公務員の世界は、陰湿、変わり者、非常識が多い。

2020年04月01日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

公務員の世界は、陰湿、変わり者、非常識、いい加減が多い。

身分保障されているので独特の陰湿な世界だ<<自分は地方公務員、国家公務員経験があるが、実に変な世界>>閉塞的な世界だ。

民間人のほうが遥かにマトモな人間が居る!!



東須磨小・教員間暴行 被害の男性教諭が新学期から復職 別の市立小学校で学級担任

4/1(水) 6:00配信

神戸新聞NEXT
東須磨小・教員間暴行 被害の男性教諭が新学期から復職 別の市立小学校で学級担任

神戸市教育委員会が入るビル=神戸市中央区東川崎町1

 神戸市立東須磨小学校(同市須磨区)の教員間暴行・暴言問題で、被害を受けて昨秋から療養中の男性教諭(25)が別の市立小学校に異動し、4月の新学期から復職することが31日、同市教育委員会などへの取材で分かった。男性教諭は学級担任を務めるといい、既に着任した学校で同僚らの支援を受けつつ、授業などの準備を進めている。

【写真】被害に遭った男性教員から男児が4年生の時にもらった手紙

 男性教諭は新採用1年目の2017年から、東須磨小で同僚教諭4人から暴行などのハラスメント行為を受けた。羽交い締めにされて激辛カレーを食べさせられたり、人格を否定される暴言を繰り返し浴びせられたりし、19年9月から適応障害などで療養していた。

 関係者によると、男性教諭は投薬やカウンセリングを通じて徐々に回復。療養中、教え子らから励ましの手紙を受け取り、「もう一度立ち上がろうと思えた」として復職を強く望んでいた。一方で、東須磨小周辺の風景を見ると体調を崩すこともあったため、異動を前提に市教委と時期や勤務先を検討していた。

 東須磨小の問題では、市教委が今年2月、加害教諭のうち2人を免職、1人を停職3カ月、もう1人を減給の懲戒処分にした。また兵庫県警は暴行と強要の疑いで4人を書類送検し、神戸地検が3月27日、「社会的制裁を受け、被害教員が処分に納得している」などとして起訴猶予処分とした。(佐藤健介、井上 駿)
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“教諭間いじめ”元教諭ら4人『起訴猶予処分』…神戸地検「社会的制裁を受けている」

3/27(金) 17:18配信

MBSニュース

MBSニュース

 神戸市立東須磨小学校の教諭らによるいじめ問題で、神戸地検は加害者側の元教諭ら4人を起訴猶予処分としました。

 不起訴処分(起訴猶予)となったのは、神戸市立東須磨小学校の30代の元教諭ら3人と40代の女性教諭の合わせて4人です。4人は、後輩の男性教諭に対して、2019年2月に“激辛ラーメンを食べさせる”などし、内3人は2018年9月に“家庭科室で激辛カレーを食べさせる”などしたとして、今年3月11日に警察が暴行や強要の疑いで4人を書類送検していました。

 今年2月、2人が懲戒免職処分を受けるなど、4人全員が神戸市教育委員会から懲戒処分を受けていて、神戸地検は「社会的制裁を受けている」として起訴しませんでした。




******** | 4日前

会社員が自動車で誤って人をはね死なせると、刑事罰、行政処分、民事での損害賠償の上、会社を解雇されることがあるでしょう。

運転免許取消の行政処分されたからと、刑事罰がなくなることはないので、この対応はおかしいと思う。

返信2

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hir***** | 4日前

甘い〜甘〜い対応ですね。公務員には甘い処分。2人は懲戒免職、2人は?4人共、懲戒免職でしょ?さらに起訴して裁判を受けなきゃ。神戸市教育委員会も神戸市も甘い、兵庫県警も。強要罪、傷害罪…なんかうやむややなあ。

返信3

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Daddy・K | 4日前

法律の限界は、これまでの事例からやむを得ないことはわかっている。ならば責めて、加害者を社会的に葬るために、マスコミは実名報道すべきだと思う。そういう本当の意味で勇気ある報道をするマスコミはいないのか!弱い立場の被害者の実名報道はするくせに・・・

返信0

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yoshinobori | 4日前

刑事処分はそんなとこでしょ。大怪我させたわけじゃないし被害者と和解できれば起訴までいかんだろう。

ただ許せないのは懲戒処分だな。
なんで主犯格の女教師が停職たったの3か月なの?
めちゃくちゃおかしいだろ。
また教壇に立たせるつもりか? おい教育委員会よ!

返信2

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5

par***** | 4日前

納得できない。
法による判断が「いじめは犯罪」だとする一歩だと期待していた。
とても残念に思う。

返信0

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1

aka***** | 4日前

社会的制裁で済むことではないでしょ。この件はしっかり刑事罰を与えることが重要ではないのか。

こいつらはほとぼりが覚めた頃にまた同じようなことをするよ。今回罪に問われなかったことで余計に酷いことになるんじゃないの?

返信0

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xxxxxxx | 4日前

この手の「起訴猶予処分」が出されるたびに思うのは「社会的制裁を受けているから」という決まり文句。
殺人でも、社会的制裁を受けているからと軽くなる。
それでいいのだろうか?

返信0

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thp***** | 4日前

名前も顔も公表せず、何が社会的制裁?
国民と被害者は納得しないよ。
謝罪会見でもしたら、少しは違う。

返信0

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ski***** | 4日前

社会的制裁、ねえ・・・ 勘違いやでっち上げならとにかく真犯人だったんだ。
悪者(疑われているではなく本当にやった奴)がとっちめられるのは当たり前。
善良な市民の非難の声を犯人がニヤニヤしながら聞いてるかと思うとつらい。

返信0

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1

nob***** | 4日前

社会的制裁とは何を持って言うのか?
被害者は一生のキズを背負う。
示談が成立しているのであれば理解出来ますが、そうでなければ表現は悪いのですが、やったもん勝ちと同じではないでしょうか?

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警察官になるものではない!!

2020年03月11日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

おなじ公務員でも市役所勤務は過労死などなし!!

警察官になるものではない!!

以上、経験者より

**警官など<<ブラック勤務で志願者がいないので交番や白バイ隊員に募集させる=交通反則切符着
きる代わりに警察学校受験をさせるなど普通にあった!!>> 近年でもマスコミ記事で警察官のなり手がいない!!採用してもすぐに辞めてしまう問題があった。

現在、カルタゴは、表向きは嘘の景気良いなどと売り手市場らしいが<<自衛隊や消防、警察、海保になりたいなどというのは特殊な権力志向の体育会系>> 仮に良識ある人間が間違えて志願して採用されても嫌気が差して辞めてしまう。

おなじ公務員でも市役所にでも勤めればパワハラなどなく過労死もなく24時間待機状態などもない!!給料も良い。





布団の中で亡くなっていた──警察官「過酷すぎる労働」の内情

3/10(火) 11:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

不正アクセスや煽り運転など、現在の日本では誰もが被害者になる可能性があります。そんな身近に潜む犯罪から身を守り、万一のときのために知っておきたい情報を、警察OBが伝授します。※本連載は『新装改訂版 警察は本当に「動いてくれない」のか』(幻冬舎MC)から一部を抜粋し、改編したものです。
現場で働く警察官の価値観は、一言で言えば体育会系

家族や友人、知人などに警察関係者がいなければ、生身の警察官を身近に感じる機会はあまりないかもしれません。そもそも、警察官とはどのような考えや価値観を持った人たちなのでしょうか。

まず、警察官という職業を志すだけに、一般の人に比べて正義を大切に思う気持ちが強いことは言うまでもありません。また、現場で働く警察官の価値観は、一言で言えば体育会系です。

たとえば、警察官の卵はまず警察学校に入りますが、まずはその集団行動に驚きます。何をするのも一緒で、食事や入浴も常に集団で動くことが当たり前です。もし一人でも部屋が汚かったり、時間に遅れるようなことがあれば、すべて連帯責任として全員外出禁止を命じられてしまうのです。

ちなみに、警察学校では警部補以上の階級をもつ者を「教官」と呼び、巡査部長以下の階級の者は「助教」と呼ばれています。教官と助教の二人一組でクラスを担当して教育を行います。

警察の仕事は気力・体力が命です。そこで、警察官にふさわしい適切な体型が自然と形作られるように、やせ過ぎている者には「もう少し筋肉をつけろ」とあえて大きめの服が、逆に太り過ぎている者に対しては「贅肉を落とせ」と小さめの服が用意されているわけです(私が警察学校に入った頃の話であり、今はそのようなことはないようです)。

また、生徒が風邪をひいてしまった場合、一般常識からすれば「学校を休め」となるはずです。しかし、警察の常識は違います。周囲からは「精神がたるんでいたから病気になるんだ!」と気合いを入れられます。

いざという時に病気で休んでいては国民を守ることができない、体をしっかりと鍛えなければ…このような精神修養を経て一人前の警察官になっていくわけです。


熱心でまじめな警察官ほど疲労困憊し、悩み苦しむ

警察官がどのような日常を過ごしているのかについても、一般にはあまり伝わっていないでしょう。

まず、現場の警察官のほとんどは殺人的な量の仕事に日々追われています。事件があれば捜査をしなければならないのはもちろん、そのために膨大な書類を作成しなければなりません。殺人事件のような重大犯罪の場合には、それこそ積み上げたら天井に届くほどの量の書類を作らなければなりません。知らない人が見れば、おそらく「こんなに!」と仰天するのではないでしょうか。

企業と同様に、国民の安全・安心を守るために検挙件数などの目標も決められているので、それを必死にこなしていかなければなりません。

「国民を守るために目標を達成しなければならない!」という強い責任感とプレッシャーのために、現場で働く警察官たちの中には、うつ病など心の病に罹る者が少なくありません。最悪な場合には、耐えきれなくなり自ら命を絶つ例もあります。最近、取り沙汰されることが多い警察官の不祥事も、おそらくその大半はストレスを晴らそうと、半ば自暴自棄な状態に陥って行われているものがほとんどでしょう。

とりわけ、警察官の仕事に熱心なまじめな人ほど疲労困憊しており、悩み苦しんでいる傾向がみられます。現場の警察官が満足に心身の健康を保てないような状況では、警察が犯罪に立ち向かうことが難しくなるでしょう。

近時、上場企業などを中心に社員の心身のケアに配慮した業務改革が進められています。警察でも同様に、今の時代に適合した形で現場で働く警察官の業務のスリム化・効率化が求められているのです。
365日休みなし、低賃金…さらに大変な警察署長

さらに、エリートであるはずの警察署長も現場の警察官と同様に、過酷な日常を強いられています。

まず、警察署長の居宅である署長官舎はほとんどの場合警察署のすぐ近くにあります。何か大きな事件があれば、昼夜関係なくすぐに署に駆けつけなければならないためです。また、事件に関する書類はすべて目を通さなければなりません。そのため、一日中、署長室に閉じこもりきりで、資料を読み続けなければならないこともあります。

また、深夜にでも突然たたき起こされるのが当たり前の毎日では、家族が同居していればその生活も悪影響を受けることになります。それを避けるため、署長のほとんどは、家族を実家に残し、署長官舎で一人暮らしの生活を送っています。

365日休みがない、家族とは離れ離れ、このような厳しい労働環境で、過労死する警察署長も中にはいます。実際、埼玉県のある警察署では、署長が出勤してこないので、部下が官舎に様子を見にいくと布団の中で亡くなっていた─―ということもありました。

そのうえ、署長の地位にあるからといって、必ずしも経済的に恵まれているとは限りません。それどころか、給料が部下よりも低くなることも…。

一般に、署長には、警視あるいは警視正がなります。警視までは地方公務員ですが、警視正からは国家公務員です。都道府県の中には、国家公務員よりも地方公務員のほうが給料水準が高いところがあります。そのため、警視正で署長になっている場合には、結果的に、警視で副署長になっている者よりも収入が低くなる可能性があるのです。

ドラマにおける警察署長のイメージは必ずしも好意的なものではありません。人気ドラマ『踊る大捜査線』では、〝スリーアミーゴス〟のニックネームのお気楽な警察署長たちが登場します。また、不正な手段で私腹を肥やしている〝悪徳署長〟が描かれることもあります。

しかし、今述べたように、現実の警察署長は、過酷な生活を強いられており、決して恵まれた経済的待遇を得ているわけでもありません。警察署長の多くは警察ドラマを嫌っていますが、あまりにも事実とかけ離れた描かれ方に「ふざけるな!」という思いを抑えられないからなのでしょう。

ただし、事実もあります。たとえばカップラーメンにまつわる話ですと、警察官は実際にカップラーメンをよく食します。

また、一つ独特の食べ方があり、カップラーメンが出来上がっても、蓋を全部剥がさずに食べるのです。こうすることにより、いつ出動指令が来て出動しても蓋を閉めておけば戻ってきた時にまた食べることができるからです(戻った時には麺はスープを全部吸いこんでふやけていますが…)。

佐々木 保博

株式会社SPI 会長

佐々木 保博

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警察官など公務員の中でもロクナモンじゃない世界

2020年03月10日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

自分は、高卒で警視庁に入ったが<<バスの運転手のバカ親が、交番で警察官募集の白バイの大きなポスターを貰ってきて、白バイに乗れる~~>>などと唆されて、当時バイククレイジーだったガキだった自分が、うかつに話に乗った事から人生が狂った。

警察学校では、精神異常者のような岡部という教官に暴力的な教育をされて、すっかり警察学校で枯れ葉のような教場に成り<<枯れ葉の913期と有名になった>> 

岡部は、新宿警察署の刑事だったが、まるで我々が犯罪人のような扱いをされた、、暴力脅迫。

あまりに酷いので、枯れ葉の岡部教場に対して、教官の岡部を移動させるという話が出たが、そのまま担当を継続した。

上司は、穴見と言う警部だが全くやる気がない。これの上司は千代田警視だったが、これは権力思考が強い人間だった。

この時代の警察学校長は、名前は忘れたが小柄で現場から叩き上げでは、最高の階級の警視正で、現場叩き上げ=キャリアでないのにすごい~~などと噂されてたがジイさん。

隣には、警察大学が有り、キャリアが=採用時から警部補、、、新宿や丸の内の所長は27歳などと有名なキャリアで老人の副所長を嗜める。こんな階級制なので、こういう事を知った自分は高卒で巡査で入ったことを後悔した=バカバカしい。

卒業して現場の処に配属されたら<<殆どが重要警備拠点がある警察署で、隣の警察署のような盛り場で派手な事件などない=暇な仕事>> 過激派の拠点や警視総監、政治家の自宅の警備など多かった。

所には2台白バイが有ったが、、、なんと志願者が順番待ちで<<青免=警察車両免許取り白バイに乗れるまで10年以上かかると乗っている先輩から聞いて絶望した!!!>>このクソ親父、、騙しやがった!!!

自分は、第8交通機動隊に行きたかったが、何年かかるかわからない。

更に、警察寮では、大馬鹿団塊の世代が<<安保闘争対策の緊急採用で短期間で警察学校を卒業してドンドン採用した程度が低い連中で=寮で酒浸り!!!>>それはひどい状況だった=こんなのが警官なのだと驚いた。年をとった警官のジイさん連中から<<この緊急採用の世代は、酷いんだよ、、と、教えられた>>団塊世代のロクでなし警察官。

そんなこんなで、最早バカバカしくなったので<<退職をしたいと申し出たが、中々辞めさせてくれない!!>>半年粘って交渉してやっと退職できた!!

するとすぐに県警から、うちに来ないかなどと誘いがあったが(うちのバカ父親経由で)断固断った!!!

若気の至り世間しらずで警官などになったが、市役所にでも就職して住民課にでもいれば、カラダも楽で馬鹿な低レベルの人間に悩まされることもなかっただろう、、、ちなみに裏の娘が市役所に勤めだしたのを見たが、賢いと思った>>

うちの運転手の父親は酒飲みで権力思考が強い軽薄なお調子者だった、、、昭和一桁の低学歴ジジイ。

その後自分は、これでは駄目だと痛感して働きながら自分で大学を卒業した。バカ低学歴の両親には、大学の卒業式に来ないかと自分が誘ったが断られた!!<<こいつらは、高校時代に、俺が大学に行きたいと言ったときに、銭がかかるから警察官になれば食い物や着るものがタダで銭も入るなどと嘯いていた>>ので、俺が大学を卒業したと聞くと、驚いていた。

バカ親なのだ。

大学時代から司法試験受験していたがフルタイムで働きながらの勉強で、合格しなかった<<このときの喪失感は強烈だった>> その後、仕方がないので国家公務員試験を受けて公務員になったが<<定時で終わるので、夕方から家庭教師をしたり日曜日を利用してハーレーなどのバイクを輸入したり販売したりのサイドビジネスをしてた>>

ヨットで外洋に出ようと考えて小型船舶一級も取得した。

そうこうしてるうちに、バブルも弾け、、日本に見切りをつけて海を超えてフィリピンに漂着した。

その後25年永住=住んでいるが<<信じられないような災難が何回も有った=死を覚悟したことも2回あった>> 40才前に漂着したので元気が有ったので乗り越えてきたが<<もう一度やるかと言われたら絶対に断る!!=日本で暮らしてるほうが遥かに安全快適だからだ!!!>>

こんな国に老後移住などナンセンスで、若い体力気力があるうちに試すのは良いが<<年をとって海外移住、それも後進国移住など馬鹿がやることである!!!>> 適応するまでに老人などあの世行きだ。

それにカモにされて破滅させられるだけ!!

