闘し,最近『父を「安楽死」させた医師の記録』と題するドキュメントを発表された6).その記録から一部引用して終わりとしたい.「私たちの心は揺れていた.父の苦しむ様に一刻も早い安らぎを願いながらも,痛みが和らぐと,さっそくその生きている姿に安堵しているのだ.実に奇妙な現象であるが,その時私たち家族は,父の生と死を同時に望み,また同時に拒んでもいたのである」「もうこれきり,これで終わりにしようと,治療の中止を心に誓いながら,結局はそれを先送りし続けた」.



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透析非導入と透析継続中止国内外の現況と課題

2021年03月07日 | ヒデは1,人工透析、2,心が弱り40%血液排出、3,リウマチで身体が不自由...
透析患者の場合,透析継続の中止後,大多数の患者が10日前後で死に至る.

欧米では透析中止による死亡が決して稀な事象ではないとは言えよう.透析継続の中止アメリカでは透析中止が先行して死亡(with-drawalfromdialysisbeforedeath)に至る比率が近年20-25%に達して,死因の第2位または第3位を占めていると報告されている4).透析中止による死亡を「生命の自然経過」と受け止めたい意向を示すもの

スペインのHD・CAPD患者の死亡116例の分析では,30名(25.8%)が透析中止による死亡であり,・mentalincapacity・がその主因だという7).イギリスの75歳以上58例の解析によれば,透析中止による死亡は全死亡の38%であり,高齢者では高率である8).




透析非導入と透析継続中止国内外の現況と課題

大平整爾医療法人社団カレス アライアンス 日鋼記念病院腎センター(現,札幌北クリニック)


はじめに末期慢性腎不全患者は,医師から現症(腎機能の低下度および全身状態など)並びにその後の治療法の選択肢に関して説明を受ける.相当以前から定期的な受診を続けていた患者と然らざる患者とでは,①医師からの説明,②医師-患者間の質疑応答などを経て,③患者自身の納得と理解,④家族などの協力度合い,⑤医療者・家族の勇気付け,など様々な要因によって,医師の提示した治療法の受諾・非受諾(医師の立場からは導入・非導入)へ至る道程はかなり異なってくる.医師は自説を押し付けるのではなく,まず患者の言い分を傾聴することから始めなければならない.また,医師は患者との対話が開始された後,できる限り速やかに患者・家族から信頼感を得ることが肝要である.然らざれば,如何に公平な説明や情報の提供を行っても有効なものとはなり得ない.一方で一旦透析療法が開始されても,種々の合併症や加齢に伴う障害の出現などのためにその継続が困難か苦痛となり,透析継続の中止が患者・家族または医療側から考慮せざるを得ない状況が生まれてくる.これ等の事態は近年次第に増加し,医療者および受療者の関心度を深めている.本論ではこれにかかわる諸問題を概説したい.1現代医療の根幹医の倫理は,①自主性(autonomy),②無害性

(nonmaleficence),③慈愛(beneficence),④正義(justice)の4点にあるとされている.リスボン宣言はこれを受ける形で,患者の権利をより具体的に述べている(表1).これ等を要約すれば,現代医療の根幹は「患者の自己決定権の尊重」にあると言うことができよう.この故に,患者は医師から自らに関する医療情報の真実を包み隠さず提示されることを要求し得る権利を有し,医師にはそのように行うべき責務が課せられているものとなる.インフォームド・コンセント(IC)はま透析非導入と透析継続中止127透析非導入と透析継続中止国内外の現況と課題大平整爾医療法人社団カレス アライアンス 日鋼記念病院腎センター(現,札幌北クリニック)[透析医療におけるCurrentTopics2002]NoninitiationtoandWithdrawalfromDialysisTherapy~CurrentStatusandProblemsintheWorldandJapan~Kidneycenter,NikkoMemorialHospital(now,SapporoKitaClinic)SeijiOhira表1患者の権利に関するリスボン宣言1.患者は,自分の医師を自由に選ぶ権利を有する.(医師選択の自由)2.患者は,何ら外部からの干渉を受けずに自由に臨床的および倫理的判断を下す医師の治療看護を受ける権利を有する.(医師独立性・倫理性への期待権)3.患者は,十分な説明を受けたのちに,治療を受け入れるかまたは拒否する権利を有する.(提示医療計画への受諾と拒否権)4.患者は,自分の医師が患者に関するあらゆる医学的な詳細な事柄の機密的な性質を尊重することを期待する権利を有する.(守秘義務への期待権)5.患者は,尊厳をもって死を迎える権利を有する.(尊厳死選択の権利)6.患者は,適当な宗教の聖職者の助けを含む精神的および道徳的慰めを受けるか,またはそれを断る権利を有する.(宗教的,道徳介入の受諾権と拒否権)〔1995年9月,第47回世界医師会(注:1981年宣言を改定)〕