**まとめ、、、、

1,警察官、自衛隊、海保、消防など、よほどの権力志向、体育会系の単細胞でないかぎリ止めたほうが良い。

2,老後後進国移住などナンセンス。貧乏人は、後進国移住などしてもロクナコトはない。


おなじ公務員でも市役所勤務は過労死などなし!!

警察官になるものではない!!

以上、経験者より




布団の中で亡くなっていた──警察官「過酷すぎる労働」の内情

3/10(火) 11:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

不正アクセスや煽り運転など、現在の日本では誰もが被害者になる可能性があります。そんな身近に潜む犯罪から身を守り、万一のときのために知っておきたい情報を、警察OBが伝授します。※本連載は『新装改訂版 警察は本当に「動いてくれない」のか』(幻冬舎MC)から一部を抜粋し、改編したものです。
現場で働く警察官の価値観は、一言で言えば体育会系

家族や友人、知人などに警察関係者がいなければ、生身の警察官を身近に感じる機会はあまりないかもしれません。そもそも、警察官とはどのような考えや価値観を持った人たちなのでしょうか。

まず、警察官という職業を志すだけに、一般の人に比べて正義を大切に思う気持ちが強いことは言うまでもありません。また、現場で働く警察官の価値観は、一言で言えば体育会系です。

たとえば、警察官の卵はまず警察学校に入りますが、まずはその集団行動に驚きます。何をするのも一緒で、食事や入浴も常に集団で動くことが当たり前です。もし一人でも部屋が汚かったり、時間に遅れるようなことがあれば、すべて連帯責任として全員外出禁止を命じられてしまうのです。

ちなみに、警察学校では警部補以上の階級をもつ者を「教官」と呼び、巡査部長以下の階級の者は「助教」と呼ばれています。教官と助教の二人一組でクラスを担当して教育を行います。

警察の仕事は気力・体力が命です。そこで、警察官にふさわしい適切な体型が自然と形作られるように、やせ過ぎている者には「もう少し筋肉をつけろ」とあえて大きめの服が、逆に太り過ぎている者に対しては「贅肉を落とせ」と小さめの服が用意されているわけです(私が警察学校に入った頃の話であり、今はそのようなことはないようです)。

また、生徒が風邪をひいてしまった場合、一般常識からすれば「学校を休め」となるはずです。しかし、警察の常識は違います。周囲からは「精神がたるんでいたから病気になるんだ!」と気合いを入れられます。

いざという時に病気で休んでいては国民を守ることができない、体をしっかりと鍛えなければ…このような精神修養を経て一人前の警察官になっていくわけです。



布団の中で亡くなっていた──警察官「過酷すぎる労働」の内情

3/10(火) 11:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

不正アクセスや煽り運転など、現在の日本では誰もが被害者になる可能性があります。そんな身近に潜む犯罪から身を守り、万一のときのために知っておきたい情報を、警察OBが伝授します。※本連載は『新装改訂版 警察は本当に「動いてくれない」のか』(幻冬舎MC)から一部を抜粋し、改編したものです。
現場で働く警察官の価値観は、一言で言えば体育会系

家族や友人、知人などに警察関係者がいなければ、生身の警察官を身近に感じる機会はあまりないかもしれません。そもそも、警察官とはどのような考えや価値観を持った人たちなのでしょうか。

まず、警察官という職業を志すだけに、一般の人に比べて正義を大切に思う気持ちが強いことは言うまでもありません。また、現場で働く警察官の価値観は、一言で言えば体育会系です。

たとえば、警察官の卵はまず警察学校に入りますが、まずはその集団行動に驚きます。何をするのも一緒で、食事や入浴も常に集団で動くことが当たり前です。もし一人でも部屋が汚かったり、時間に遅れるようなことがあれば、すべて連帯責任として全員外出禁止を命じられてしまうのです。

ちなみに、警察学校では警部補以上の階級をもつ者を「教官」と呼び、巡査部長以下の階級の者は「助教」と呼ばれています。教官と助教の二人一組でクラスを担当して教育を行います。

警察の仕事は気力・体力が命です。そこで、警察官にふさわしい適切な体型が自然と形作られるように、やせ過ぎている者には「もう少し筋肉をつけろ」とあえて大きめの服が、逆に太り過ぎている者に対しては「贅肉を落とせ」と小さめの服が用意されているわけです(私が警察学校に入った頃の話であり、今はそのようなことはないようです)。

また、生徒が風邪をひいてしまった場合、一般常識からすれば「学校を休め」となるはずです。しかし、警察の常識は違います。周囲からは「精神がたるんでいたから病気になるんだ!」と気合いを入れられます。

いざという時に病気で休んでいては国民を守ることができない、体をしっかりと鍛えなければ…このような精神修養を経て一人前の警察官になっていくわけです。




mor***** | 7時間前

例えば事件で拳銃を抜いて容疑者に威嚇発砲したとすると、それだけで膨大な報告書や書類を書く仕事に追われる
それも通常業務の中でこなしていかなければならない
体力的なものよりも精神的ストレスの包含大きいと思う
犯人逮捕は手柄だけどそれについても細かい状況報告書とか書類だけで1日が終わってしまう量になる。
加えて過酷な勤務体系、現場の警察官が定年後の早死にか多いのもわかるよ

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unpoco |47分前

パトカーで不倫したり
覆面で愛人宅まで行ったり
道場や交番で同僚となんやかんやしたり
婚活で既婚隠して食いちらしたり
出張でチャックからぽろろんに
出会い系の女とあれを公に見せびらかしたり

なかなか危険で忙しいお仕事されてますね
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iri***** | 9時間前

ちなみに検挙のノルマはないですよ。交通課含め。個人の性格です。過失をも細かく検挙するか、故意のみを追うか。
365日、いつでも呼び出しがあるのはホントです。
ボーナスが良いとの書き込みありますが、とくにそんなこともないです。残業手当はありますが、全部出るわけじゃないので微々たるものです。
署長だけが単身赴任じゃないです。
通える範囲がかなり限られているので、配偶者が専業主婦(主夫)でもない限りは、人生の3分の2は単身赴任です。
そして自殺が多いのは事実です。悲しいですが。

返信2

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har***** |6時間前

警察の中にはノルマは無いですね
「目標」はありますが
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ts***** |5時間前

ノルマはあるね、うちのところではタル(トータルの略)と呼ばれてたな。
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oha***** | 10時間前

大変ですよね…
家族が側にいたらよかったです。
影響受けても力になりたいと、思っていたかもしれないですよ…
仕事の内容が言えないのはつらいでしょうね…

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kv3***** | 4時間前

うちの店に近所の交番の人がよく晩御飯買いに来ますが、ほとんどのかたが健康的なサラダとかパンとか、冷めても食べられるものとかを買っていきます。がっつり時間をかけて食べられる弁当とかカップ麺は買わないのですが、こんなもので足りるのだろうか・・・と不安になりますw
喫煙者もほぼいません。煙草吸う場所も吸ってる暇もないんでしょうかね。
また、店の駐車場にパトカーをとめておかれると、変な客も入ってこないし無断駐車もなくなるのでありがたい限りです。
高圧的で不躾な警察の方も日常生活ではいたりしますが、忙しいとそうなってしまうのもわからなくはないです。
ナメられたら身の危険もあるだろうし・・・
これから暑くなってきたら制服も暑そうですよね・・・
いつもご苦労様の気持ちをこめて、後姿を送り届けています。

返信1

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2

spr***** | 10時間前

「事件は会議室じゃなくて現場で起こっている!」
「会議室を無視して犯罪者を会議室=裁判所で有罪にできると思うのか!」

現場を軽視していいわけではないが、最近上層部の苦労が軽視されすぎていると思う。

返信0

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ま | 8時間前

先日のキムタクのドラマ観て、警察官の仕事ってすごく公私において厳しいなと思いました。ただでさえ大変過ぎる仕事なので、時代に合わせて不必要な厳しさや不必要な手間を省いていく必要があると思う。この職種に限らず。
牛耳ってる年寄りや、そのイズムを継承しようとしてる層が辞めない限り変われないのかな。
庶民は警察官の方々がいるおかげで多少安心して暮らせる。政治家の命の1億倍尊い。
多少私生活はゆるくても仕事できちんとしてくれれば良いから、これ以上辞めたり亡くなる警察官を増やさないでほしい。不安です。

返信2

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21

y_c***** | 5時間前

生と死の間にいるというか、医者より生々しい死に向き合わなくてはならないシーンがあまりに多く、体力もメンタルも強くないとできない務めと思います。

返信0

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3

tqn***** | 2時間前

以前、殺人現場に臨場する捜査官を見たことがあります。

 ドラマのように、鑑識課の刑事が大人数で一斉に地面に這いつくばって、証拠を収集していました。格好もドラマと同じ上下紺色の作業着で、頭と靴をビニールで覆っていましたね。

 それとは別に、朱色に捜査という文字が入った腕章を腕に付けた、警視庁捜査一課の刑事も多数集まっていました。

 現場には、黒い覆面パトカーが10台位と囚人や警察官の護送・移動用のバスが一台停まっていましたね。

 規制線が敷かれており、通行人が、その前に立っている所轄署の制服警官に何があったのか尋ねたところ、「今、本庁の刑事さんが、殺人事件の捜査をなさっておられるところです。」と身内のことを敬語で話していたのが印象的でした。
 普通、外部の人に対して、身内のことを敬語で話さないと思いますが、それほど所轄署とは格が違うのかなと思いましたね。まるで「踊る大捜査線」みたい。

返信0

2
4

lem***** | 5時間前

警察の方も大変ですね。文句言う人でもいざとなったら助けないといけないんだから。
好きでその仕事選んだんでしょ?って言う人に言いたい‥自分で選んだならやって当たり前という考えは違うと思います。

返信0

25
3

fjw***** | 52分前

飲酒運転の取り締まりで若い警察官の顔面めがけて息を吹きかけてくれ、なんていうのを経験したけど申し訳ない気持ちになったわ。簡易測定器を用意してあげて欲しい。

返信0


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酒飲み人生を終わらせるには生命の危機が必要

2020年02月18日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

自分は、子供の頃から酒飲みのバカ父親が<<ほれ~~飲んでみろや~~>>とビールを飲まされたが苦くて嫌だが日本酒が美味いと酒を覚えた>>

高校時代にはカネがないのでタカラ焼酎の小瓶をストレートで飲んでいた。修学旅行は高級洋酒の小瓶詰め合わせを持参して仲間で飲んだ。

クソ警察官時代は、寮で酒飲だらけの先輩などと酒を飲んでいた。自分はグルメでも有ったので行きつけの寿司屋で刺し身を肴に飲んでいた<<他の警官連中は寮のすぐ隣の小料理屋でもつ煮などを肴にしていたが、俺がそういう先輩連中を寿司屋につれていきグルメを教えた>> 警官など田舎の次男坊、三男坊の集まり。

こういうクソ警察官の世界に愛想を尽かせて退職したが<<中々退職させないのでまいった>> 退職すると地元の県警からすぐに来ないかと<<バカ父親経由で誘われたが断固断った>>

その後、色々流浪したが自衛隊を志願して試験を受けたが<<長髪も短髪にした>> 試験で地図の読み取りで方角を間違えて全問不正解だったが、、合格などと通知が来たが、、これは試験でミスったので入隊してもろくな事はないと考えて入隊期日にいかなかった。

色々流浪していたが<<高校時代の親友らと酒とバイクとバンド三昧をしながら仕事を色々していたが>>思うことが有り仏教の学校に入り勉強していて1年時の終わりの口頭試験を受けて合格して、二年時から総本山での坊主修行が有ったが、手紙を書いて<<思うところがあり大学に入りますと退学して3流大学の教職課程に入り勉強した=この頃学習塾の専任講師をしていた>> ブルーカラーから知的な方向へ転身しようとしていた。



雇われ講師を1年していたが、教育業界に矛盾を感じて<<3流大学の隣りにあった、素晴らしい一流大学の法学部に興味を持って3年次に編入して法律の勉強をしながら司法試験を受けた、、、仕事もしながら殆ど寝ないで勉強した>>

この頃は友人らと酒なあまり飲まなかった、、、人生にはりがあった。

2年で卒業して学位を得て、司法試験受験していたが、不合格であきらめた。

仕方がないので国家公務員試験を受けて合格してので公務員になったが仕事がクソで過労させられ民間より酷いという。給料も安いので見切りつけて辞めた。


目標を失ったのでやけくそで小型船舶1級を取得して外洋を目指そうとした。最早、カルタゴジャパンに見切りをつけた<<この頃バブル崩壊して日本がメタメタ>>

外洋を目指して、、、フィリピンに流れ着いて比人と結婚して移住権を得たが<<やることがないので朝からビール=例のサンミゲールをケースで買って冷蔵庫に大量に冷やして飲んでいた>>

刺し身などは市場で買ってきて自分で作ったり妻が料理がうまいので色々酒の肴にした。ゆでダコを作り酢だこに加工したりした。丸のまんま大きなタコ。アジのたたき、マグロ刺身は2~3キロと買ってきた。



ビールのメーカーの卸の倉庫に車で行き10ケースくらい積んで飲む生活。タンドアイラムも飲んでいたがまずかったので<<高級洋酒、、レミーやジャックダニエル、輸入テキーラなど、、

**朝の10時から飲み始めて、昼寝して、夕方から再度飲むという生活をしていたら>> まず身体の不調が、痛風で出た。

**痛風の薬飲みながら酒を飲んでいた、、その10年後には<<リウマチの激痛が始まった>>凄まじい激痛だ。痛み止めを大量に飲んだ!!

それでも酒を飲み続けたら<<3年前に深夜に膝の激痛で緊急入院して強力な鎮静剤をドクターに頼んで注入したら即座に激痛はなくなったが意識が混濁、、寝たきり>> 

退院したが意識は混濁状態で、そのうち呼吸困難になり緊急入院、、精密検査して腎臓がダメージで透析患者になった。

寝たきりでうちの運転手に抱えられて通院透析していた<<週に二回、4時間>> 

**完全に禁酒と成ったら、、、時間経過とともにリウマチの関節の腫れが減少してきた<<自分の関節痛は酒から来ていたとわかった>>

3年透析しているが<<検査結果が良いので週に1回だけ3時間>>あとはフードコントロール(白身魚と鶏肉のささみ、、牛や豚は一切喰わない。青魚も駄目という制限してるが水分制限はしていない==平気、、腎臓病で苦しいのは水分制限だ。

そういうい事で一滴も酒を飲んでいないが<<酒飲みの頃は酒を飲まないとしぼんだような感じだった=飲まないと調子が出ない>> これはアル中の証拠だ。飲まないとエンジンが掛からないという状態だったが、現在3年も飲んでないので、最早飲もうとは全然思わない。

飲酒欲求がない、、、飲まなくても普通、、、酒飲まないと調子が出ないという強迫観念もない。



酒飲みは相当の理由がないと断酒が出来ない。自分の場合は腎臓が間接的にダメージになり死にかかったのが断酒のきっかけだ。

断酒は、死んでしまうような危険な状態を自分で味あわないと難しいだろう。



妻に遺言してあるが<<最早、寿命で死にかかったら=上質の日本酒を飲ませてくれと>> すると妻が死にかかってるのに飲めないだろうというので、、、

唇を酒で濡らすだけでも良いと言うと<<妻が、気持ち悪いなあ~~>>と言った。危篤状態になる前にゴクゴクと飲みたい。




患者100万人、大半は自覚せず  誰でもかかる「アルコール依存症」【こちら診察室】

2/18(火) 16:51配信

時事通信

 「酒(アルコール)は百薬の長」と言われますが、その一方でさまざまな健康問題との関連が指摘されています。よく知られているのは肝臓病ですが、他にもがんや自殺などのリスクを高めます。アルコール依存症はその中で代表的な病気の一つです。
患者100万人、大半は自覚せず  誰でもかかる「アルコール依存症」【こちら診察室】

ビアバーでアルコールを楽しむ女性【時事】(イメージ。本文と関係ありません)
 ◇離脱症状で寝汗も

 アルコール依存症は大量のお酒を長期にわたって飲み続けることで起こるメンタルの病気です。日本の患者数は100万人を超えると言われますが、実際に病院に行っているのは2014年の調査で4.9万人と一割にも届きません。

 多くの患者さんが自覚せず、もしくは「わかっちゃいるけどやめられない」状態で飲み続けているのです。

 アルコール依存症になるとさまざまな症状が表れます。よく知られているのが手の震えですが、これはお酒が切れてくる(抜けてくる)と起こる離脱症状(いわゆる禁断症状)の一つです。離脱症状にはほかにもイライラや不眠、頭痛、吐き気、下痢、発汗、動悸(どうき)などがあります。

 前の晩にお酒を飲んで、翌朝起きてみたらシーツが汗でぐっしょり、などと言う時には、寝ている間にお酒が切れて離脱症状(この場合は寝汗)が起こっていた可能性があります。
患者100万人、大半は自覚せず  誰でもかかる「アルコール依存症」【こちら診察室】

飲酒運転の福岡市職員に追突され海中に転落、海中から引き揚げられた一家5人が乗ったRV車。幼児3人がなくなった(福岡市東区)2006年08月26日 【時事】=本文とは関係ありません
 ◇誰でもかかる病気

 離脱症状の他にも、(1)渇望=お酒を飲みたいと言う強い欲求(2)耐性=少しのお酒では物足りなくなりどんどん量が増えていく(3)コントロール障害=適度なところでやめることができなくなったり飲んではいけない状況で飲んでしまったりする―などの症状が表れます。

 アルコール依存症は、暴言や暴力、飲酒運転など、患者さんだけでなく家族や社会にまで影響が及ぶようになります。例えば、飲酒運転で検挙された人のうち3割程度にアルコール依存症の疑いがあったという報告、DV加害者の約4割にお酒に関する問題があったという報告もされています。

 このようなお話をすると、「アルコール依存症は特殊な人がかかる病気、自分には関係ない」と考える人がいます。しかし、残念ながらアルコール依存症はお酒を飲む人なら誰でもかかり得る病気です。


◇節度ある飲酒量

 ではどれくらいお酒をセーブすれば病気になるリスクを下げられるのでしょうか。厚生労働省は「健康日本21」の中で成人男性の節度ある適度な飲酒(いわゆる適正飲酒)について、1日平均で純アルコール20グラム程度と提言しています。

 純アルコールで20グラムと言うと実際にはどれくらでしょうか。お酒の度数によって違いますので、それぞれ計算しなければなりません。計算式は「お酒の量(ml)×0.8×度数/100」です(お酒は水より軽いので比重である0.8を掛けます)。

 例えば、度数5%のビールをロング缶1本(500ml)飲むとぴったり20グラムになります。最近問題になっている9%のストロングチューハイですと350ml缶1本で25.2グラム。これだけで20グラムを超えてしまいます。
 ◇適正飲酒の定義が変わる?

 なお女性や高齢者、お酒を飲むと赤くなる人は体質的に酒に弱くできているため、20グラムの2分の1~3分の1程度(10~13グラム)もしくはもっと少なめにした方が安全と言われています。ほかにも「週に2日は休肝日」「飲む時は食事と一緒にゆっくりと」「薬と一緒に飲まない」「妊娠・授乳中は禁酒」など、病気になるリスクを下げるためのいろいろなルールがあります。

 ちなみに、これまでお酒には「全く飲まないより少量飲んだほうが健康に良い」と信じられてきました。しかし、最近は、飲まなければ飲まないほど健康に良い、という研究結果も聞かれます。筆者自身、お酒が好きなので耳の痛い話ですが、今後は適正飲酒の定義が変わる可能性があるかもしれません。
患者100万人、大半は自覚せず  誰でもかかる「アルコール依存症」【こちら診察室】

東京断酒新生会について説明する会員(左2人)=本文とは関係ありません
 ◇努力や根性だけでは?

 いったんアルコール依存症になってしまうと、普通の酒飲みに戻るのは難しいと言われます。このため、治療はお酒を一切飲まない「断酒」が基本です。

 私たちは診察室にいらした患者さんに「これ以上飲んだら命に関わるのでお酒はやめましょう」とか「もう一生分飲んだのですからそろそろお酒を卒業しましょう」などとお話ししますが、断酒するのはなかなか難しいようです。

 そこで患者さんにお勧めするのが、通院(病院)、自助会、抗酒剤という「断酒の三本柱」です。初めて治療を受ける患者さんの中には通院ではなかなかお酒を切れない方も多いので、そのような場合には入院をお勧めします。

 自助会と言うのは患者さんの集まりで、同じ病気を抱える仲間たちと励ましあいながら回復を目指します。抗酒剤はお酒を受け付けなくする薬で病院から処方されます。近年は種類も増えたため患者さんの体調と相談しながら使います。


〔Aさんの場合〕

 実際、病院に行くとどのような治療を受けるのでしょうか。アルコール依存症からの回復に取り組んだAさんのケースを紹介したいと思います。どこにでもある依存症の実情、回復に向けた家族の協力、断酒の難しさなど、アルコール依存症を知る助けになると思います。
 ◇大量の空き缶

 Aさんは60代の女性。お子さんが3人いましたが、今はご主人と二人暮らしです。若いころは仕事に育児にとエネルギッシュに動いていましたが、近年は近所に住む親御さんの介護に専念していました。その親御さんも2017年に亡くなりました。お酒はたしなむ程度でしたが、結婚を機に酒好きのご主人に付き合って飲むようになり、近年は一人でも飲んでいたようです。

 Aさんの異変に最初に気付いたのは長女でした。久しぶりに実家に戻った時、ごみ置き場に大量の空き缶が捨ててあったのです。父親が飲んだのだと思い注意したところ、「俺じゃないよ。母さんが最近すごく飲むんだ」との返事に驚きました。長女から見ると、いつもと変わらぬ明るいAさんです。::PAGE_BREAK::
患者100万人、大半は自覚せず  誰でもかかる「アルコール依存症」【こちら診察室】

患者を搬送する救急車=本文とは関係ありません
 ◇転倒して入院

 近年は夫よりも多く飲むようになり、たまに昼間から飲んで寝ていたことも。お酒のことで夫と口論もあったそうです。長女がお酒を控えるよう諭すと「心配かけてごめんね。もう飲みすぎたりしないから大丈夫よ」と言われ、安心して帰りました。

 数日後、Aさんは自宅で転び、救急車で運ばれました。酔っぱらって受け身が取れず、顔から突っ込んで血まみれになったそうです。幸い命に別条はありませんでしたが、血液検査で肝臓の数値がとても高いことが分かりました。

 Aさんは「これくらいのことで救急車を呼ぶなんて、父さんは大げさなんだから」と笑っていましたが、心配になった長女は専門病院に連れて行きました。そこで告げられた病名は「アルコール依存症」でした。
 ◇家族の協力

 Aさんは当初、「お酒は自力でやめます。入院はできません。主人は自分でご飯も炊けない人なので」と言っていました。しかし、長女の強い希望、家のことは長女や長男が助け、ご主人にも少しは家事を覚えてもらうことになり、ようやく入院を承諾しました。

 入院してからは、3カ月の依存症の教育プログラム「アルコールリハビリプログラム」に出席しました。月曜日から金曜日まで午前・午後・夜間とプログラムが組まれ、講義を聴いたり、作業療法や認知行動療法を受けたりしながら、断酒の基礎を固めていきました。

 入院後半になると外出・外泊訓練で実家に帰ったりもしましたが、たまった家事を一気に片付け、クタクタになって病院に戻ってきました。また夕食時に夫が目の前で晩酌するので、それが苦痛でもありました。このためご主人と長女、主治医、Aさんで合同面接を行い、(1)ご主人はAさんの目の前で飲酒しない(2)Aさんは家事などで頑張りすぎない―ことを皆で確認しました。


◇「きょう1日は飲まずに」

 Aさんはプログラムを修了し、退院しました。退院後も専門病院に通院しつつ、地元の自助会のミーティングに通っています。お酒を最後に口にしてから半年になりますが、正直に言えばお酒を飲みたい気持ちはゼロではありません。一生一滴も飲めないのかと思うと、寂しくもなります。

 しかし協力してくれている家族のため、一緒に回復を目指している自助会の仲間のため、何より自分自身をお酒で痛めつけないため、「きょう1日は飲まずにいよう」と断酒に励んでいます。(久里浜医療センター女性アルコール依存担当・精神科医 岩原千絵)
岩原千絵氏(いわはら・ちえ)

 信州大学医学部卒。東京女子医科大学精神神経科、成増厚生病院アルコール病棟等を経て、久里浜医療センター勤務。日本精神神経学会専門医・指導医、日本認知症学会専門医・指導医。日本精神神経学会、日本認知症学会、日本アルコール関連問題学会、日本アルコール・アディクション医学会所属


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mag***** | 1時間前

そもそもだけど適性の飲酒量っていうビールのロング缶500mlで抑えられる人はなんの心配もいらない。そういう人は酒が好きでも嫌いでもないから、別に飲んでも飲まなくてもどっちでもいい人でしょ。酒が好きな人でビールのロング缶1本やストロング酎ハイ350mlで満足って人はあまり見たことがない。

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シュレリンガーの猫 | 23分前

僕も依存症のひとりかも知れません。
年に一回ほぼ定期的にアルコール性急性肝炎になります。
入院するほどですから、ASTは軽く1000は超えてます。一度6000と言う数字も有りました。
ガンマは200から300程度なのですが、ASTがすぐ上昇する体質かも知れません。
約1週間の入院でASTはほぼ正常になる、
それからが問題、約1ヶ月から2ヶ月はお酒を断つ事は出来ます。
一本のビールが二本になり、やがて焼酎に移行、飲むか、飲まないかの世界に僕はなってる感じです。
持病が有る現在は月に一度、採血して肝機能検査をしていますが、やはり断酒出来るなら断酒したい。
急性肝炎を何度も繰り返してたら、いずれ
肝硬変になりますからね。
明後日、月一の通医時に主治医と相談したいと思います。

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yos***** | 1時間前

自分は成人した頃から不眠気味になっていた。
課題に追われる大学生活のストレスが原因と思っていたけれど、もしかしたら離脱症状だったのかもしれない。

毎日飲む訳ではなく、友達と集まった時や休日前の晩酌ぐらいだったが、なまじ酒に強いから、量はそれなりに飲んでいた。

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jel***** | 1時間前

子どもの頃下校中に友達のおじいちゃんが、道端に自転車で転んで下も垂れ流しで友達もかわいそうだし、アルコール依存性のおじいちゃんは動ける状態でないし子どもながらに昔は、アル中って言ってて本気で恐ろしいと思いました。

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EK9forever | 51分前

日本人はアセトアルデヒド分解酵素が遺伝的にあまり作られない方が多く、肝臓の数値が悪くなりやすい。またダイエットをして細い方もアルコール依存症や肝疾患になりやすく。飲まない方がいいのは分かってるんですけどねえ。チューハイがやり玉に挙げられがちですが、日本酒やワインも浴びる程飲んでる方が多い。

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ytb***** | 2時間前

急性でアル中になった人と知り合うことあったんだが、冗談抜きで瓶のジンロを2本イッキ飲みした。
最初は知らなかったからただただビックリしたがこの人かなりヤバいなと感じ、後でアル中としって納得した。
かなりの恐怖である。過去に薬してる人も知っているが現役中毒者は見たことないけど、酒であれだから薬なんかやめれる訳ねえわなと思うわ。

返信2

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egg***** | 2時間前

依存症って対象がなんでも厄介なもんなんだろうけど、酒の場合
調達が簡単(コンビニでも自販機でも置いてるわけで)なうえ
飲むってプロセスを経ないでもスリップしかねないって話だからなぁ。

粕漬や洋酒のきいたお菓子でも、人によってはきっかけになるらしいし。

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rid***** | 2時間前

本人が飲み過ぎて体調が悪くなるのは自業自得だとは思うけど、この病気はまわりにも被害を及ぼすので、酒癖の悪さもかなりタチの悪い病気だと思います。

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mot***** | 55分前

2日で、断酒しました。昔は、ウィスキーをそのままらっぱ飲み。当然立てなくなりますわ。
で、どの様に離脱したかというと、頑張らないこと。ちなみに、不眠が強いので診療内科こと精神科に通ってますが、医者にビックリされた。で具体的な方法を医師に伝えた。まあ驚かれるとは思わなかったけど。

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今日もいい天気 | 8分前

年と共に酒量が減ってしまった。
最近はビール350ml缶1本で満足出来るようになった。
昔はざっとこの5倍はいってた。
そんな私は酒飲みとしてはエリートか?




b8z***** | 2時間前

大麻や覚醒剤より手軽に手に入るので危険

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ukqnsp | 38分前

最近、タバコネタの出尽くし感があり、なるほど次はアルコールですか。

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hen***** | 9分前

てな割にアルコールの販売の規制ってないよな
もっと高くすれば?

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hi_***** | 2時間前

タバコより遥かにタチが悪いけど、マーケットがデカいせいか何が起きてもあまり叩かれないな。

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mom***** | 9分前

春の健康診断に向けて禁酒

返信0

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bwp***** | 3分前

俺もたぶん依存性。
セックスとポルノ。

返信1

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0902 | 1時間前

外泊時、目の前で晩酌する旦那、、、
狂ってるんじゃ。

返信0

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dai***** | 2時間前

疑問もなく毎日飲んでる人は自分がアル中とか考えたこともないんやろうな

返信0

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彼女はポーランドから来たもがきゅん | 1時間前

絶対このあとコメントに出てくると思うけどアル中って単語、「中毒」と「依存症」は違うぜ?
食中毒とかフグ中毒、学生の飲み会で毎年死人が出る「急性アルコール中毒」と、精神科的に辞められない「アルコール依存症」「薬物依存症」は全然違うからな。

返信0

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han***** | 1時間前

自分は飲む時はウィスキーボトル1本
少なくともハイボール濃い目を
500mlを1ぽん、2本飲みますが
ある時、勉強しようと思って
酒からエナジードリンクに変えました
そんだけ飲んでたけど
飲まない日が何日もあっても平気です
酒を断つ、タバコ断つってのは
なんで断つのか?
それが大事ですね!



kyo***** | 3分前

アル中、やく中はモンスターが多い。
権利だなんちゃら。
プログラムなんかありますが、本人の意志が大切です。
他力本願、人のせいにする奴は繰り返すだけ

返信0

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st_***** | 8分前

多少なりともあるのかも知れませんね。
美味しいお酒を飲む為に…
を頭に置いて行動している事自体、依存症の始まりなのかも知れませんね…

返信0

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ihs***** | 7分前

私はお酒が飲めないのですが、本当にお酒の強い人って
いくら飲んでも全然平気で変わらない人だと聞いて、そうなんだとつくづく思いました。主人はお酒が大好きで
飲まないと寝られない。一定の量を超すと別人に。腹が立って体の一部を叩いても酷い事を言われても全然覚えていない。凄いなぁ、お酒って。年を取るにつれ確実に弱くなっていますが、吐くのは厳禁だしDVも無し、モラハラが若干ありの酔いどれ主人。今夜もこれを飲むために1日働いてると言いながらグイグイいくでしょうね
。第三ビールと焼酎で。

返信0

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mid***** | 37分前

仕事に追いまくられそのストレスからほぼ依存症。
身体を壊して人生を見つめ直したのと壊した結果酒を飲めなくなったので何とか脱することができた。

返信0

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oka***** | 4分前

自助会には僕の前で飲んでも良いよと女性に近づくやからもいることを知った方がいい。
龍と名乗るやつには気を付けろ。
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ところで下記記事は日本の状態だ、、、最早、日本は衰退に進んで久しい。

2020年01月23日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

人間なんぞは、時代には逆らえない。

時代の経済状況で大波小波、、、、自分は、39歳で日本に見切りをつけて海外移住した。

バブル崩壊後、、しばらくしても経済が上向かない<<これは日本が終わったと悟り海外移住した>>

自分は、無学な父親の口車に似せられて(元自衛隊の一兵卒で酒飲みのバスの運転手)=高卒でブラック警視庁に入り、ロクデモナイ警察世界に見切りをつけて退職(なかなか退職させてもらえなかった) 低学歴馬鹿な親の言うことを聞いてても駄目だと、働きながら大学を卒業して(在学中から司法試験受験)教育関係(学習塾業界)、その後独立、、、再度、気が向いて国家公務員になったが<<これまた糞のような仕事で退職してハーレーなど輸入販売、同時に、家庭教師>> 

国家公務員時代から副業でバイク販売をしたり家庭教師もしていた=公務員なので定時に終わるので夕方から家庭教師、休みの日はバイクの整備販売の分刻みの仕事をしていた。

副業のほうが面白く達成感がまるで違うので詰まらないクソ公務員など辞めた。

その後、国際結婚した後、3年後くらいに日本に見切りつけて妻の国に移住(結婚永住ビザ所得した)現在に至る。



色々海外で苦労したが、、その原因は、ほとんどが原住民の低能状態、、、今は、子供も育ってもう少ししたら自分の責務も終わる。

子供が就職したら(昨日書いたが、医学系修士課程終わったら教授が定年退職するので後継にほしいと話が来ている。自宅から近い総合大学=もともとはアメリカ人が150年くらい前に開いた有名な私立大学の医学系研究室に子供がいる(日本のトラベルガイドに出てる有名大学)