ず医師が患者の言い分を傾聴した後に情報の提供と説明を加え,両者間で質疑応答がなされ,患者の理解と納得のうえで,患者自身が医師の提案に対して諾否を自己決定するというプロセスである.当然ながらこの過程は,あらゆる検査や治療の開始に際して欠かせない必要事項となる.2患者の自己決定権と医師の裁量(権)患者の自己決定権は,「エホバの証人輸血事件」で最高裁判決が示したように,憲法上保障された人格権の重要な一端をなすものであり,医師が道徳的・倫理的な心得えとして具備すべきもの以上に強い強制力を持って,医師にその順守を迫るものである.しかし,医師が患者の自己決定権を容認し患者の求める情報を提供するにしても,患者が理解不十分であったり逡巡を示したりして,患者の自己決定が常に円滑に進むものではない.あるいは,患者が意思を明確に表明したとしても,患者の決定が医療の専門家の立場からみて必ずしも妥当ではないと判断される状況が出現するものである.したがって,医師の都合・利益,傲慢や怠惰に根差す一方的な父権主義はむろん排除されなければならないが,医師が患者に対して共感と寄り添いを示しつつ指導的な協力あるいは協力的な指導は完全には排除されるべきではなかろう.つまり,「患者による自己決定」というプロセスには,患者と医師の共同作業の工程(shareddecisionmaking)が多くの場合に必要になると考える.このように考えを進めると,患者の自己決定権には一言で言い切ってしまえない複雑で微妙な側面が存在する.3透析非導入と透析継続中止の現況1) 透析非導入これに関しては,Hirschらの見解がしばしば引用されている(表2)1).表2の中で,2)~5)の項目のような状態では,透析を開始しても患者に望ましいQOLの向上が求め得ず,また,透析の実際の施行に著しい困難が伴うものであるために,積極的な透析導入を患者側に勧められないのは理解でき妥当な見解であろう.これに対して,項目1)と6)では見解の別れるところであろう.痴呆の透析患者導入は問題が多いが,原則的には患者の

事前指示(書)か代理人の判断に委ねられるものと考える.詳細は拙著2)3)を参照していただきたい.6)については,時にこのような患者に接するが,根気よい説明や薬剤などによって対処できる場合も少なくはなく,一概に否定的なことにはならないように思われる.さて,医学的に腎機能低下が顕著で透析導入が適応とされながら諸般の事情から非導入となる患者の数や比率に関しては,正確なデータに接していない.欧米では当該患者が腎疾患専門医を受診する前に家庭医がその判断をすることがあって,家庭医が言わば・gatekeeper・の役を果たしてしまう場合があると聞き及ぶ.同様な事情は日本でも有り得ることと推測される.家庭医または初診医と専門医相互の密な連絡が必要であろうと考える.北海道のアンケート調査3)(道内の12施設)によれば,1994-1998年の5年間に22例で透析非導入が決定されている.その理由を複数回答からみると,①悪性腫瘍末期14例(64%),②高度の痴呆15例(68%),③心筋梗塞などによるきわめて劣悪な循環動態11例(50%),④DIC9例(41%),⑤重度の心肺機能低下12例(55%)であり,非導入は医師と家族間で話し合われて決定されている.いずれの症例も著しく全身状態が不良で,透析療法を開始しても病態の好転とQOLの向上を望み得ないと判定されたものである.医療側からみて患者が判断力を有し,かつ,透析施行が可能な症例での非導入例は存在しなかった.医師が透析療法を適応と考えて患者に勧めて患者が強固に拒否する事例は必ずしも少なくはないが,このような