親の自分としては、自分も法学部で卒業間近に教授から研究室に来ないかと誘われたが経済的理由で辞退した経験があるので、子供には大学で研究、教鞭をとってもらいたい。

子ども自身は、迷いが有り、博士号取得して更に、政府機関(公務員で法医学関係)の仕事も良いかもなどと考えてるようだが、遠方に行かされる可能性がある。自宅から離れての生活より、近くの有名大学の教員に成ったほうが苦労が少ないと親としては考える。

**博士課程が現在の大学にはないので(修士課程だけ)博士号取るためには遠方の大学に入る必要がある。学部の最終年には病院実習で前記5ヶ月、後期5ヶ月、別々の遠方の病院での実習だったのでコンドミニアムを借りて通勤した。博士号取るために、又同じ様な生活をすることになる(少数だが同じ院生がいるので共同でレンタルハウスを借りるという)

親としては何も博士号にこだわることはなく、近くの有名大学の修士を終えて、そのまま大学教員に成ったほうが全体の人生コストからして良いと考える。

フィリピンなど学部を出ても良い就職先がないのが多数の中で、院生で教授から信頼されて、後を頼むなどという本当に稀なチャンスを逃すことはないと考える。

小学校や高校の教員とはステイタスが違う大学教員だ。まだ20歳の前半で、、そのままキャリア積めばプロフェッサーの道がほとんど約束されている。当該大学が博士課程を開設する可能性もあり、そうなれば融通聞かせながら並行してドクター称号も得られるだろう。

**現在の子供の感想は<<そうなると大学に就職なので人生を拘束されてしまうから、、、少し嫌だなあなどと贅沢な、、、>>母親には話しているそうだ。

まあ、人生経験が浅いので、人生のチャンスの貴重性を認識してないのだろう。

まだ時間があるので最終的には、子供が結論を出す。


ところで下記記事は日本の状態だ、、、最早、日本は衰退に進んで久しい。





早期退職で大失敗→無職に…49歳・元大手メーカー社員の大誤算

1/23(木) 7:01配信

現代ビジネス
早期退職で大失敗→無職に…49歳・元大手メーカー社員の大誤算

写真:現代ビジネス
エリート会社員の誤算

 加藤嘉明さん(仮名・退職時49歳)は、大手食品メーカーの営業畑一筋に、第一線で活躍し、社内外からの評価も高く、同期トップで管理職になりました。自他共に認めるエリートです。

役所があえて教えない、申請すれば「もらえるお金・戻ってくるお金」

 しかし、業界全体が低迷する中、会社全体の業績も芳しくなく、ここ数年は管理職の昇給停止や賞与カットが続くこともあり、将来を考えて転職を検討していた時に早期退職の募集が始まり、これは渡りに船とばかりに応募しました。

 元の職場で自分を高く評価してくれていた取引先からオファーを受けていたため、すんなりと転職に成功。当初は会社に見切りを付けて早期退職した自分の決断力と先見の明を周囲に自慢していましたが、バラ色の日々は長く続きませんでした。

 今までのように会社の看板がない営業で、思うような営業成績を上げることができません。また自己流の営業スタイルに固執し、新会社の社風に馴染もうとしない姿勢に部内でも反発が強まり、社内外で孤立してしまったこともあって、結果的にわずか半年で退職する羽目になってしまったのです。

 もともといたメーカーを退職してから1年経過した今もハローワーク通いを続けています。余談ですが、この結果、夫婦仲までもが修復困難なほど険悪化してしまいました――。
早期退職で大失敗→無職に…49歳・元大手メーカー社員の大誤算

〔PHOTO〕iStock
若年化する退職勧奨

 ここ数年、多くの上場企業で「早期退職勧奨」が始まっています。約10年前にも同じような動きはありましたが、その当時の退職勧奨の対象年齢は、おおむね50代半ば以降の社員、つまり定年退職が視野に入った世代が主でした。

 ところが今回は、多くの企業において対象年齢が40代にまで「若年化」しています。主な企業だけでもファミリーマート、ノーリツ、アルペン、カシオ計算機といった著名な会社が、一般社員を含めた40歳以上、または40代を対象としています。

 私も現在は行政書士として活動していますが、以前は大手音響メーカーの社員で、11年ほど前に早期退職プログラムを利用して40代で独立・開業した一人です。

 そうした経験もあり、今では早期退職に関する相談に乗ることも多いのですが、なかには、冒頭で紹介した事例のように、早まって退職する前になぜ相談してくれなかったのか、と悔やまれる例も少なくありません。そこで、今回はそうした経験から、とくに大失敗した事例を紹介しつつ、それを反面教師に、早期退職プログラムをどう活用すれば良いか私なりのアドバイスをしたいと思っています。

 そもそもここにきて多くの企業が早期退職プログラムを打ち出している理由はどこにあるのでしょうか。

 企業側の視点でみますと、現在50代前後の世代は「年功序列の恩恵を享受する最後の受益世代」であり、社内では「分不相応な待遇」の中心と捉えられています。さらに国が今後「70歳定年制」を企業に課すような話もあるなか、会社側としても先手を打って「人員の抑制・選別」を図り、将来の負担増を最小限に留めたいと考えていると思われます。その結果が40代のスリム化と考えて間違いないでしょう。

 従業員の側に目を向ければ、いわゆるリストラ、圧迫面談のような意思確認を繰り返し実施され、不本意ながら応じるというケースが多い一方、自らの意思で退職に応じるケースもあります。確かに40代以上であれば通常の退職金でもそれなりの額になりますが、会社都合による早期退職勧奨による割り増し退職金の提示には魅力を感じるのも、無理からぬ話だと思います。

 ですがそれだけの理由で安易に早期退職に応じると取り返しのつかない事にもなり兼ねません。

 以下、私が実際に見た「しくじりパターン」を紹介していきましょう(※なお年齢は退職当時の年齢です)。



家を手放すリスクに怯えるまでに

 私が遭遇した中で最も悲惨なのが、精密機器関連の部品メーカーに勤めていた山下貴史さん(仮名・43歳)でしょう。早期退職に応じれば、割り増しになった退職金で、月々の負担が重荷だった住宅ローンの残債を一括で返済できるからという理由で早期退職に応じたと言います。

 しかも、40代という年齢から再就職は容易だろうと、事前の再就職活動はまったくしないままの退職でした。しかし、世の中は彼の予想とはかなり違っていました。

 彼の思い描いていたような就職先はまったく見当たらず、半年近い無収入生活から今後の生活に不安を覚え、土壇場でローン残債の全額返済も断念。今は貯金を取り崩しながら、半額近い残債をかかえたまま再就職活動に奔走中です。今も無収入のまま決して安くはない月々のローン返済に追われています。彼が家を手放すことにならないか、とても心配です。
起業セミナーを受講したけれど…

 早期退職を機に独立を果たしたのが裏目に出たのが、アパレル関係の会社で事務職をしていた村岡英二さん(仮名・50歳)です。

 村岡さんは何か資格を持っていれば、将来独立して十分収入が得られるだろうと、在職中から勉強を続け、退職直後に幸運にも行政書士の資格取得に成功。早期退職プログラムを活用すれば開業資金に使えると応募し、起業・開業しました。

 割り増し退職金を投じて駅近の好立地の事務所を賃貸し、パソコンから応接セットまでいろいろな設備を全て新品で購入。さらに、業者の言い値で事務所のホームページを作成・開設してもらったり、人に勧められるままに起業・開業セミナーを受講したり、その後も引き続き起業成功者の講演会にも毎週のように参加しましたが、まったく仕事が軌道に乗ることはありませんでした。

 自ら仕事を探すような行動はせず、ひたすら連絡(相談)を待つだけの姿勢を続けたため、肝心の自分の事務所には、間違い電話と怪しい儲け話の勧誘電話以外かかってこず、1年足らずで高額だった退職金を使い切ったのです。今では行政書士事務所を半ば閉鎖して別会社でのアルバイトで主な収入を得ています。


ラーメン店が閑古鳥

 宮仕えの苦労から一国一城の主へ。そんな夢を抱き、割り増し退職金を元手にラーメン店を出したのが、山田太一さん(仮名・42歳)でした。

 元々ラーメンの食べ歩きが趣味で、休日は自分独自のスープの開発を続けてきたため、味には絶対の自信がありました。開店前にはめぼしい町の市場調査も行い、準備万端の船出でした。

 ところが、出店した場所が好立地だったことが災いしたのか、1年余りで近隣に同業店が3軒も相次いで進出。競合が激化してしまったのです。

 ここまでは運が悪いだけですが、そうした事態への対応でも下手を打ってしまいます。目先の集客に固執し、ランチタイムは800円の主力商品を、14時以降18時までの閑散期には一律500円の出血サービスを打ち出したところ、肝心のランチタイムはガラガラの閑古鳥状態。以前と同じ集客数こそ確保できたものの、大幅な利益減となると共に、周囲からは「安売りの店」のレッテルを張られたために、価格の修正も出来ないまま貯えを食い潰しています。
早期退職で大失敗→無職に…49歳・元大手メーカー社員の大誤算

〔PHOTO〕iStock
失敗の「共通点」

 これらのしくじりに共通するのは、退職後の明確な方向性を欠き、時間管理が甘く、楽観的というよりも情報軽視によって失敗を繰り返し、回復困難なダメージを負う点です。たまたまかもしれませんが、ここに紹介したケースはすべて第三者に相談していなかったことも共通していました。自分なりの目算や勝算があったのでしょうか? あまりにも情報軽視、分析軽視です。

 さらにこれ以外にも、知人の何某がどこそこに再就職出来た、誰々は起業して成功している。だったら会社時代に常に上位にいた自分ならもっと上の成功は間違いない。といった自信過剰、勘違いから早期退職を決めた失敗経験者がいます。今はその決断の無謀さが分かったそうですが、当時はまったく(成功を)疑わなかったとのことでした。

 少なくない失敗例、挫折例を見聞きするなかで感じるのは、そうした人たちは総じて、想像力、行動力、好奇心が欠けていることです。

 想像力を働かせれば、いま先輩世代を対象にしている退職勧奨が今後も続くのではないかといったことや、自分が退職勧奨の対象年齢になるのは何年後か、それまでに会社の業績は回復するのかということ、もし今の自分が退職に応じるならば、自分の強みは何かといった程度は容易に想像できるはずです。

 好奇心と行動力があれば、退職後からなどと言わず、在職中にハローワークなどの公共サービスを積極的に利用し、自分の商品価値を調べることです。今の自分にはどの業種でどの程度の待遇での求人があるのか? その条件は自分にとって受け入れ可能な内容なのかといった重要な情報を先んじて入手することです。

 さらに、気になる情報に遭遇したら迷わず行動することです。直接窓口に出向くもよし、最初はネットでの検索からでもいいので気になった情報に対しては、さらなる詳報を求めて自分から接触を図る行動力が重要なのです。

 起業・独立を目指すのであれば、他人の成功譚を後追いするのではなく、失敗事例に注目することです。成功例には偶然が介在します、起業のタイミングによっても明暗が分かれるのです。成功には定石や規則性や王道はありません、逆に失敗には規則性、共通する法則性があります。まさに「負けに不思議の負けなし」なのです。



とにかく大切な「営業力」

 もう一つ、早期退職以外でも、新しいことを始める際に欠かせないものとして「営業力」があります。再就職の面談の場では自分という商品を他とは違う「お値打ち品」として売り込むという究極の営業力が問われます。起業・独立であれば、開業の告知は親族以下友人知人、先輩後輩、元同僚から上司、部下、取引先は無論のこと、行きつけの飲食店や理髪店といった生活圏の全方位的に発信するだけの行動力や営業力が必要です。

 再就職、独立どちらにも言える事ですが、「何でもできます、何でもやります」ではな
く、「何が出来ます、何については秀でています」という点を強調できることが他社(他者)との決定的な差別要因になるという事です。

 見たことのない額の退職金が一括でもらえるから、自分の後輩が転職や独立で成功しているから、流行のまっ最中のビジネスを始めるから、といった理由だけで安易に早期退職勧奨に応じる事は実例で紹介したような悲惨な結果を招く可能性があります。

 大切なのは、早期退職勧奨制度を今の自分の価値やこれからの方向性を真剣に検討するきっかけと捉えることです。その結果今の自分では残留することが最適という結論に達する場合も出て来ます。ここに書いたような安易な決断でしくじるようなことだけは避けてもらいたいものです。

寺田 淳(行政書士)
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「膠原病」と「リウマチ」って同じ病気

2019年11月26日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録


【医師に聞く】「膠原病」と「リウマチ」って同じ病気なの?

11/20(水) 9:40配信

Medical DOC

「膠原病(こうげんびょう)」「リウマチ」「関節リウマチ」。なんとなくはわかるけれど、混同してしまったり、はっきりと説明できない人も多いのではないでしょうか。そこで、リウマチの専門医でもある「とうきょうスカイツリー駅前内科」の金子先生に詳しく解説いただきました。

[この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
【医師に聞く】「膠原病」と「リウマチ」って同じ病気なの?

金子俊之先生(とうきょうスカイツリー駅前内科 院長)

【この記事の監修医師】
金子俊之先生(とうきょうスカイツリー駅前内科 院長)
金沢医科大学医学部卒業。順天堂大学大学院医学研究科修了。同大学病院で積み重ねた関節リウマチや膠原病の治療・研究の知見を元に、2016年、墨田区向島で「とうきょうスカイツリー駅前内科」開院。地域のホームドクターとして、身近な相談相手となれるよう努めている。医学博士。日本内科学会認定医、日本リウマチ学会認定リウマチ専門医・指導医。リウマチや膠原病に関する発表論文や取材歴多数。
【医師に聞く】「膠原病」と「リウマチ」って同じ病気なの?

自分の免疫が自分を攻撃してしまう免疫疾患
膠原病とリウマチの区別はしない

編集部:
膠原病とリウマチは同じ病気なのでしょうか?

金子先生:
同じ病気と言っていいでしょう。ただし、一般的にリウマチというと、「関節に生じる病気」だと思われているようです。しかし、リウマチは基本的に全身疾患の病気です。関節部分だけに生じたリウマチは、「関節リウマチ」と呼び分けています。

編集部:
改めてリウマチあるいは膠原病について教えてください。

金子先生:
以後、わかりやすいように「膠原病」で統一しましょうか。膠原病は、自分の免疫が自分を攻撃してしまう免疫疾患の一部です。攻撃の対象は臓器や筋肉、皮膚などさまざまで、そのそれぞれに病名がついています。

編集部:
膠原病に含まれる病気としては、どのようなものがあるのですか?

金子先生:
もっとも症例として多いのは「全身性エリテマトーデス」で、肺や心臓といった臓器、髪の毛、関節など、全身のあらゆるところに炎症を起こす可能性のある病気です。また、「強皮症」は、皮膚の硬化が指から腕や胸部などへ広がっていく病気のこと。「筋炎」は、筋肉に炎症が起きて力が入りにくくなる病気です。まだまだほかにもあります。

編集部:
膠原とはコラーゲンのことであるという話も聞いたことがあるのですが。

金子先生:
たしかにコラーゲンは「膠原繊維」と訳されます。骨や軟骨などに含まれるコラーゲンの炎症を膠原病としていた時期もありましたが、解釈が変わってきましたね。実際、炎症が起きる場所は、コラーゲンに限りません。


膠原病の治療について

編集部:
膠原病は治るのでしょうか?

金子先生:
投薬による「寛解(かんかい)」や「低疾患活動性の維持」が治療の目標になります。「寛解」とは、お薬で症状を抑えきれていること。「低疾患活動性の維持」とは、同じくお薬によって、日常生活の支障とならないレベルの症状にとどめておくことです。

編集部:
治療の方向性は、出てきた症状を抑えることでしょうか? それとも、免疫の活動を抑えることでしょうか?

金子先生:
日本リウマチ学会の方針として、臓器に影響がない場合は、免疫の活動を抑える免疫抑制剤などをなるべく使わないようにしています。例えば皮膚炎なら、塗り薬のような外用薬で、炎症を抑えるわけです。他方で、命に関わる臓器の合併症が疑われる場合は、免疫抑制剤などの内服薬をお出しします。

編集部:
膠原病になりやすい人や傾向は?

金子先生:
遺伝要因もありますが、環境要因のほうが関連性は高いとされています。代表的な環境要因としては、喫煙習慣、ダイオキシン、むし歯などの疾患が挙げられます。また、膠原病の発症は女性に多く、30代から50代が顕著です。高齢になると免疫の力が落ちてきますから、自分を攻撃する力も弱まるのです。そのため、年を重ねて症状が安定する高齢者の方もいらっしゃいます。

編集部:
膠原病であることを自覚できるのでしょうか?

金子先生:
膠原病に明確なサインはありません。「何かがおかしい」と思ったら、病名にこだわらず、最寄りの医療機関を受診してください。必要により、適切な治療先を紹介してくれるでしょう。ただし、膠原病の診断を的確につけられる専門医は限られています。紹介された医院で改善がみられなかったら、「膠原病科」や「リウマチ科」を受診してみてください。
【医師に聞く】「膠原病」と「リウマチ」って同じ病気なの?

「関節リウマチ」は、膠原病の症状が関節部に起きた場合の通称
関節リウマチについて

編集部:
今度は「関節リウマチ」について教えてください。

金子先生:
「関節リウマチ」は、膠原病の症状が関節部に起きた場合の通称です。その原因は、やはり免疫システムの異常で、関節まわりの骨や軟骨が破壊されていきます。自覚症状として、指の動かしづらさや歩きにくさなどが挙げられるでしょう。

編集部:
関節リウマチの治療方法は?

金子先生:
「メトトレキサート」という免疫抑制剤が第一選択肢です。また、患者さんの状態をみながら、「生物学的製剤」や「JAK阻害薬」といったほかのお薬を併用することもあります。

編集部:
膠原病を、健診などで見つけられるのでしょうか?

金子先生:
そうした検査をオプションでつけているところもありますが、あまり意味がないでしょう。健診で予防するというような病気ではないと思います。ただ、がんと違って死亡に至るケースはまれですし、発症数そのものも多くありませんので、予防についてはそこまで気にしなくても大丈夫かと思われます。ただし、発症が見られたら、遅くても2年以内に治療を開始しましょう。
【医師に聞く】「膠原病」と「リウマチ」って同じ病気なの?

とうきょうスカイツリー駅前内科(東京都墨田区)
編集部まとめ

どうやら、コラーゲン(膠原繊維)の炎症と思われていた時代に「膠原病」という名称が付き、これとは別に、関節部に起きた特殊な炎症を「関節リウマチ」と呼んできたのでしょう。しかし、研究が進んだことで、「膠原病とリウマチは同じ病気である」と判明しました。誤解を避けるためにも、単独の「リウマチ」という言葉は使わず、「膠原病」、あるいは、「関節に起きたリウマチ性疾患」としたほうが好ましいかもしれません。


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警察社会をまとものしたいなら先ずは<<大卒採用だけすること>> 高卒など採用するから社会を知らない教養がない警官が出来上がる!!

2019年10月28日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
経験者だが、警察社会をまとものしたいなら先ずは<<大卒採用だけすること>> 高卒など採用するから社会を知らない教養がない警官が出来上がる!!

高卒など警察学校で教育しても実に未熟で視野が狭くて駄目。

まあ、上層部は馬鹿な高卒の右も左も分からないのを使ったほうが都合が良いだろう。




警官辞めるか・しばくぞ・バカ…2署長を処分

10/24(木) 13:38配信

読売新聞オンライン

 部下にパワハラをしたとして、京都府警は24日、南署長(59)を本部長訓戒、向日町署長(58)を本部長注意とした。

 府警監察官室によると、南署長は昨年~今年5月、複数の男性署員に対し、「警察官を辞めるか」「しばくぞ」などの発言をし、向日町署長は田辺署長だった昨年4~7月、男性署員に「バカ」などと不適切な発言をしていたという。

 府警の調査に、南署長は「申し訳なく思っている」、向日町署長は「部下のことを思い指導したが、つい感情的になった」と話している。

 姫野敦秀首席監察官は「再発防止に取り組む」とのコメントを発表した。
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同僚女性は「セクハラになるよ」と拒否したが…両肩に手を回した警官
警官、居酒屋で飲んで捜査資料を紛失…盗難車両から見つかる
トイレに拳銃と手錠忘れた27歳女性警官、風俗店でバイト
元部下の披露宴、副署長が出席女性に何度もキス「酔っていて…」
女性教諭に怒号浴びせた同僚、判決後に訓戒処分…府教育庁「対応は適切」

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警察学校卒業式

2019年10月09日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録


アホやなあ~~警官などトンデモナイ仕事だ。

警察寮で素行の悪い先輩に無理やり酒を飲まされたり掃除洗濯やらされ、気を使って休めない。

寮のまかないを民間人夫婦に委託してるが、予算を懐に入れるので飯が粗悪。

警察寮なのに盗難事件がよくある。

暴力事件も年中ある。

完全な上下関係で悪い先輩警官がでかい顔をしてチンピラの世界。安い給料でこき使われ、交番勤務など少々の仮眠だけで重い装備をつけて過労状態。

運転免許あるものなど、クルマやバイクで自由に運転も許されない完全管理される。


同じ公務員なら市役所などで戸籍住民課にでも配属されれば同じ給料で危険な目にも遭わず休みも自由。

自分は白バイに乗れるなどと騙されてなったが10年しないと順番が来ない現実に嫌気が差し(気持ち悪い犯罪者や死にかけの人間を扱いなど汚い仕事だ)退職した。

警察などろくな世界じゃない、、まともな人間はあんな世界に馴染めない。

自分は、退職したあと、働きながら大学の教育系で勉強しながら塾の講師をしていたが、更に別の大学の司法試験で有名な大学に3年編入でフルタイムで仕事しながら猛勉強して司法試験受験したが敗退。

日本に見切りつけて海外移住した。

大学の卒業式にバカ親を誘ったが<<両親とも拒否された>>  ワタシは高校卒業の時に大学に行きたいといったが、親が、大学にいかせるぜにはねえと言われ<<警官なら給料もらえて飯が食える、、白バイにも乗れると唆された>>

低教育で威勢がいいだけの酒飲み=父親は元警察予備(自衛隊)隊出の一兵卒で退役後、トラックのメカニックしてたが安給料で辞めて、大型免許二種を警察予備隊で取れてたのでバスの運転手になった、、尋常小学校だけの教育。母親は女学校卒らしいが算数が異常にできず社会性がない。戦時中なのでまともな教育など受けていない。字がきれいなだけが取り柄だが社会的な物事に無知。

中学ころには、自分の親は友人の親に比べて<<馬鹿なのだなあ~~と子供心に悟った>> 家の中に教養ある書物など皆無の環境。

低教育の親は、子供にも同じような低能を好み<<子供が自分より遥かに学歴をつけると劣等感から色々足を引っ張る>>明らかに酒飲みのバカ父親は、ワタシが自分で働きながら大学を出た(それも法律で有名な大学で司法試験受験もしていたので余計に自分が高卒で子供を飯がただだという理由で高卒で警察に入れたことに対する負い目などがあったようだ)

警察官になったときは自分がなったような態度で親戚や職場の人にエバリ得意になっていた<<自分が権力を得たと考えた低能なのでこういう考えになる=教養がない馬鹿の特徴>>

*悟り、、、バカ親の云うことを聞いてはいけない。親だからといって全ての親が子供のために思って思考行動するのではない。




警察学校卒業式 新米警察官182人の門出

10/9(水) 12:37配信

チバテレ

チバテレ(千葉テレビ放送)

 警察学校の卒業式が行われ、182人の新米警察官が門出を迎えました。東金市士農田の千葉県警察学校では、初任科第305期生182人の卒業式が行われました。

 台風15号の被害から復旧活動がつづく被災地の状況をうけて、早川治本部長は「大規模災害時こそ警察の真価が問われる。高い使命感をもって職務にあたってほしい」と訓示し、千葉県民に寄り添うことの大切さを強調しました。

 卒業生は、県内30の警察署に配属され、今後、新米警察官として主に交番勤務にあたるということです。卒業生は「まずは被災地の気持ちに寄り添った、心情に寄り添った警察官になっていきたいと思う。また災害の際には、迅速に現場に向かうことが出来る警察官になりたいと思っています」と抱負を述べました。

チバテレ(千葉テレビ放送)

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警官になるやつであの腐った世界に馴染めるのは<<権力思考のロクでなしばかり>>マトモな教養のある人間など呆れ果てて退職する。

2019年08月13日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

必ず後悔する。

警官になるやつであの腐った世界に馴染めるのは<<権力思考のロクでなしばかり>>マトモな教養のある人間など呆れ果てて退職する。

経験者より







夢の警官、36歳で一歩 県警採用引き上げの好機生かす

8/13(火) 5:00配信

カナロコ by 神奈川新聞
夢の警官、36歳で一歩 県警採用引き上げの好機生かす

「あきらめずに頑張ってきてよかった。神奈川の治安確保で恩返ししたい」と決意を新たにする児矢野巡査=川崎署大師駅前交番

 36歳の“新米”警察官が今夏、川崎署に配属された。学生時代から憧れながら、何度も採用試験の壁にはね返され、あきらめかけた警察官の道。県警が2018年度から採用試験の受験資格を35歳に引き上げたことで巡ってきたラストチャンスを生かし、神奈川を代表する門前町で、念願の警察官人生をスタートさせた。

【写真で見る】警察犬、お手柄だワン 靴下のにおいで女性発見

◆「あきらめずに挑戦を」
川崎署大師駅前交番 児矢野巡査

 7月末、名刹(めいさつ)・川崎大師平間寺の門前町を管轄する川崎署大師駅前交番(川崎市川崎区)で初勤務に就いたのは児矢野竜大巡査。深夜、酔客の対応に苦慮したタクシー運転手からの通報で現場に急行。客は目を覚まして運賃も支払い、事なきを得た。念のため客の帰宅まで見届けて取り扱いを完了。翌朝、先輩警察官の指導を仰ぎながら乗り切った緊張の初勤務を振り返り「無事終えることができてよかった」と息をついた。

 埼玉県出身。テレビの密着番組で、何げない職務質問から事件の端緒を鋭敏につかみ、摘発まで結びつける警察官の姿に魅了された。埼玉県警の採用試験に挑戦を続けたが、合格できず、いつしか受験資格年齢の上限を超えた。地元でバス運転手などとして働いたが、両親や妻には「警察官になりたい」との熱意を伝え続けていた。

 そんな中、神奈川県警が18年度試験から受験資格年齢を従来の30歳から35歳に引き上げたことを知った。受験者の減少に歯止めをかけるとともに、社会経験豊かな人材の確保が目的だった。

 「これが最後のチャンス」-。縁もゆかりもない神奈川で夢の実現にまい進しようと誓った。長女沙和ちゃんを授かったばかりだったが、「警察官への強い思いは分かっていた」という妻志帆さんも「悔いを残さぬよう、頑張って」と背中を押した。

 昨春実施の採用試験を35歳で突破。妻と幼い娘を埼玉に残し、昨年10月に県警察学校(横浜市栄区)に入校、一回り以上若い同期生と寝食を共にしながら警察官としての基礎を養うべく鍛錬を積み重ねた。

 今年7月26日に行われた卒業式では両親や祖母、志帆さん、1歳5カ月になった沙和ちゃんが見守る中、卒業証書と努力賞を受け取った。「年の離れた自分を温かく迎えてくれた同期や教職員、何より入校中、手のかかる娘の面倒を見てくれた妻の支えがあったからこそ」。感謝の言葉が口を突いて出た。勇姿を焼き付けた志帆さんも「初めて見た制服姿は格好良かった。みんなが安心して、頼もしいと思える警察官になってほしい」と期待した。

 県警警務部によると、受験資格年齢の引き上げもあって、18年度試験の受験者数は6年ぶりに増加。採用センターは「31歳以上の合格者はさまざまな社会経験を積んでおり、リーダーシップやコミュニケーション能力が高いと、現場から報告を受けている」と手応えを感じ取る。

 児矢野巡査の新生活は公舎で妻、娘と3人暮らし。一人前の警察官になるまでの道は平たんでないが、「川崎大師のお膝元で地域の人に親しまれ、娘に誇れるような安全な町づくりに貢献したい」。そして続けた。「どんな分野でも夢を持ち続ければチャンスは巡ってくる。臆せず挑戦してつかみ取ってほしい」

神奈川新聞社
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エホバ=ものみの塔が日本人用のパンフをハウスに持ってきた、、フィリピン移住生活

2019年07月15日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

エホバ=ものみの塔が日本人用のパンフをハウスに持ってきた、、フィリピン移住生活

何やら、変な冊子があるので見ると、いつの間にか<<新興宗教=エホバの証人の冊子があるではないか。

ここに日本人がいると知って<<こいつから銭を吸い取ってやろうと来たのだ>>

パンフを見ると<<病気になったら、、事故にあったら、、、>>いろいろな人生上の悪い出来事がかいてある。

こういう人間の悩み、迷いに漬け込んで<<信者にして銭を吸い取るのが宗教ビジネス>> 最終最後のボロ儲けビジネスだ。

*問題は、人助けではなく銭儲けの邪教ということだ。++++++

日本在住時も色々な新興宗教が勧誘に来たが<<そうかそうか~~あなたは、熱心に皆が遊んでいる日曜に、こうして一生懸命勧誘していて素晴らしい!!>>などと言うと喜んで、売り物の分厚い経典などをタダで置いていく信者が結構居たものだ。

こういう下っ端の連中は実に素直で善人だが、幹部連中が悪党だ。

前に、世界人類が幸せで、、という新興宗教の信者が職場に居たが<<話を聞いてやると喜んで、これが教祖の写真で光が出てる``@@>>などなど、喜んで話していた。

ある日<<俺が、、蟻や犬猫などは死んだら何処へ行くんですかね?>>などと質問すると、、、

信者が<<ええええっっm??そういうことは聞いたことがないです~~今度、上の人に聞いてみますと>>本当に上の人に聞いたら<<一塊になり、地球の成層圏より上に行くんだ~!>>と説明されたらしい。

それを俺に話すのだが<<自分で、、でも変だなな~~???>>>などと、これが契機になり、この宗教に疑問を持つようになり、間もなく、脱退した。

すると<<それまで柔和な人相が、一気に悪くなった>> 

俺は考えた<<こういう人間は宗教に騙されていたほうが幸せなのでと~!!>>

世界は良い意味で宗教が国の基本となっている=フィリピンも同じだ。こういう原住民は適当に宗教に染まり人生を送ったほうが幸せなのだ。

嘘も方便、、国家統治の方法。


因みにうちの比人妻もカトリックだが<<神様を信じているが、俺が、神様など人間の想像だと話すと妻が、、、、神様を信じないんだな!!ドキ!!>>と言うので<<俺がそうだ!!しかし人間が神様という表現をしてるのは宇宙そのものであり死んでも魂は存在する>>というと何故か納得したようだ。

俺は死んでも魂というものが存在して<<うちの親父が癌で死んだが、その後、兄弟3人のもとに同時刻に夢に出てきて同じ話をした>>事実がある。

俺はこどもの頃から超常現象を体験してるし家族も俺が説明すると、実際に見てるので納得していた。その後も、自分らに降りかかる災難や9,11事件など同時刻にテレパシーが来て深夜に飛び起きてテレビを付けて貿易センターライブを見て、妻を起こして大変なことが起きていると、、その他、新品のトランプのカードを、自分がいったカードを何回も選択できる<<これを妻に見せたら何回も当てるのでパニックになったことがあるが。妻も俺と生活してるので特殊能力が備わった>>

中学、高校時代などは友人にテレパシーを送り<<カードを選択する実験など多数の人の前で実験して驚かせた>>

特に超能力予知がでたのが<<高校1年でのバイク事故、、このことから危険予知ができるようになった>>出かける時に今日は危険が起こると分かる=こういう時は頭が重くなる現象がある>>

詳しいことは当該ブログでも書いたことがある(他にも不思議な出来事がたくさんある)

人間死んだらオシマイではなく、所謂、あの世という別次元世界に行き<<また、人間界に生まれるか?虫や犬猫に生まれるか?仏教で言う六道を輪廻するのだ>>よって、うちにいる犬や猫など、俺はたまたま、アニマルに生まれたものと認識してるので気持ちがみんなあり、大切にしている。

現在犬や猫、鳥、虫も実は前世は人間だった可能性ある。よって粗末にしてはいけないが<<ゴキブリなどはスプレーで始末する>>

しかし予知は完全ではなく<<日本の大震災など予知できていない>>そのかわり9,11は、同時刻にテレパスが来た。

これからも夫婦で人生をサバイバルするについて予知能力などが約く立つだろう。これは宗教とかオカルトではない体験事実だ。

書き忘れたが<<2年前に死にかけた病気があるが、10年前に妻に、自分は後10年後くらいに病死するからと>>予告をしておいたのがズバリあたり、、大変なことになり緊急入院が3回、、緊急入院してなければ確実に死んでいた。

自分でも自分の死期が<<何歳で死ぬと自分でわかっていた>>ので、本当はそのまま死ぬつもりだったが、妻が血相かいて<<このままでは死んでしまう!!!>>などとパニクり、、自分でも呼吸困難になって苦しいので緊急入院してしまった。

これが契機となり人工透析で生きているが<<2年経過して、自分の体にメッセージを送り続けたら、数値が改善してきて、腎臓が機能している>>尿も普通で血液検査でクレアチリンが2,6まで下がったので週に2回4時間の透析を3時間に短縮<<俺がドクターに交渉した>> 透析後の造血注射も2週間に1回だけとなった。

ドリンク類はアルコール以外は、普通に飲んでいる。カラダの浮腫などない尿量も普通だ。

透析のオカゲでカラダから悪いものが排除されてる。長年の飲酒の毒素を2年経過でかなり排除した。今後さらに数値が改善すれば週に1回だけの透析んするようにドクターに交渉する(医者は患者が言わないと状況を継続する)
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月収17万円でも昔に比べて天国…26歳女性の悲しい過去とは?