症例でもほとんど大半がその後医療側の説明・説得で透析導入が患者により受諾されるのが実態であると感じている.2)透析継続の中止アメリカでは透析中止が先行して死亡(with-drawalfromdialysisbeforedeath)に至る比率が近年20-25%に達して,死因の第2位または第3位を占めていると報告されている4).・deathbywith-drawalfromdialysis・(WD:透析中止による死亡)を既述のように・withdrawalfromdialysisbeforedeath・(死亡に先行した透析中止)とUSRDSが死因分類を変更したのは,透析中止による死亡を「生命の自然経過」と受け止めたい意向を示すものであろう3)5).さて,アメリカにおけるWDの比率には,地域格差が存在するごとくであり,Cohenら6)によるアメリカおよびカナダ8施設の調査ではWDに伴う死亡は全死亡の8-53%であるという.透析中止率は施設間格差のほかに人種間の差異も顕著であり,白人で81.5人/1,000patient-yearsであるのに対して,黒人では34.2人であった.スペインのHD・CAPD患者の死亡116例の分析では,30名(25.8%)が透析中止による死亡であり,・mentalincapacity・がその主因だという7).イギリスの75歳以上58例の解析によれば,透析中止による死亡は全死亡の38%であり,高齢者では高率である8).対象症例数,施設の特性さらに担当透析医の方針などによって,透析中止率には相当な相違が出てくるものと推測されるが,欧米では透析中止による死亡が決して稀な事象ではないとは言えよう.日本における透析継続中止の実態は,その詳細が未だ十分に把握されていない.日本透析医学会の統計調査委員会が毎年報告する資料によれば,2000年導入慢性透析患者の死因分類で「自殺/拒否」の項目をみると0.9%(25/2,641)とされている9).死因に占める「自殺/拒否」の比率は過去,ほぼ1%内外で大きな変動は見られていない.統計調査に現れにくい側面があろうと推測される.調査期間を1994-1998年の5ヵ年に限定して私共が行った北海道12施設のアンケート調査3)によれば,透析死亡患者のうち透析継続の中止による死亡率は1-2%であった.また,筆者が所属する日鋼記念病院で1996-2000年の5ヵ

年に死亡した139例の分析では,透析継続中止による死亡は3例(死亡時年齢:41歳,63歳,77歳)で透析中止死亡率は2.2%と算定された.わが国においてもより多数例の詳細な調査分析が必要であるが,透析継続の中止を選択して死に至る事例は,現時点では欧米に較べて著しく少ないとは言えそうである.4日本人のがん告知および延命治療に対する意識朝日新聞(平成12年10月23日版)が行った世論調査の結果によれば,がん告知を望む一般人は76%に達しているが,告知する立場の医師では「知らせるほうがよい」と答えた比率は53%であり,かなりの乖離が認められる.本人は「知らせてほしい」と高率でその意向を示しながら,それぞれの家族への告知に否定的な比率は46%に及んでいてここにも相当な差異が存在している.延命治療に関しても同様で,自分自身の延命治療を希望する人はわずかに17%,つまり70%超の人々は自らの延命治療を望まないとしながらも,家族への延命治療については40%超が希望するとしている.人それぞれの生死は専らその人自身にかかわり,したがってどの道を如何に進むかはその人自身の意向に従うべきものなのであるが,実際には一個人の生死はその人だけの事象として止まらず,周辺の人々を巻き込み大きな影響を与えるものと言わなければならない.がん告知や延命治療の可否に対する日本人の意識調査の結果にそれが如実に現れている.透析非導入や継続中止の決定にも当事者の意向を最大限に尊重する原則は曲げられまいが,決定の過程に幾度か居合わせた筆者自身の感想からは先の場合と同様に,当該者を囲む近親者の意向が大なり小なり影響するものだと実感している.5透析患者の心肺蘇生に対する受け止め方表記に対す大変興味深い日米の調査結果が,時を隔てずに報告された(表3).心肺蘇生(CPR)を要する状況はきわめて重篤な病態であるが,日本ではその時点での健康状態次第でCPRを希望するとする者が42%であるのに対して,アメリカでは透析(血液)中の心肺停止に対してCPRを希望する率が87%に達している.日本の透析患者が現時点の健康に不十分感・不満感・

不安感などを有しているらしいことが想像できる.これに対して,アメリカの透析患者が透析中の心肺停止に対して87%という高率でCPRを望むのは,生命に対する強い執着心からであろうか.Mossらはきわめて重篤な患者がCPRで次々に救命されるテレビドラマの影響をその理由の一つにあげて,実際の臨床の現場での厳しい成績を患者に教育する必要性を述べている.CPRに対して高率に期待感を表明するアメリカ人が,一方では先に見てきたように,わが国に較べて著しく高率に透析継続の中止を決定する一見相反する現象は,自己の生命の終焉に対して確固として自己主張を行うということを意味するのであろう.一方,日本の透析患者は,①痴呆・末期癌状態でCPR希望:12%,②痴呆状態での透析継続希望:18%,③末期癌状態での透析継続希望:45%,という意思を示しており,終末期状態での透析継続を望まない言わば生命に対して淡泊な態度とでも言うべき比率は相当に高率であるにもかかわらず,透析継続の中止が実際に決定・実行される事例は少なくとも統計に現れている範囲では低率である.概念として末期状態での生存を望まず否定しているが,実行に移し得ない決断力の欠如・世俗のしがらみなどの諸条件が隠されているからなのであろうか.心身の苦痛・苦悩がある程度以上排除可能であれば,末期状態であっても大多数の患者は生命の永らえることを望むのが人の性さがであろうと推測されるが,わが国の透析患者がそうした好ましい環境にいるからであろうか.あるいは,担当医と生命の行く末