2019年05月17日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録



月収17万円でも昔に比べて天国…26歳女性の悲しい過去とは?

5/16(木) 8:48配信

女子SPA!
月収17万円でも昔に比べて天国…26歳女性の悲しい過去とは?

写真はイメージです(以下同じ)

 月々の給料が少なく、家賃や生活費などの出費が多いひとり暮らしの場合、生活は決してラクではありません。

 周りからもそう見られてしまいがちですが、必ずしも本人が貧乏だと感じているわけではないようです。
「私って貧困女子?」年収230万円で都内ひとり暮らし

「私も友達から『ちゃんとご飯食べている?』とかよく心配されますけど、私って貧困女子なんでしょうか? そういう自覚はまったくないのですが……」

 そうつぶやくのは、佐田綾子さん(仮名・26歳/介護士)。年収は230万円で手取り月収は約17万円。同年代の女性の収入としては平均よりやや少ないですが、彼女の職場と自宅があるのは都内。物価の高い東京でひとり暮らしをしていることを考えれば、ギリギリの生活になってしまいそうな気がします。

「そうですね、貯金は頑張っても月2万円がやっと。ただ、住んでいるのは23区外なのでワンルーム8畳で4万円と都内では比較的安い家賃だと思います。オートロックじゃないのは不安ですけど、少しでも安いところにしたかったのでそこは妥協しました」

 食材や生活用品は基本的に激安のスーパーかディスカウントショップしか利用せず、食費は月に数回、友達と外食やお酒を飲みに行っても2万5000円程度。洋服も買うのは古着やネットのセール品ばかりで、家具や家電も「メルカリで安くゲットします!」と話す。

「けど、そのことを話すと『頑張ってるんだね』ってなぜか同情されちゃう。もちろん、もっとお金があれば高い買い物もできるけど、今の生活も別に無理して節約や切り詰めているという意識はないんです。昔に比べれば今は天国だと思えるくらいですから」
子供のころのほうが貧乏だった

 綾子さんは母子家庭で育ち、母親は彼氏ができると食事の用意などもせずに相手の家に入り浸るような人物だったとか。しかも、自分で食事を作ろうとしても食材がまったくなく、学校給食の1日1食だけで食いつないでいた時期もあったといいます。

「母親は自分や彼氏にお金を優先的に使ってしまう人で、娘の私にはあまりお金を使おうとしてくれませんでした。それで一応高校には進学しましたけど、お金のために働こうと半年で中退。

 でも、仕事をするようになっても財布に入れていたお金を母親に勝手に抜き取られたりして本当に辛かった。それで18歳のとき、住み込みで働ける地方の温泉旅館の求人に応募して家を出たんです。だから、私にとって貧困時代は実家にいたときなんです」

 温泉旅館には3年ほど勤め、その間に介護士の資格を取得。その後、上京して現在の老人ホームで働き始めます。

「でも、母親は私が家を出た後、お金をたかるようになり、毎月3万円を仕送りしていました。私が22歳のときに再婚して仕送りの必要がなくなりましたが、母親からは『私にはこっちの家庭のこともあるし、あんたも好きにやりなさい』と事実上の絶縁通告。

 以来、何度かメールで近況報告的なやりとりはしたけど、一度も会っていません。けど、皮肉なことで母親が再婚したおかげで仕送りの必要がなくなったのは事実だし、そこに関しては感謝しています」


憧れるのは“平凡な幸せ”

 客観的に見れば現在の生活も厳しいように思えますが、「今の暮らしに小さな幸せを感じています」と否定。確かに、食べる物さえままならなかった昔の話を知ると、そう感じてしまうのも納得できます。

「昨年から付き合っている彼氏と子供のころの話題になったんです。それでドン引きされない程度に話したつもりだったのにマジ泣きされて、『オレが絶対幸せにするから!』って。彼氏の愛情が伝わってきてすごく嬉しかったです。

 私にとっては世間の人たちが言うところの普通の暮らしさえできなかったので、結婚して平凡な幸せがほしいかな。それが今の一番の夢ですね」

 ドン底から少しづつ這い上がり、低所得ながら経済的に自立できるまでになった綾子さん。ぜひ夢を叶えて幸せをつかみとってほしいものです。

―シリーズ 貧困の沼、転落の淵―

<文/トシタカマサ>

【トシタカマサ】
一般男女のスカッと話やトンデモエピソードが大好物で、日夜収集に励んでいる。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。




毒親のせいで貯金も彼氏も失った…32歳女性の苦悩

5/13(月) 8:48配信

女子SPA!
毒親のせいで貯金も彼氏も失った…32歳女性の苦悩

写真はイメージです(以下同じ)

 自分には何の落ち度がなくても周囲の人間によって転落の道へと引きずり込まれることがあります。

 これが友人なら付き合いを止めればいいですが、親や兄弟など血のつながった相手だと縁を切るのも簡単ではないようです。
両親に泣きつかれ、貯金350万円を借金返済に

「両親のせいで貯金をほとんど失い、結婚を約束していた彼氏も私のもとから去りました。両親には育ててくれた恩はありますけど、今は恨みしかないです」

 険しい表情でそう話すのは、山本志津香さん(仮名・32歳/通信関連会社)。一体、何があったのでしょうか?

「実家は建築関係の仕事を自営業でやっていたんですけど、年々売り上げが落ちて借金の返済にも困るようになった時点で泣きつかれたんです。厳しいとは聞いていましたが、そこまでとは思っていなくて……。

 ウチはひとりっ子で頼れる兄弟もいないため、結局貯金していたほぼ全額の350万円が借金の返済で消えてしまいました」

 しかし、それだけでは完済にはほど遠く、今も毎月8万円の仕送りを続けているとのこと。年間だと96万円になり、彼女の年収380万円のおよそ25%。大きな負担になっているのは言うまでもありません。

「返済のために実家を処分するのは嫌だとゴネるし、父親は『子供なら助けるのが当たり前』とお礼やお詫びの一言すらない。

 しかも、私の事情なんてまったくお構いなし。『お前の名前でローンを組んでくれないか?』と言われたときは耳を疑いました。

 一緒に住んでいるときは普通の親だと思っていたけど、こんなことを当たり前のように頼むなんて本当に情けない。でも、こんな人でも一応親ですし、見捨てることができなかったんです」
恋人から突然の別れ。原因は両親だった

 ところが、その甘さがさらなる悲劇を生んでしまいます。志津香さんが交際中の3歳年上の恋人に両親が接触。なんと彼からお金を借りようとしたのです。

「突然、彼から別れを告げられました。理由を尋ねたら『君の両親から金を貸してほしいと頼まれた。正直、あの人たちと付き合っていく自信が僕にはない。ごめん』って。

 父は彼に失礼なことを言いそうな気がしたので、お母さんにだけ紹介したのですが会ったことを伝えてしまったらしく、こんなことになったみたいです。いくらなんでもここまでやるとは思っていなかったので、両親には本当に裏切られた気分でした」

 最近、別の男性からアプローチを受けているそうですが、この一件がネックになって交際に踏み切ることができずにいるとか。

「あの両親がいる限り、絶縁でもしないと結婚は無理だと感じました。けど、もう30代だし、これを逃すと次のチャンスがいつ来るか分からないという不安もあります。だからといって結婚は難しそうだし……と答えが出ないところでグルグルと悩んでしまうんです」

 志津香さんによれば、両親には娘に迷惑をかけないようにするとの気遣いが一切ないそうで、老後も彼女に面倒を見てもらう気マンマンでいるといいます。


毒親でも縁は切れない…

「我が家は親戚付き合いが極端に少ないのですが、それは金銭トラブルを起こしていたから。

 両親の代わりに大学の学費を払ってくれた祖父が亡くなる前に教えてくれました。だから、両親には私しか頼れる人間がいなんです。

 けど、単なる金づるとしてか見てなくて、それは私が一番わかっています。ただ、そんな親でも私の両親であるのには変わらないので……」

 先日も父親から「ひとり暮らしなんてもったいないから実家に戻ってこい!」と同居要請の連絡が来ましたが、仕事を理由にやんわりと拒否。とはいっても今のままでは、これからもずっと搾取され続けてしまうことになります。

「そこはもう半分あきらめています。そういう星のもとに生まれたんだって。とりあえず、今は仕事を頑張って両親にお金を渡しても十分に生活できるくらい稼ぐこと。私には残された道はそのくらいしかないので……」

 こうした毒親の存在に悩まされている人は意外と多いようです。家族間の問題なので他人に相談もしづらく、解決の糸口も見えにくい。それだけにとても厄介(やっかい)です。

―貧困の沼、転落の淵―

<文/トシタカマサ>

【トシタカマサ】
一般男女のスカッと話やトンデモエピソードが大好物で、日夜収集に励んでいる。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。



うちは両親とも低学歴で運転手の父親と専業主婦(仕事できない社会性がない馬鹿)で、私は中学ころから政治社会に興味を持ち話すと<<長いものには巻かれるんだと>>いつも言われて芽を摘まれてきた

就職も無学な父親のメンツ確保で警察官にさせられたが酷い職場で見切りつけて退職した

父親の末の弟も、このジジイのすすめでバスの運転手にさせられたが低学歴の職場に愛想を尽かして2年で退職。自分で好きなバイクの大手会社に就職して白バイのインストラクターになり会社のツーリングクラブの会長にまでなった

ジジイは、低学歴の運転手仲間や警官などの権力が欲しいので自分お兄弟や子供に強引に就職を進めたが<<そのうち、自分が就職を進めたので不幸にしたんだなと>>馬鹿なりに悟っていた。

自分でこれでは駄目だと仕事しながら大学の法学部を出教育関係の事業をしていたが、最早、日本という国に見切りをつけて海外移住25年経過した





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私の人生遍歴、、、フィリピン移住で人生をお終いとするまで<<遺稿>>

2019年03月23日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

私の人生遍歴、、、フィリピン移住で人生をお終いとするまで<<遺稿>>


久々の、カテゴリー投稿。


小学4年生ころからモーターサイクルに凝りだして、近くの解体屋で原付き買っていじり、農道で走り回っていた、

新聞配達を覚えて、初めたが、何処かの人の通報で、違法労働ということでバカ親が学校に呼ばれて辞めさせられた。普通の親なら小学生が新聞配達すると言い出しても<<そんなことしないで勉強しなさいと言うが>>尋常小学校も出てないような父親と戦時中勉強しない女学校の異常に算数ができないキチ母なので、そんな事は言わない。

父親は、丁稚奉公に出され家具職人になってが、その時に親方から饅頭を山盛り食べたら銭をやると言われて本気で全部食べて銭もらったが苦しくて、、などと話した後に<<あれは親方がバカにしてやったんだなと、何十年も後になり気がついたらしい。その後、警察予備隊で大型2種免許、トラック車体3級という資格を取り、除隊していすゞトラックの整備士になるが給料が安くて辞めて=この頃結婚して、私が生まれてたらしい=最終的に電鉄系大手バス会社に運転手として仕事したが、定年退職の1年前に癌になり死んだ。

◎当時は、現在と異なりバス運転手は稼げた時代。

母親は、専業主婦で偶に内職してたが、そのうち弁当屋でパートしてが全然仕事ができないのですぐ辞めた。字がきれいなのだけが取り柄で、後は、算数が異常にできない。社会のことが全くわからない<<私が中学になり政治社会に興味が出て母と話してもアクビするだけで、理解できないバカだった=政治社会の話すると必ず嫌がらせのようにアクビする性癖が有る>>

この夫婦の決まり文句は<<長いものには巻かれろだった。>>

子供の頃から言われてきたが、この親は駄目だと中学生で何となく気がついた、、確証ではないが薄々子供ながらに分かったし、友人の親と比べればうちのはレベルが低いとわかる。

この頃、この後、長く親友となる友人の会社経営の親と、色々、話したことが為になった<<自分の親など何のためになない。会社経営者とサラリーマンの差が出ている>>

私は、バイククレイジーだったので勉強などしないし、親が馬鹿なので遺伝で勉強しようとすると頭に熱が持つ、、、高校は工業高校機械科でマシン関係は学校レベルは、実技も理論も完璧でテストでは毎回満点で学校の評判になったが、それ以外はそこそこだったが、元々偏差値の低い工業高校なので学級長などしたが留年の輩が居て苦労した。

近くに有名都立が有ったが<<私服で顔も如何にも利口そうで、東大など有名大学に進学する高校を横目に、バイクの違法通学する自分だった>>

こんな調子で、暴走族では決して無かったが、高校時代、仲間と楽しい青春を過ごした<<クラスみんなでツーリングなどした>> まさにバイク馬鹿の工業高校機械科。

有名人に、鈴木秀明、忠雄兄弟が居たが=モトクロスチャンピオン=校庭でバイクを乗り回して退学になった。お笑い芸人の有名な人間も卒業してる、、、ヒント=松0伊代の旦那、バイク馬鹿で輩。

私は、中学から一日も休まずバイク買うために朝刊配達した。3年間。

ところが、いざ高校になり試験場2発目合格で大型バイク免許取り、母親に預けた新聞配達の銭を返してくれと言ったら>>なんとバカ母親が!!そんなもの無いよ!!みんな使っちまっやよ@@!!>> と、平然と居直り裏切りの言葉を言うのだ!!

このババア!!!!!!!!!!!大変な衝撃だった、信頼して一生懸命3年間朝刊配達して預けた銭を使っちまったとは!!トンデモナイババアだった。

すると、隣で会話を聞いていたジジイが=こいつが母に預ければ貯金してくれる~~と唆した=お父さんが買ってやるから~~などと言うので、翌日店に行くが、、川向うのスズキ専門店、、、小さな店で展示が少ない。ここに不二気GT250という2ストが有った。ディスカウントの新車145000円、ヘルメットおまけ。、、、これを買ったが、本当はホンダSL350が欲しかった。

これで、1年位経過した時に、路地から出てきた軽と衝突、全身打撲で入院したがイカサマ病院で点滴速度が異常に早くされ心臓麻痺で殺されかかった。隣の病室の盲腸患者女性が、腹に危惧を忘れて殺され新聞に載った。

事故の際は<<軽自動車のオンナが、倒れてうめいてる私の横に立って、、私は悪くない!!!と叫んでいて救護してくれなかったが、激しい衝突音に驚いた街道沿いの人々が、オンナを諌めて、119してくれた。

バイクは、ほぼ全損だが、保険屋が全損扱いしないで修理となったとスズキの店長が話したが、父親が、これは良くないバイクなので買い換えようと言い出したので、今度はオフロードのハスラー250にしたが、これは気に入った。トレールなので自在に操れる250CCなのでパワーが有る。

こうして高校卒業間近になると<<バカ親父が、調子こいて、、交番から警官募集のでかいポスターを貰って、、、白バイに乗れる、、>>などという言葉に騙されて警視庁に入ったら、トンデモナイスパルタ教官で警察学校始まって以来の、現在なら訴訟になるパワハラ暴行が日常の教場に入ったのだ。

この岡部という教官は。教練中にフラツク学生に手錠を投げる強靭ぶりで突き飛ばす、足蹴りするなど日常で、枯れ葉の教場と言われた=現場配属前に焼きをくれられ過ぎで枯れ葉になった連中と警察学校中で言われた。

自分が、所轄に配属された後に、この岡部教場から実務修習に来たのが居たが、萎縮しまくりで<<岡部にパワハラでメンタル障害されたなと直ぐにわかった>>本当に酷い、現代なら公務員特別陵虐犯罪である。

それでも卒業して所轄に配属されたが、交通機動隊エリアではない重要警備拠点でテロ爆弾事件で死人が出た地域だったが、普段は暇で仕方がなかった。後に総理大臣になる政治家の自宅警備もした。

警官など裏では、大酒飲みで体育会系のパワハラ満載の連中、、、団塊世代がチンピラで酷かった、、当時は、この連中は安保闘争が激化して特別短期養成の連中で何でも採用した世代で酷かった。こんなのが警察官なのかと驚いた。

それでも、中学時代からギターなど好きで仲間とバンド組んでた経験もあり、マトモな大卒の先輩が警官のバンドに誘ってくれて非常に楽しかった。大きな野外ステージで警察友の会のような催しの際に演奏した良い思い出が有る。退職した後もパーテイに誘ってくれた。

そうこうして交番勤務など飽き飽きで、3年位で遺留されたが<二回目でようやく退職できた>なかなか止めさせてくれないヤクザ組織か? 止めたらすぐに、今度は県警から、来ないかと誘われたが、警察世界など真っ平御免で断固断った。

越して晴れてヤクザな警察世界と縁が切れた=高卒なのでまだ21歳位。

あちこちバイトしてたが、運送屋の社長と知り合いになり初めは会社トラックだったが、自分で4トン車買って、野菜運送をするという話に乗った。大根や白菜などを積んで市場まで延着しないように届ける過酷な仕事だった。自分の稼ぎになるので励んだが、、そのうち社長が中古車屋をやるという話が出て一緒にやろうというので、専務としてやることにした。4t車は運転手に乗らせてたが面倒なので社長が買い手見つけて売ってくれた。

元々バイクと車好きなので売りまくり、、、40台位の展示車だが月に13台くらい売れた。

すると、近くのトヨタ中古車の店長が来るようになり、うちが売れてるので、トヨタ系列仕入れの中古車を専門で売らないか?など話が来て社長が乗り気でやろうというので、自分はトヨタ系列専門でやるなど嫌で辞めた。

その後、1年もしないで、中古車屋は潰れた、、、、

その後、今度は、建材屋の仕事の話で<<10トンダンプを買って仕事するというのが有ったので乗った>>大型免許は合宿で取った。

◎この時合宿免許で宿舎に言ったが如何にも貧乏そうな田舎の教習所でボロい部屋で相部屋だったので、近くの温泉に泊まることにしたら、温泉旅館のオーナーのお婆さんが、私を気に入ってくれて、賄いどころで食事をただで食べさせてくれて、そのうち<<この旅館の跡取りなって!そのために養子になって、、>>というので、親と相談してから戻る、都返事したが、そのお婆さんが妙に色っぽいようで<<養子になったら夜に布団に入られたら気持ち悪いなあ~~>>などと変に考えて、それっきり行かなかったが<<お婆さんが、待ってる~~>>と言った言葉と顔が年中年も経ってからでも記憶になる、悪い事した、、、?

そして免許とって、仕事したがダンプカーは、トラックと異なりガサツな仕事で、周りの連中は、トラック乗りよりはるかにガサツで低レベルな人間で驚いた。皆、個人で仕事してるので業界組合など無い。

初めは,年間で1300万くらい売上があり、タイヤ代や燃料代、車両の借金など引いても結構な手取りが有ったが、翌年から段々、仕事が減り始めて、山が閉山するところも出て距離を走り採算が割っるくなった。結局、3年位で、、やめようとして問題は残債が残るダンプだったが、街道沿いで直感的に立ち寄ったいすゞの親切なデーラーの営業の方が、直ぐに買い手を見つけてくれて、コミッションも取らないで動いてくれた。お礼にウイスキー2ボトルを届けてお礼を言ったら<<困ってる様子だっやので、、と親切に話してくれた>>まさに、直感的に動いてよかった。

これで残債払い、、残り100万円が手元に残ったが<<二度と、ダンプはやらないと悟った>>土建屋が大嫌いになったが、東北から出稼ぎの女性が現場に居て誘ったが、旦那と一緒に出稼ぎだと言われて、しょうがないねと諦めた。自分は何故か東北のオンナが好きだった、、、秋田と岩手のオンナと深い付き合いをしたことが有る=短大生と看護婦。

そんなこんなで人生に悩んで仏教雑誌を買ったら、浄土真宗の学校があるというので通信で学んで居た。1年後に進級試験があり合格した<<みなに、私の口頭質問だけが優しい問題と指摘された>>私だけが若かった。周りは年寄りや寺の婦人で資格取るためにきていた。

因みに、うちの先祖は真言宗だが、、寺の若い住職が、私に理解示してくれた。

2年目の進級だが、、このままだと山で本格修行となり坊主となるのだが、ここで迷いが生じた。
研修中、他の方が質問してたが<<教師に、本当にあの世は有るんですかと?、、老人が質問した時に、教師が???あるかな~~??、、無いなあ>>などと言うので、教室がざわついた。プロ坊主は極楽浄土を信じてはいないと悟った。

極楽浄土は、方便であり、本当はあの世はないかもしれないと感じた。

仏教は、経典は方便である、、、民衆を導くために考えた観念の世界。但し仏教の宇宙観は、現代の量子物理学に共通するものと認識した。

そこで、2年進級辞めて、、手紙書いて退学する旨、、届けて<<今度は、大学に入ることにした>>ついでに教員免許取る。自宅から山を2つ超えたところに3流大学があり簡単そうなので入る。同時に学習塾の講師となった。教育界はどうか?

小中学生に勉強教えるが、子供相手は楽しい。警察世界と異なり将来性有る子供に教えることは楽しかったが、、

しかし、勉強教えても競争社会の子供にオシマイはない。過酷な受験指導もした。

ここで疑問に思った<<教育界も問題だらけ>>そこで、小学生から少し興味があった=小学5年で六法を小遣いで買った。

法律に興味があり、3流大学の隣りにある1流大学に3年編入で入り、同時に司法試験勉強した。この頃単筒式問題が90から少ない文章問題に変わる過度期だった。90問式など予備問題2回やったら簡単に合格圏に入った。

これから行けると考えたが、トンデモ事態で、その後、単答式が妙なトンチのような問題になった。最後の回答が2つに絞られたが自分にはわからなかった。

大学レベルの勉強は司法試験に比べれば、簡単で2年で卒業して、卒論担当の教授から大学院研究室に誘われたが、銭の問題があり、最早、早く司法試験受かることを最優先にすべく有り難くお断りした。

それからは、フルタイムで働いて=夜警などしながら=12時間勉強したが卒業後3年位で力尽きた。論文は自分のスタイルで書けるが=模試などで成績が良いが、短答式が駄目。90問時代とは全く違うひねり問題には敵わなかった。

諦めたときは、人生ではじめての虚脱感が有った。初めての挫折だった。

なにかしようと、小型船舶1級の免許をとったが、船買うぜにはない。



そうこうしてるうちに、町中で国際結婚の看板を見かけた、、、、これが縁で現在のフィリピン人妻と結婚した。

100万円で写真の可愛い娘と結婚できると言うので、親が反対したが、自分で話に乗った。どうせ日本に未練はない。

こうして国際結婚相談所のメンバーになり、現地でお見合い、、結婚式挙げたが、、ここから疲れる<<領事館にビザ申請などするのだ>>これが大変で自分でする。業者は入れないようだ、、外の車で待っていて、自分で申請する。

車移動など、空気は悪いわ、、酷暑だわで<<エアコン入れなさいよ!!>>と言ったら、その後入れたと話しがあったが、我々は、ノーエアコンで大変だった。。疲労困憊だ。

その後2ヶ月して、フィリピン人妻が日本に来たので空港へ迎えに行った。

帰宅すると、キチの母親が玄関に出てきた。すると比人妻が<<私がジェニーで~~~す>>とはっきり日本語で話すと、キチが<<やダヨ~~~日本語しゃべるんだ~~~@@:>>などと、焦っていたが、、間もなく仲良くなり、何てことはない日本人オンナより家族的で心配無用だった。

そして、ジエニーさんは~~~いい人だ~~~などと母親が喜んでいた。

人懐っこい性格で可愛い顔してるので気に入ったようだが、、この頃、フィリピンの遠い親戚が大型テレビ買うので銭を送れなどと連絡が来て<<始まったかこの野郎!!>>夫婦喧嘩になった。テレビを買って有料でみんなに見せる等というのだ。

この遠い親戚は、結婚式で現地に来ていたのでオンナのハイスクールの教員で、バカではないので悪知恵が有る。

こんな話など断った!!

話には聞いていたが、、油断がならない。脳天気な日本人は、こうして銭を貢いで散財する。家を買え事業をする、クルマ買う事業するなど、、多くがやられている。



この頃は、自分の家庭教師の仕事とハーレーなど販売する仕事をしていたアメリカに夜中=向こうは昼=英語のFAXで注文入れるのだが比人妻が英語できるので助かった。

しかし、日本はバブル弾けて何年か経過するが経済はどんどん悪化するので、一層のことフィリピンに移住を考えた。比人妻は、反対したが<<アナタには合わないから止めたほうが良いと言われた>>いい人じゃないか。忠告してくれる。普通は男唆して現地へ連れていき家建てさせて追い出すが、うちのは違った。

反対を押して、フィリピンへ行きランドを探した。

すると、比人妻の親父が管理する農園のオーナーである有名大学の法学部長で元タイの大使をしていたという有名人物がサブディビジョンを開発したというので見に行き<<6ロットまとめて契約した>>これが大変で、息子が所有権移転などすると言うが馬鹿野郎で半年しても終わらない。

再度、比国へ飛んで、進捗を確認するが埒が明かない。

そこで全部キャンセルするから返金しろと言うと、何と自分らが悪いのにキャンセル料取るというのだ。結局なんだかんだで半分キャンセルして半分は、その後、しばらくして名変できてハウス建設したが<<初めて、それも海外で、大工探しから始めた>> 大工確保するとスケッチプランだが、丁度大工が以前建てたのがあるというので流用した。

これで設計士に払う銭が節約。

大工を直接雇用して監理も節約して、ほとんど毎日現場監督した。

こうしてなんとか完了すると、一旦帰国した、、、半年も居たのだ。

今度は、本格的に移住するので準備などして、フィリピンに渡ったら、、入管で半年以内で、すぐ、又来ると、長期滞在ビザは空港では出さないなどと言うので<<ハウスを建設などしてる>>というと、、じゃああげるとバリカバヤンビザをくれた。外人が、でかい銭をフィリピンに落とす場合は簡単にビザが空港でもでる。



こうして、ハウスは残りの作業など完了したが、、なんと、、、<<雨が降ると天井裏に大量の雨が溜まる!!>>何だ!!

屋根裏に上がると、、大変だ、、、水たまり、、、これは釘の屋根防水が駄目だと、、大工に連絡すると、もう来ないのだ!

この野郎、、、逃げた。

近所に聞くと、屋根うつ釘は、あとで防水材をすると言うが、大工が工事してないのだ。そこで、近所の親父がやると言うのでやらせて防水問題は解決した。

しかし、、未だ電気が来ないのだ!!ランプ生活。暑いのでクルマの中でエアコンで涼んだりした。

又、サブディビジョンの管理するバカ息子が仕事遅いし、、、そこで自分で電気組合に行き電柱を立てて電気を引いた。

トンデモナイ自分でやったのだ、、、ここまでで相当、頭が怒りで切れてる。


続く、、、、気が向いたら書く。


因みに、長文で、忙しく推敲できないので誤字脱字変換違いあるがご容赦下さい。’





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うちはバカ親だったので逆に自費で大学卒業して教育関係へ進んだことについて特に父親が足を引っ張り妬みされた。

2018年07月29日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
【沼にはまる女たち】学歴コンプレックスを補う手段は資格と習い事。止まらないスキルアップの欲の終着点とは?

7/29(日) 15:03配信 Suits-woman.jp
どこにでもいる女性でも気が付くと、その世界の『沼』にハマってしまうケースを紹介する同シリーズ。今回の沼は、一人前になるため、仕事で必要な人材になりたいために習い事や資格取得がやめられない「スキルアップ」の沼です。

「年齢を重ねると、どんどん自分の価値が下がってきている感覚に陥るんです。その感覚に歯止めをかけたくて」と語るのは、清美さん(38歳)。現在は都内のドラッグストアで登録販売者の資格を生かしてパートタイムの勤務をしています。

黒髪の一直線にきれいに整えられたショートボブに、切れ長でややつり上がった瞳からは強気な女性をイメージさせます。しかし話し方はおっとりしており、声も小さく、話している間数回しか目が合わないといった自信のなさも垣間見えました。清美さんは極度の人見知りだと自己分析をしています。

両親の基準は優秀な兄。比べられることが当たり前だった思春期
清美さんは両親と5歳上に兄がいる4人家族。父親よりも母親の方が8歳年下で、専業主婦だったこともあり、洋服を買う時でさえ、父親の許可がないとできなかったそう。まず初めに両親、そして兄との関係について伺いました。

「両親はお互いの親の紹介で知り合ったんです。両親ともに認めないんですが、おそらくお見合いです。父親の家は地元では広い土地を所有していた地主で、父親は公務員で公園管理などの仕事をしていました。公務員なのに土日も仕事に出ることがあり、小さい頃からあまり遊んでもらえた記憶はありません。

母親は優しいんですが、その日までに学校でいるものなどの準備もロクにできない人で、学生時代のお弁当はほとんどレトルトを詰めたものでしたね。兄はとにかく成績が優秀で、生徒会長をやったりするタイプです。成績は学年トップ、中学生の時に一度通っていた塾の全国模試で2位の成績を収めてトロフィーを持って帰ってきたことがありました。兄妹仲は普通だと思うんですが、両親からは常に『お兄ちゃんはそんなことなかった』と言われ続ける日々でした」

期待されていなかった清美さんですが、地元の難関高校に合格したことで両親の期待が集中したと言います。

「私の高校受験の2年前に兄が大学受験に失敗して、翌年に無事に大学生になれたんですが、2浪は避けたい思いから志望大学からレベルを落としたところに入ったんです。父親はそこが気に入らなかったみたいで。その翌年に私は、兄は地元で一番の進学校だったんですが、私は2番目にいいところに受かることができました。まったく期待されてなかった分、父は大喜びでしたね。そこから、『出来る子』だと認識されたんだと思います」


仕事を頑張るも評価してくれない親。そして実績を残せない自分を責め続け
親の期待値がどんどん上がる中、無理をして入った高校では落ちこぼれてしまったそうです。

「授業内容にはついていけるんですが、ある程度の点をとっても学年順位が低いんです。親は点数よりも順位を気にする人で、高校に上がってからは父親が成績を逐一確認するようになり、いつも怒られていました。

そこからは負の連鎖です。勉強できないことを親も自分も責めて、夜に眠れなくなりました。それなのに学校に行くと眠さから授業でうたた寝してしまい、授業内容にさえついていけなくなる。もちろん成績は下がり続け、進路では先生から希望大学ははっきり無理だと言われたくらいです」

清美さんは結局短大に進学。せめて就職先は親に認められたい思いから、職種に関係なく大手企業など複数社にエントリーしますが、落ち続けたそう。やっと受かった職場では、認められたい思いから自主的にある行動を起こします。

「結局受かったのは、美容院などにサロン専売品を売る、ルート営業の仕事でした。最初は先輩とセットになってクルマで回るんです。今ではほとんどないと思いますが、当時そこではマニュアル車が使われており、私はオートマ車しか運転できなくて……。採用には問題なかったんですが、一緒に行動する先輩にずっと運転させるのはどうも気が引けてしまって。会社に言われたわけではないんですが、限定解除の教習を受けました。免許を取ったことで、会社や先輩から正式ではないものの、評価してくれたんです。それがすごく嬉しかったんです」

やる気がある社員として評価され出したものの、業績はイマイチ……。なんとか職場の役に立ちたい思いからサービス残業を続けます。毎日遅く帰ってくる娘に、父親は厳しい一言をかけたそうです。

「父親からは『そんな誰でもできるような仕事をして楽しいのか』とか散々言われました。休めない日々と、親からのストレス、そして仕事がうまくいかないストレスから体調を崩してしまったんです……。睡眠障害がひどくなってしまって……。どんどん痩せてしまったこともあり、父親から『仕事を辞めろ』と言われました。もう、いいなりですよね。私はすぐに退職の旨を会社に伝えて、2か月後に退職しました。そして、その後アルバイトで始めた歯科助手の仕事から、資格というものに興味を持ち始めるんです」

たまたま始めた歯科助手の仕事から、医療系の仕事に目覚め、さまざまな習い事や、資格を取得し続けていくことに。続編に続きます。



うちはバカ親だったので逆に自費で大学卒業して教育関係へ進んだことについて特に父親が足を引っ張り妬みされた。

父親はバスの運転手、、、下級労働者の仲間がほしいのだ。ゲス親。

その後もハード勉強してフルタイムで働いて司法試験受験してたら<<父親と弟に、、兄ちゃんは電気代がもったいないから夜中勉強してないで、他にしろ!!>>と嫌がらせで、勤務先で夜中勉強するようにした。

すると、ある日、父親がネコ撫ぜ声で、帰ってきて、、などというので何事かと行くと<<この弟が大学受験するので=私立ばかり5校も!!=受験比が高いので=1校たしか2万円くらい=私に出してなどというのだ!!>>

このバカ親子が!!