を率直に話し合う機会を双方が回避しているためであろうか.数多くの不明な問題が残されているように感じている.6透析療法における共同による意思決定(RPA/ASN)RPA(RenalPhysiciansAssociation)並びにASN(AmericanSocietyofNephrology)が発表している表題に対するRecommendationSummary10)の一端を紹介したい.[勧告1]では,共同(医師と患者)の意思決定の重要性が説かれている.患者が意思決定能力を欠く場合には,法的な代理人が設定される.患者の同意がある場合には,共同の意思決定に家族・友人および腎疾患治療チームのメンバーが加わってよいとされ,患者自身の主体性が尊重されていることがうかがわれる.[勧告2]ではインフォームド・コンセントまたは拒否の内容が説明されている.担当医が患者に診断・予後および治療上の選択肢(実施可能な透析方法,透析を開始せず保存的療法を継続する場合の終末期ケア,期間を限定した透析の試行,透析の中止と終末期ケア)を説明することを義務としている.かなり具体的な勧告と言うべきであろう.「医師は,患者または法的代理人が意思決定のもたらす結果を理解していることを確認する必要がある」とする点は,当然ながら重要な視点であろう.[勧告4]は,医療チームと患者または法的代理人


との間に,意見不一致がある場合の解決策に触れている.「系統的な取り組み」を勧め,①予後についての不十分な意思疎通または誤解,②個人的または対人的見解の揺れ,③価値観の相違など,を調整するべきとしているが具体性に欠けており,実際には最も難しい側面であろう.「透析が緊急を要する状況下では,意見相違の解決を探りながら,もし患者または法的代理人が透析を求めるのであれば,透析を開始しなければならない」と勧告しているのは,アメリカの医師が一定の状態の患者に対して透析開始を相当に強い態度で勧めない状況があるためであろう.[勧告5]では,医療チームが患者から事前指示(書)を得るべく努力するように説いている.[勧告6]が透析の非導入または透析の中止(with-holdingorwithdrawal)に関する勧告である(表4)10).全体的に患者の自己決定権を尊重する妥当な記述であるが,患者の選択が逡巡,恐怖感や誤解などによって医療者側からみて必ずしも適正ではない場合に,どの程度,医療者側が患者の決定に干渉すべきなのかに難しさがあろう.本勧告の「1」では・shareddecision-making・が謳われており,患者の言い分をそのまま受諾することが常には正しくはないと考えるが,節度ある干渉でなければならないであろう.[勧告7]では特殊な患者群に言及し,「非腎疾患を原因とする終末期状態または医学的な理由から透析の技術的な施行が不可能な急性・慢性腎疾患患者では,透析の非導入または透析継続の中止を考慮することが適切である」と述べている.[勧告8]では,透析を必要とするが予後が不確実で透析開始について関係者間でコンセンサスに達していない患者にあっては,期間限定の透析試行(time-limitedtrial)の検討を勧めている.最後の[勧告9]は,緩和ケア(palliativecare)に関する項目である.非導入または継続中止を選択した患者自身およびその家族への種々のケアが,引き続き行われるべきだとする勧告である.終末期または緩和ケアと言っても,癌腫・脳出血・心筋梗塞など様々なケースがあって一括することは難しい.透析患者の場合,透析継続の中止後,大多数の患者が10日前後で死に至る.したがって,透析患者の終末期ケアは非導入または継続中止の時点から始まるのではなく,それに先行する必要性が大きい.以上,概観してきたRPA/ASNの勧告は大原則としてよく論議が尽くされた提案だと言えようが,個々の事例に遭遇してこの原則をどのように具体的に演繹していくかは,必ずしも容易ではないと考えられる.7透析非導入並びに透析継続の中止が選択されたことに対する事後評価患者が透析という高度に人為的な手段を回避または中止して自然経過として死に至った個々の事例は,適正な尺度で評価されることが望ましい.亡くなった当の本人から評価を得ることはできず推測の域を脱しないが,Cohenら11)は・deathasgoodorbad・に幾つかの項目を掲げて点数化する方式を提案している.その詳細は原著11)か拙著3)を参照して頂きたいが,試みるに値するものである.一人の患者の死去の様々な意味の影響が家族・近親者に止まらず,それ等の人々の感情や仕草が移入または投影されて医療スタッフにも及ぶことを銘記しておきたい.8透析非導入または透析継続中止の手順医学的な見地からは必要と考えられる治療を開始しないか,これまで継続してきた治療を中止するかというような事態は医療が始まって以来,かなり卑近に存在してきたであろうと推測される.それがわが国で実際上どのように行われてきたかは不詳であるが,相当な部分がいわゆる「以心伝心」か「阿吽の呼吸」とい透析非導入と透析継続中止131表4透析の非導入または透析の中止(RPA/ASN0)10)―抜粋