普段散々嫌がらせして銭出せというのだ。

私は「何だ、、そういうことで呼んだのか。冗談じゃない」といって断った。

その後バカ弟は、5校受けて全滅。可愛そうなので浪人して来年受ければ<<私が銭出すから>>とアドバイスしたが、もう受験止めたと、さっさと諦めた。

その後、バイトを転々として、最後は美容師に成り<<美容院に来たオンナを漁り、結婚=資産ある同僚と=してたが離婚>>養子になってたが当然追い出され、、その後はどうなったか知らない。


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「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由

2018年04月25日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
4/25(水) 11:00配信 現代ビジネス
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
写真:現代ビジネス
名門校出身者たちを目の当たりにして
 教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。

 ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。

 だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。

 田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。

 あらかじめ、どんな地域で育ったどんな人物がこの記事を書いているのか、簡単に紹介しておこう。

 私は高校時代までを、北海道の釧路市で過ごした。初代の「ゆとり世代」であるらしい1987年生まれの男性で、これは2000年に中学に入学し、2006年に高校を卒業する学年である。

 中卒の母親と小学校中退の父親という両親のもとに生まれ、一人息子を東京の大学に通わせるだけの経済的な余裕はある家庭に育った。

 高校卒業後は浪人して東京大学の文科三類に進み、3年次で文学部へ進学、その後5年間の大学院生活を経て、現在はニューヨーク州立大学の博士課程に籍をおいている。

 釧路市は、見渡す限り畑が広がり家屋が点々と建っている、というほどの「ド田舎」ではないものの、若者が集まる場所といえば「ジャスコ」しか選択肢がなく、もっともメジャーな路線のバスは30分に1本しか来ず、ユニクロやスタバがオープンすると大行列ができるような、ある種の典型的な田舎町だ。

 私が住んでいた当時は、ちょうど人口が20万人を割ったころであり、現在も小中高のクラス数とともに、人口は減りつづけている。

 そのような田舎町で育った私は、東大に入学して、都内の名門校出身者をはじめとする「サラブレッド」たちに出会い、いたく驚かされることになった。

 文化と教育の地域格差が、想像以上に大きかったからである。

問題は「貧富の差」ではない
 私が主張したいのは、「貧富の差よりも地域格差のほうが深刻だ」ということではない。そうではなく、地方には、都市生活者には想像できないであろう、別の大きな障害があるということである。

 田舎では貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない。

 たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。

 もちろん、文化と教育に無縁の田舎で幸福に暮らすのはいい。問題なのは、大学レベルの教育を受け、文化的にも豊かな人生を送れたかもしれない田舎の子供たちの多くが、その選択肢さえ与えられないまま生涯を過ごすことを強いられている、ということだ。

 「文化的」とは、おそらく、いまあなたが思い浮かべている次元の話ではない。たとえば私が想定しているのは、わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。

 この記事は、以下のツイートの拡散をきっかけに執筆依頼を受けて執筆している。

 家庭が貧しいと教育が受けられず貧しさが再生産されるという話、もちろん大問題だけど、同時に知ってもらいたいのは、教養のない田舎の家庭に生まれると、たとえ裕福でも教育には到達できないってこと。教育の重要性じたいが不可視だから。文化資本の格差は「気付くことさえできない」という点で深刻。

― 阿部幸大/Kodai Abe (@korpendine) 2018年3月15日 私は社会学者ではない。田舎から運良く東京の国立大学に進学できたので、上記のような格差と落差を、身をもって体感した一個人にすぎない。

 だがこのような格差の紹介は、日本ではまだまだ驚きをもって受けとめられている――つまり十分に認識されていないようなので、私のような経験者がひとつの実例を提出してもよいだろうと考えた次第である。

 そしてこの「十分に認識されていない」という事実が、逆説的にこの格差の大きさを物語っているように思われる。


大学生を見たことがなかった
 私の育った釧路市のような田舎に住む子供の多くは、おかしな話に聞こえるかもしれないが、まず「大学」というものを教育機関として認識することからして難しい。

 言い換えれば、大学を「高校の次に進む学校」として捉える機会がないのだ。

 高校生の頃の私が「大学」と聞いたとき思い浮かべることができたのは、「白衣を着たハカセが実験室で顕微鏡をのぞいたり、謎の液体が入ったフラスコを振ったりしている場所」という貧しいイメージのみであった。仮に当時の私が「大学には18歳の若者が通ってるんだよ」と教わっても、驚くどころか、意味がよくわからなかっただろう。

 たとえば釧路市民にとっての「都会」といえば札幌だが、釧路と札幌は300km、つまり東京―名古屋間と同じくらい離れている。市内には2つの大学があるが、いずれも単科大学である(当時は知らなかったが)。

 日本の各都道府県にはそれぞれ総合大学(ユニバーシティ)が設置されているので、最寄りの総合大学からこれほど地理的に離れている地区というのは、全国を見渡しても、離島と北海道の端っこくらいのものであろう。

 都市部にも「大学と無縁の環境で育った」という人はいる。だが、この点において田舎と都会で根本的に異なると思われるのは、「文化」や「大学」といった存在が視界に入るかどうか、という差である。

 釧路にも大学は存在すると書いたが、しかし子供たちにとってそこは病院などと区別されない「建物」にすぎず、「大学生」という存在にじかに出会ったことは、すくなくとも私は一度もなかったし、また私の場合は親族にも大学卒業者が皆無だったため、高校卒業後の選択肢として「大学進学」をイメージすることは、きわめて困難であった。

 それに対して都市部では、たとえば電車に乗れば「~大学前」といった駅名を耳にすることになるし、そこで乗ってくる大量の若者が「大学生」であることも、なんとなく理解するチャンスはかなり大きくなるだろう。上京して、じっさい私は「世の中にはこんなに大学があったのか」と驚いた。

 さらに言えば、私が東大に入学し、なかば憤慨したのは、東大と同じ駒場東大前駅を最寄り駅とする中高一貫校が存在し、その東大進学率が抜群に高いということだった。なんという特権階級だろう!  しかも彼らには、自らがその地理的アドバンテージを享受しているという自覚はない。まさに文化的な貴族である。


遠すぎて想像がつかない
 地域格差の大きさを考えるために、以下のような比較をしてみたい。

 たとえば東京に隣接したある県の家庭で、ひとりも大学卒の親族がおらず、しかし、抜群に成績が優秀な子供がいたとする。この子と、たとえば釧路市に住む、やはりひとりも大学卒の親族を持たない、同程度に優秀な子供とを比べてみよう。

 それぞれの家庭の親が、「この子を大学に入れようかしら」という発想に至る可能性を想像してみてもらいたい。

 前者の場合、仮に経済的な問題があっても、すくなくとも「将来、うちの子はもしかしたら東京の学校に通うことになるのかもしれない」という想像までは働くだろう。なにしろ東京まで電車で1時間程度なのだし、それに都内でなくとも、関東には大学がいくつもある。

 だが、後者の場合、親はせいぜい子供の優秀さをなんとなく喜ぶ程度で、大学進学などという発想はいちども脳裏をよぎることがなく、高校の終盤に先生から打診されてはじめてその可能性を知り、やっとのことで「『大学』って……どこにあるんですか? と反応するといったありさまだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは私の実例である。

 釧路のように地理的条件が過酷な田舎では「街まで買い物に行く」ことも容易ではないので、たとえば「本やCDを買う」という日常的な行為ひとつとっても、地元の小さな店舗で済ませる以外の選択肢がない。つまり、まともなウィンドウ・ショッピングさえできないのだ。

 したがって、私が関東に引越して自宅浪人しはじめたとき、まっさきに行ったのは、大きな書店の参考書売り場に通いつめることであった。見たこともない量の参考書が並んでいる東京の書店で、はじめて私は「釧路では参考書を売っていなかったのだ」ということを知り、悔しがったものである。

 田舎者(私)の無知と貧弱な想像力の例をいくつか挙げたが、まさに問題は、この「想像力が奪われている」ということにある。こうした田舎では、とにかく文化と教育への距離が絶望的に遠いがゆえに、それらを想像することじたいから疎外されているのだ。

 あまりに遠すぎて想像すらできないこと、これが田舎者の本質的な困難なのである。
サバイバーズ・ギルト
 田舎の小中高生にとっては、「将来のために勉強する」という発想もまた、かぎりなく不可能に近い。これは「何のために役に立たない勉強なんてするの? といった不満とは異なる話である。

 たとえば当時の釧路市では、高校入試の倍率はどの学校でもほぼ1.0倍であり、進学先は中学校の成績で自動的に割り振られた。いわば、いつのまにか「生涯の偏差値」が――その意味さえわからぬまま――決定されていたわけだ。

 田舎から抜け出すには大学入試がおそらく最大のチャンスだが、しかし、その可否は中学時代にすでに決まっている。

 なぜなら、「都会には『大学』なる組織が存在し、自分も努力次第でそこへ入学するチャンスがある」という事実を教わることができるのは、中学で教師の言われるままに学区トップの高校に進学した者だけだからだ。

 高校で初めて「大学進学」という選択肢の存在を知った私の場合は、この事実を驚愕と、いくぶんかの後ろめたさをもって受け止めた。なぜなら自分の学力が高くて大学に行けるのだとしても、それは「努力の成果ではなく、偶然の結果にすぎない」としか感じられなかったからである。

 田舎から都市圏の大学に進学するということは、たまたま容姿に恵まれて街角でスカウトされるのにも似た、きわめて確率的な事象である。

 それをプライドに転化することもできるだろうが、いわゆる「底辺」と形容される中学に通っていた私には、高い学力を持ちながらも、その価値を知らず道を誤ってしまった親しい友人を多く持っていたため、むしろ自らが手にした幸運の偶然性に寒気がしたものであった。

 この「後ろめたさ」は、一種の「サバイバーズ・ギルト」のような感覚だと言える。じっさい、そうした友人たちは中学のある時点で未成年による犯罪のニュース報道とともに学校から姿を消し、のちに鑑別所か少年院で撮影されたらしい変色した写真が卒業アルバムに載っているのを目にするまで、生死さえわからない状態であった。

 その中には私よりも成績が良い者もいたのだが、彼らは大学どころか中学校にも通えなかったわけだ。私が同様の運命を辿らずに済んだのは、たんに運が良かったから――たとえば犯罪行為が露見した日に一緒に遊んでいなかったから――にすぎない。私は、彼らが学力の価値を少しでも知っていたらどうだったろう、と考えないわけにはゆかない。

 かように田舎において、学力というポテンシャルの価値は脆弱なのである。


東京との根本的な違い
 仮にめでたく大学進学という選択肢が与えられ、十分に学力があり、経済的にも恵まれ、いざ大学進学を志したとしても、田舎の子供にはさらなる障壁がいくつも立ちはだかっている。思いつくままに羅列してみよう。

 ○「せめて県内の大学に行ってほしい」と希望する親(北海道はとくにこの傾向が強かった)

 ○「女性は大学・都会になど行くべきでない」という根強い価値観

 ○都会に出ようとする若者への激しい嫉妬と物理的・精神的妨害

 ○受験に対する精神的な負担(多くの人は飛行機に乗ったことも大都市に行ったこともない)

 ○単身で「都会へ引越す」ことへの精神的負担

 ○都会での大学生活について相談できる大人の不在

 ○塾や予備校の不在(都会にどんな機関があるのか知る機会もない)

 ○近所の本屋に受験参考書が揃っていない(取り寄せるべき参考書を知る機会もない)

 ○過去問を閲覧することができない

 ○各種模擬試験の案内がない

 田舎者は、こうした数多の困難によって、教育から隔絶されている。

 こういう話をすると、かならず「いまはインターネットで教育が受けられる」という反応がある。だがこれは、くりかえすが、機会の問題ではなく想像力の問題なのだ。田舎ではそのような発想じたいが不可能なのである。

 田舎者は、教育の重要性はもちろん、インターネットの使い方もろくに知らない人がほとんどである。そのような情報弱者に、みずからの社会的地位の向上のためにインターネット教育を利用することを期待するという発想は、都会人の想像力の貧困を示していると言わざるをえないだろう。

「幸せかどうか」とは別問題
 「田舎だけの問題じゃない」「うちの田舎のほうがキツかった」「都会の貧困層には都会特有の問題がある」といった数々の異論があると思う。それはもっともだ。しょせん私はひとつの経験しか持たない。とくに都会特有の問題については無知である。

 だが、別の事例と問題点を挙げるとき、念頭においてほしいのは、弱者同士でケンカすることなどまったく不毛だということである。

 たんに私は、「教育の格差といえば貧富の差」という一般論において消去されがちな地域格差という側面にスポットを当てたにすぎない。別の問題を知るひとは、また別の問題として提起すればよい。

 また、「田舎は田舎で楽しくやってる」というのはまったくそのとおりだが、その事実と、都会と田舎のあいだには「格差」が存在するという問題は位相が異なる。田舎の幸福は格差を容認する理由にはならないのだ。

 ましてや、「知らないほうが幸せ」という意見は、「家事こそ女の幸福」と主張して女性差別を温存するのにも似た、差別と搾取と格差を是認するロジックと同じである。

偶然に翻弄される地方の子供たち
 地域格差が存在することは理解してもらえたとしよう。ではどうすればいいのか? 
 教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。

 先にも述べたように、私自身が偶然によって東京の大学に進んだ。ということはつまり、別の偶然によって田舎に留まることも大いにありえたのである。

 そして私は、もし過去に戻ってみずからの意思によって進路を選択できるのなら、迷うことなく前者を選ぶ。なぜなら、大学進学は選択肢を可視化するためである。「知らなくて損をする」という可能性を小さくするためである。

 私が必要だと思うのは、こうした偶然性に翻弄される田舎の子供たちに、彼らが潜在的に持っている選択肢と権利とを想像させてやることであり、ひいては、東京をはじめとする都市部に住む人びとに、もうすこし田舎の実態を想像してもらうことである。

 本稿がその実現にむけた小さな一歩となることを願っている。

阿部 幸大




筆者の書いてる通りで、ど田舎は文化格差がある<<極端な話がJungleの原住民状態>>で世界が異なる。

その原住民の中でも自頭がよく高校進学させる親が子供の足を引っ張らない場合、高校教師から大学の話が初めて出る。

また時代性もあり、昔はさらにひどかった。友人の親は茨城出だが親が百姓には学問はいらねえと言われ勉学の邪魔をされ家出をして東京の寺に居候。塾を開いて早稲田卒業した親がいる。

勿論、その子供二人には教育の大切さを教え大学を卒業させた。

うちのバカ親は、酒飲み父親が小学校中退で最終的に運転手(大手だが)母親は女学校出と言うが戦時中で勉強などしてない算数がまるでできない(論理的思考力ゼロの馬ヵ)

自分は、父親に働け!とだけ言われ小学校から新聞配達。

高卒で公務員になったが、自分で大学をその後卒業した。卒業式に両親を誘ったが拒否された(自分らに

1,高学歴の親は子弟にも良い教育をほどこす。

2.低学歴の親は子供にはろくな教育をしない傾向が強く<<学有るものを妬むので子供にも仲間的に低学歴もしくは高卒程度にしておく傾向がある。また、教育に金をかけたくない>>

3,ど田舎はそれ以前の低世界なのでイかっぺ~~豚めどに餌やるっぺえ~~~~@@肥溜めに落ちタッペ~~、、ガッハは~~酒のむベエ~~田吾作~~~~の世界。。。


因みに、フィリピンは日本より強烈な格差<<田舎格差やインカム格差>>がある。

貧困層には頭がっ良いのが出る、、苦学してっち角の国立大学の学長は(若くして成る)Trafficコストが出せなくサンダル徒歩で通い奨学金などヘルプで博士号をとる。

うちの子供の同級生(特別進学校=サイエンススクール=35人学級)にも多数の秀才がいて国際数学コンテスト代表など多数が同席していた0

突然変異?遺伝継承か知らぬが結構いる。

一方でバカはとことん馬ヵのレン中も多い、、、馬鹿なので仕事を覚えない重症。
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コブラの達人、かまれて死亡=捕獲のため出動中―マレーシア

2018年03月18日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
コブラの達人、かまれて死亡=捕獲のため出動中―マレーシア
3/17(土) 20:35配信 時事通信
 【クアラルンプールAFP=時事】マレーシアで、毒蛇を扱う「達人」として知られてきた消防士アブザリン・フシンさん(33)が、コブラにかまれて死亡した。

 当局が17日、明らかにした。中部パハン州で12日、「コブラがいる」と通報を受け、出動した際に襲われた。クアラルンプール消防庁高官は「優秀な人材を失った。悲劇としか言いようがない」と悲しんでいる。

 マレーシアでは住宅街に出没した毒蛇の処理を消防隊が担うことが少なくない。「蛇遣い」とあがめられた父親の特訓を受けたアブザリンさんは、コブラにキスできるほど扱いにたけ、テレビ出演するなど有名だった。

 妻との休日中だったが、通報を受け出動したアブザリンさん。消防庁高官は「一度かまれたら象も死ぬというコブラを彼は捕まえた」と語った。かまれた後、病院に搬送されたが、16日に亡くなった。後輩にも毒蛇の捕まえ方を伝授し、慕われていた。 

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