うべき不明瞭な形での断行(善意ではあっても医師の独断)であった懸念が大きい.患者の自己決定権・個の尊厳を尊重する現代では,すでに馴染まない容認されない事態の運び方であろう.生死を分かつ状況下での医師-患者・家族との話し合いはなかなか率直にはいかず,日頃から患者・家族との対話を厭わずに根気よく続けることが肝要であり,医師たる者はすべからく一定レベル以上のコミュニケーション・スキルを身に付けることが求められよう.図1は腎疾患々者に対して,透析導入が医学的に判断される第一段階から様々な過程を経てその患者が死亡に至るまでのフローチャートである.ここに記したすべての段階で,医師・患者間で良好な意思疎通があるよ

うに臨床医は心掛けたいものである.9終末期透析患者が望むもの透析の非導入,透析の継続中止いずれもその決定に関与することは,医療者にとってpainfulかつtrau-maticな難行である.患者がハイテクノロジーによる延命よりも死を選択するという事態は医療者にとってはショックな出来事であり,医療人はこれを自らの医療行為への屈辱・侮辱と受け止め,敗北感を募らせがちである5).患者がこれ等の選択を決断する諸要因を可能な限り探り排除しようとすることが,医療チームに課せられた第一義的責務であろう(表5).しかし,ひとの命と現在の

医療に限りがあることは認めざるを得ず,したがって,非導入・継続中止という実態を100%回避することは不可能であろう.そして,その決断は現代医療の敗北では決してないと考えられる.さて,透析患者殊にこの人々が終末期に至ってなにを最も求め,なにを最も重要な事柄としているかを医療者が知ることは,きわめて重要であろう.ここでは,Steinhauserら12)が末期癌患者・家族・医療関係者を中心にこの問題を分析しているので紹介し,参考に供したい.患者が重要だとして掲げた事項を重要度順に列記すると以下のごとくであった.① 疼痛からの解放② 神と共にある安寧(atpeacewithGod)③ 家族の存在④ 鮮明な意識⑤ 治療の選択権⑥ 良好な経済状態⑦ 生命・生活の有意義感(feellifewasmean-ingful)⑧ 心的葛藤の帰着⑨ 自宅での死亡一方,患者を看取った家族ではその順序が①②③⑤④⑦⑥⑧⑨のようであった.これが医師では,①③②⑦⑤⑧④⑥⑨となっている.重要度上位3つに大き

な差異はなく三者の認識が一致している.医師が「生命・生活の有意義感」を第4位に掲げているのに対して,患者自身はこれを第7位に掲げているなど,微妙なしかし恐らくきわめて重要だと思われる食い違いが認められる.ここには現れていないが,Steinhauserらは,末期癌患者が大いに気に掛ける点に,家族および社会への負担(burden)があるとしている.患者が望み重要としている事項の認識には立場による違いが大きく,かつ,同一グループでも個人差が無視できないことを知っておきたい.表5は医療者の立場から憶測した筆者の個人的な見解に基づく「透析継続中止を決意する」諸要因であり,個々の患者に接した場合には,熟慮されなければならないと痛感している.先にアメリカの報告にみたように,透析非導入率や透析継続中止率には施設間格差が大きく,それぞれの施設の特性や治療する患者の特性(病態,重篤度・生命感・家族関係など)は,当然関係してくるであろう.その他に,担当医の属性(受けてきた教育・経験,生命感,価値観など)も大いにこの問題に関与すると考えられるのであり,医師に対する生命倫理領域の教育・習練や事例分析などを今後,強化することを考えなければならないであろう.おわりに治療の非開始,一旦開始した治療の中止は,患者自身が決定する専任事項なのであるが,医療者は医療の最終の仕上げとして関与せざるを得ない重要な案件と認識する必要がある.






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